第8話 普通ではない成長
翌朝、エイルはギルドへ入るなり受付へ向かった。
いつものように依頼掲示板へ目をやりかけたものの、今日は先にやることを決めている。
「おはようございます」
「おはようございます、エイルさん。背中はどうですか?」
受付にいたミレイが、挨拶より先にそこを確認してきた。
「昨日よりかなりいいです。剣も普通に振れます」
「治ったとは言ってませんね」
「……まだ少し痛いです」
「でしょうね」
誤魔化せなかった。
とはいえ、今から森へ行くつもりはない。エイルが二階へ続く階段へ視線を向けると、ミレイもすぐに察したらしい。
「資料室ですか?」
「はい。今日はちゃんと調べものをします」
「森には?」
「行きません」
「本当に?」
「今日は」
「その一言、必要でした?」
エイルは答えず、軽く頭を下げて階段へ向かった。
二階は一階ほど騒がしくなかった。
いくつかの事務室と会議室、その一番奥に《資料室》と書かれた木札が掛かっている。
扉を開けると、紙と古い革の匂いがした。
「……すごいな」
思わず足が止まる。
壁際には背の高い書棚が並び、中央には大きな机がいくつも置かれている。棚には本だけでなく、筒状に巻かれた地図や、依頼報告をまとめた分厚い冊子まで収められていた。
村の集会所にあった小さな書棚とは比べものにならない。
奥にいた老人が顔を上げる。
「利用か?」
「はい」
「冒険者証」
言われるままF級の冒険者証を出す。
老人は一度確認してから返した。
「赤印の棚以外は自由に見ていい。地図は持ち出し禁止。写すなら備え付けの紙を使え」
「ありがとうございます」
「破いたら弁償だ」
「気をつけます」
エイルはまず技能関係の棚へ向かった。
本当なら古地図へ直行したかったが、昨日自分で決めた。
先に成長について調べる。
探すと、《冒険者基礎知識》《状態板と能力値》《技能発現例》といった本が並んでいる。
その中から三冊ほど抜き、机へ運んだ。
最初に開いたのは《状態板と能力値》。
内容はそこまで難しくない。
レベルが上がれば基礎能力値も上昇する。
ただし伸び方には個人差があり、同じレベルでも数値はかなり違う。元々の体格、訓練、職業、保有技能なども影響するため、レベルだけで強さは判断できないらしい。
「ここまでは知ってるな……」
ページをめくる。
少し先に、冒険者を対象にした平均値の資料が載っていた。
エイルの手が止まる。
【新規登録者・平均例】
【Lv.3~5】
【主要能力値 20~40前後】
【特化能力のみ40を超える例あり】
「……」
エイルは自分の状態板を開く。
【Lv.9】
【生命 65】
【魔力 53】
【筋力 43】
【耐久 41】
【敏捷 61】
【器用 56】
【感知 78】
もう一度、本を見る。
続く項目。
【Lv.8~10】
【主要能力値 35~55前後】
【60以上は明確な適性、訓練歴、特殊技能等を持つ者に多い】
「……感知、七十八」
小声で呟いた。
高い。
どう考えても高い。
敏捷も六十一。
器用も五十六。
生命も六十五。
平均より少し高い、という程度ではない。
しかも。
エイルは別のページを開いた。
【一般的なレベル上昇について】
新人冒険者がLv.1からLv.10へ到達するまで。
早い者で半年。
平均では一年から二年程度。
「……」
エイルは静かに本を閉じた。
閉じてから、もう一度開く。
読み間違えていない。
半年。
一年。
二年。
「僕、何日だ?」
村を出たのが数日前。
冒険者登録したのは、その翌日。
まだ片手で足りる。
レベルは九。
「……これは、変だな」
今まで「少し早い気がする」くらいだった。
もうそんな段階ではない。
明らかに普通ではなかった。
エイルは状態板の一番下を見る。
《越境 Lv.2》
固有技能。
自己の能力を大きく上回る困難を克服した際、成長に補正を得る。
説明だけなら、珍しい成長補助技能で済む。
だが。
鎧猪。
棘狼三体。
そのたびにレベルだけでなく、実際に使った能力値や技能まで大きく伸びている。
「補正っていうより……」
エイルは考え込む。
単純に経験が増えているだけではない気がする。
戦った内容そのものが、身体や技能へ反映されている。
危機を察知し続ければ《危機感知》。
複数の敵を意識すれば《気配感知》。
剣へ《衝撃》を通せば《魔力操作》。
必要になったものほど、伸びている。
