第69話 前例のない査定
第五管理区で深層巨大個体が完全に動かなくなったあと、エイルたちが地上へ戻るまでには、行きに掛かった時間の倍近くを要した。
戦闘そのものは終わっていたが、崩落した下り通路を負傷者を抱えたまま抜け、さらに西部保守口まで移動しなければならず、何よりエイル自身が自力で歩けると言い張るたびにレイアとグランから止められたため、最終的には右肩を固定した状態でボルクに半ば強制的に支えられて戻ることになった。
「本当に歩けますって」
「歩けるかどうかと、歩かせていいかどうかは別だ。黙って掴まってろ」
「右脚も一応動きます」
「その右脚、さっきから体重掛けるたび顔が引きつってんだよ」
「そんな顔してますか?」
「してる。あと、お前が『大丈夫』って言った回数を誰か数えとけ、今後は多いほど信用しないことにする」
ボルクに言われ、エイルは諦めて肩を借りた。
反対側を歩くグランも決して無傷ではなく、巨大個体の前脚を正面から受けた際に左腕と背中を痛めていたが、それでもエイルよりは余裕があるらしく、ときおり横目でこちらを見ては何か言いたそうな顔をしている。
「何ですか?」
「いや、お前がさっき俺たちに何て言ったか思い出してただけだ」
エイルは一瞬だけ黙った。
「……あれは、すみませんでした」
「謝るくらいなら最初から言うな、と言いたいところだが、あの状況じゃ俺も悪かった。戻ったらお前が全力を出せないって分かってたのに、置いていく判断ができなかったからな」
「でも、邪魔は言いすぎました」
「そこは間違いなく言いすぎだな」
グランが笑い、少し前を歩いていたセナまで振り返った。
「私、瓦礫の向こうまで聞こえたよ。普段あんなに丁寧なのに、急に『邪魔だ』って怒鳴るから何事かと思った」
「忘れてください」
「無理じゃない?」
「無理だな」
ボルクとグランの声が重なり、エイルはそれ以上この話題へ触れないことにした。
自分でも、あの時どうしてあれほど声を荒げたのかはよく分かっている。
怖かったからだ。
巨大個体そのものより、グランやボルクが戻ってきたことで、今度こそ誰かを守りきれなくなることの方が怖かった。
だから、行ってほしかった。
相手を気遣って言葉を選んでいる余裕がなくなるほど、本気で。
結果として全員が生きて戻れているなら、恥ずかしさくらいは我慢するしかなかった。
◇
西岸へ上がったところで待っていた救護班は、最初にグランを運ぼうとして、その直後にエイルの状態を見て優先順位を変えた。
外套は巨大個体の黒い血で広範囲が汚れ、その下には本人の血も混ざっている。右肩は一度脱臼して自分で戻しており、肋骨には少なくとも二ヶ所の亀裂、右脚の筋肉には高密度の身体強化を繰り返したことによる損傷が見られ、腕や背中にも打撲と細かな裂傷が残っていた。
幸い内臓への深刻な損傷はなく、応急治療と治癒術を受ければ命に関わる状態ではない。
それでも、治療を担当した白髪混じりの軍医は診察を終えるなり、かなり険しい顔をした。
「これで『少し痛む』と言っていたのか」
「動けたので」
「動けるかどうかを基準にするな。肋骨が割れても動く奴は動くし、脚の筋肉が裂けても興奮していれば走る奴は走る。お前みたいなのが一番あとで悪化する」
「すみません」
「今日は絶対安静だ」
「明日は?」
「話を聞いていたか?」
怒られた。
結局その日は西岸の臨時救護所から動くことを禁じられ、エイルは簡易寝台の上で右肩と胸部を固定されることになった。
グランも隣の寝台で治療を受けていたが、こちらは腕の打撲と背中の筋損傷が中心で、治癒術を受け終えると上半身を起こして普通に話せる程度まで回復している。
「で」
グランが唐突に口を開いた。
「何ですか?」
