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第88話 地図にない第6層

 崩れた岩の隙間へ身体を滑り込ませると、エイルはすぐに足を止めた。


 表側から見れば、古い崩落によって偶然できた細い裂け目にしか見えなかったが、その先には人が2人並んでも余裕があるほど広い通路が続いており、壁面にも自然洞窟とは違う滑らかな削れ方が残っている。かつて鉱山だった頃に掘られた坑道なのか、それとも迷宮化したあとで形成された場所なのかまでは分からないものの、少なくともギルドから借りた第6層の地図には存在しない区画だった。


 足元へ散らばっている岩の表面には、新しく割れた部分と、長期間空気へ晒された部分が混在している。


 つまり、昔から完全に塞がれていたわけではない。


 何度か崩れ、また開き、そのたびに迷宮内部の形まで少しずつ変わってきた可能性がある。


 エイルは入口の位置を自分の地図へ書き込み、その横へ簡単な目印を残してから奥へ進んだ。


 《警戒圏》はすでに働いている。


 前方には複数の生物反応。


 そのさらに奥には、さきほど感じた高密度の鉱石らしい魔力反応がまとまって存在していた。


 問題は、その途中にいる魔物だった。


 距離はまだ300メートル以上ある。


 それでも《振動感知》へ返ってくる足音は軽くない。


「3体……いや、4体か」


 それぞれが一定の距離を保ちながら動いている。


 群れというより、同じ場所を巡回しているような動きだった。


 エイルは歩みを少し落とした。


     ◇


 最初の個体が姿を現したのは、通路が大きく右へ曲がった先だった。


 全長は6メートルほど。


 胴体は細長く、前半身だけを高く持ち上げる姿勢は大型の蜥蜴に近いが、脚は4本ではなく8本あり、前方へ行くほど太く発達している。脚の先端には鉤爪ではなく、平たい金属片のような硬質部が3枚ずつ並び、それを床へ擦り付けながら静かに移動していた。


