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第72話 A級認定

 特例査定から3日後の昼過ぎ、エイルがリューデン冒険者ギルドへ戻ると、普段なら依頼帰りの冒険者や商人の声で満ちている1階の空気が、入口をくぐった瞬間だけ妙に静かになった。


 全員が黙ったわけではないし、こちらを露骨に取り囲む者もいない。それでも受付へ向かうまでの間に何度も視線が集まり、壁際で依頼票を見ていた冒険者たちまで会話を止めているため、何かが届いたのだろうということくらいはすぐ分かった。


 エイルが薄く維持している《近域感知》にも、自分へ向けられる視線に伴って周囲の人間が僅かに身体を動かす気配が伝わってくる。


 ただし危険はない。


 《危機感知》は静かなままだった。


「……もう来てるみたいだな」


 エイルが受付前まで進むと、顔馴染みになった職員が少し困ったように笑い、2階を指した。


「ガレス支部長がお待ちです。中央支部から正式文書が届いています」


「分かりました」


「それと……先に言っておきますけど、下へ戻ってきた時は少し騒がしくなるかもしれません」


「何でですか?」


 職員は答える代わりに、周囲へ向かって視線を動かした。


 その反応だけで何となく察し、エイルはそれ以上聞かず階段へ向かった。


 2階の会議室にはガレスだけでなく、ヴァルト、グラン、レイアまで揃っており、中央支部から来ていた査定官のハルゼンとA級冒険者ミレアも残っていた。


 机の中央には、赤い封蝋が押された厚手の文書と、まだ布に包まれた小さな金属板が置かれている。


「来たか」


 ガレスが椅子を示す。


「座れ。正式な返答が出た」


 エイルが空いている席へ座ると、ハルゼンが封蝋を切った文書を手元へ引き寄せた。


「中央支部による再確認が完了しました。提出した資料は、リューデン支部の依頼記録、領軍の作戦報告、学院の《深層循環獣》暫定査定、B級冒険者グランおよびA級冒険者ミレアの戦闘評価、それから先日の能力測定結果です」


 そこまで読み上げたあと、ハルゼンはエイルを見る。


「結論として、エイル・アーネットのC級からA級への直接昇格を正式に承認します」


 言葉自体は、特例査定が終わった時からある程度予想できていた。


 それでも正式に告げられると、エイルはすぐ返事をせず、机の上にある文書を1度見た。


「本当に通ったんですね」


「通したこちらが驚いているくらいです」


 ハルゼンが珍しく少し苦笑する。


「戦時特例や国家指定任務による臨時階級を除けば、中央で確認できた過去100年の記録にもC級からA級への直接昇格例はありませんでした。そのため通常の昇格ではなく、《特別戦力査定による2階級昇格》として記録されます」


「前例がないまま通したのか」


 グランが聞くと、ハルゼンは頷いた。


「前例がないことは、条件を満たしている人間を不当に低い等級へ置いておく理由にはなりません。むしろ問題になったのは、彼をB級として登録した場合、B級向けの戦力基準と現在の実測値が一致しないことでした」


「そこまで差がありますか?」


 エイルが尋ねる。


 今度はミレアが答えた。


「あるわよ。あなた、まだ自分の測定値を軽く見てるでしょう」


「比較対象が少ないので」


「じゃあ少し増やしてあげる」


 ミレアは机の横に置かれていた別の紙を取り、エイルの前へ滑らせた。


 中央支部が保有している冒険者の能力測定統計らしい。


 個人情報ではなく、等級ごとの平均域だけがまとめられている。


【B級冒険者・主要身体測定平均域】


【筋力 185〜245】


【耐久 190〜255】


【敏捷 175〜240】


【得意項目上位 280〜320前後】


【A級冒険者・主要身体測定平均域】


【筋力 245〜330】


【耐久 260〜350】


【敏捷 250〜340】


【得意項目上位 350〜450前後】


 その下へ、先日のエイルの結果が記載されている。


【エイル・アーネット】


【Lv.41】


【筋力測定 349】


【身体強化時筋力出力 583】


【敏捷測定 374】


【魔力出力 468】


【魔力制御精度 97】


 改めて並べられると、確かに分かりやすい。


「強化時の筋力だけ、かなり飛び出してますね」


「そこだけじゃないわ。強化なしの筋力349も、敏捷374もA級平均の上側に入ってるし、剣士なのに魔力出力468まである。どれか1つが突出してる人なら珍しくないけど、あなたは複数項目が同時に高いのよ」


