第96話 技の積み重ね
能力測定を終えた翌日から、エイルの生活は西境にいた頃とはまるで違うものになった。
朝になれば宿を出て《赤炉》へ向かい、グレイグが新しい剣の試作へ必要としている確認に付き合う。その後はギルドの訓練場へ移動し、借り物の剣を使って基礎訓練を続けながら、空いている時間には他の冒険者たちの模擬戦を見る。
夕方になれば再び《赤炉》へ戻り、その日に作られた試験片へ魔力を通す。
魔物を探して歩き回ることもなければ、地図の空白へ向かうこともない。
最初の1日は少し落ち着かなかった。
ところが2日目になる頃には、人の戦いを見ること自体が思っていた以上に面白いと気づき始めていた。
◇
その日の訓練場では、中央区画に普段より多くの冒険者が集まっていた。
理由はすぐに分かった。
訓練場の中央にいるのは2人。
一方は長剣を持つ若い男で、見覚えはない。
もう一方は、片手に小型の円盾を持つ40歳前後の女だった。
「誰ですか?」
近くで見ていた冒険者へ尋ねると、相手は少し驚いた顔でエイルを見る。
「知らないのか? あっちの盾持ってる方、A級のヴェラだよ」
「A級」
「《鉄歩》のヴェラ。普段は北側で活動してるから、ローデンにいる方が珍しいけどな」
異名まで持っている。
エイルは改めてヴェラを見た。
大盾ではない。
左腕へ固定された円盾は直径50センチほどしかなく、全身を守るには小さすぎる。
武器も右手に持つ短い片手剣だけだった。
向かいの若い剣士もB級らしい。
模擬戦が始まる。
先に動いたのは若い剣士だった。
《身体強化》を使い、一気に間合いを縮める。
昨日エイルが見たC級たちより速い。
長剣が右上から入る。
ヴェラは盾を上げた。
ただし、受け止めない。
斜めに傾けた盾面へ長剣を当て、身体を半歩ずらすことで斬撃を外側へ滑らせる。
若い剣士はすぐに切り返した。
横薙ぎ。
突き。
下段。
3回続けて剣が走る。
ヴェラはほとんどその場から動かなかった。
盾を数センチ。
肩を僅かに引く。
足を半歩。
それだけで全部の攻撃が急所から外れていく。
「防御技能が高いのかな」
エイルが呟くと、隣にいた冒険者が頷いた。
「公開されてるので《盾術 Lv.39》だったはずだぞ。《剣術》は22くらいだったと思う」
「39……」
先日聞いたB級冒険者の盾術が20台前半だったことを考えると、かなり高い。
だが、数字を聞いたあとで見ると、さらに面白かった。
盾術39だから強いのではない。
少なくとも、エイルにはそう見えた。
ヴェラは盾で攻撃を受ける前に、相手が最も力を乗せにくくなる場所へ身体を移している。
攻撃が始まったあとではない。
若い剣士の後ろ足が地面を押した瞬間には、もう盾の角度が変わり始めていた。
エイルには《警戒圏》がある。
《近域感知》もある。
だから危険が来る前に動ける。
しかしヴェラは、おそらくそうした感知系技能に頼っていない。
相手の姿勢を見ている。
肩の高さ。
腰。
足。
剣を握る手。
積み重ねた経験だけで、攻撃が来る場所を判断している。
若い剣士が距離を取った。
「なら――《三連閃》!」
新しい技能だった。
最初の斬撃を囮にして、その直後へ角度の違う2撃を連続させる。
3本の斬撃がほとんど重なって見える。
ヴェラが初めて大きく動いた。
1撃目を盾で下へ流し、2撃目は身体を回して避ける。
そして3撃目。
避けない。
盾をぶつけた。
鈍い音と同時に、若い剣士の腕が外側へ弾かれる。
その瞬間、ヴェラの右手にあった短剣が相手の胸元へ止まっていた。
決着だった。
「最後、盾で攻撃した?」
「《盾打》だな」
隣の冒険者が答える。
「ヴェラの得意技。あの人、盾術だけならこの辺のA級でも上の方だよ」
エイルは少し考える。
技そのものは単純に見えた。
盾をぶつける。
ただそれだけ。
しかし使う瞬間が完璧だった。
3撃目まで攻めると決めた相手は、その瞬間だけ身体が前へ流れている。
そこへ盾を当てる。
力で押し飛ばしたわけではない。
