第71話 特例査定
《深層循環獣》との戦いから10日が経つ頃には、エイルの右肩と肋骨は日常動作でほとんど違和感を覚えないところまで回復し、最後まで痛みが残っていた右脚も、朝夕に《自己治癒》を使いながら軽い訓練を重ねたことで、走るだけなら問題なくこなせる状態まで戻っていた。
治癒術だけに任せていたなら、まだ慎重に動くよう言われていた可能性が高いものの、《自己治癒》を獲得してからは回復の進み方が目に見えて変わり、最初は傷ついた部位へ意識的に魔力を送り続けなければならなかった技能も、数日使ううちに効率が上がっている。
【《自己治癒 Lv.3 → Lv.6》】
Lv.6へ届いた頃には、眠っている間こそ完全に維持できないものの、食事や読書をしながらでも傷の残る場所へ薄く魔力を流せるようになり、魔力消費も最初よりかなり少なくなっていた。
同時に、《近域感知》と《危機感知》の常時展開も日常へ馴染み始めている。
宿からギルドまで歩く間も、食堂で食事をしている時も、誰かと会話している最中も、エイルの周囲数メートルには薄い感知が残り続けており、後ろから知人が近づいてきた程度なら振り返る前に分かるようになっていた。
それでも本人に警戒しているつもりはない。
常に剣へ手を掛けているわけでもなければ、人を疑っているわけでもなく、ただ目を開けたまま歩くのと同じくらい自然な感覚として、周囲の動きを拾う状態へ近づいているだけだった。
その10日の間、エイルだけが回復と訓練をしていたわけではない。
グランは背中の筋損傷が治ったあと、領軍の対大型訓練へ何度か顔を出し、深層循環獣に正面から押し負けた経験を踏まえて、以前より攻撃を受け流す動きを多く取り入れ始めていた。ボルクも地下街で巨大個体の衝撃波を大盾で受けた経験から装備の固定方法を見直し、盾の裏側へ魔力衝撃を逃がす補助金具を追加している。
セナは《気配遮断》をエイルへ見破られたことが相当悔しかったらしく、何度か訓練に付き合ってほしいと頼んできたため、エイルも《近域感知》の練習になると思って応じたが、10日前より明らかに気配が薄くなっており、最後の数回では《危機感知》が反応するまで完全な位置を絞れないこともあった。
それぞれが同じ場所に止まっているわけではない。
ただ、その中でもエイルの伸び方だけは、やはり少し違っていた。
◇
中央支部から特例査定の審査官がリューデンへ到着したのは、予定されていた10日目の朝だった。
ギルド前へ止まった馬車から降りてきたのは2人で、1人は細身の50代ほどの男性、もう1人は濃紺の外套を肩へ掛けた30代半ばほどの女性だった。
男性は中央支部の査定官であるハルゼンと名乗り、戦闘能力だけではなく依頼履歴や判断記録を確認する役目を持つらしい。
一方の女性は、現役A級冒険者のミレアだった。
腰へ細身の片手剣を下げ、背中には弓もなく盾もないため、一見しただけではどう戦うのか分かりにくいものの、エイルが薄く展開している《近域感知》へ入った瞬間、普通の冒険者とは明らかに違う魔力の流れが伝わってきた。
全身へ流れている量そのものは派手ではない。
ただ、無駄が少ない。
立っているだけなのに、身体のどこへでもすぐ魔力を回せるよう、均等ではなく必要な場所へ移せる形で保たれている。
エイルが少し長く見ていたことに気づいたのか、ミレアがこちらへ視線を向けた。
「何か気になる?」
「魔力の流し方が綺麗だなと思ってました」
「見えるの?」
「細かくは分かりませんけど、近くだと少し」
その答えを聞いたミレアは、エイルではなくガレスを見た。
「聞いていたより探知も高そうね」
「俺に言うな。10日前よりまた伸びてる可能性がある」
「また?」
「説明すると長い」
ガレスが疲れたように返すと、ハルゼンは持っていた記録板を軽く叩いた。
「その話も含めて今日確認します。エイル・アーネット、まず前提として、今回の査定はA級昇格を確約するものではありません。C級からA級への直接昇格は制度上可能ですが、実績、判断、戦闘能力のすべてが基準を満たしていると判断された場合のみ、中央支部へ最終承認を送ります」
「分かりました」
「また、固有技能や非公開技能の開示は要求しません。こちらで確認するのは依頼記録、関係者証言、外部測定可能な能力値、それに実地試験です」
