それぞれの想い
作戦に荷担してしまった責任があるし! ね! と、自分を言い聞かせ、私はいそいそと水着を取り出した。こんな事になるなら、去年、もっと可愛い水着を買っておくんだった。とはいえ、去年の夏に海に行くことも、プールに行くこともなかったので、今日がこの水着のデビュー日なのだけど。念のため買っておいて良かった。作戦決行の時間は午後3時。そろそろ行かなくては。
市民体育館の横に併設された温水プールは6レーンの50メートルプールだ。繁忙期ではない春のプールはほどよい利用者の数でほっとする。翔と守はもう来ているのだろうか。あたりを見回すと、2人は前方のプールサイドにいた。
翔は念入りに準備運動を始め、守はしぶしぶとそれに続いている。私も軽くストレッチをして、作戦決行の前にひと泳ぎをしようか。さすがにこの時期に温水プールに来ている人は常連らしく、ビキニで来ているのは私ぐらいだったが、みくびらないで欲しい。水泳は私の得意なスポーツの一つだ。
学校の授業以外でプールに入るのは、いつぶりだろう。一人で自由に泳ぐのは、とても気持ちが良い。私はゆっくりと背泳ぎをしながら水の感触を楽しんだ。ふと、プールサイドを見上げると、翔が嫌がる守を説得している。
「兄ちゃん、やっぱりやめようよ」
「ここまで来て何いってんだよ、守。怖いんだろう?」
「こわくなんかないよ! でも、いやなんだ」
「それを怖いって言うんだよ。お前、そんなんじゃ今年の夏のプールの授業、どうするんだ? お前が好きな知花ちゃんにも、かっこわる〜いって言われるぞ」
「知花はかんけーねーだろ! ってゆーか、すきじゃねーし!」
守は顔を真っ赤にして反論している。翔はそんな守をケラケラと笑いながら、
「つべこべ言うなよ。ほら!」
と、守を抱きかかえ、プールに飛び込んだ。
深く沈み込んだ2人は、ゆっくりと浮上し、ブハッ!という息と共に水面に顔を出した。
「ほら、大丈夫だろ!?」
翔が嬉しそうな顔で守に話しかける。すると守は、
「だから、こわくないっていってるだろ!?」
と、叫び、スイスイと泳ぎ、翔から離れていった。
あれ、守君、泳ぐの上手なんだ! 思ったより大丈夫そうだ。私はプールから上がって、プールサイドのベンチで、翔の作戦の決行を見守ることにした。
2人は兄弟水入らずで、楽しそうに追いかけっこをしている。もし、私が翔の彼女だったら、私もあの中に入れてもらえるのだろうか。2人の姿を眺めながら、ぼーっとそんなことを妄想していた時だった。
「守! 助けて!」
翔が溺れたふりをして、守に訴え始めた。それを見た守は、ものすごいスピードで翔に泳ぎ詰め、
「なにやってんだよ!」
と、叫んだ。守が翔の腕を掴み、底につかない足をばたつかせ、必死に翔を引き上げようとする。結構、本格的だ。だが、守の努力とは裏腹に翔の体はどんどん、どんどんと水の中に沈んでゆく。
……まだやるの? 翔君、まさか、本当に溺れてる!? 周りの利用者は2人の様子に気づいていない。心臓がバクバクと波打つ。翔君!! 私は心の中で叫びながらプールに飛び込んだ。
守は、小さい身体で死にものぐるいに翔を助けようとしている。そんな守に、
「もう大丈夫だからね!」
と、声をかけ、翔の身体ごと引き上げようと水中に潜り込んだ時である。水中で、フグのように口を膨らませた翔と目があった。翔の足は、しっかりとプールの底についている。
……え?