最も崩れやすい瞬間へ、必要な分だけ力を入れた。
「面白いな」
力の大きさではなく、使う場所。
自分の《衝界》にも近い考え方がある。
何でも最大出力で叩きつけるのではなく、必要な場所へ必要なだけ通せばいい。
他人の技能を見ているはずなのに、自分の技能の使い方まで思いつく。
◇
模擬戦が終わったあとも、エイルはしばらく訓練場へ残った。
次に見たのは弓使い同士。
その次は斧と長剣。
さらに魔術師2人の模擬戦まで見る。
特に魔術師同士の戦いは、エイルにとってかなり新鮮だった。
魔術の威力だけで押し合うわけではない。
一方が火球を作れば、相手は水で消すのではなく、発動前の魔力構築へ干渉する。
大きな魔術を撃つと見せかけて、小さな風弾で相手の集中だけを崩す。
防御障壁も真正面へ厚く張るのではなく、攻撃が当たる部分だけ瞬間的に密度を上げている。
エイル自身、《魔力操作》はかなり高い。
しかし用途の大半は自分の身体や《衝撃》、《衝界》へ繋げるものだった。
純粋な魔術師が行う魔力操作は、同じ技能名でも方向がまるで違う。
「僕、《魔力操作》高いけど、できないこと普通に多いな」
自分より技能Lvが低い相手でも、自分にはできないことがある。
それが分かるだけでも見る価値があった。
その日の夕方。
借り物の剣で素振りをしている最中、表示が1つだけ浮かんだ。
【《剣術 Lv.52 → Lv.53》】
昨日に続いて、また上がった。
戦った量はほとんどない。
人の動きを見て、それを自分の身体で試しただけ。
「本当にこれでも伸びるんだな」
エイルは借り物の長剣を一度下ろし、今度はヴェラがやっていたように、相手の攻撃を最小限の動きで流す動作を想像して構え直した。
◇
《赤炉》へ戻ると、工房の奥には見慣れない金属棒が6本並んでいた。
どれも長さ30センチほど。
微妙に色や厚さが違う。
「来たか」
グレイグはそのうち1本をエイルへ投げる。
「魔力通せ」
「《衝界》も?」
「まだ使うな。まず普通にだ」
エイルは金属棒を握った。
高純度《脈晶鉄》を基礎にしているらしい。
魔力を流す。
最初は1本。
途中で自然に3本へ分かれる。
さらに先端側で再び1つへ戻る。
「かなり通りやすいです」
「次」
2本目。
こちらは分岐が5つ。
ただし、細い経路が増えた分だけ抵抗も大きい。
3本目。
今度は7つ。
4本目。
途中に巨大鉱晶獣の中心結晶から削り出した小さな部品が入っている。
魔力を流した瞬間、感覚が変わった。
「あ」
「どうした」
「途中で分けても、かなり同じくらいの量で流れます」
「勝手に均してる」
グレイグが腕を組む。
「お前が50本だの何だの好き勝手に分けるせいで、普通の魔力路じゃ細い方から焼ける。だから中継点で一度均等化する」
「でも僕、全部同じ量にしないこともありますよ」
「だから問題なんだよ」
怒られた。
「均等化を強制したら、お前の技能を邪魔する。逆に何もさせなきゃ剣が耐えねえ。今はその間を探してる」
5本目。
6本目。
エイルは全部へ魔力を流した。
最後にグレイグが、最初の金属棒をもう一度渡す。
「今度は《衝界》」
「どれくらい?」
「壊さない程度」
「その基準が難しいんですけど」
「お前が言うな」
仕方なく、かなり弱く使う。
1本で入れる。
途中から4本。
2本だけ強く。
残り2本は弱く。
そのまま先端へ通す。
金属棒が微かに震えた。
グレイグがすぐ受け取り、表面と内部を確認する。
「もう一回。今度は途中で止めろ」
エイルは同じように魔力を流し、中央部で《衝界》の伝達を止めた。
「次、戻せ」
「戻す?」
「先端まで通した後、途中まで逆流させろ」
「やったことないです」
「なら今やれ」
無茶を言う。
エイルは少し考え、細い《衝界》を金属棒の先端まで通したあと、経路を反転させようとする。
最初は上手くいかなかった。
力は前へ流す方が自然だ。
途中で止めることはできても、すでに進んだ衝撃を逆へ引き戻す感覚はまだ掴めない。
「もう一回」