《越境》を見せる必要がないことを改めて確認し、エイルは素直に頷いた。
◇
最初の査定は戦闘ではなく、地下街での行動記録を使った質疑だった。
深層巨大個体を最初に確認した時、なぜ追跡しなかったのか。
第5管理区で異常振動を拾った時、なぜ調査継続ではなく即時撤退を選んだのか。
崩落通路で自分1人が残った時、どの時点まで退避可能だと判断していたのか。
質問は細かく、戦果そのものより、結果へ至るまでに何を考えたのかを確かめるものが多かった。
「深層巨大個体を最初に見た段階では、勝てると思いましたか?」
ハルゼンに尋ねられ、エイルは少し考えたあと首を横へ振る。
「思ってません。最初に見た時は、大きさしか分からなかったので、戦う理由もありませんでした」
「では第5管理区では?」
「あの時も、最初は逃げるつもりでした。途中で通路が崩れて、全員が抜けるまで時間が足りなくなったから止めただけです」
「単独戦闘へ移った時点では、討伐を選んだ?」
「最初は時間を稼いで逃げるつもりでしたけど、《衝撃》が通ることと、循環核から魔力を受けている場所が見つかったので、途中から倒した方が安全だと思いました」
「勝てる確信は?」
「なかったです」
ハルゼンの筆が1度止まる。
「それでも戦闘を継続した理由は?」
「逃げる方向に仲間がいたので、攻撃をそっちへ撃たせたくなかったのと、供給路を切った時点で相手がかなり弱ったからです。そこまでやって逃げるより、倒し切る方が安全だと思いました」
ハルゼンは何も言わず、しばらく記録へ書き込んでいた。
隣で聞いていたミレアは、質問が終わってから小さく息を吐く。
「もっと自信過剰な子かと思ってた」
「よく言われます」
「自覚あるのね」
「無茶するとは言われます」
「それも記録にいっぱい書いてある」
机の横でガレスが顔を背けた。
◇
午前後半からは、ギルド地下にある大型測定室へ場所を移した。
ここは通常の昇格試験ではほとんど使われず、B級以上の能力確認や領軍との合同訓練で利用される施設らしく、床と壁の両方に衝撃吸収用の魔導金属が埋め込まれている。
中央には複数の測定器が並んでいた。
「全部測るわけではありません」
ハルゼンが説明する。
「今回は筋力、耐久、敏捷、魔力出力、反応速度の5項目を中心に見ます。数値そのものは状態板の能力値と完全に一致するものではありませんが、中央支部では過去の測定記録が大量にあるため、冒険者ランクごとの比較には使えます」
「状態板の数字とは違うんですか?」
「完全には一致しません。たとえば筋力の能力値が高くても技術的に力を出し切れない者は測定値が低く出ますし、身体強化を含めた実戦出力を測る項目では逆に高く出ることもあります」
エイルは少し残念に思ったが、比較材料としてはむしろ分かりやすい。
最初に基準を示すため、グランが測定へ入ることになった。
「何で俺なんだ」
「B級の実測比較がある方が本人も理解しやすいでしょう」
「勝手に比較対象にするなよ」
「嫌なら断って構いません」
「ここまで来て断る方が格好悪いだろ」
文句を言いながらもグランは測定器の前へ立った。
まずは純粋な身体能力。
魔力による強化は禁止。
厚い金属柱へ繋がった押圧器を全力で動かす。
結果が盤面へ表示された。
【グラン】
【Lv.57】
【筋力測定 286】
【耐久測定 301】
【敏捷測定 184】
エイルは思わず数字を見る。
「レベル、57なんですね」
「そこからかよ」
「初めて知りました」
「普通は他人のレベルなんていちいち聞かねえんだよ」
ハルゼンが補足する。
「グランはB級の中でも筋力と耐久が高い部類です。B級冒険者の平均は、個人差が大きいものの主要身体測定でおおむね180から260程度、得意項目が300前後へ届けば上位と見ていいでしょう」
初めて具体的な比較基準を聞き、エイルは少し興味を持った。
続けて身体強化ありの瞬間出力も測定される。
【強化時筋力出力 412】
「これがB級上位の1つの基準です」
ハルゼンがエイルへ向き直る。
「次はあなたです。最初は強化なしでお願いします」
「分かりました」
エイルが測定器へ手を掛けた瞬間、グランがなぜか少し離れた。
「何で下がるんですか?」
「念のためだ」
「壊しませんよ」
「お前のその台詞は聞き飽きた」
エイルは苦笑しながら、魔力を完全に引いて身体だけで押す。
