第97話 追いつく刃
新しい剣の芯が形になってからの4日間、エイルは朝と夕方に《赤炉》へ通い、その間の時間を訓練場で過ごした。
以前なら4日も街に滞在していれば、近隣の依頼を探すか、地図を広げてまだ歩いていない場所を確認していたはずだったが、今は不思議と退屈していない。
人の戦いを見る。
見た動きを自分で試す。
上手くいかなければ、なぜできないのか考える。
それだけでも、今まで気づかなかったものが次々に見つかった。
特に剣術は顕著だった。
エイルはこれまで強敵と戦うたび、相手より速く動き、硬ければ内部へ《衝撃》を通し、さらに《衝界》を得てからは力の伝わる場所そのものを選べるようになった。
その結果として《剣術》も伸びている。
ただし、純粋に剣だけを使う人間の技術には、自分がほとんど考えてこなかったものがいくつもあった。
4日目の午前。
エイルが見ていたのは、50歳を越えていると思われる片腕の剣士だった。
冒険者ではない。
訓練場の職員に聞くと、以前は王都近郊で冒険者をしていたものの、右腕を失って引退し、現在はローデンで剣を教えているらしい。
左手だけで木剣を握り、向かいには若い冒険者が3人いる。
3対1。
それでも、一方的だった。
老人は速くない。
少なくとも今のエイルから見れば、踏み込みも剣速も驚くほどではなかった。
《身体強化》すら使っていない。
しかし、若い剣士の攻撃が当たらない。
右から斬られれば半歩だけ動き、剣の根元に木剣を当てる。突きが来れば身体を少し傾け、手首へ触れるだけで軌道を変える。
3人が同時に入れば、最初に真ん中の1人を横へ押し、その身体で残る2人の進路を狭めた。
攻撃する時も同じだった。
大きく振らない。
強く打ち込まない。
相手が次の攻撃へ移る途中で、木剣の先を肩や胸へ置くだけだった。
「……ほとんど力使ってないな」
エイルが呟く。
「そりゃ爺さんの得意分野だからな」
隣で見ていたグランが答えた。
またいた。
「グランさん、最近よくいますね」
「お前もだろ」
「僕は剣待ちなので」
「俺は面白いもの見に来てる」
どうやら、その面白いものに自分も含まれているらしい。
エイルは再び片腕の老人へ視線を戻した。
「強い人なんですか?」
「昔はB級だったらしい。片腕になる前でもAには上がってない」
「それで、あれですか」
「能力値だけ見りゃ、今の俺よりずっと低いだろうな」
それでも3人の若手は触れることすらできない。
最後に1人が大きく踏み込み、両手で木剣を振り下ろした。
老人は真正面から受けた。
ただし、衝突したのは刃同士ではない。
相手の剣が最も速度を出す前、握り手に近い場所へ自分の木剣を斜めに当て、そのまま一歩だけ前へ出る。
若者の両腕が詰まり、振り下ろす空間そのものが消えた。
そこから老人が肩を入れる。
若者が後ろへ倒れた。
「終わりだ」
老人が言う。
「3人とも、剣を振ることばかり考えすぎだ。剣を持った相手と戦っているんじゃない。人間と戦っていることを忘れるな」
エイルの目が少し細くなった。
剣ではなく、人間。
昨日、自分が重い訓練人形を掴んで崩していた時にも似たことを考えた。
武器を持っているからといって、武器だけで戦う必要はない。
むしろ今の自分なら、相手と身体が触れた時点で使える選択肢がかなり多い。
純粋な膂力だけでも。
さらに《衝界》まで含めれば、もっと増える。
◇
模擬戦が終わったあと、片腕の老人がエイルの方を見た。
「さっきから熱心に見てるな」
「すみません」
「謝ることじゃない。剣士か?」
「そのつもりです」
「そのつもり?」
グランが横で吹き出した。
「こいつ、自称は剣士なんですけど、やってることがどんどん剣士から離れてるんですよ」
「余計なこと言わなくていいです」
老人がエイルの腰にある借り物の長剣を見る。
「少し振ってみろ」
「ここで?」
「木剣でいい」
渡された木剣を握る。
いつも使っている剣よりかなり軽い。
エイルは普通に構え、正面へ一度だけ振った。
老人が眉を動かす。
「もう一度。今度はゆっくりだ」
言われた通りにする。
「お前、筋力がかなり高いな」
「はい」
「高すぎるせいで、多少雑でも剣が走る」
思わぬところを指摘された。
「雑ですか?」
