表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

73/78

第73話 街道の空白

 リューデンを出てから19日が経った昼過ぎ、エイルはローデンへ続く街道を歩きながら、少し前に買い替えたばかりの革手袋を外し、右手の甲に残っている浅い傷がどこまで治ったかを確かめていた。


 傷を作ったのは3日前で、街道から半日ほど南へ外れた先にある無名の渓谷を調べていた時だった。


 ローデンへ戻るだけなら、リューデンから真っ直ぐ進めばもっと早く到着できたはずだが、エイルは途中で地図に描かれていない脇道や、古い案内板だけが残る廃道を見つけるたびに少しずつ寄り道を重ねており、その結果、旅程は予定していた日数よりかなり長くなっている。


 もっとも、それを後悔したことは1度もなかった。


 地図ではただ森として塗られていた場所の奥に、崩れた石橋と古い街道跡が残っていたり、山裾の小さな洞窟が奥で地下水脈へ繋がっていたり、誰も使わなくなった採石道の先から地図に記載されていない谷へ降りられたりと、歩いた分だけ新しいものが見つかったからだ。


 3日前に入った渓谷も、その1つだった。


 入口付近は幅の狭い岩場にしか見えなかったが、奥へ進むほど地面が大きく沈み込み、最終的には両側を高さ100メートル近い崖に囲まれた長い裂け目へ変わっていた。


 そこには地上ではあまり見ない魔物が棲んでおり、最深部では全長8メートルほどの灰褐色の大型獣にも遭遇した。


 硬い岩肌へ身体を擦りつけながら進む4足獣で、頭部から背中にかけて白い鉱石のような突起が伸び、エイルの《魔力感知》にもかなり濃い反応があったため、おそらく普通に討伐依頼へ出ればB級上位からA級下位ほどで扱われる個体だったと思う。


 ただし、名前も分からない。


 依頼でもない。


 周囲には他の冒険者もいなかった。


 エイルは最初から討伐するつもりで入ったわけではなく、渓谷の奥に何があるか確かめたかっただけだったが、その魔物がこちらを縄張りへの侵入者と判断して襲ってきたため、結果として戦うことになった。


 深層循環獣との戦いを経験したあとでは、8メートル級の魔物を見ても以前ほど圧迫感を覚えなかった。


 最初の突進を《近域感知》で読み、頭部の鉱石角を長剣で受け流しながら側面へ抜け、2撃目には《高密度強化》を右脚だけへ集中させて一気に距離を詰めると、首の付け根へ刃を滑り込ませた。


 外皮は予想より硬かったものの、深層循環獣の甲殻ほどではない。


 刃が入った時点で《振動感知》を通し、内部の骨格と魔力の集中箇所を見つけたあと、圧縮した《衝撃》を剣先から放ったところ、戦闘はそこでほとんど終わった。


 問題になった右手の傷も、その時に倒れ込んだ魔物の背中から鉱石片が飛び、避けきれなかった1片が手袋を裂いただけだった。


 以前なら消毒して布を巻き、数日は様子を見ていた傷だったが、今は魔力を流しておけば翌朝にはほとんど塞がる。


【《自己治癒 Lv.7 → Lv.10》】


 Lv.10へ上がってからは、意識していない時でも傷の周囲へ僅かな魔力が残るようになっており、完全な自動回復と呼べるほどではないものの、眠って起きた時に前日より明らかに回復が進んでいることが増えていた。