「……便利だな」
まず浮かんだ感想がそれだった。
少ししてから、自分でも何か違う気がして眉を寄せる。
「いや、便利で済ませていいのかな」
固有技能について書かれた本も調べた。
しかし、《越境》という名前は見つからなかった。
そもそも固有技能は事例が少なく、同じ名前のものが二人に現れること自体ほとんどないらしい。
所有者の性質や経験に強く影響される、とだけ書かれている。
「僕の性質……」
思い当たるもの。
山。
森。
誰も通らない道。
地図の空白。
子供の頃から、行くなと言われた場所ほど気になった。
もちろん本当に危険なら諦めることもあったが、行けそうなら行った。
「……名前通りってことかな」
境を越える。
そのままだ。
ただ、それだけでこの成長速度を説明できるのかは分からなかった。
エイルは本を閉じる。
少なくとも。
人には見せない方がいい。
改めて、そう思った。
◇
そこから先は、予定通り古い地図を探した。
こちらは我慢できなかった。
ラグナの森。
ローデン西部。
低山地帯。
その辺りの名前が付いた筒を何本か持ってくる。
一枚目。
五年前。
二枚目。
十二年前。
三枚目。
三十一年前。
「……あった」
三十一年前の地図。
昨日見つけた旧道が、今の地図より長く残っている。
三つ目の道標から西。
そこから森を抜け、山間へ続く細い道。
エイルは指で線を追った。
途中に、小さな文字。
「カ……ル?」
昨日の道標。
消えかけていた一文字目。
カ。
地図には、
【カルド旧坑道】
と書かれていた。
「坑道?」
さらに調べる。
別の記録。
三十年以上前。
ローデン西方の山で鉄鉱石を採掘していた坑道。
採算悪化で閉鎖。
その後、魔物の発生が確認され、一時的に冒険者向けの探索地として使われた。
そして。
「……迷宮化?」
文字を読み直す。
【閉鎖後十一年、内部に魔力異常を確認】
【自然迷宮化の兆候あり】
【第一層から第四層まで調査】
【以降、落盤により通路消失】
エイルの背筋が伸びた。
迷宮。
実物はまだ一度も見たことがない。
村にいた頃、本で読んだことはある。
自然に発生するもの。
遺跡や洞窟が変質するもの。
内部構造が少しずつ変わるもの。
魔石や珍しい素材が得られるため、多くの冒険者が潜る。
「……これ、まだあるのかな」
さらに資料を探す。
古い報告では、その後ほとんど使われなくなったらしい。
理由は単純だった。
新しい街道が整備され。
西側の鉱山も閉鎖され。
落盤で入口までの道も荒れた。
しかも、より近くに別の迷宮が発見された。
「別の?」
ページをめくる。
【ローデン北方・青晶洞】
現在も利用されている小規模迷宮。
推奨階級――E級以上。
エイルの目が止まった。
「E級……」
自分はF級。
入れない。
少し残念だった。
ただ。
別の資料を見ると、青晶洞は初心者冒険者が迷宮探索を学ぶ場所として有名らしい。
全七層。
前三層は比較的安全。
四層以降はE級でも複数人推奨。
最下層には小規模ながら迷宮主も確認されている。
「行ってみたいな……」
声に出ていた。
古い坑道も気になる。
青晶洞も気になる。
困った。
行きたい場所が増えていく。
◇
「エイル」
資料室を出たところで名前を呼ばれた。
振り向く。
赤茶色の髪。
レナだった。
「やっぱりいた」
「何で分かったんですか?」
「ミレイに聞いた」
レナは紙袋を片手に持っている。
中から焼いた菓子のような甘い匂いがした。
「怪我は?」
「もうかなり」
「昨日また増やしたんでしょ?」
「少しだけ」
「その『少し』信用できないんだけど」
エイルは何も言わなかった。
レナが呆れながら、資料室の扉を見る。
「何調べてたの?」
「色々です。レベルとか、能力値とか」
「へえ。真面目」
「あと地図」
「そっちが本命でしょ」
「……半分くらい」
「ほぼ全部じゃない?」
否定はしなかった。
二人で階段を降りる。
「そういえば」
レナが言った。
「ミレイが探してたよ」
「僕を?」
「うん。何か話があるって」
「また依頼ですかね」
「違うと思う」
「じゃあ何です?」
レナが少し笑う。
「たぶん、面倒な話」
「……帰ろうかな」
「もう遅いよ」
一階へ降りた瞬間。
「エイルさん」
ミレイと目が合った。
「……見つかりました」
「逃げようとしてません」
「まだ何も言ってません」
「顔が」
「どんな顔ですか」
「面倒なことを頼みそうな顔です」