プールサイドに上がった時の守の怒りは絶頂だった。
「おまえ、ふざけんなよ!!」
「ごめん、ごめん! でも、もう怖くないだろ? お前は一人でピンチに立ち向かえる男なんだ。兄ちゃんがいなくても、お前なら大丈夫だって、わかっただろ!?」
翔は、怒る守に力強く言った。すると、守は、
「だから、水なんてこわくなんかないって、はじめから言ってんだろ!!」
と、ますます怒り出した。
「……じゃあ何で俺から離れなかったんだ?」
そう翔が尋ねると、
「きょねん、おれがおぼれて助けてくれた時、兄ちゃん、さいごに足つって、兄ちゃんまでおぼれかけただろ? その時……、」
守の身体は震えていた。そして、今にも泣きそうな顔をして言った。
「おれ、兄ちゃんが、おれのせいで、死んじゃうかと思ったんだ……。
だから! だから、おれ、もう兄ちゃんのそばから、はなれないって! おれが、兄ちゃんをまもるって、きめたんだ!!」
それを聞いた翔は、
「……そうだったんだな、悪いのは兄ちゃんだったんだな」
と、守の身体をぐっと引き寄せて、力強く抱きしめた。
今までずっと張り詰めていた糸がプツッと切れたかのように、守の目から涙が溢れた。そして、守の泣きじゃくる声がプール中に響き渡った。
「お前ら、注目の的だぞ? そろそろ、外でやんねーか?」
立ちすくむ私の隣で声がした。そこに立っていたのは、ヒョウ柄の海パンを履いたジョージだった。
「ジョージ!! 何でここに!?」
私の問いかけに、ジョージは呆れたように言った。
「なんでってお前、こんなお楽しみ企画、おれが見過ごすとでも思ってたのか?」
*
「ってことは、おめーはずっと兄ちゃんを守ってたんだな?」
ジョージの言葉に、守が小さく頷いた。温水プールの隣のファミレスで、私たちは少し落ち着くことにした。ジョージが珍しくドリンクバーを奢ってくれると言う。窓際のボックス席に、守と翔、私とジョージが並んで座った。
泣き腫らした目をこする守に、翔は優しく、
「守、ありがとう。守が今日、勇気のあるところを見せてくれたから、兄ちゃんも負けないように頑張るよ」
と、言った。すると、ジョージがお前は甘っちょろいんだよ、という顔をしながら、
「守、お前はちゃんとお前の人生を生きろよ」
と、守のおでこを軽くこずくと、続けて、
「兄ちゃんはもう大丈夫だ。これからは、この姉ちゃんが兄ちゃんのことを助けてくれるからな! な、翔!」
と、自信満々に言った。
ちょっと、あんた何いってんの!? と、思うのも束の間、翔は、少し照れた顔をして、
「遠山さん、今日は来てくれてありがとう。遠山さんなら、絶対来てくれると思ったんだ。俺、かっこいいところ見せようと思ったのに、かっこ悪かったな!」
と、笑った。
……えっ!?
「翔君、なんで私のこと!?」
「なんでって……」
翔は、笑いながら私の爪を指さした。
「あっ!!」
私の爪は、占い師バージョンのまま。春休みだから、つけっぱなしにしていたのだ。
「それに……、俺に、遠山さんへの連絡先を渡してくれたのは、遠山さんのお父さんでしょ? 俺初めから遠山さんだって思ってたよ。だって、こんな強烈なお父さん、小学生心にも忘れられないからさ!」
と、ジョージを見ながら言った。
そういえば、小学校の頃の授業参観でジョージは、「なんで、梨花に発表させねーんだ!」とか、後ろから先生に野次を飛ばして、大騒ぎしたことがあったっけ。ジョージが本当の父でないことなど、説明する必要もなかったから、人に話したこともなかった。私は、苦笑いをしながら翔に言った。
「あのね、ジョージは、私の本当のお父さんじゃないの……」
しかし、翔はきょとんとした顔をしている。そして私とジョージの顔を見比べて言った。
「でも、2人はそっくりだよ??」
いやそんな。一緒に暮らしていたから似てしまったのか、それとも他人のそら似か。私がジョージの顔とそっくりなわけがない。
「そんなわけないじゃんね!?」
と、ジョージの方を向くと、ジョージがニヤリと笑った。
「お前は、本当に自分のことは何にもわかんねーんだな」