「下手という意味じゃない。《剣術》自体はかなり高いだろう。ただ、お前は剣を振ったあと、自分の力でいくらでも戻せるから、最初から戻りやすい軌道を選ぶ癖が薄い」
エイルは木剣を見る。
「そんな違いが?」
「ある。力の弱い人間ほど、次の動作へ繋がらない振り方を嫌う。俺みたいに片腕なら余計にな」
老人が左手で木剣を持ち、ゆっくり横へ振る。
振り終わった時点で、すでに切っ先が次の攻撃へ向かっていた。
「強いなら強いで構わん。ただ、100の力で戻せるからといって、毎回100使う必要はない」
その言葉に、エイルは《衝界》を思い出した。
必要な場所へだけ力を通す。
剣術でも同じなのかもしれない。
「もう一回やってみます」
今度は振り終わった位置を考える。
力を入れすぎない。
腰を回し切らず、次の踏み込みへ繋げる。
振る。
戻す。
もう一度。
少し違った。
「そうだ。ただ、お前の場合は普通の剣士と同じにする必要もない」
「というと?」
「その力があるなら、本来なら戻せない位置からでも戻せる。それ自体は長所だ。基本を知った上で、無視するなら武器になる」
老人が笑う。
「知らずに外れるのと、知っていて外すのは別物だ」
エイルは頷いた。
それは覚えておきたい。
◇
昼過ぎまで木剣を振り続けた。
特別な技能を教わったわけではない。
構え。
振った後の剣先。
足の位置。
腰を回す量。
相手と接触した時の肩の入れ方。
基礎と呼ばれる範囲ばかりだった。
しかし、今まで自分が能力で補っていた部分を意識して修正するだけで、動きの繋がりが明らかに変わった。
【《剣術 Lv.53 → Lv.54》】
表示が浮かぶ。
老人は当然それを知らない。
「筋がいいな」
「ありがとうございます」
「ただし、妙に覚えるのが早い」
少しだけ怪しまれた。
「昔からです」
「そういうことにしておくか」
深入りはされなかった。
エイルとしても、《越境》について話すつもりはない。
他人の動きを観察し、それを理解して自分の身体へ落とし込むだけでも、以前より明らかに成長が速くなっている。
戦わなくても伸びる。
ただ歩いていても伸びる。
未知へ触れれば、さらに伸びる。
Lv.6になってから、《越境》の影響は単なる経験値の増加という範囲から少しずつ外れ始めているように思えた。
それでも、固有技能自体のLvは変わらない。
今やっていることは、まだ越えるほどではない。
新しいものを吸収しているだけだ。
◇
夕方、《赤炉》へ入ると、グレイグは何も言わず奥を指した。
そこには布を掛けられた細長いものが置かれている。
エイルは足を止めた。
「できたんですか?」
「形はな」
グレイグが布を取る。
現れた剣は、以前使っていたものと一目で系統が繋がっていると分かる形をしていた。
片刃寄り。
ただし以前より刀身は僅かに長く、幅もほんの少し増している。
大剣と呼ぶほどではない。
それでも刃の根元側には明確な厚みがあり、先端へ近づくほど急激ではなく滑らかに細くなっていた。
切っ先近くの背側には短い刃が残され、突きにも使える。
鍔は前より小さく見える。
正確には、刀身が僅かに大きくなったことで相対的にそう感じるだけだろう。
柄は長くなっていない。
しかし握った時に手の中へ収まりやすいよう、中央だけ僅かに細く絞られている。
「持て」
エイルは剣を取った。
最初に感じたのは重さだった。
以前より確実に重い。
しかし不快ではない。
重心は手元から少し前へ移動しているものの、剣先に引っ張られるような感覚はなく、腕を下げた状態からでも自然に持ち上がる。
一度だけゆっくり振る。
空気を切る音が低い。
「前より重いですね」
「お前の筋力なら、こっちの方が軽すぎねえ」
グレイグは刀身の根元を指した。
「外側の主材は《脈晶鉄》を混ぜた合金。全部それにすると柔らかすぎるから、硬い地金と層にしてある」
次に峰側。
「《響殻》は薄く砕いてここへ入れた。剣全体を柔らかくするんじゃなく、衝撃が戻った時だけ峰側へ逃がす」
刀身内部には巨大鉱晶獣の中心結晶。
先端寄りには、8脚種から回収した収束結晶。
そして黒い結晶核は極少量だけ加工され、刀身中央のさらに内部へ封じられているらしい。
「魔力を通せ」
エイルは柄を握る。
流す。
瞬間。
目が変わった。
以前の剣とは違う。
柄から入った魔力が1本の太い道へ集まらず、最初から複数へ分かれて刀身へ進む。