 頭部には口らしい裂け目がない。


 代わりに顔の中央から直径20センチほどの丸い管状器官が突き出し、その周囲へ小さな黒い孔が何十個も並んでいる。


 最も目立つのは背中だった。


 背骨に沿って半透明の結晶柱が7本生えており、その内部を白い魔力が上下へ往復している。


 見た目だけなら、採掘場に置かれた魔力灯を生物の背中へ並べたようだった。


 魔物がこちらへ頭部を向ける。


 《警戒圏》が反応するより少し早く、背中の結晶が強く光った。


 次の瞬間、管状器官から細い魔力の線が放たれる。


 エイルは身体を横へ滑らせた。


 線は背後の岩壁へ当たり、爆発するのではなく、触れた部分だけを細長く穿った。


「貫通型か」


 威力を広げず、極端に細くしている。


 ちょうど今のエイルが《衝撃》で試している方向に近い。


 魔物は撃ち終わったあとすぐ移動せず、背中の結晶へ再び魔力を流し始めた。


 連射はできないらしい。


 なら、その間に距離を詰めればいい。


 エイルは《高密度強化》を脚へ流し、魔物の正面を避けながら斜めへ踏み込んだ。


 8本の脚が一斉に動く。


 正面だけが攻撃方向ではない。


 左右の前脚が広く開き、その硬質部が横から挟み込むように迫る。


 《警戒圏》には、さらにそのあとに続く尾の軌道まで薄く浮かんでいた。


 エイルは最初の脚へ剣を当てず、身体を低くして内側へ入り、背中の結晶柱の根元へ長剣を滑らせる。


 硬い。


 表面だけではなく、結晶そのものがかなり高密度だった。


 そこで刃を深く入れようとはせず、《振動感知》を通して結晶と胴体を繋ぐ部分を探す。


 細い魔力路が複数見つかった。


 その1つへ圧縮した《衝撃》を流す。


 結晶柱の内部で短い音が鳴り、魔力の往復が乱れた。


 魔物が身体を大きく捻る。


 残る脚が一斉に床を蹴り、胴体ごとエイルを壁へ押し潰そうとしてくる。


 エイルは足元へ《衝撃》を使って一度距離を取り、今度は正面から魔物を見た。


「結晶が核じゃないな」


 壊した1本が機能を失っているのに、魔物そのものはほとんど弱っていない。


 なら、背中の結晶は魔力を溜める外部器官に近いのだろう。


 魔物が再び管状器官を向ける。


 今度は発射前から、《警戒圏》へ複数の射線が浮かんだ。


 真っ直ぐ避けても追う。


 右へ大きく動けば別の脚。


 左は壁が近い。


 なら、撃たせる位置を決める。


 エイルはわざと正面へ残った。


 魔力が集まる。


 発射の直前にだけ身体を沈める。


 細い光線が頭上を通り、そのまま魔物自身の後方にある岩壁へ突き刺さった。


 そこへ《震圧》を狭く使う。


 岩壁の下部だけを複数地点から揺らすと、支えを失った大きな岩塊が前へ崩れ、魔物の後脚へ落ちた。


 8本脚のうち2本が塞がれる。


 姿勢が崩れた。


 エイルはその隙に懐へ入り、首の付け根にある薄い継ぎ目へ長剣を深く差し込む。


 内部へ《振動感知》を送る。


 今度は大きな魔力器官が見えた。


「そこか」


 細く圧縮した《衝撃》を一度だけ通す。


 魔物の胴体が大きく跳ね、そのまま力を失った。


 倒れたあと、背中の結晶柱へ残っていた魔力がゆっくり消えていく。


 エイルはしばらくそれを眺めたあと、状態の良い結晶を2本だけ切り取った。


 触れるとかなり軽い。


 それにもかかわらず、自分の魔力を流した時には内部へまっすぐ通る。


「剣に使えるかな」


 《脈晶鉄》とは性質が違う。


 脈晶鉄は複数方向へ魔力を分けやすい。


 こちらは逆に、細い流れを崩さず保持する。


 今の《衝撃》が広域と収束の両方へ伸び始めていることを考えると、組み合わせ次第ではかなり面白い素材になりそうだった。


     ◇


 残り3体も同じ種類だった。


 ただし2体目からは戦い方が分かっている。


 発射前に背中の結晶へ魔力が集まり、脚による近接攻撃は正面へ入った相手を囲むように使う。


 なら真正面へ付き合う必要はない。


 《警戒圏》で射線を先に読み、移動を誘導し、結晶ではなく内部の魔力器官へ届く位置だけを狙う。


 3体目を倒す頃には、戦闘時間は最初の半分以下になっていた。


【《警戒圏 Lv.16 → Lv.18》】


【《剣術 Lv.42 → Lv.43》】


【《魔力圧縮 Lv.50 → Lv.52》】


 4体目を倒したところで、さらに《衝撃》が1上がった。


【《衝撃 Lv.64 → Lv.65》】


 《越境》Lv.6になってから、こうした伸び方が珍しくなくなっている。


 強敵との大きな戦闘だけではなく、新しい構造の魔物へ対応し、既存の技能を少し違う形で使うだけでも成長が返ってくる。


 以前なら数週間掛かった変化が、今は数日、場合によっては1日の中で起きる。


「演習までに、どこまで行くんだろうな」


 本人にも分からなかった。


     ◇


 地図にない通路は、想像以上に長かった。