以前、旧採石訓練場で重量物を持った時より、身体そのものが明らかに強くなっている。
脚で床を押し、腰から背中へ力を繋げ、そのまま両腕へ伝える。
測定器が軋んだ。
盤面の数字が上がる。
200。
250。
300。
そこで止まらず、さらに伸びた。
最終的に数字が固定される。
【筋力測定 347】
測定室が静かになった。
エイルは盤面とグランを交互に見る。
「グランさんより高いですね」
「見りゃ分かる」
「Lv.57ですよね?」
「分かってるから言うな」
ハルゼンもすぐには記録を取らず、測定器の状態を確認している。
「再測定します」
「壊れてますか?」
「確認です」
2回目。
【筋力測定 349】
ほぼ同じだった。
ミレアが腕を組む。
「強化なしでこれ?」
「はい」
「深層循環獣を止めた時は身体強化あり?」
「ありです。途中から圧縮も使いました」
「圧縮?」
エイルはそこで少し言葉を選んだ。
「《身体強化》へ魔力を濃く流す使い方です」
技能名まで公開する義務はないため、《高密度強化》については伏せる。
ハルゼンも追及しなかった。
「では、通常の身体強化まで使用してください。ただし、施設を傷める可能性があると判断した時点で止めます」
「分かりました」
エイルは全身へ《身体強化》を流す。
《魔力圧縮》は使わない。
それでもLv.23まで伸びた身体強化は、以前とは出力が違う。
筋力測定の数字が上がり始めた。
400。
450。
500を越える。
グランの表情から笑いが消えた。
ミレアも測定盤へ視線を固定している。
【強化時筋力出力 583】
「……これ、A級だと普通ですか?」
エイルが尋ねた。
答えたのはミレアだった。
「普通ではないわね」
「ミレアさんは?」
「私は筋力型じゃないから、強化込みで430前後。ただし敏捷と魔力制御が主戦場ね」
「じゃあA級でも人によってかなり違うんですね」
「その理解は合ってるけど、今の数字を見た後に妙に冷静なのが少し腹立つわ」
ミレアは笑っていたものの、ハルゼンは真顔のまま記録を取っている。
◇
続く敏捷測定では、さらに差が大きく出た。
一定距離を走るだけではなく、複数方向へ点灯する標的へ触れながら移動する形式で、単純な最高速度と反応速度の両方を見る。
グランの記録は184。
B級としては標準より少し低いらしい。
ミレアが参考として参加すると、数値は318まで上がった。
「この人はA級の中でも敏捷型です」
ハルゼンの説明を聞き、エイルも開始位置へ立つ。
《身体強化》は禁止。
足元の《衝撃》も使わない。
純粋な身体能力だけ。
合図と同時に最初の標的が光る。
右。
次は左奥。
さらに正面。
エイルは走りながら標的へ触れていく。
《近域感知》は切るよう言われていない。
ただし危機ではないため《危機感知》が先読みを助けるわけでもなく、点灯した瞬間を目で見て身体を動かす純粋な反応試験だった。
それでも、身体が軽い。
最後の標的へ触れた時には、自分でもかなり速く終わった感覚があった。
【敏捷測定 372】
ハルゼンが記録板を置いた。
「測定器の精度を1度確認します」
「またですか?」
「またです」
ミレアが横で笑う。
「さっきから測るたび機械を疑われてるわね」
再測定。
【敏捷測定 374】
誤差だった。
さらに反応速度の項目では、《近域感知》を使った状態と使わない状態の両方を測ることになり、通常状態でもA級基準を超えた数字が出たあと、感知ありでは測定器側の点灯速度を上限近くまで引き上げることになった。
最後にはハルゼンが試験を止める。
「これ以上は測定器の用途を越えます。対人戦闘で同じ反応ができるとは限りませんが、少なくとも不意の近接攻撃への対応力はA級基準を十分満たしています」
「常時感知してるって聞いてたけど、本当にずっと?」
ミレアが尋ねる。
「薄くなら、ほとんどずっと使ってます。寝てる時はまだ途中で切れますけど」
「それ、育ったら暗殺する側が相当嫌がるわね」
「人に狙われる予定はないですよ」
「予定を聞いて襲ってくる人間はいないのよ」
グランからも似たようなことを言われたのを思い出し、エイルは少しだけ黙った。
◇
最後の大きな測定は魔力出力だった。