「最後、どうやって倒した」
エイルは少し考え、隠す必要のない範囲だけ説明した。
「深層循環核から魔力を受けてたので、まず身体の中にある供給路を二ヶ所切りました。それでも背中へ魔力が集まったので、最後は胸の中にあった大きな魔力反応へ剣を刺して、《衝撃》を内部で放ちました」
「さらっと言ってるが、外から見えない魔力路をどうやって探した?」
「剣から《振動感知》を通して、《魔力感知》と合わせました」
「それで?」
「見つけました」
グランは数秒ほど黙った。
「……技能を組み合わせる発想が変なんだよな、お前」
「便利ですよ?」
「便利なのは分かる。普通はそこまで並行して使えねえんだよ」
エイルは返事に困って視線を逸らした。
戦闘の後半では、自分でもどこまでの技能を同時に動かしていたか正確には覚えていない。
《近域感知》と《危機感知》を維持し、《振動感知》と《魔力感知》で相手の内部を読み、《身体強化》と《魔力圧縮》を重ねて高密度強化へ繋げ、さらに剣と足元では別々の《衝撃》を使っていた。
以前なら、それだけの処理を考えただけで動きが止まっていたはずだった。
今は戦闘中に必要だと思えば、自然と同時に扱えている。
それも《越境》が上がった影響なのかもしれない。
エイルは他人から見えない状態板を開き、戦闘後に上がった数字を簡単に確認した。
【エイル・アーネット】
【Lv.41】
その下には以前より大幅に伸びた能力値と、二十台まで育った技能が並んでいる。
ただ、今ここで細かく確認する気にはならなかった。
数字を見るより先に、身体の方が強くなったことを理解している。
巨大個体との戦闘開始時と終了時で、自分の動きがまるで違っていたからだ。
状態板を閉じたところで、救護所の外が急に騒がしくなった。
◇
深層巨大個体の死体をその日のうちに地上へ運び出すことは不可能だったため、領軍と学院は第五管理区へ再び確認班を送り、死体の計測と素材の採取、深層循環核との接続状態の調査だけを行った。
その第一報が届いたのは夕方だった。
救護所へ入ってきたレイアは、手にした報告書を見ながら、寝台にいるエイルとグランの前で立ち止まった。
「まだ正式確定ではないが、学院魔物研究班から暫定評価が出た」
「早かったな」
グランが聞き返す。
「現場に残った血液、甲殻、魔力核反応、それと戦闘記録を照合した結果だ。既知種との一致はなく、新種として扱われる可能性が高い」
「危険度は?」
グランの声が少し低くなる。
レイアは報告書を一枚めくった。
「単体討伐難度、A級上位相当。深層循環核から供給を受けていた状態まで含める場合は、複数のA級を前提とした討伐対象として再評価が必要だそうだ」
エイルは目を瞬いた。
「A級?」
「少なくとも研究班はそう判断している。岩甲牙獣の群れが逃げる理由も説明できるし、B級のグランが正面から押し負けた記録もある。加えて、口から放つ水圧は地上なら一区画単位で被害が出てもおかしくない」
「……俺一人なら、正直倒せるとは言えねえな」
グランが素直に認めた。
「事前に性質を全部知って、対大型装備を揃えて、相性のいい仲間が何人かいれば話は変わるが、今日と同じ条件で一対一をやれと言われたら断る」
レイアが頷き、続けてエイルを見る。
「その対象を、最終的には単独で撃破した」
「途中までは皆さんがいました」
「戦闘記録上、グランたちが退避した時点で巨大個体は戦闘可能状態を維持しており、その後に深層循環核からの魔力供給も増大している。少なくとも討伐の中心が誰だったかで議論にはならない」
「でもランクって、戦闘力だけじゃ決めないですよね」
「そこまで理解しているなら話は早い」
レイアは少し笑った。