「受付職員に対して失礼ですよ」
そう言いながらも、ミレイは少し笑っていた。
「こちらへどうぞ」
呼ばれるまま受付へ。
レナも当然のようについてくる。
「レナさんは関係ありません」
「聞くだけ」
「駄目です」
「固いなあ」
「冒険者の個人情報です」
レナが不満そうに離れる。
ただし近くの柱へ寄りかかり、明らかに聞き耳を立てている。
ミレイも諦めたようだった。
「エイルさん」
「はい」
「登録してからの依頼達成数は、現在二件です」
「少ないですね」
「普通です。まだ数日ですから」
「そうですよね」
「ただし」
ミレイが手元の書類を見る。
「依頼外の討伐実績として鎧猪一体、棘狼三体。さらに旧道崩落の詳細報告、生息域変化の可能性についての有用情報提供。青露草も規定数以上を良好な状態で納品しています」
「……はい」
改めて並べられると、少し多い。
「本来、F級からE級への昇格には一定数の依頼達成と、最低限の実務能力確認が必要です」
「本来?」
嫌な予感がした。
「エイルさんの場合、通常の条件を待つ必要がないのではないか、という話が出ています」
「……」
「つまり」
ミレイは一拍置く。
「E級への特例昇格試験を受けてもらいたいんです」
エイルは数秒黙った。
「登録したばかりなんですけど」
「知ってます」
「まだF級の依頼、二つしかやってません」
「知ってます」
「普通じゃないですよね?」
「かなり」
即答された。
「断ることは?」
「できます」
「じゃあ――」
「E級になると青晶洞へ入れます」
エイルの口が止まった。
ミレイは絶対に分かって言っている。
「……さっき資料室にいたの、知ってますよね」
「もちろん」
「ずるくないですか?」
「何がでしょう」
ミレイは澄ました顔をしている。
少し離れたところで、レナが肩を震わせていた。
「試験って何をするんですか」
「戦闘だけではありません。今回は、ギルド側が指定する簡単な実地確認を受けてもらいます。戦闘、判断、依頼遂行能力。全部を見ます」
「一人で?」
「試験官が同行します」
「依頼みたいなものですか?」
「そう考えてもらって構いません」
エイルは少し考えた。
ランクそのものには、あまり興味がない。
数字が上がったところで、それだけならどうでもいい。
ただ。
受けられる依頼が増える。
行ける場所も増える。
そして。
青晶洞。
「……受けます」
ミレイが頷いた。
「そう言うと思いました」
「迷宮のことを言われなかったら、もう少し考えてました」
「でしょうね」
そこでレナが遠くから口を挟む。
「エイル!」
「聞いてたんですか?」
「聞こえた」
「聞いてたんですよね」
「E級おめでとう」
「まだ試験です」
「落ちる気ある?」
「ありますよ」
「あるんだ」
「試験なんだから普通に」
レナは少し意外そうに目を瞬いた。
エイルにとっては当然だった。
鎧猪にも死にかけた。
棘狼三体にも何度か傷を負った。
成長が早い。
それは分かった。
だが。
自分が何でもできるようになったわけではない。
「落ちたら、また受ければいいです」
「……そういうとこ、意外と普通なんだね」
「僕を何だと思ってるんですか」
「鎧猪にレベル三で挑む人」
「まだ言うんですか、それ」
レナが笑った。
ミレイは書類へ何かを書き込みながら言う。
「試験は明日の朝。南門前集合です」
「分かりました」
「今日は依頼を受けないでください」
「……」
「受けないでください」
「はい」
念を押された。
◇
ギルドを出た後。
エイルはそのまま宿へ戻るつもりだった。
だが、大通りを歩いている途中で足を止める。
地図屋。
「……」
財布を確認する。
銀貨はある。
装備の手入れも必要。
薬も買う。
試験も明日。
それでも。
十分後。
エイルは店から出てきた。
手には新しい地図が一枚。
ローデン北部。
中央には、小さな洞窟の印。
その横に。
青晶洞。
「……E級か」
地図を眺めながら小さく呟く。
昨日まで、ランクなど早く上がっても遅く上がっても構わないと思っていた。
今も、それ自体は変わらない。
ただ。
向こう側に行きたい場所があるなら。
話は少しだけ別だった。
地図を丸め、背負い袋へ入れる。
明日の試験。
まずはそこを越える。
そう考えた瞬間。
エイルは自分で少しだけ笑った。
「……越える、か」
最近、その言葉ばかり増えている気がした。




