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第83話 ひとりの道へ

 巨大な地中種を採石場から山側へ誘導した翌日、第3前進砦には西部方面軍の増援がさらに到着し、それまでエイルたちが追っていた異常の調査は、ようやく本格的な軍の任務として引き継がれることになった。


 新たに入ったのは戦闘員だけではなく、地盤調査を専門とする測量班、魔物の生態を調べる技術官、長期間の野外活動を想定した補給隊まで含む100名近い部隊であり、砦の中には朝から荷車と兵士が行き交い、第7前進観測所から回収された記録も専用の保管箱へ移されていく。


 地中に残る巨大反応はまだ消えていない。


 北側へ離れていった1体は前日からほとんど動かず、エイルが採石場から山側へ誘導した個体も人里から離れた岩盤地帯で活動を続けているため、問題そのものが解決したわけではなかった。


 ただし、少なくとも避難民を抱えた少人数の測量隊が追い続ける段階ではなくなっている。


「ここから先は軍の仕事だ」


 午前の報告を終えたあと、バルガス中佐は執務机の向こうからそう告げた。


「第7観測所周辺は一時封鎖し、地下構造が分かるまで小規模な部隊を入れない。開拓集落についても住民を戻す判断は保留する。お前たち第4測量護衛小隊には、本来の任務だった第3基準標の確認を終えた時点で帰還扱いとする」


 ハインが隣で頷く。


 当初は10日前後で終わる予定だった測量任務が、いつの間にか観測所の救援、住民の大規模避難、未知種との連戦、巨大地中種の誘導まで含むものへ変わっていたため、区切りとしては十分すぎるほどだった。


「エイル・アーネット」


「はい」


「お前も同様だ。冒険者ギルドへは軍側から任務完了の報告を送る。追加報酬と今回の魔物素材に関する権利については、後日ローデンか西部の主要支部で受け取れるようにしておく」