「だから私から何か決めることはない。ただ、ギルド側がかなり面倒なことになっている」
「面倒?」
「ガレスが今頃頭を抱えているはずだ」
◇
実際、その頃リューデン冒険者ギルドでは、ガレスが本当に頭を抱えていた。
机の上には、エイルがC級へ昇格した際の審査記録と、今回の深層調査に関する速報が並んでいる。
C級昇格。
それ自体が、まだ二週間も前ではない。
ところが現在の報告書には、B級冒険者でも単独討伐困難と証言したA級上位相当の未知個体を、エイルが単独で撃破したと記されている。
さらに問題なのは、今回だけ偶然相性が良かったわけではないことだった。
深湖甲獣。
古代守衛機。
水門事故での救助。
中央街路での岩甲牙獣群討伐。
地下深部の探索判断。
そして、今回の十三人全員の生還。
ガレスの向かいにはヴァルトが座っていた。
「Bに上げるだけなら、推薦書一枚で済むか?」
ガレスが聞く。
「実績だけなら十分すぎる。むしろCのまま置いておく理由を探す方が難しい」
「だよな」
「ただ、お前が悩んでるのはBじゃないんだろ」
ガレスは返事をせず、机上の紙を一枚ヴァルトへ滑らせた。
そこには、今回の討伐対象について学院側が出した暫定評価が記されている。
ヴァルトは読み終えると、小さく息を吐いた。
「A級上位相当か」
「しかも完全な単独じゃないにしても、最後は一人で仕留めた。おまけに現場判断で十二人を退避させ、自分が殿に残ってる。戦闘だけじゃなく、C以上で要求される判断と責任まで見せちまった」
「だからAを考えてる?」
「考えてるだけだ。そんなこと簡単に決められるか」
冒険者のランクは、単純に強ければ上がるものではない。
B級以上になれば大型討伐だけでなく、複数班の合同依頼、重要人物の護衛、災害時の指揮補助など、ギルドから任される仕事そのものが変わる。
A級ともなれば、一人の冒険者ではなく地域単位の戦力として扱われる。
十六歳。
登録してから、まだ長い時間が経っていない。
それを理由に止めるのも制度としては正しくないが、実績の重さだけ見て一気に二段階上げるのも、前例を探すところから始めなければならないほど異常だった。
「過去にCからAへ飛ばした例は?」
「俺が確認できる範囲じゃない。DからBなら戦争期に二件あるが、CからAは中央へ照会しないと分からん」
「無いと思って動いた方がいいな」
「俺もそう思う」
ガレスは椅子へ深く座り直した。
「問題は戦闘力だけじゃない。あいつ、登録からここまで大きな判断ミスをほとんどしてないんだよ。無茶はするが、他人を巻き込む無茶じゃないし、撤退命令も最近はちゃんと聞く」
「最近は、な」
「そこ強調するな」
ヴァルトが笑ったあと、少し真面目な表情になる。
「少なくともB級審査を普通にやらせる意味は薄い。俺がC級昇格の時に相手したが、あの時点ですらCの試験内容を越えてた。今やったところで、審査というより確認作業になる」
「なら特例審査か」
「Aまで見るなら、それしかないだろうな。中央支部から審査員を呼んで、今回の記録も全部出す。それでB相当じゃなくA相当まで認められるなら、あとは前例の問題だ」
ガレスは机の上にあるエイルの登録記録を見る。
村を出たばかりの十六歳。
最初はそれしか書くことがなかった少年の記録が、わずかな期間で別人のもののように増えている。
「……中央へ送るか」
「送るんだな?」
「Cのまま置いといて、次にどこかのA級依頼へ勝手に突っ込まれる方が困る」
「それは確かに」
ガレスは推薦書を引き寄せた。
ただし、昇格先の欄へすぐA級と書くことはせず、その代わり特例査定を求める文言を入れる。
最終判断はまだ先だ。
それでも、通常のB級昇格ではなく、A級までを視野に入れた査定が中央へ送られた時点で、ギルド内部では十分に前例のない事態だった。
