第81話 見えていないもの
第3前進砦の防壁が見えた頃には完全に日が落ちており、避難してきた開拓民160名を含む長い隊列は、門の外へ並べられた魔導灯に照らされながら、ようやく軍の管理区域へ戻ってきた。
先に伝令が到着していたため受け入れ準備は整っており、負傷者はそのまま治療所へ、子供や高齢者は空いている兵舎へ案内され、荷車に積まれていた最低限の物資も補給兵たちの手で次々に運び込まれていく。
エイルは門を通ったあともすぐには宿舎へ向かわず、最後の住民が防壁の内側へ入ったことを《警戒圏》で確かめてから、ようやく長剣の柄から手を離した。
「全員入りました」
近くにいたハインへ伝えると、彼は門の向こうを自分の目でも確かめ、それから深く息を吐いた。
「観測所の記録も回収、開拓集落からは160名全員を避難させ、帰路では地中種の群れと大型個体に遭遇したが死者0か。報告書を書いたら、上から何度か書き直せと言われそうだな」
「何でですか?」
「内容が信用しにくい」
「でも本当ですよ」
「そこが困るんだ」
ハインは疲れた顔で笑った。
少し遅れて戻ってきたリヴィアも同じ会話を聞いていたらしく、抱えていた記録箱を補給兵へ渡しながら横から口を挟む。
「そのまま書けばいいと思います。『A級冒険者エイル・アーネットが事前に敵の出現位置をほぼ全部探知し、200体以上が集まった川跡では新しい範囲攻撃をその場で覚えて制圧した』って」
「余計に信用されないだろ」
「測量員全員が証人です」
「それでもだ」
エイルは2人のやり取りを聞きながら、自分の話なのに少し他人事のような気分になっていた。
実際、本人が最も気にしているのは討伐数でも軍の報告でもない。
地中深くに残っている2つの巨大反応だった。
開拓集落を離れてからも、片方はゆっくり北へ動き続けている。
もう片方はほとんど位置を変えていない。
砦からはかなり遠く、《振動感知》だけでは輪郭まで分からないものの、時折強い魔力反応が混じるため、生き物である可能性は高い。
そしてもう1つ。
エイルには気になることがあった。
帰路の終盤から、《警戒圏》へ何度か奇妙な違和感が入っている。
敵意ではない。
地中反応でもない。
危険が発生する少し前に、意識の中へ「このまま進んだ場合にまずい方向」だけが浮き上がる感覚だった。
川跡で巨大個体の攻撃を避けた時と同じものだが、まだ自分から狙って使うことはできない。
それでも、何かが変わり始めている。
エイルはそのことを頭の片隅へ置いたまま、ハインたちと砦の指揮所へ向かった。
◇
バルガス中佐への報告は、予定よりかなり長くなった。
第7前進観測所から回収した3か月分の地中振動記録。
観測所地下に広がっていた多数の空洞。
開拓集落周辺へ出現した小型地中種。
川跡で遭遇した200体を越える群れ。
そして、全長20メートル近い大型個体。
それらを順番に整理するたび、机の上に広げられる資料が増えていく。
ただし、魔物の危険度については誰も断定しなかった。
まだ記録が足りない。
既知種との比較もできない。
複数の個体差がどれほどあるのかさえ不明であるため、今回の報告書でも「未分類地中種」「大型変異個体」「超大型個体」という仮称だけが使われた。
「討伐等級は中央へ資料を回してからだ」
バルガス中佐が言う。
「今の段階で無理にBだAだと付ける方が危険だろう。特に最後の大型は、生態も能力も分からん」
「それでいいと思います」
エイルは素直に答えた。
最近はむしろ、敵に等級が付いていない方が自然に感じ始めている。
戦ってみて危なければ警戒する。
通るなら倒す。
以前ほど「何級相当だから強い」と考えなくなった。
その変化に本人はまだ大きな違和感を持っていなかったが、横で聞いていたハインには少し別のものが見えていたらしい。