「感知は測ってませんよね」


「専用設備がないからね。ただ、私との模擬戦と地下街の記録を見る限り、そこがたぶん1番厄介」


 ミレアは軽く肩をすくめた。


「しかもあなたの本当の問題は、測定値そのものよりLv.41でこれが出てることよ。Lv.60台から70台でA級へ上がる人間が多い中、40台前半でこの出力に届いてるのは、成長余地まで考えると相当おかしいわ」


 エイルは状態板に表示されている自分の能力値を思い出した。


 現在は筋力338、敏捷361、感知486。


 外部測定値とは算出方法が違うものの、どちらを見ても以前とは大きく変わっている。


 それでも、自分ではまだ深層循環獣に一方的に押された最初の攻防を覚えているため、A級という言葉ほど完成した強者になった感覚はなかった。


「ただし」


 ハルゼンが話を戻す。


「A級になったからといって、どこへでも無条件で入れるわけではありません。国家封鎖区域や一部の特別指定地には別の許可が必要ですし、A級依頼の中にも複数名を前提とするものがあります」


「分かってます」


「それから、A級には他の冒険者から現場判断を求められる機会も増えます。あなたが指揮官になる義務はありませんが、災害現場でF級やE級と一緒になれば、周囲はあなたの判断を基準に動く可能性があります」


 エイルは少しだけ表情を引き締めた。


 そこは戦闘力とは別の話だった。


 1人で旅をするだけなら、自分の失敗は自分で受ければいい。


 しかしランクが上がることで、周囲からどう扱われるかまで変わる。


「そこは覚えておきます」


「なら結構です」


 ハルゼンは頷き、机の中央に置かれていた布包みをガレスへ渡した。


     ◇


 布の中から出てきたのは、エイルが今まで持っていたC級証より少し厚い金属製の冒険者証だった。


 表面には名前と登録支部、それに大きくAの文字が刻まれ、裏側には魔力認証用の細かな紋様が入っている。


 ガレスはそれを手にしたまま、すぐにはエイルへ渡さなかった。


「一応確認するが、ここから先も冒険者を続けるんだな?」


「もちろんです」


「A級になったら貴族や商会から専属契約の話も来る。領軍や国から声が掛かることもあるし、中央支部へ所属を移せと言われる可能性もある」


「専属になるつもりはないです」


 答えはすぐ出た。


「僕はまだ色々な場所へ行きたいので、1ヶ所にずっといるのは合わないと思います」


「だろうな」


 ガレスは予想していたらしく、それ以上勧めなかった。


「なら持っていけ。紛失するなよ」


「ありがとうございます」


 受け取った冒険者証は、小さいのに妙な重みがあった。


 村を出た時にはF級から始まった。


 そこからE級、D級、C級と上がり、B級を飛ばして今はA級になっている。


 時間だけ見れば速すぎる。


 ただ、その間に経験したことまで軽かったわけではない。


「それと」


 ガレスが続ける。


「深層循環獣の討伐報酬と素材分配も決まった」


「素材?」


「お前が倒したんだから当然権利がある。全部持って帰れる大きさじゃないから、学院と領軍が解体を進めてるが、甲殻、牙、魔力器官、内部に沈着していた深層鉱物、それぞれかなりの値が付く」