 エイルは傷跡を指で軽く擦ってから手袋を戻し、再び街道を歩き始めた。


「これなら、あと1日もいらないな」


 独り言を漏らしながら、身体の内側へ薄く《自己治癒》を流す。


 右肩も肋骨もすでに完全に治っており、深層循環獣戦で最も負担を掛けた右脚についても、今では《高密度強化》を使った全力疾走に耐えられるまで戻っている。


 ただ治っただけではない。


 19日間の旅の中で、身体そのものがさらに変わっていた。


     ◇


 A級へ昇格した直後、エイルは自分が大きく強くなったと思っていた。


 その認識は間違っていない。


 ただ、《越境》がLv.5へ上がった影響は、深層循環獣との戦闘直後に増えた能力値だけで終わっていなかった。


 街道を歩く。


 荷物を背負って山道を登る。


 魔物と戦う。


 見知らぬ地形を進み、地図を描き、野営し、翌朝にはまた移動する。


 そうした以前から繰り返してきた行動の1つ1つに対して、身体と技能の適応が以前より明らかに速くなっている。


 強い魔物と戦わなければ《越境》そのものが大きく伸びることはない。


 しかし、1度上がった成長効率まで元へ戻るわけではないらしく、今のエイルは同じ1日の移動や訓練から得られるものまで、以前よりかなり大きくなっていた。


 そのため、リューデンからローデンまでの19日間で、エイルは大きな事件を起こしていないにもかかわらず何度も状態表示を見ることになった。


 街道沿いの村から頼まれ、夜になると家畜を襲う5体の牙狼を処理した。


 崩れた旧道を調べている途中で、地中から現れた大型の甲虫魔物を2体倒した。


 地図にない丘陵を越えた先では、古い石塔の地下へ続く小さな遺構を見つけ、内部に残っていた守衛機を停止させた。


 無名渓谷では鉱石角を持つ大型魔物を倒した。


 それらのほとんどは、わざわざ大都市へ報告するほどの出来事だとはエイル自身が考えておらず、村から正式に出された依頼だけは最寄りのギルド支所へ完了報告を出したものの、渓谷の魔物や旧遺構については地図へ自分用の印を付けただけで終えている。


 その一方で、状態板の数字だけは確実に動いていた。


【Lv.41 → Lv.48】


 深層循環獣を倒した時ほど一気に跳ねたわけではないが、わずか19日の旅として考えれば、以前ではあり得なかった速度だった。


 しかも、上がっているのはレベルだけではない。


【《剣術 Lv.24 → Lv.27》】


【《衝撃 Lv.28 → Lv.31》】


【《身体強化 Lv.23 → Lv.27》】


【《魔力操作 Lv.24 → Lv.28》】


【《魔力感知 Lv.19 → Lv.22》】


【《振動感知 Lv.15 → Lv.18》】


【《近域感知 Lv.11 → Lv.14》】


【《魔力圧縮 Lv.20 → Lv.24》】


【《高密度強化 Lv.5 → Lv.9》】


【《自己治癒 Lv.7 → Lv.10》】


 以前なら1つの技能を数段上げるだけでも、まとまった訓練や強敵との戦闘が必要だった。


 今は旅を続けながらそれぞれを少しずつ使っているだけでも、複数の技能が並行して伸びていく。


 特に変化が大きいのは《高密度強化》だった。


 深層循環獣との戦いでは身体を壊す寸前まで魔力を圧縮していたが、今ではそこまで無理をしなくても高密度の強化状態を作れるようになり、脚へ使えば一瞬の加速、腕へ使えば重量物の保持、体幹へ使えば強い衝撃への耐久という形で、必要な場所だけを短時間引き上げられる。