「中佐、1つだけ付け加えていいですか」
「何だ?」
「今回のエイルについて、戦闘能力以上に探知能力を正式記録へ残してほしいです」
バルガスの視線がエイルへ移る。
「具体的には?」
「第7観測所からの帰路で、軍の携帯地振計が3人掛かりで数分を要した地中反応を、こいつは行軍中に拾っています。距離は推定2キロ前後で、さらに別方向の大型反応2つを同時に分離しました」
報告を聞いていた副官の女性が、記録用の筆を止めた。
「2キロ?」
「正確な距離ではありません。ただ、方位については測量器と一致しています」
今度はリヴィアが補足する。
「開拓集落では小型地中種40体以上を同時に追いながら、人間側の配置も把握していました。出現地点を数秒から10秒以上前に指示された箇所が複数ありますが、外れたものは確認できていません」
副官がエイルを見る。
「どうやって?」
「《振動感知》と《魔力感知》を重ねてます。近いところは《近域感知》でも見ていて、今は《警戒圏》っていう技能が情報をまとめてくれるので、前より楽です」
「……4系統を同時に?」
「だいたい」
「戦闘中も?」
「使ってます」
室内が少し静かになった。
バルガス中佐は机に片肘を置き、しばらくエイルを見てから尋ねる。
「率直に聞く。お前は今、この建物の外にいる人間がどの程度分かる?」
「全部は無理です。ただ、近い人なら壁越しでも大体分かります」
「例えば?」
エイルは意識を少しだけ広げた。
指揮所の外。
廊下。
階段。
建物の周囲。
《警戒圏》を使うほどでもない距離だった。
「扉の外に2人。右側の廊下を1人歩いてます。建物の裏に3人いて、そのうち1人は座ってます。あと2階から誰か下りてきてます」
副官が扉を開けた。
外に衛兵が2人。
廊下の先を補給兵が歩いている。
窓から裏を確認すると、木箱の近くに兵士が3人おり、1人だけ地面へ座って靴紐を直していた。
そして数秒後、階段から別の兵士が下りてくる。
副官は無言で扉を閉めた。
「視覚じゃないのよね?」
「はい」
「音?」
「それだけじゃないです」
答えを聞いた副官は、それ以上質問せず記録紙へ何かを書き込んだ。
バルガス中佐の方は、わずかに表情を険しくしていた。
「これまで、お前が周囲の奇襲に強いという程度の認識だったが、少し違うな」
ハインが頷く。
「私も今回初めて、どこまで見えているのか知りました」
「軍の専門斥候でも、地形次第では数百メートル先の敵影を拾えば十分優秀だ。魔導探知に特化した者ならもっと遠くも見るが、普通は1種類の反応へ集中する」
バルガスは指先で机を軽く叩いた。
「それをこいつは、地中と地上を分けながら行軍して、会話までしているのか」
「本人は普通だと思ってます」
「普通だとは思ってないですよ」
エイルが反論すると、リヴィアがすぐこちらを見る。
「じゃあ、どのくらい異常だと思ってる?」
「かなり便利だとは思ってます」
「ほら」
「何がですか?」
「認識が足りない」
また言われた。
エイルとしては、自分の探知技能が他人よりかなり優れていること自体は理解している。
ただ、毎日使っているため、どこからが普通ではないのかが分からなくなり始めていた。
◇
報告が終わる頃には深夜近くになっていた。
避難民は砦内の兵舎や倉庫へ分散して休んでおり、翌日以降、後方の街へ送るための馬車が手配されることになった。
エイルもさすがに今日は休むつもりだった。
兵舎へ戻る途中、訓練場の横を通ると、数人の兵士がまだ武器の手入れをしている。
その中には開拓集落からの避難を手伝った者もいた。
「あ、《地鳴り》」
誰かが呼ぶ。
エイルは足を止めた。
「普通にエイルでいいですよ」