しかも、ただ枝分かれしているわけではない。
エイルが右側へ多く流そうとすれば右が広がり、中央へ寄せれば周囲の経路が僅かに狭まる。
「動く」
「ああ」
「魔力路が?」
「正確には《脈晶鉄》側が流量に合わせて変わってる。お前が持ってきた純度だからできた」
エイルはさらに魔力を増やした。
5本。
10本。
20本。
剣の中で経路を分ける。
抵抗がほとんど増えない。
30。
40。
そこでグレイグが低い声で止めた。
「工房で50やるな」
「まだ余裕あります」
「知るか。外でやれ」
仕方なく魔力を抜く。
それでも、感触だけで分かった。
以前とは違う。
この剣は《衝界》を通すために作られている。
◇
「まだ完成じゃないんですよね?」
「実戦試験が残ってる」
「どこで?」
「裏」
《赤炉》の裏手には広い試験場があった。
普段は大型武器や防具の強度確認に使う場所らしく、厚い石壁の前へ何種類もの標的が並んでいる。
木。
鉄板。
岩塊。
さらに一番奥には、複数の金属を重ねた巨大な試験柱があった。
「最初は普通に斬れ」
エイルは剣を構える。
魔力なし。
《身体強化》もなし。
最初の標的は、直径40センチほどの硬木だった。
一歩。
振る。
刃が通過する。
抵抗はあった。
しかし、以前の剣より短い。
硬木の上半分が僅かにずれ、そのまま地面へ落ちた。
「次、鉄板」
厚さ5センチ。
さすがに木のようにはいかない。
エイルは同じく魔力を使わずに振り抜いた。
甲高い音。
刀身が鉄板の半ば近くまで入る。
グレイグが無言で剣を確認した。
「刃は?」
「問題ないです」
「ならもう一回。今度は本気で振れ」
「素で?」
「そうだ」
エイルは少し距離を取る。
足を置く。
腰。
背中。
肩。
今日教わったばかりの、無駄を減らした振り方を意識する。
ただし最後だけは抑えない。
今の筋力をそのまま剣へ乗せた。
踏み込みで土が沈む。
長剣が横へ走った。
鉄板が切れた。
真っ二つではない。
それでも刃は5センチの鉄を通過し、その奥の固定具まで大きく歪ませて止まっていた。
グレイグが無言になる。
「……何ですか?」
「いや」
切断された鉄板を見る。
「剣の試験なのか、お前の試験なのか分からなくなってきた」
「剣、大丈夫そうですよ」
「そこじゃねえ」
それでも刃には目立つ欠けがない。
以前なら素の膂力だけでこれほどの負荷を掛ければ、刀身側にもかなり大きな反動が残っていたはずだった。
今回は《響殻》を入れた峰側が細かく振動し、衝突の直後にはほとんど収まっている。
「次、《衝界》だ」
ここからが本番だった。
◇
一番奥の試験柱を使う。
高さ3メートル。
直径1メートル近い複合金属柱。
壊すことを目的にしたものではなく、高威力技能を何度も受けるための設備らしい。
「まず弱く通せ」
エイルは刃を表面へ触れさせた。
《衝界》。
1本。
柱の中心まで送り、そこで止める。
「どうだ」
「ほとんど抵抗ないです」
「分けろ」
4本。
8本。
16本。
柱の内部へ別々の経路で通す。
今までなら、剣の中で分岐させる段階からエイル自身がかなり細かく制御する必要があった。
今は柄から刀身中央までの部分を剣が補助してくれる。
自分はその先を選ぶことへ集中できる。
「収束」
16本を柱の中心で1本へ戻す。
低い音がした。
表面には何も起こらない。
しかしグレイグが柱を軽く叩くと、中央付近だけ明らかに音が変わっていた。
「もっと増やせ」
「壊れません?」
「柱はいい。剣を見てる」
20。
30。
40。
50。
エイルが深鉱循環区で巨大侵食体を倒した時と同じ数まで増やす。
違いは明確だった。
以前は50本を維持するだけで、剣の内部へ相当な負荷が掛かっていた。
今はまだ余裕がある。
「60いけます」
グレイグの眉が動いた。
「やれ」
60。
65。
70。
そこで剣の中央から僅かな抵抗を感じた。
「この辺です」
「戻せ」
すぐに魔力を抜く。
グレイグが剣を受け取り、しばらく無言で内部を調べる。
「損傷なし」
エイルの口元が僅かに緩んだ。
「前の倍近いですね」
「今はな」
「今は?」
「お前、どうせまた増えるだろ」
否定できない。
「だから余裕を残してある。70が限界じゃない。今日の加工と今の状態で、俺が安全だと言えるのがその辺ってだけだ」
グレイグが剣を返す。
