第一話 その言葉を、私は一生忘れないだろう
「エレオノーラ。ヴィオレット・ベルナールと、一夜を共にした」
夫であるレオナール王太子殿下がそう告げたのは、朝食の席だった。
銀の蓋を外されたばかりの卵料理から、湯気が立っている。
香草と溶かしバターの匂いが漂う中、私はナイフを皿の脇へ置いた。
「もう一度、お願いいたします」
「ヴィオレットと、一夜を共にした」
「聞き間違いではありませんでしたわ」
向かいでは、夫が唇を引き結んだ。
青ざめた顔を見るに、自分が何をしでかしたのかは理解しているらしい。
喉が、ひどく乾いていた。
この人を、愛していた。
婚礼の夜も、政務の合間に並んで読んだ報告書の上でも、夜会の帰り道に二人で歩いた石畳の上でも。
だから今、こんなにも喉が痛い。
「侯爵家が側室を要求しているのですね」
「ベルナール侯爵が娘を傷物にされたと言っている。父上は、受け入れる方が傷は浅いと」
「傷を負うのは、主にわたくしですが」
「本当にすまない」
「謝罪は、問題が片付いてからお願いいたします」
席を立つ前に、告げた。
「後宮の人事権と予算決裁権をいただきます。ヴィオレット嬢の教育責任者として、規則の制定から処分まで、最終決定権もわたくしに。書面で残しますので、国王陛下と王妃陛下の署名も本日中に」
「処分まで?」
「責任だけ負わせ、権限は与えないとおっしゃいますか」
答えはなかった。
「わたくしの夫は、十日前の問題を今朝まで黙っていた方です。口約束を信用するには、少々不安がございます」
その日のうちに、後宮の人事と予算に関する権限は、正式に私の手に渡った。
ヴィオレット・ベルナールは、三日後に王宮へ入った。
初めて会った彼女は、美しい女性だった。
蜂蜜色の髪を優雅に結い、薄紫色の瞳を伏せて深く頭を下げる。
「王太子妃殿下にお目通りが叶いましたこと、心より光栄に存じます」
夫に手を出された側の女から「光栄」と言われる経験は、そう多くはないだろう。
「まずは後宮の規則を女官長から説明していただきます」
「わたくし、帝国王立学院で最高位の宮廷礼儀まで修めております。一般の女官と同じ説明では、能力を低く見積もられているように感じますの」
初対面から、なかなかの勢いだった。
「では、ひとつ仕事をお願いいたしましょう。五日後の王妃陛下の茶会に飾る花を、三種類の候補から選んでください。明日の正午までに女官長へ」
翌日の正午、回答はなかった。
夕刻に届いたのは、過去十年分の花商の納品記録を精査する必要があるという、追加調査期間を求める十六枚の嘆願書だった。
翌朝、夫が執務室へ来た。
「ヴィオレットから、仕事の負担が重すぎると相談を受けた」
「花を三種類から選ぶ仕事が、でございますか」
「彼女は真面目すぎるところがあるらしい。君から、少し力の抜き方を教えてやってくれないか」
机の上に積まれた嘆願書へ目を落とした。
「殿下は、ヴィオレット嬢を優秀だとおっしゃっていましたね」
「経歴を見る限りは」
経歴を見る限りは。その言葉を、私は一生忘れないだろう。
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