「分かりました」


「それと、これは任務とは別の話になる」


 バルガスは机の端へ置いていた薄い金属札を持ち上げた。


 手のひらより少し小さく、中央に西部方面軍の紋章が刻まれている。


「西境の軍管理区域では、調査中の街道や一時封鎖地域へ冒険者を入れない場合がある。お前は今後も西へ向かうらしいから、今回の協力記録を根拠に臨時通行許可を出す」


「軍の場所にも入れるんですか?」


「何でも自由に入れるわけではない。だが、現場指揮官が認めれば、一般冒険者より広い範囲で移動できる。危険区域へ入るたび門前で止められるよりはましだろう」


「かなり助かります」


 エイルが素直に受け取ると、バルガスはわずかに苦笑した。


「お前の場合、止めても別の道から山へ入っていきそうだからな」


「勝手には入りませんよ」


「そうであることを願っている」


 信用されていない気がする。


 それでも通行許可自体はありがたかったため、エイルは金属札を革袋の中へしまった。


 そこで少し離れて立っていたジークが口を開く。


「中佐、例の件は?」


「自分で言え」


 どうやら事前に何か話していたらしい。


 ジークは少し肩を竦めると、エイルへ向き直った。


「2か月半ほど先、西部方面軍の戦技席次入れ替え戦がある。通常は軍人だけだが、その後に合同の公開演習が予定されていて、騎士団と冒険者ギルドからも招待枠が出る」


「前に聞いた合同演習ですか?」


「それだ。西部だけの小規模なものじゃなく、今回は王都から監察官も来るから少し大きい。さらにその結果次第では、年末の王国武技競技会へ推薦される奴もいる」


 以前ローデンの掲示板で見た告知が頭へ浮かぶ。


 その時は特に予定を変えるほどではなかったが、ジークのような軍の上位戦闘員が集まるなら少し興味はある。


「ジークさんも出るんですか?」


「席次持ちは基本的に全員参加だ。俺も18位を守らないと下から面倒なのが上がってくる」


「18位より上も全員強い?」


「少なくとも俺よりは結果を残してる連中だな。ただし席次は単純な強さだけじゃなく、演習成績や部隊戦での評価も入るから、1対1で上から順に強いわけじゃない」


 それでも面白そうだった。


 エイルの反応を見て、ジークが笑う。


「興味ある顔になったな」


「少し戦ってみたいです」


「推薦が要るなら俺から名前を出しておく。ただ、お前はその頃どこにいるか分からなそうだが」


「本当に分からないです」


「だろうな。近くにいたら来い」


「覚えてたら」


「そこはもう少し前向きに答えてくれ」


 周囲から小さく笑いが起きた。


 エイル自身にも、2か月半後にどこを歩いているのか想像できない。


 西境連峰へ向かうつもりではいるが、地図に空白を見つければ寄り道するだろうし、途中で何か興味を引く場所があれば予定の日数など簡単に変わる。


 だから今は、頭の片隅へ置いておく程度でいい。


     ◇


 第3基準標の確認は、その翌日までに終わった。


 本来なら測量任務の中心だった場所だが、それまでに起きた出来事が大きすぎたせいで、最後は驚くほど静かな作業になった。


 古い石柱は上半分が折れていたものの基礎部分は残っており、リヴィアと測量兵たちは位置を再測定して新しい標を打ち込み、周囲の地形変化を記録した。


 エイルも地下に大きな空洞がないことだけ確認したあとは、久しぶりに戦う必要もなく地図を広げる時間を取れた。


 軍が持っている地図と、自分が歩いて記録してきた地形を重ねる。


 ローデンから西へ伸びる主要街道。


 そこから北へ外れた旧測量路。


 第7観測所。


 避難した開拓集落。


 さらに西。


 軍の詳細な記録も急に少なくなり、山地の輪郭だけが大まかに描かれた領域へ変わっていく。


 その先には西境連峰がある。


 しかしエイルの目を引いたのは、連峰そのものより、その南東側へ広がっている名前の付いていない丘陵地帯だった。


 軍用地図にも細い川が2本と、大まかな高度線が数本あるだけで、街道も集落も描かれていない。


「そこを見ると思った」


 後ろから聞こえた声に振り返ると、リヴィアが新しい基準標へ最後の記録を入れ終えたところだった。


「何も書いてないので」


「完全な未踏地じゃないよ。猟師や採取屋が入った記録はある。ただ、軍が継続して測量したことはないから詳しい地図がない」


「魔物の記録は?」


「ほとんどない。少なくとも私が持ってる資料では、南側の入口に大型獣が出るっていう20年以上前の報告と、北側の谷で何人か行方不明になった記録くらい」


 それを聞いたエイルは、もう1度地図へ視線を落とした。


 何が出るのか分からない。


 危険度もない。


 そして、この数日間のように大勢を守りながら動く必要もない。


「行くつもり?」


「西へ向かう途中なので、少し通ってみようかなと」


「街道からかなり外れるけど」


「少しですね」


「地図だと半日以上は外れるよ」


「なら大丈夫です」


「何が大丈夫なのか分からない」


 リヴィアが呆れたように笑った。


 ただ、それ以上止めようとはしなかった。


 彼女自身も、地図に何も書かれていない場所を見れば気になる人間だからだろう。


「私は一度方面軍の測量本部へ戻る」


「ここで別れるんですか?」


「第7観測所の記録を整理しないといけないし、今回見つかった地下空洞も正式な地図へ反映する必要があるから。しばらくは西部の測量隊から離れられないと思う」


「そうですか」


 数日間一緒に歩いていたため、少しだけ不思議な感覚があった。


 エイルは基本的に1人で旅をする方が気楽だと思っているが、今回の測量隊との行動が嫌だったわけでもない。


 リヴィアとは特に地図の話ができた。


「また西で会うかもしれませんね」


「エイルが西へ行き続けるなら、たぶん会うよ。私は空白を埋める側だから」


「僕は空白を見に行く側ですね」


「相性がいいような、悪いような」


「何でですか?」


「私が地図へ線を引いた場所から、エイルの興味がなくなるかもしれない」


「全部分かるほど細かく書かないでください」


「測量斥候に何を頼んでるの」


 リヴィアは笑ったあと、自分の荷物から細く折り畳まれた紙を1枚取り出した。


「これ、持っていって」