 さらに《自己治癒》を同時に使えば、高負荷強化によって生じた小さな筋損傷を移動中に回復させられるため、以前より訓練そのものの密度まで高くなっていた。


 自分で身体へ負荷を掛ける。


 回復させる。


 また使う。


 それを旅の途中で繰り返すうちに、基礎的な身体能力までじわじわ押し上がっていく。


 エイルはまだ細かい能力値を開いていない。


 リューデンを出た直後に1度確認したばかりだったこともあり、次はローデンへ着いてから見ればいいと思っていた。


 それでも、今の自分が19日前より強いことだけは、数字を見なくても分かっていた。


     ◇


 街道の先にローデンの外壁が見え始めたのは、その日の夕方だった。


 初めて村を出てこの街へ来た時には、遠くから見える大きな石壁だけで少し緊張したことを覚えている。


 今は同じ景色を見ても、懐かしさの方が先に来た。


「思ったより戻るの遅かったな」


 西門で冒険者証を確認した守衛が、A級の刻印を見た瞬間だけ手を止めた。


「……A?」


「はい」


「名前……エイル・アーネット。前にこの街で登録した?」


「ここが最初です」


 守衛はもう1度冒険者証とエイルを見比べた。


「俺の記憶が合ってれば、前はDかCじゃなかったか?」


「ここを出た時はD級でした」


「……どこ行ってきたんだ」


「リューデ湖です」


「湖行ってAになる奴、初めて見たぞ」


 何と答えればいいのか分からず、エイルは少し笑ってから門を通った。


 街の景色そのものは大きく変わっていない。


 夕方の市場には人が多く、通りには焼いた肉や香草の匂いが流れ、冒険者らしい装備の男女が何人も酒場へ向かって歩いている。


 ただ、エイルの方が以前とは違っていた。


 人混みへ入っても背後から誰かが近づけば自然に分かり、荷車が横道から出てくるより先に車輪の振動を拾い、建物の向こうで大きな魔力が動けば《魔力感知》が薄く反応する。


 これだけ情報が増えているのに、以前ほど意識を割かなくてもいい。


 周囲を探すというより、最初からそこにあるものとして受け取る感覚へ近づいている。


【《近域感知 Lv.14 → Lv.15》】


 街中を歩いているだけで技能が上がり、エイルは少しだけ苦笑した。


「本当に上がるの早くなってるな」


 そのまま向かったのは宿でもギルドでもなく、鍛冶区画だった。


     ◇


 《赤炉》の看板が見えた時、工房の中からは以前と変わらない金属音が響いていた。


 入口をくぐる。


 熱気。


 鉄の匂い。


 炉の前で作業していた大柄な男が、金属を打つ手を止めずに声を上げる。


「客なら少し待て!」


「グレイグさん」


 槌が止まった。


 グレイグが顔を上げる。


「……お前か」


「戻りました」


「見りゃ分かる」


 以前より少し伸びた髪や旅装を眺めたあと、グレイグの視線はすぐエイルの腰にある長剣へ移った。


「剣、出せ」


「挨拶より先ですか?」


「挨拶して剣が直るか」


「直らないですね」


 エイルは笑いながら長剣を外し、鞘ごと渡した。


 グレイグは刀身を抜いた瞬間、表情を変えた。


 細かな歪み。


 魔力伝導路の消耗。


 刃の一部に残る深い傷。


 普通の戦闘では付きそうにない損耗が、刀身全体へ薄く残っている。


「……何斬った」


「大きい魔物です」


「どれくらいだ」


「30メートルくらいありました」


 グレイグの手が止まる。


「もう1回言え」


「30メートルくらいです」


「お前、俺が作った剣で何と戦ってんだ」


「一応、最後まで折れませんでしたよ」


「褒めてねえ!」


 工房の奥にいた若い職人たちまでこちらを見た。


 グレイグは長剣を作業台へ置くと、今度はエイルの腰に下がっているA級証へ気づいたらしい。


「その札も見せろ」


「これですか?」


 渡す。


 確認する。


 黙る。


「……A?」


「Aです」


「前、Dじゃなかったか?」


「ここを出た時はそうですね」


 グレイグはしばらく何も言わず、冒険者証をエイルへ返した。


「お前、どれくらい留守にしてた?」


 エイルが答える。


 グレイグはさらに黙った。


「普通、その期間でDからAにはならねえ」


「僕もそう言われました」


「他人事みたいに言うな」


 それでも剣の話へ戻ると、グレイグの目はすぐ職人のものになった。


「素材は先に届いてる。でかい甲殻と、青黒い鉱物、それから牙の破片だ。送り主の名前見て嫌な予感はしてたが、やっぱりお前のだったか」


「使えそうですか?」


「使えるかどうかで言えば、使える。ただし今の剣へそのまま足すだけじゃ無理だ」


 グレイグは作業台に置いた長剣を指で叩く。


「こいつは最初に作った時点で、お前が《衝撃》を剣へ通す前提にしてある。魔鉄で支えて青鋼を流し、角根で負荷を逃がした。そこまでは良かったが、今のお前が流してる魔力は当時の想定を越えてる」