「最後に最大出力を1回だけやる。ただし分岐は30まで。全部、柱の奥で1つへ戻せ」
「分かりました」
エイルは両手で柄を握った。
今度は刃を触れさせるだけではない。
斬撃と同時に通す。
これが実戦で最も多い形だ。
《魔力圧縮》。
《衝界》。
30本へ分ける。
刀身を通過する間、各経路へ同じ量を入れる必要はない。
外側は弱く。
中心へ近い経路だけ濃く。
そして標的内部へ入った瞬間、すべてを中央へ戻す。
一歩踏み込む。
剣を振った。
金属柱へ刃が当たる。
巨大な音が響くと思っていた。
しかし実際に聞こえたのは、重く短い衝突音だけだった。
直後。
試験柱の反対側が膨らんだ。
表面が破れる。
内側から押し出された金属片が後方の石壁へ突き刺さる。
エイルが剣を止めた。
グレイグも柱を見る。
表側の斬撃痕は浅い。
なのに内部を通った力だけが背面へ集まり、厚い金属を内側から押し破っていた。
「……前よりかなり通るな」
エイルが言った。
「剣が邪魔してねえからな」
グレイグは剣を見る。
刀身は無事。
内部伝導路にも乱れはない。
峰側の《響殻》が受けた反動を分散し、柄へ返ってきた衝撃も以前より明らかに少なかった。
そして何より。
剣を振ったエイル自身の右腕が、ほとんど痺れていない。
「すごいですね」
「当たり前だ。誰が作ったと思ってる」
グレイグはそう言ったあと、少し間を置いた。
「ただし、勘違いするな」
「何をです?」
「今の剣がお前より強いわけじゃない」
エイルが剣を見る。
「前の剣は、お前の出力を受け止めるので精一杯になってた。だから今度は、お前の力を邪魔しないところまで持ってきた」
それが今回の更新だった。
強い武器を持ったから強くなるのではない。
今まで武器側の限界で失われていたものが、ようやく使えるようになる。
エイルは柄を握り直した。
「追いついたって感じですか」
「今だけな」
「また言った」
「事実だ」
◇
最後に鞘も渡された。
以前と同じく派手な装飾はない。
ただし内部には刃を固定するための構造が追加されており、以前より重くなった剣でも走った時に揺れにくくなっている。
「名前は?」
グレイグが聞いた。
「まだないです」
「今回もか」
「必要ですか?」
「俺は工房記録で勝手に呼ぶ」
「何て?」
「試作第2循環刀」
「格好悪いですね」
「じゃあ自分で付けろ」
「それはそのうち」
「なら文句言うな」
剣を腰へ戻す。
重さは増えている。
それでも数歩歩けば、すぐに身体へ馴染み始めた。
むしろ以前の剣より、今の筋力には自然だった。
【《剣術 Lv.54 → Lv.55》】
【《魔力操作 Lv.72 → Lv.74》】
【《衝界 Lv.27 → Lv.30》】
試験だけでも技能が伸びている。
エイルは表示を確認し、工房の外を見る。
日が傾き始めていた。
「明日、西へ戻ります」
「合同演習か」
「はい」
「防具は?」
「レグノアに着いたらマルナさんのところへ行きます」
「循環繊維を全部渡すなよ。少し残せ」
「剣にも使うんですか?」
「次の改修用だ」
もう次の話をしている。
エイルは少し笑った。
「分かりました」
◇
翌朝。
ローデンの西門。
エイルは新しい剣を腰へ下げ、修理前の傷が残るロングコートの上から荷物を背負っていた。
防具だけはまだ以前のまま。
だが、剣は追いついた。
少なくとも今の自分には。
合同演習までは残り4日。
ローデンからレグノアまで、普通に進めば3日前後。
寄り道をしている余裕はほとんどない。
「今回は街道まっすぐだな」
少し残念ではある。
ただ、その先には今までまともに見たことのない軍上位者たちの戦いが待っている。
戦技席次。
王都騎士団。
S級冒険者。
固有技能《戦脈》を持つレオン・ヴァルハルト。
以前なら、誰が一番強いのかだけを気にしていたかもしれない。
今は違う。
どんな技能を使うのか。
どれほどのLvまで磨いているのか。
同じ《身体強化》をどう使うのか。
剣士は何を見て剣を振り、槍使いはどの間合いを支配し、魔術師は何を削って何を残すのか。
そして、それを見た自分がどこまで吸収できるのか。
エイルは街道へ踏み出した。
新しい剣の柄が、歩くたび腰元で僅かに揺れる。
4日後。
これまでほとんど見る側へ回らなかったエイルは、初めて大勢の強者たちが戦う場所へ向かうことになる。