グレイグは待つ。
エイルも繰り返した。
3回。
5回。
10回。
少しずつ感覚が変わる。
衝撃そのものを引き戻すのではない。
先端へ到達した力を、そこから新しい経路へ乗せる。
前と後ろを逆に考える。
11回目。
金属棒の先端まで走った振動が、途中から柄側へ戻った。
「今」
グレイグが言う。
「できました」
「分かった」
鍛冶師は金属棒を作業台へ置く。
「なら反動を剣の中だけで回せる可能性がある」
エイルは少し目を見開いた。
「外に逃がさず?」
「全部じゃない。そんなことしたら剣の中で蓄積して最後に爆ぜる。ただ、斬った瞬間の反力を柄へ全部返すんじゃなく、峰側と内部路へ一度分散してから、必要な分だけ外へ逃がせるかもしれん」
《響殻》も使う。
巨大鉱晶獣の中心結晶も使う。
《脈晶鉄》も。
すべてが単に硬い素材としてではなく、それぞれ別の役割を持ち始めている。
「面白いですね」
「俺は面倒だ」
「楽しそうですけど」
「黙れ」
やはり少し楽しんでいるように見えた。
◇
3日目。
グレイグが作業へ入っている間、エイルは冒険者ギルドから少し離れた公共訓練場へ行った。
理由は単純だった。
ギルドの訓練場では、昨日のグランとの模擬戦が広まりすぎた。
入った瞬間に何人かから力比べを頼まれたため、逃げてきた。
「別に力比べしたいわけじゃないんだけどな」
純粋な筋力を確かめる目的はすでに達成している。
ただし、膂力そのものを戦闘へどう組み込むかについては、まだ試せる余地があった。
西境で戦っていた時のエイルは、速度と《衝撃》系統を中心にした戦い方が多い。
巨大な相手でも真正面から押し合うより、構造を読んで内部へ通す。
それは合理的だ。
しかし、筋力1526という数字があるなら、それ自体も立派な武器になる。
エイルは訓練用の重い金属柱の前に立った。
武器は使わない。
魔力も流さない。
両手で柱を掴む。
固定されている。
地面へ深く埋め込まれ、普通なら何人かで押しても動かない訓練器具だった。
エイルは足の位置を変えた。
引く。
最初は動かない。
そこで腕だけで引くのをやめ、腰を落とす。
足で地面を押し、背中を使う。
柱の根元から土が僅かに浮いた。
「いけそうだな」
もう一度。
今度はさらに深く腰を入れる。
金属柱が傾いた。
周囲で訓練していた人間が何人かこちらを見る。
気づかないふりをする。
完全に引き抜くと怒られそうなので、元へ戻した。
次は大型の石塊。
重量は500キロ以上ある。
以前、西部方面軍の砦で同程度の重量を片手で持ち上げた時にも驚かれた。
今なら。
エイルは片手を掛けた。
持ち上げる。
軽いとは言わない。
しかし以前より明らかに余裕がある。
胸の高さまで持ち上げたところで、少し考える。
「投げられるかな」
「やめろ!」
遠くから管理員に止められた。
「すみません」
静かに戻した。
◇
その後は、重い訓練用人形を相手に接近戦を試した。
剣を使わない。
殴ることもしない。
掴む。
押す。
崩す。
相手が人型なら、強い筋力は斬撃だけに使う必要がない。
肩を掴んで引けば姿勢が崩れる。
腕を押さえれば武器を振れない。
近距離なら、剣を振るための空間がなくても身体そのものを使える。
エイルは訓練人形の腰と肩を掴み、持ち上げた。
そのまま横へ倒す。
重さは300キロほどあるらしいが、問題なく動いた。
「魔物相手でも使えるな」
小型から中型なら、そのまま姿勢を崩せる。
大型でも脚や角を掴む場面はある。
これまでなら危険なので避けていたが、今の筋力なら選択肢へ入る。
速度で避ける。
剣で斬る。
《衝界》を通す。
それだけではなく、相手の突進を掴んで方向を変えることもできるかもしれない。
もちろん相手の重量次第だ。
40メートル級を持ち上げられるとは思わない。
ただ、数メートル程度の魔物なら話は違う。
試してみたい。
そう思ったところで、自分がまた魔物を探しに行こうとしていることに気づいた。
「……今は剣待ちだった」
危ないところだった。