こちらは《衝撃》の技能威力ではなく、単純に一定時間で外へ流せる魔力量と制御精度を確認するもので、攻撃技能を秘密にしている冒険者でも受けられるよう作られている。
先にミレアが測る。
【魔力出力 291】
【制御精度 94】
「制御精度は100を上限とした測定です。90以上ならA級魔術戦闘職でも高い部類に入ります」
ハルゼンが説明する。
「エイル、同じようにお願いします。技能は使わず、魔力だけを装置へ流してください」
「はい」
エイルは測定石へ手を置く。
《魔力操作》Lv.24。
ただ流すだけなら難しくない。
最初は少量。
装置が受け取る速度を確かめたあと、少しずつ量を上げる。
300を越える。
それでも余裕がある。
さらに流す。
表示が400を越えた辺りで、ハルゼンが眉を寄せた。
「まだ上げられますか?」
「はい」
「装置上限が600です。そこまでは壊れません」
「分かりました」
エイルはもう少し増やした。
【魔力出力 468】
【制御精度 97】
今度は誰もすぐ口を開かなかった。
エイル自身は、自分の状態板にある魔力379という数字と測定値が一致しないため、どちらを基準に考えればいいのか少し迷う。
「これ、高いんですか?」
ハルゼンが顔を上げる。
「A級前衛職の測定としては、かなり高いです。純魔術職なら500を越える者もいますが、あなたは剣を主武器にしているのでしょう」
「はい」
「筋力349、敏捷374、魔力出力468、それに制御精度97……」
ハルゼンはそこまで読み上げてから、初めて少し困ったような表情を見せた。
「実測値だけなら、A級昇格を否定する材料がありません」
グランが横から口を挟む。
「むしろBに置く理由がないだろ」
「数値だけならそうです。ただしA級は数値だけで決めません」
「分かってるよ。だから10日前の行動記録も全部持ってきたんだろ」
ハルゼンは返事をせず、エイルの測定結果を改めて確認する。
ミレアはそれよりエイル本人の方を見ていた。
「ねえ、今いくつ?」
「16です」
「それは聞いた。レベル」
エイルは少し迷った。
レベルだけなら登録情報としてギルド側も把握できる。
隠す意味はない。
「41です」
ミレアの眉が動く。
「41?」
「はい」
「グランが57で、私は74よ」
初めて聞くA級冒険者のレベルだった。
「74……」
「普通はここでそっちに驚くところだけど、今は逆ね。Lv.41でその測定値が出てる方がおかしい」
グランも頷いた。
「俺も最初から言ってる。こいつ、レベルだけ見ても意味ねえぞ」
ハルゼンは記録板の新しい欄へ、エイルのLv.41という数字を書き足した。
その筆が途中で1度止まる。
「中央へ戻した時、この部分が最も問題になるかもしれませんね」
「問題?」
「悪い意味ではありません。通常、Lv.41の冒険者にA級戦力を認定する例がほとんどないからです。にもかかわらず、実績と実測値の両方がA級域へ入っている」
エイルには、それがどれほど珍しいことなのかまだ完全には分からない。
ただ、グランのLv.57とミレアのLv.74を知ったことで、初めて比較の形が少し見えた。
自分はレベルだけなら2人より低い。
それでも筋力ではグランを大きく越え、敏捷ではミレアより高く、魔力出力でもA級前衛としてかなり高いところへいる。
《越境》がどれだけ普通の成長則から外れているのか、数字として見せられたのは初めてだった。
◇
午後の実地試験は、ミレアとの模擬戦になった。
ただし勝敗を競うためではなく、A級冒険者を相手にした時の判断と技術を見ることが目的であり、《衝撃》の高出力使用は禁止、刺突も寸止め、危険と判断された時点で即終了という条件が付けられている。
「数値ではあなたの敏捷が上だったけど、戦闘ではそのままにならないからね」
ミレアが片手剣を抜く。
「分かってます」
「そこを分かってるならいいわ」
エイルも長剣を抜いた。
開始。
先に動いたのはミレアだった。
速い。
測定室を走った時より明らかに速く見える。
実際の身体速度だけではない。
予備動作が小さい。
どの方向へ踏み込むのか分からないまま距離だけが縮まり、細身の剣がエイルの左肩へ向かう。
《近域感知》が軌道を拾う。
長剣で受ける。
その瞬間、ミレアの剣から力が消えた。
受けたはずの刃が滑る。
次には手首へ入ってくる。
エイルは柄を捻って防ぐ。
さらに蹴り。
避ける。