 そこでグランが口を挟んだ。


「剣、そろそろ打ち直す気はないのか?」


 エイルは腰の長剣へ目を落とした。


 深層循環獣との戦いでも最後まで耐えた。


 ただし無傷ではない。


 刀身には細かな歪みが残り、青鋼の魔力伝導路も、限界近くまで《衝撃》を通した影響で以前より僅かに反応が鈍くなっている。


「ローデンに戻れれば、グレイグさんに見てもらいたいです」


「だったら素材を1部取っておけ。あの甲殻や深層鉱物なら、今の剣を次へ進められるかもしれん」


 以前、グレイグはもっと良い素材を持ってきたらまた打ち直すと言っていた。


 あの時は、次に何を持っていけるか想像もしていなかった。


 今ならある。


 A級上位相当と査定された巨大魔物の素材が。


「持って帰ります」


「即答だな」


「約束してるので」


 少し楽しみになった。


     ◇


 正式なA級昇格は、ギルド1階へ降りた時点で隠しようがなかった。


 受付職員が登録台帳を書き換え、新しい冒険者証を確認したところで、近くにいた誰かが「本当にAになった」と呟き、それをきっかけに周囲の空気が一気に変わった。


「Cから直接?」


「B飛ばしたって本当だったのか」


「深層のやつ、A級上位だったらしいぞ」


「16だろ?」


「登録してから何か月経ってるんだ?」


 エイルは聞こえていないふりをしながら受付へ冒険者証を登録してもらったが、《近域感知》のせいで近くの小声まで以前より拾えてしまう。


 こういう時には少し不便だった。


 背後から大きな手が肩へ乗る。


 ボルクだった。


「おめでとう、A級」


「ありがとうございます」


「これで俺がお前に『C級らしくしろ』って言うこともなくなるな」


「最初から言われたことないですよ」


「言う暇なかったんだよ。会うたびにC級の範囲から遠ざかってたからな」


 その横からセナも現れた。


「A級証見せて」


「いいですよ」


「本当にAだ……」


「偽物だと思ってたんですか?」


「そうじゃなくて、10日前まで同じC級だった人が急にAになると変な感じなの」


 セナ自身も、この10日で以前より動きが変わっている。


 気配の薄さだけではなく、立ち位置や足運びが少し滑らかになり、エイルの《近域感知》でも意識を向けなければ存在感が抜け落ちる瞬間が増えていた。


「セナさんも《気配遮断》上がりましたよね」


「分かる?」


「前より見失いやすくなりました」


 セナの表情が少し明るくなる。


「Lv.7からLv.9になった。あんた相手に10日練習した成果」


「2上がったんですね」


「普通なら10日で2上がれば十分速いんだからね」


「分かってます」


「本当に?」


「多分」


「分かってない顔してる」


 エイルが笑うと、少し離れた場所にいたボルクまで呆れたように息を吐いた。


 周囲も強くなっている。


 その事実は、エイルにとって意外と嬉しかった。


     ◇


 A級への昇格が決まってから数日間、エイルはリューデンを離れる準備を進めながら、地下街の後処理にも可能な範囲で協力した。


 第5管理区より深い場所への本格調査はまだ再開されていないものの、西部保守口から中央圧力制御塔までの経路は領軍と学院によって大幅に整備され、以前なら半日近く掛かっていた移動もかなり短縮されている。


 《深層循環獣》がいなくなった影響も大きかった。


 地下街に棲んでいた岩甲牙獣を含む大型魔物は少しずつ元の縄張りへ戻り始めているが、以前のように深部から一斉に逃げてくることはなくなり、生態も落ち着きつつある。


 エイルも2度だけ短時間の護衛として地下へ入り、その間に現れた岩甲牙獣を数体処理した。


 以前なら1体ごとに攻撃を見て、甲殻の隙間や体勢を考えていた相手だった。


 今では《身体強化》すら必要ない場面が増えている。


 最初の1体が横から飛び出した時も、薄く展開していた《近域感知》が足音より先に動きを拾い、エイルは会話を続けたまま半歩だけ身体をずらすと、抜いた長剣を首の甲殻の隙間へ滑り込ませ、そのまま振り抜いて倒した。


 続いて奥から2体目が突っ込んできたが、こちらには剣を使わず、前脚を避けながら頭部へ片手を添え、小さな《衝撃》を内部へ通しただけで動きが止まった。


 近くで見ていた領軍兵がしばらく黙っていたため、エイルが何か問題があったのか尋ねると、「いや、前はそれ、かなり危険な魔物だったよなと思って」と返された。


 強くなった実感は、状態板を見るよりこういう時の方が分かりやすい。


【《剣術 Lv.23 → Lv.24》】


【《近域感知 Lv.10 → Lv.11》】


【《自己治癒 Lv.6 → Lv.7》】


 大きな死闘を終えた直後のように技能が何段階も跳ねることはないが、それでも日常的な探索や戦闘だけで少しずつ伸び続けている。


 しかも《越境》がLv.5へ上がってからは、低危険度の相手から得られる成長そのものは大きくない一方、技能を組み合わせた時の理解速度が以前より明らかに速くなっていた。