◇
4日目の午後。
訓練場で他人の模擬戦を見ていたエイルの隣へ、グランがやってきた。
今日は戦う気ではないらしく、大剣も持っていない。
「まだ見てるのか」
「面白いので」
「お前、変なところで真面目だな」
「変です?」
「普通、急に強くなった奴って自分より下の戦いなんか見なくなるぞ」
エイルは少し考えた。
「下なんですか?」
「ランクとか能力値で言えばな」
「でも、僕ができないこと普通にやってますよ」
ちょうど戦っている双剣使いが、左右の剣を別々の間合いで使っている。
右は攻撃。
左は防御。
ところが数回に1回だけ役割が入れ替わり、相手がその変化へ追いつけていない。
「僕、双剣なんてまともに使えないですし」
「お前が2本持ったら力でどうにかなりそうなのが嫌だな」
「それは使えるとは言わないでしょう」
グランは笑い、しばらく一緒に模擬戦を見る。
やがて視線を戦場へ向けたまま言った。
「合同演習、もうすぐだろ」
「あと8日くらいですね」
「戦技席次の公開戦も見るんだよな?」
「そのつもりです」
「なら、ここで見てるのとは別物だぞ」
エイルが隣を見る。
「そんなに?」
「そりゃそうだ。軍の席次持ちは戦うことが仕事だからな。特に一桁は、単にステータスが高いとか技能Lvが高いとかじゃない」
「何が違うんです?」
「自分で見ろ」
「教えてくれないんですか」
「その方が面白い」
少し意地が悪い。
ただ、グランの言いたいことも分かった。
実際に見てみたい。
◇
その日の夕方。
《赤炉》へ入った瞬間、エイルは昨日までとは違う空気を感じた。
作業台の上に、長い金属の芯材が置かれている。
まだ剣の形ではない。
それでも長さは現在の長剣とほぼ同じで、中央から何本もの細い線が枝分かれするように内部へ走っていた。
グレイグが炉の前から振り返る。
「来たか」
「それ、僕のですか?」
「芯だけな」
エイルが近づく。
細い魔力路は、外から見ても複雑だった。
柄になる部分から5本。
刀身中央でさらに分岐。
途中に中継点が3ヶ所。
先端近くで複数の経路が再び細く集まる。
「触るなよ。まだ固定してねえ」
「はい」
「明日から外側を作る」
グレイグは芯材を見る。
「その前に決めることがある」
「何です?」
「名前だ」
エイルが首を傾げた。
「剣の?」
「違う」
グレイグが睨む。
「構造だ。前と同じ作りじゃなくなったから、工房側で区別するための仮称が要る」
「何でもいいんじゃないですか?」
「お前に聞いた俺が馬鹿だった」
即座に切り捨てられた。
「それと、もう1つ」
グレイグは作業台の端から、黒い結晶核を持ち上げる。
深鉱循環区の巨大侵食体から採ったものだった。
「こいつ、使う」
「大丈夫なんですか?」
「そのままじゃ使わん。砕いて、ほんの一部だけ入れる」
結晶核の表面を指で叩く。
「お前の《衝界》と喧嘩するなら捨てるつもりだった。だが昨日の試験で考えが変わった」
「何に使うんです?」
「剣の中で力を一時的に集める場所を作る」
「集める?」
「お前、今は分けてばっかりだろ」
確かにそうだ。
複数経路。
分散。
選択。
再収束もできるが、基本的には自分が全部制御している。
「こいつを補助に使えば、分散した力を剣側で一度まとめられるかもしれん。ただし、勝手に圧縮しすぎないよう加工する」
グレイグの声が少し低くなった。
「上手くいけば、お前が50本に分けた力を最後に1本へ戻す時、自分だけで全部やる必要がなくなる」
エイルは芯材を見る。
それが完成した時。
今の《衝界》をどこまで通せるのか。
想像しただけでも、以前の剣とは明らかに違う。
「試したいな」
「完成するまで待て」
「はい」
「あと4日だ」
合同演習までは8日。
新しい剣の完成まで4日。
時間は十分にある。
エイルは複雑な芯材をもう一度見たあと、工房の外へ出た。
翌日も訓練場へ行くつもりだった。
見るものはまだ多い。
そして今は、強くなる方法が戦うことだけではなくなっていた。