 途中で2本の分岐があり、片方は崩落によって完全に塞がれ、もう片方はさらに地下へ緩やかに傾いている。


 エイルはまず高密度の鉱石反応がある方へ向かった。


 奥へ進むほど壁面の色が少し変わり、黒い岩の中へ銀色に近い細い筋が増えていく。


 《魔力感知》へは、その1本1本がはっきり見えた。


 やがて通路が大きく開け、直径50メートルほどある円形空洞へ出る。


 そこでエイルは思わず足を止めた。


 壁の半分近くが鉱脈だった。


 通常の《脈晶鉄》より明らかに密度が高く、細い筋ではなく厚い板のような層を作って岩盤の中へ走っている。


 しかも魔力を流すと、内部で勝手に枝分かれするだけではない。


 流れ込んだ魔力の密度に応じて、通路の太さ自体が変わる。


「こっちは純度が高いのか」


 試しに少し強く魔力を入れると、鉱石内部にあった3本の流れが5本へ分かれ、そのまま別方向へ抜けていった。


 《震圧》のような多点制御にかなり向いている。


 さらに採取場所を変えると、同じ鉱脈でも性質に差があることが分かった。


 深い位置ほど魔力を通しやすい。


 表層部分は不純物が多い。


 エイルは《魔力感知》を使い、特に反応の良い場所だけを選んで採掘を始めた。


 通常の鉱山なら専門の採掘師が時間を掛けて判断するのだろうが、エイルの場合は壁の中にある魔力の流れそのものが見えているため、外れを掘る必要がほとんどない。


 1時間ほどで、以前第5層で採ったものより明らかに質の良い《脈晶鉄》をかなり確保できた。


 持てる量には限界がある。


 そのため全部を取ろうとはせず、純度が高い部分だけを選び、残りの位置は地図へ細かく記録した。


「これならドルガンも使えそうだな」


 剣。


 あるいは次の剣。


 どちらに使うとしても十分な価値がありそうだった。


     ◇


 鉱石を回収し終えたあと、エイルはもう1本の通路へ進んだ。


 こちらはさらに下へ向かっている。


 地図上では第6層のはずだが、歩いた高さを考えれば、すでに第7層相当まで降りていてもおかしくない。


 ただし正式な階段も階層標識もない。


 迷宮そのものが途中から別の構造へ変わったのだろう。


 そして、さきほどから感じている強い生物反応も近づいていた。


 距離は400メートルほど。


 ほとんど動かない。


 それでも魔力反応は大きい。


 40メートル級の空白地個体ほどではないが、これまで第6層で見た魔物とは明らかに違う。


 途中には小型種もいた。


 全長1メートルほどの丸い身体から6本の脚が伸び、背中へ透明な結晶殻を乗せた虫型魔物だった。


 頭部はほとんどなく、胴体前方に小さな鋏状の口器が付いているだけで、壁面の鉱石を削って食べている。


 戦意はない。


 エイルが近づくと、結晶殻を震わせながら壁の裂け目へ逃げ込んでいった。


「ここ、鉱石を食べる種類が多いな」


 迷宮内の特殊鉱物を摂取し、それを身体へ取り込む魔物が多い。


 なら、奥にいる大型個体も似た性質を持っているかもしれない。


 もしそうなら。


 素材としては期待できる。


 装備更新を考え始めてから、魔物を見る基準が少し変わっている自覚はあった。


     ◇


 大きな生物反応がある場所へ近づくにつれて、床へ薄い結晶層が広がり始めた。


 最初は砂のような粒だったものが、やがて板状になり、通路全体を覆う。


 踏めば硬い。


 しかし割れない。


 魔力を流すと、ごく弱く振動を返してくる。


 《振動感知》との相性も悪くない。


 そして、その結晶床の下にまで細かな魔力路が走っている。


「この辺、全部繋がってるのか」


 床。


 壁。


 天井。


 鉱石が1つの巨大な網のように迷宮内部へ広がっている。


 その中央に、大きな生物反応がいる。


 エイルはそこで初めて、単なる大型魔物ではない可能性を考えた。


 迷宮核そのものではない。


 核なら、もっと全体へ強い影響があるはずだ。


 しかし周囲の鉱物と魔物が、何らかの形でその存在を中心に変化しているように見える。


 《警戒圏》へ意識を向けたまま進む。


 数分後。


 通路が終わった。


     ◇


 その先に広がっていたのは、地下とは思えないほど巨大な空間だった。


 天井まで50メートル以上。


 横幅は100メートルを越えている。


 壁面には無数の結晶が生え、それぞれが微かな光を放しているため、魔導灯を使わなくても空洞全体の輪郭が見えた。


 中央には、巨大な影が座り込んでいた。


 最初は岩山だと思った。


 それほど動かない。


 しかし《振動感知》には、内部でゆっくりと何かが脈打っている。


 エイルが近づくと、岩山の側面が僅かに動いた。


 頭部だった。


 全長は25メートル前後。


 身体は四足獣に近いが、脚は極端に短く、胴体全体が地面へ這うような構造になっている。前脚だけは肩から異常に太く、先端には採掘用の大槌を思わせる丸い骨質部があり、地面や岩を爪ではなく打撃で割るための形をしていた。