「いや、分かってるけど、もう砦内でそっちの方が通じるんだ」
「そんなに早く?」
「第7隊が先に話してたところへ、今日戻ってきた連中が追加したからな」
別の兵士が笑う。
「森の奥で何回も地面が鳴って、追手が全部消えたって話と、200体の群れを川床ごと揺らして潰した話が合体してる」
「潰してはないです。かなり逃げましたよ」
「そこ訂正する?」
エイルとしては重要だった。
兵士は笑いながらも、少しだけ真面目な顔へ戻る。
「でも助かったよ。集落の人たち、全員無事だったんだろ」
「はい」
「なら十分だ」
その言葉へエイルが返事をする前に、《警戒圏》が反応した。
かなり近い。
しかし敵意はない。
エイルは視線を上げた。
訓練場の向こう。
防壁。
さらに外。
何かが落ちてくるような感覚がある。
実際にはまだ何も見えない。
空にも音はない。
それなのに頭の中へ、次の瞬間に起こり得る複数の流れが一度に入り込んだ。
防壁の上に立つ兵士が前を見る。
その直後、上から何かが落ちる。
右へ避ければ助かる。
動かなければ。
そこで感覚が途切れた。
「防壁の上、下がって!」
エイルの声が夜の訓練場へ響いた。
見張り兵たちが何事かと振り返る。
ただ、今日まで何度もエイルの探知を見てきた兵士が1人だけ、考えずに隣の兵士を掴んで後ろへ引いた。
直後だった。
上空から細長い影が落ち、防壁の縁へ激突した。
石片が弾ける。
警鐘が鳴る。
訓練場にいた兵士たちが一斉に立ち上がった。
エイルはすでに走っていた。
◇
防壁へ落ちたものは、鳥ではなかった。
翼を広げれば6メートルほどあるものの、身体自体は細く、長い尾を含めても全長は4メートルほどしかない。
骨格は鳥類に近いが、羽毛はなく、翼には細長い骨が5本ずつ伸び、その間へ半透明の薄い膜が張られている。頭部は小さく、口の代わりに前方へ30センチほど伸びた細い嘴状の器官があり、その側面へ小さな穴が無数に開いていた。
最も異様なのは身体の表面だった。
魔力反応がほとんどない。
生物である以上わずかな生命魔力はあるはずなのに、それが身体の内側へ深く押し込められ、外からは周囲の空気と区別しにくくなっている。
「だから見張りの探知に引っ掛からなかったのか」
エイルが防壁へ上がる。
落下した1体が身体を起こし、翼を畳んだ。
その向こう。
夜空。
《警戒圏》へさらに反応が入る。
1つではない。
見えない。
それでもいる。
「上空、まだ来ます! 灯りを消さないでください、影を見ます!」
防壁の兵士たちが魔導灯の向きを上へ変える。
光の中へ、一瞬だけ薄い膜が映った。
5。
10。
もっと高い位置にもいる。
「魔力探知で拾えない!」
見張りの魔術兵が叫ぶ。
「何で分かるんだ!?」
「動いた時の空気と、《警戒圏》が反応してます!」
「空気まで分かるのかよ!」
「近ければ!」
エイルは空を見上げた。
すべてが見えるわけではない。
しかし《警戒圏》へ入った瞬間、どこから危険が来るのかが浮かぶ。
最初の1体が降下する。
狙いは防壁上ではない。
その先。
砦内部。
避難民がいる兵舎。
エイルの頭へ、嫌な流れが走った。
このままなら兵舎の屋根へ落ちる。
中には大勢いる。
エイルは防壁から飛び降りた。
「エイル!?」
兵士の声を背中で聞きながら、足元へ《衝撃》を放つ。
地面へ着く前に身体を前へ押し出し、さらに《高密度強化》を脚へ重ねて兵舎へ向かう。
上空の影が急降下を始める。
翼を畳む。
先端の嘴が開く。
その内側へ魔力が集まった。
魔力を隠していたのは、攻撃直前までだった。
エイルには見えた。
青白い光が嘴の奥で膨らむ。
兵舎まで残り30メートル。
間に合う。
エイルは走りながら長剣を抜き、刀身へ《衝撃》を圧縮した。