と、ジョージは胸の金色のネックレスのフタをパカッと開けて、私に見せた。その趣味の悪いネックレス、ペンダントだったの!? と、いう驚きと共に、その中を覗くと、大切にしまわれた小さな写真には、笑顔の女の人が写っていた。その瞬間、私のおぼろげな記憶が鮮明に蘇ってゆく。長い髪、つぶらな瞳、白い肌、温かくて甘い香り……。
「……お母さん?」
私が呟くと、ジョージは嬉しそうに答えた。
「そ! そして、麗子が抱いている可愛い赤子は、まだ可愛かった時のお前!」
「……そんなこと、いきなり言われても信じられないよ!!」
意味がわからなかった。私は半ば発狂気味に、
「証拠がなきゃ、信じられるわけないでしょう!?」
と、叫ぶと、ジョージは真面目な顔で答えた。
「証拠はあるよ」
そして、窓に映った私の顔を指さした。
目も、鼻も、口も、同じだった。
「……そんな」
ジョージが私のお父さんなの? こんな近くに、いたのに、ずっと黙っていたの? もう、頭が変になりそうだ。
「だったら、なんであの時、私を施設から引き取った時に言ってくれなかったの?」
私は、震える身体から絞り出すように言った。
「じゃああの時、俺が父親だって言ってたら、お前はすんなり俺を受け入れられたのか? お前は俺に甘えられたのか?」
そんなのわからない。でも、でも、ずっと、諦めてた。
「……だけど、私、ずっと、独りぼっちだって……」
目の奥が熱くなる。限界だった。苦しかった時も悲しかった時も、私は心を殺して耐えてきた。お母さんが生きていたら、お父さんがいつか迎えに来てくれたらって、一人で何度も夜空を見上げた。そんな思い出が吹き出して、大粒の涙になって流れた。私は俯いて、ぎゅっと拳を握ったが、この涙は止まる気がしなかった。
「お嬢さん、よかったら、これをどうぞ」
突然おじさんの声がした。ふと目を開けると、目の前には、お守りが差し出されている。
「何か辛いことがあったら、この中にある番号に連絡をするといい。私はこの番号のおかげで、再び息子に会うことが出来ました」
見上げると、そこには60代くらいのおじさんが立っていた。そして、その後ろには、背の高い男の人と綺麗な女の人。
「この人がね、息子と私の間を取り持ってくれたんだ。この人がいなかったら、息子はきっと私に会ってくれなかっただろう。本当に心優しい、自慢の嫁です。未来のですけどね。さぁ、あなたにも良いことがありますように」
そう言うと、おじさんは私の手にお守りを握らせた。
綺麗な女の人が、おじさんの背中に手をあてながら、
「お義父さん、行きますよ」
と、おじさんを出口へ促した。それから、そっと、私の耳元に近寄ると、
「ありがとう。可愛い占い師さん」
と、私の爪に目配せして、小さく微笑んだ。
私の目には、ますます涙が溢れた。
「要するにだな、ひとりだと思っているのはお前だけだってことだ。お前は人と人の間で影響されたり、影響を与えたりしながら生きてる。この世界で一人ぼっちだなんてことはありえねーんだ。……それに、俺は、ずっとお前のそばにいたぞ?」
と、ジョージがやさしく微笑んだ。
「……そんなの、言ってくれなきゃ、わからないよ」
「はは、お前は何でもわかるんじゃなかったのか? でも、自分のことはなーんもわかってねーって、やっとわかったな! 人生はな、わからねーから楽しいんだ! わからない中で、傷ついて、悩んで、愛し合って、己の使命を知る。人間っつーのは、バカで可愛らしい生き物なんだよ。人生、舐めたもんじゃねーだろ?」
「……」
「さ! そろそろ、お父さんって呼んでみるか? 翔! お前が俺のことをお義父さんって呼んでくれてもいいんだぜ? こんな可愛げのない娘だ。今のうちに貰い手を探しとかなきゃならねーしな!」
「はは、そうですね、お義父さん」
翔がはにかんで言う。
「ちょっと、翔君、何言ってるの!?」
私の顔の温度がどんどん上がっていくのがわかる。
「お!? お前、顔真っ赤だぞ! 早く一緒にバージンロードを歩こうな!」
ジョージが無理矢理、私の腕を組もうとする。
「なにすんのよ! やめてよ! ジョージ! ……さん……」
「なんだそれ? それじゃ、余計、他人行儀じゃねーか!?」
翔が笑った。守は眠そうだ。ジョージは残念そうな顔をして、私は、もう独りぼっちだなんて思わなかった。