◇
その話をエイルが聞いたのは、翌朝になってからだった。
治癒術が効いたことで肋骨と肩の痛みはかなり引き、右脚も歩くだけなら問題ない程度まで戻っていたが、軍医からはもう一日激しい運動を禁止されている。
そんな状態で朝食を食べていると、ガレス本人が救護所へ入ってきた。
「調子は?」
「だいぶいいです」
「昨日より信用できそうな顔だな」
ガレスは近くの椅子へ座る。
「一つ確認したい。お前、ランクに興味あるか?」
「急ですね」
「いいから答えろ」
エイルはパンを置き、少し考えた。
「上がれば受けられる依頼が増えるので、上がるなら嬉しいです。でもランクを上げるために冒険してるわけではないです」
「だと思ったよ」
「何かあるんですか?」
「今回の件で、お前のランクを再査定する」
「B級ですか?」
ガレスはすぐには答えなかった。
その間が気になり、エイルが首を傾げる。
「普通ならBだ。実績も戦力も十分だし、そこについてはもう議論する気もない」
「普通なら?」
「中央へ、A級まで含めた特例査定を申請した」
エイルはしばらくガレスの顔を見た。
「……僕、今C級ですよね」
「知ってる。俺が上げたからな」
「CからAって、できるんですか?」
「俺も知らん」
「知らないんですか?」
「だから中央に聞いてるんだよ」
ガレスは苛立ったように言ったが、その原因がエイルではないことくらいは分かる。
「前例がほとんどない。少なくともこの支部の記録にはないし、王国内全体でもあるかどうか中央で確認中だ。ただ、今のお前を一度Bへ上げて、形式だけ整えて数ヶ月後にまたA級審査をやるのも馬鹿らしいという意見が出てる」
「そんなにですか?」
「A級上位相当の魔物を倒した本人が言うな」
「でも、一人で最初から倒したわけじゃないですし」
「その辺も全部含めて審査する。だからまだAになったわけじゃない。ただし、普通のB級昇格試験を受ける可能性はかなり低い」
エイルは驚いてはいたものの、しばらくすると視線が窓の外へ向いた。
「A級になったら、遠い場所の依頼も増えますか?」
ガレスは一瞬言葉を失った。
「……お前、最初に気にするところそこか?」
「高いランクじゃないと入れない場所もありますよね」
「ある。国境外の危険域や、未踏域寄りの調査はB以上を条件にするものも多いし、Aならほぼ全部候補に入れる」
その答えを聞いた途端、エイルの目に分かりやすく興味が浮かんだ。
ガレスはその表情を見ながら、少しだけ後悔した。
「先に言っておくが、昇格した翌日に一人で最危険区域へ出るなよ」
「まだ昇格してませんよ」
「その返しをする時点で、もう行く場所考えてるだろ」
否定しなかった。
リューデ湖へ来た時、エイルはまだD級だった。
湖の地下へ未知の施設があることを知り、潜水を覚え、古代守衛機と戦い、身体強化を得て、地下街を見つけ、最後には深層の巨大個体まで倒した。
その間にC級へ上がり、今度はA級までを含めた査定の話が出ている。
普通なら、速すぎる。
エイル自身にもそう思える。
それでも奇妙なことに、強くなりすぎたという感覚はなかった。
地図にはまだ空白がある。
リューデ湖の地下ですら、深層循環核より下に未確認の空間が残されているし、この湖を離れれば、もっと広い未知が待っている。
そこへ進むために今の強さでは足りない場所が、いずれ必ず出てくる。
巨大個体との戦いで、《越境》は一段上がった。
だからこそ次に越える境界は、今回よりさらに遠くなるはずだった。
エイルはガレスから渡された特例査定の通知書へ目を落としながら、ランクそのものより、その先で新しく入れるようになる場所の方を考えていた。