飛行種が光を放つ。
細い光線が兵舎へ伸びる。
エイルはその間へ入った。
剣を振る。
刃から広げた《衝撃》が光線の進行方向を横から叩き、完全に消すことはできなかったものの、軌道を数メートルずらす。
光線が兵舎の壁ではなく、隣の空き地へ突き刺さった。
地面が爆ぜる。
エイルはそのまま止まらない。
飛行種は攻撃後に上昇へ移る。
普通なら届かない。
だから足元へ《衝撃》を放った。
1段。
さらに空中で、もう1度。
身体が夜空へ押し上げられる。
飛行種が驚いたように翼を広げた時には、もうエイルの間合いだった。
長剣を振り抜く。
翼の根元を深く斬る。
そのまま《衝撃》を体内へ通すと、空中で重い音が響き、飛行種は姿勢を失って砦の外側へ落ちていった。
エイル自身も落下する。
着地地点には何もない。
《衝撃》を斜め下へ放って速度を殺し、《高密度強化》を脚と体幹へ集めながら着地する。
膝が少し沈む。
それだけだった。
周囲にいた兵士たちは、一連の動きを見たまま声が出ていなかった。
「……空まで行くのかよ」
誰かがようやく言った。
エイルは答えなかった。
《警戒圏》がまだ鳴っている。
「あと12。低いのが7、高い位置に5います!」
「見えてるのか!?」
「全部は見えてません!」
「なのに数まで分かるのか!?」
質問へ答えている時間はない。
エイルは砦中央へ走りながら、飛行種の降下位置を1つずつ拾っていく。
兵舎。
倉庫。
治療所。
見張り塔。
それぞれへ分かれている。
敵が何を狙っているのかは分からない。
ただ、砦内には避難民がいる。
なら。
「全員、建物から出さなくていいです!」
ハインが指揮所から飛び出してきた。
「どうする!」
「外に出る方が危ないです。僕が落とします」
周囲が一瞬静かになった。
12体。
空中。
魔力探知へほとんど映らない。
それでもエイルの声には迷いがなかった。
「位置だけ教えろ! 弓兵も出す!」
「分かりました。でも兵舎と治療所の上は僕がやります!」
エイルは再び走り出した。
◇
飛行種が2体同時に降下する。
片方は右。
もう片方は高い。
《警戒圏》の中で複数の危険が重なる。
右へ行けば先の1体を止められる。
しかしその間に高い方が治療所へ撃つ。
左へ入れば2体目を先に落とせるが、右側の攻撃が倉庫へ抜ける。
その中に、もう1つ。
地面へ《衝撃》を入れれば。
エイルは身体を右へ向けながら、左足で地面を踏んだ。
《震圧》を狭い範囲へ起こす。
地面から跳ね上がった石片を《衝撃》でもう1度押す。
数十個の石が上空へ散った。
高い位置にいた飛行種が反射的に翼を広げ、降下軌道をずらす。
時間ができる。
その間に右側へ走り、低空へ入った1体の翼を斬る。
内側へ《衝撃》。
低音が響く。
そのまま振り返ると、さっき軌道を変えた飛行種が再び治療所へ向きを変え始めている。
エイルは剣を振りかぶった。
届かない。
なら、《衝撃》だけを飛ばす。
これまで距離を伸ばすほど拡散しやすかった力を、《魔力圧縮》で細く保つ。
長剣を振り抜く動作へ合わせて解放した。
空気が低く鳴る。
圧縮された衝撃が直線的に飛び、飛行種の片翼へ当たった。
翼膜が大きくたわみ、身体が横へ流れる。
そこへ弓兵の矢が3本刺さった。
「落ちる!」
防壁上から声が上がる。
飛行種は砦外へ墜落した。
【《衝撃 Lv.46 → Lv.47》】
【《魔力圧縮 Lv.35 → Lv.36》】
次。
エイルはもう空を見続ける必要がなくなっていた。
《警戒圏》が危険な軌道だけを浮かべてくれる。
視界へ入る前。
攻撃へ移る前。
まだ可能性にすぎない段階で、最も危険なものだけが意識へ引っ掛かる。
敵が降りるより先に、エイルがその方向へ走る。
兵士たちは次第に気づき始めた。