「いい反応」
ミレアが短く言いながら攻撃を繋げる。
速さだけなら追える。
しかし技術が違う。
1つの攻撃を見せて、その反応を使って次の位置へ誘導してくる。
エイルが初撃を防ぐ頃には、ミレアはすでにその次に何をさせたいかまで決めている。
面白い。
エイルは自然と口元を少し緩めた。
ここ10日、身体を治すことを優先していたため、ここまで技術的に上の相手と剣を合わせるのは深層循環獣戦以来だった。
巨大な魔物とはまったく違う。
人間は小さい。
その代わりに、考える。
隠す。
騙す。
グランが以前言っていたことの意味が、少し分かる。
ミレアが右から斬るように見せる。
違う。
右脚の魔力は前へ出ていない。
左。
エイルは見えている剣ではなく、《近域感知》で拾った身体の重心へ反応した。
半歩だけ踏み込む。
ミレアの剣が予定していた軌道を作る前に、エイルの長剣がその内側へ入った。
細身の剣と長剣が交差する。
今度はエイルが押す。
ミレアは力比べをせず、剣を回して外へ流した。
そこから互いに数歩離れる。
「今の、目じゃないわね」
「近くだと動きが少し分かるので」
「少し、ね」
ミレアの表情が変わった。
さっきまでは試していた。
今度は本気で技術を使うつもりらしい。
エイルも長剣を構え直した。
《身体強化》はまだ使わない。
数値で自分が上回っている部分があることは分かった。
だからこそ、数字だけで勝てない相手と戦える方が得るものは大きい。
模擬戦はそこからさらに続き、最終的には互いの剣がほぼ同時に首元へ届く形になったところで、ハルゼンが終了を告げた。
勝敗は付けない。
ただ、ミレアは剣を鞘へ戻したあと、エイルへ向かってはっきり言った。
「少なくとも、A級と戦えるかどうかを心配する必要はないわね。今のあなたは、経験で崩せる部分こそまだあるけど、身体能力だけで無理やり押してくるタイプでもない」
「ありがとうございます」
「それと、もう1つ」
「はい?」
「次に会う時は、今より強くなってそうなのが一番嫌」
グランが少し離れたところで笑った。
「10日後でも多分変わってるぞ」
「冗談じゃなさそうなのが困るわね」
◇
すべての査定が終わった夕方、ハルゼンはギルド2階の会議室で記録をまとめ、最後にエイルを呼んだ。
「本日の結果は、中央支部へ即日送付します。正式な承認には数日必要ですが、私個人の査定結果だけ先に伝えておきましょう」
エイルは黙って待つ。
ハルゼンは記録板を閉じた。
「A級直接昇格を推薦します」
ガレスが小さく息を吐き、グランは予想通りだという顔をした。
エイル自身は嬉しさより先に、少し不思議な感覚を覚えた。
C級になったのも、まだ最近だ。
それがもう、A級まで届こうとしている。
「ただし、正式決定まではC級として扱います。中央の承認が来るまでは、A級依頼へ勝手に手を出さないように」
「分かりました」
「素直ですね」
「勝手に受けたら怒られますから」
「そこを理解しているなら結構です」
会議室を出たあと、エイルは階段を降りながら、今日初めて知った数字を頭の中で整理していた。
グランはLv.57。
ミレアはLv.74。
自分はLv.41。
それでも測定値だけなら、すでにA級へ届いている項目が複数ある。
今まで自分の成長が速いことは理解していたつもりだったが、比較対象を数字として並べてみると、その異常さは思っていた以上にはっきりしていた。
それでも、そこで満足する気はない。
深層循環獣との戦いでは、今の全力でも足りない瞬間が確かにあった。
A級へ届いたからといって、世界の端へ届いたわけでもない。
むしろA級になれば、それまで入れなかった場所へ行けるようになる。
今まで地図の上から眺めるしかなかった危険域や、一般の冒険者には依頼そのものが公開されない未踏調査にも手が届く。
エイルはギルド1階の壁に掛かっている大陸地図を見上げ、その外側に残された広い空白へ視線を移した。
リューデ湖で得たものは大きかったが、この場所だけで旅を終えるつもりは最初からない。
正式な昇格が決まり、湖での後始末が一区切りつけば、次はもっと遠くへ進むことになる。
その旅が数週間続くのか、数か月になるのかはまだ分からないものの、次に誰かと再会する頃には、エイルだけでなく彼らもまた今とは違う場所へ進んでいるはずだった。