「やっぱり分かりますか?」


「刀身見りゃ分かる。伝導路の内側が焼けかけてるし、緩衝材も限界に近い。これ以上お前が強くなったら、敵より先に剣が負ける」


 エイルは少し困った。


「多分、もう少し強くなると思います」


「多分で済ませるな」


 グレイグは呆れたように言ったあと、工房奥の棚から小さな青黒い鉱物片を持ってきた。


 深層循環獣の体内に沈着していたものだ。


「こいつは面白い。魔力を通すだけじゃなく、圧を掛けた状態でも流れが崩れにくい。お前、最近魔力を圧縮して使ってるだろ」


 エイルは少し驚いた。


「どうして分かったんですか?」


「剣がそういう傷み方してる。前は流した魔力が広がってたが、今は細い場所だけ焼けてる。相当濃いのを通してるな」


「かなり」


「ならちょうどいい。この鉱物を芯へ混ぜる」


 さらに甲殻の欠片を示す。


「こっちはそのまま刃には向かんが、加工すれば魔力負荷を受ける補強材にできる可能性がある。今の古い芯も残すし、前の素材も全部捨てる気はない。ただ、かなり大きく組み直すぞ」


「お願いします」


「返事早いな」


「グレイグさんに任せるって決めてたので」


 グレイグは一瞬だけ黙り、それから長剣を持ち上げた。


「……前に言ったな。もっといい素材持ってきたら、また打ち直してやるって」


「言ってました」


「まさか本当にこんなもん持って帰ってくるとは思ってなかった」


 口では呆れていたが、少しだけ嬉しそうだった。


     ◇


 作業には最低でも10日ほど必要だと言われたため、エイルはその間ローデンへ滞在することにした。


 ギルドへ顔を出してA級証の所属情報を更新し、以前世話になった店を回り、旅装備もいくつか買い替える。


 そして夜。


 久しぶりに泊まったローデンの宿で、エイルはようやく現在の状態板を開いた。


 リューデンを出た時はLv.41。


 今はLv.48。


 技能が大きく伸びていることは途中でも確認していたが、能力値全体を見るのは19日ぶりだった。


【エイル・アーネット】


【年齢 16】


【Lv.48】


【生命力 466】


【魔力 548】


【筋力 487】


【耐久 439】


【敏捷 536】


【器用 451】


【感知 687】


 エイルは表示を見たまま、しばらく動かなかった。


 19日前。


 Lv.41時点では。


【生命力 327】


【魔力 379】


【筋力 338】


【耐久 301】


【敏捷 361】


【器用 309】


【感知 486】


 レベルは7しか上がっていない。


 それに対して、筋力は149、敏捷は175、魔力は169伸び、感知に至っては201増えている。


 以前の成長曲線とは明らかに違う。


「……7レベル分じゃないな」


 だからといって、数値がおかしいわけでもない。


 自分の身体で実際に感じていた変化と一致している。


 3日前に渓谷で戦った大型魔物を、深層循環獣戦以前の自分ならもう少し慎重に相手していたはずだった。


 今は2度の攻防で倒した。


 しかも、その戦いのあとも余力が大量に残っていた。


 《越境》はLv.5のまま。


 それでも、境界を1度押し上げたことで、そこから先の通常成長まで大きく加速している。


 今までならレベルが上がることで強くなっていた。


 今は少し違う。


 戦い、歩き、使い、覚えるたびに能力値そのものが伸び、その上でレベルまで後から付いてくる。


 エイルは状態板を眺めながら、自分の中で起きている変化を完全には説明できなかった。


 ただ、1つだけ確かなことがある。


 この速度が続くなら、次に大きな境界を越える頃には、今の自分から見ても想像できない場所まで届いている。


 それでも当面は、何か大きな討伐記録を作りたいわけでも、さらに上のランクを目指したいわけでもない。


 ローデンで剣が仕上がったら西へ向かう。


 西境連峰へ続く街道を歩き、途中に地図から外れた場所があれば寄り道し、知らない魔物がいれば必要に応じて戦う。


 その程度でいい。


 少なくともエイル自身は、そう思っていた。


 ただ、その「程度」を何週間も続けた先で、自分の数字がどこまで変わっているのかだけは、もう本人にも分からなくなり始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