「まだ何もいないぞ」
「来る。あいつが走った方向から来る」
数秒後。
本当に影が落ちる。
エイルが先にいる。
剣が入る。
低い《衝撃》音が砦へ響く。
また別方向へ走る。
次の飛行種が現れる。
その繰り返しだった。
いつしか兵士たちは、空より先にエイルを見るようになっていた。
エイルが向いた方向。
そこから敵が来る。
◇
最後の3体は、ほぼ同時に高度を下げた。
1体が治療所。
1体が兵舎。
そして1体は、砦中央の広場に集まっていた補給兵たちへ向かう。
距離が離れすぎている。
全部へ走って間に合う位置ではない。
エイルの意識へ3つの流れが浮かぶ。
どれを先に選んでも、別の1つが抜ける。
なら、自分が動くのではなく。
範囲を作る。
《震圧》は地上の技だ。
ただし本質は、複数の地点へ《衝撃》を同時に発生させることにある。
媒体が地面だけである必要はないのではないか。
エイルは立ち止まった。
長剣を構える。
周囲の兵士が驚く。
「エイル!?」
「動かないでください!」
空気へ魔力を流す。
地面より遥かに散りやすい。
それでも《魔力操作》で3方向へ分け、《魔力圧縮》で密度を維持する。
距離は遠い。
完全な威力はいらない。
敵の姿勢を崩せればいい。
3体が攻撃態勢へ入った。
嘴の奥へ魔力が集まる。
そこでエイルは3方向へ同時に《衝撃》を放った。
夜空に低い破裂音が重なった。
1体目の翼が跳ねる。
2体目の頭部が横へ流れる。
3体目は胸部を押され、急降下の角度そのものが崩れた。
3本の攻撃がすべて外れる。
そこへ防壁の弓兵と魔術兵が一斉に攻撃を重ねた。
治療所側の1体が落ちる。
兵舎側も翼を焼かれて墜落する。
最後の1体だけは再上昇しようとした。
エイルは地面を蹴った。
《高密度強化》。
足元へ《衝撃》。
さらにもう1度。
高く。
飛行種へ追いつく。
今度は翼ではなく、胴体へ長剣を突き込んだ。
「終わりです」
圧縮した《衝撃》を通す。
空中で重い音が響いた。
エイルはそのまま剣を抜き、飛行種の身体を蹴って自分だけ落下位置をずらした。
数秒後、最後の1体が砦の外へ落ちる。
エイルも防壁内へ着地した。
静かになった。
砦内に避難していた160名の住民。
治療所の負傷兵。
補給要員。
軍人。
誰にも新しい被害は出ていなかった。
◇
最初に口を開いたのは、見張り塔にいた魔術兵だった。
「……俺たちの探知には、攻撃するまでほぼ映らなかった」
誰へ言うでもない声だった。
近くにいた斥候兵が答える。
「なのに、あいつは最初の1体が落ちる前から気づいてた」
「それだけじゃない。後半は飛んでくる前に移動してただろ」
「敵を見て動いたんじゃない」
その言葉で、周囲の何人かがエイルを見る。
本人は長剣へ付いた体液を布で拭っていた。
特別なことをした顔ではない。
しかし、さっきまで敵の姿が見えない夜空を相手に、12体以上の襲撃位置を先回りして潰していた。
「……何が見えてるんだ、あいつ」
誰かが小さく呟いた。
その疑問へ答えられる者は、まだエイル自身を含めて誰もいなかった。
【《警戒圏 Lv.3 → Lv.6》】
【《危機感知 Lv.27 → Lv.29》】
【《近域感知 Lv.30 → Lv.32》】
【《魔力感知 Lv.25 → Lv.27》】
【複数の発生可能性に対する事前選別を確認しました】
【派生条件がさらに進行しました】
エイルは最後の表示を見つめた。
未来を見ているわけではない。
少なくとも、まだ。
ただ、敵が動く前に「動いたあと何が起こるか」が少しずつ分かり始めている。
そして、その変化へ最初に気づき始めたのは、能力を持つ本人ではなく、エイルが敵より先に動く姿を何度も目撃している周囲の人間たちだった。