 頭部は幅広く、眼球はない。


 代わりに額から頬へかけて、透明な結晶が大小20個以上埋め込まれている。


 口は横へ大きく開き、その内側には歯ではなく、鉱石をすり潰すための平たい硬質板が上下へ何列も並んでいた。


 背中には甲殻がない。


 その代わり、大小さまざまな結晶柱が林のように生えている。


 短いものでも50センチ。


 長いものは3メートル近い。


 そして、その結晶の中を流れる魔力が異常だった。


 1本1本が別々に動いているのではなく、巨体全体を通して何百本もの魔力路が複雑に接続し、さらに足元の結晶床へまで繋がっている。


 周囲の迷宮そのものと、部分的に一体化している。


「……これ、かなり面倒そうだな」


 エイルが空洞へ1歩入った。


 その瞬間だった。


 巨大個体の額に埋まる結晶が、一斉に光る。


 《警戒圏》が強く反応する。


 同時に、足元の結晶床から危険が立ち上がった。


 エイルは即座に横へ跳んだ。


 直後、さきほどまで立っていた場所から太い結晶柱が数本、槍のように突き出した。


 床そのものが攻撃してきた。


「やっぱり繋がってるな」


 巨大個体はまだ身体を起こしていない。


 それでも足元から次々に結晶を生やし、エイルの移動先を狙ってくる。


 右。


 左。


 後ろ。


 《警戒圏》がなければ、床から出る直前まで位置を読み切るのは難しい。


 エイルは連続して位置を変えながら、相手の魔力の流れを観察した。


 結晶柱が出る直前。


 巨大個体の背中から足元へ魔力が流れる。


 そこから床全体へ分岐する。


 なら、床が勝手に攻撃しているわけではない。


 巨大個体が迷宮鉱石を通して遠隔操作している。


「だったら、流れを切れば――」


 そこまで考えたところで、巨大個体が立ち上がった。


 短い脚が地面を押す。


 25メートル近い巨体がゆっくり持ち上がる。


 背中の結晶柱が一斉に震える。


 今度は床だけではない。


 壁面。


 天井。


 空洞中の結晶へ魔力が流れ込む。


 《警戒圏》へ浮かんだ危険の数が、一気に増えた。


 数十。


 100近い。


 どこへ動いても、別の場所から結晶が飛び出す。


 しかも相手自身も動き始める。


 エイルは長剣を握り直した。


「素材集めのつもりだったんだけどな」


 ただ、逃げたいとは思わなかった。


 背中の結晶。


 足元へ広がる高純度鉱脈。


 あれだけ大量の魔力を通しても崩れない身体。


 どれも、今後の装備に使える可能性がある。


 そして何より。


 強い。


 空白地の40メートル級とは別方向に、今まで戦ったことのない強さだった。


 直接の膂力だけではない。


 周囲すべてを自分の攻撃範囲へ変えている。


 エイルが欲し始めていた、広域制圧そのものに近い。


 《震圧》を持つ自分にとっても、学べるものがあるかもしれない。


 巨大個体が前脚を持ち上げる。


 床を叩く。


 重い振動が空洞全体へ広がる。


 その直後、壁と床から無数の結晶が突き出した。


 エイルは《警戒圏》へ浮かぶ可能性を追いながら走り出した。


 数十ヶ所から同時に迫る攻撃の中で、どこを通れば生き残れるのか。


 そして、どこへ《衝撃》を通せば、この巨大な魔力網を崩せるのか。


 地図に存在しない第6層の奥で、新しい戦いが始まった。


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