     ◇


 リューデンを発つ前日の夕方、エイルは湖畔の食堂で、これまで関わった何人かと食事をしていた。


 レイアは仕事の途中で短時間だけ顔を出し、カイル、フィン、リサ、ボルク、セナ、グランもそれぞれ時間を合わせている。


 別れの宴というほど大袈裟なものではなく、魚料理とパンを囲みながら話すだけの集まりだった。


「次はどこ行くの?」


 フィンが地図を広げながら聞く。


「まだ完全には決めてないけど、西へ向かおうと思ってる」


 独り言ではなく相手へ話しているため、エイルはいつもの丁寧な口調へ戻る。


「ローデンにも1度寄りたいですし、その後はもっと西側へ行ってみたいですね」


「西って、この辺?」


 フィンが地図を指す。


 リューデンからローデンへ戻り、さらに西へ進むと、平野部を抜けた先に大きな山岳地帯がある。


 そのさらに向こう。


 王国が正確な地図を持っている範囲は急激に狭くなり、いくつかの交易路と冒険者が残した記録だけが細く伸びている。


「《西境連峰》か」


 グランが地図を覗き込む。


「A級になって最初にそこ選ぶの、お前らしいな」


「行ったことありますか?」


「入口まではある。奥はない。連峰を越えるだけなら交易路があるが、その北側と南西側は未踏域がかなり残ってる」


 エイルの視線が自然と地図の空白へ向く。


 それを見たレイアが先回りした。


「いきなり道を外れて最深部へ行くなよ」


「分かってます」


「本当に分かってるか?」


「今回はちゃんと街道を進みますよ」


「『今回は』が余計だ」


 周囲から笑いが起こった。


 エイルも笑いながら地図を閉じる。


 リューデ湖には、まだ見ていない場所が残っている。


 第5管理区より下。


 東部観測区画。


 水中から聞こえる金属音。


 すべて気になる。


 だからこそ、いつか戻ってくればいい。


 今ここで全部を見てしまう必要はない。


 自分がもっと遠くを歩き、もっと強くなり、またこの湖へ戻った時には、今とは違うものが見えるはずだった。


     ◇


 翌朝、エイルはリューデン西門を1人で出た。


 背中には旅用の荷物と地図筒があり、腰には深層循環獣との戦いを越えた長剣と青鋼の短剣を下げている。


 深層循環獣の素材については、甲殻の一部、牙の欠片、体内から採取された深層鉱物を厳重に梱包し、別便でローデンのグレイグの工房へ送る手配を済ませていた。


 自分より先に素材が到着する可能性もある。


 その時グレイグがどんな顔をするか想像すると、少し楽しみだった。


 街道へ出てから1度だけ振り返る。


 大きな湖。


 その下には、自分がまだ知らない空間が広がっている。


 初めてこの土地へ来た時はD級だった。


 今はA級。


 レベルも能力値も、当時とは比べものにならない。


 それでも旅そのものは変わらない。


 行ったことのない場所へ進み、知らないものを見つけ、その先にまだ何かがあるなら、さらに向こうへ行く。


 エイルは前へ向き直ると、薄く《近域感知》と《危機感知》を維持したまま街道を歩き始めた。


 ローデンまでは何日も掛かる。


 そこから西境連峰へ向かうなら、さらに何週間も旅をすることになる。


 その時間を急いで飛ばす必要はないが、同じ場所へ留まり続けるつもりもない。


 次に大きな街へ辿り着く頃、自分のレベルがいくつになっているのか。


 何の技能が増えているのか。


 そして、以前会った人間たちがどこまで強くなっているのか。


 まだ分からないままだからこそ、エイルは地図の西側へ続く街道を選び、朝の光の中を歩いていった。


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