 開くと、西境連峰の南東部と、その周辺にある丘陵地帯を描いた簡易地図だった。


 正式な軍用地図ほど情報は多くなく、川と高低差、それに古い野営地点らしい印が数ヶ所あるだけだが、エイルの手元にある地図よりは先の地形が分かる。


「いいんですか?」


「機密情報は入ってないし、今回の任務で測り直した場所も書いてある。代わりに、変な場所を見つけたら次に会った時に教えて」


「それでいいなら」


「絶対、いっぱい見つけるでしょ」


「多分」


 受け取った紙を自分の地図筒へしまう。


 約束というほど重いものではない。


 それでも、次に会った時に話せるものが増えるのは悪くなかった。


     ◇


 その日の夕方、第4測量護衛小隊は第3前進砦へ戻り、そこで正式に解散となった。


 ハインたちは軍の任務報告へ戻り、他のB級冒険者3人もローデン方面へ帰るという。


 エイルだけは逆だった。


 砦で一晩休んだあと、そのまま西へ向かう。


「本当にローデンへ戻らないのか?」


 翌朝、門前まで見送りに来たハインが尋ねた。


「剣も直ったし、必要なものも買ってあるので。しばらく西へ行きます」


「食料は?」


「10日分くらいあります。途中で採取もできますし」


「地図は?」


「あります」


「非常時の発煙筒は?」


「もらいました」


「軍の通行札は?」


「ここです」


 一通り確認すると、ハインはようやく納得した。


「完全に子供扱いされてますね」


 横でリヴィアが笑う。


「16なら俺から見れば十分子供だ」


「戦ってる時だけ年齢を忘れるんだよな」


 ジークまで会話へ加わった。


 彼は今日から増援部隊と共に第7観測所方面へ向かうらしい。


「エイル」


「はい」


「次に会うまでに、また妙な技能を3つくらい増やしてそうだから先に言っておくが、合同演習の時に来るなら少しは手加減しろよ」


「僕が負けるかもしれないですよ」


「そういう殊勝なことを言う奴が、数日前に200体以上をまとめて地面から叩いてるんだよ」


「《震圧》はまだそこまで強くないです」


「基準がおかしい」


 最近、そればかり言われる。


 エイルは少し笑って肩の荷物を直した。


 それから門を出る。


 後ろから見送りの声が届いたが、振り返ったのは1度だけだった。


 ここから先は、また1人だ。


     ◇


 集団行動が続いていたせいか、1人で街道を歩き始めた直後は周囲が妙に静かに感じられた。


 誰かの足音を気にする必要がなく、歩く速度を合わせる必要もない。休みたければ止まり、気になる地形があれば道を外れ、夕方までに宿へ着かなければその辺りで野営すればいい。


 何より戦闘になった時、自分以外の位置を気にせず技能を使える。


 エイルにとっては、その自由さがやはり心地よかった。


 ただし、1人になったから感知を切るわけではない。


 むしろ《警戒圏》を獲得してからは、周囲へ意識を向けている感覚そのものが以前より薄くなっている。


 歩きながら地図を見る。


 それでも背後から何かが近づけば分かる。


 地中を小動物が横切れば、危険ではないものとして意識の外側へ流れていく。


 上空で鳥が急に進路を変えても、それだけなら《警戒圏》は反応しない。


 大量の情報を拾いながら、必要なものだけが自然に浮かぶ。


 軍の測量兵や斥候が何度も驚いていた理由は分かってきたが、エイル自身にとっては、すでにこの状態の方が普通になり始めていた。


 昼を過ぎたところで、エイルは主要街道を外れた。


 リヴィアからもらった地図に描かれた丘陵地帯へ向かうため、南西へ伸びる細い獣道へ入る。


 最初の数時間は何も起こらなかった。


 低い草原と疎らな林が続き、ところどころに赤茶けた岩が地面から突き出している。人の足跡はほとんどないが、鹿に似た草食獣の蹄跡と、それを追っているらしい小型肉食獣の痕跡は何度か見つかった。


 夕方近くになり、小さな谷へ差しかかったところで《警戒圏》が初めて強く反応した。


 場所は右前方。


 約300メートル。


 大きい。


 ただし地中ではない。


 エイルは地図を閉じて腰の長剣へ手を置いた。


 木々の向こうから、何かがゆっくり歩いてくる。


 足音は重いが、数日前まで戦っていた地中種のような地面を削る振動ではなく、4本の脚が一定の間隔で岩盤を踏んでいる。


 やがて林の間から姿を現した。


 最初に見えたのは、鹿に似た細長い頭部と、その上から後方へ大きく湾曲する2本の角だった。


 ただ、鹿と呼べるのはそこまでだった。


 肩までの高さは4メートル近くあり、胴体は草食獣というより大型の熊に近いほど厚い。4本の脚も細くなく、前脚には岩へ食い込む太い鉤爪があり、胸部から肩にかけては樹皮のような硬い外皮に覆われている。


 さらに背中には、長さ1メートルほどの白い骨板が6枚、少しずつ角度を変えながら立ち並び、その隙間では空気が歪むほど濃い魔力がゆっくり流れていた。


 尾は短い。


 目は4つあり、左右へ2つずつ並んでいる。


 そのうち上側の2つだけが、林へ入ってきたエイルを見た。


「知らないな」


 軍の資料でも。


 ギルドの魔物図鑑でも。


 少なくともエイルが見た範囲では覚えがない。


 何級なのかはもちろん分からない。


 危険度も。


 生態も。


 それでも《危機感知》はかなり強く反応している。


 魔物が前脚を1歩進めた。


 その瞬間、エイルの意識へ複数の流れが浮かんだ。


 正面へ残れば角が来る。


 右へ動けば前脚。


 左へ入ると、背中の骨板から何かが飛ぶ。


 まだ何も起きていない。


 それでも、3つの可能性だけが妙に鮮明だった。


 エイルは少しだけ笑った。


「試すにはちょうどいいか」


 久しぶりに、守る人はいない。


 崩してはいけない防壁もない。


 周囲へ味方もいない。


 必要なら《震圧》を広く使える。


 《衝撃》も、限界まで圧縮できる。


 そして相手がどれほど強いのか、誰も教えてくれない。


 エイルは長剣を抜きながら、数日ぶりに完全な1人の戦いへ足を踏み入れた。


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