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第65話 深層の主

 深部調査当日の朝、西岸の集合地点へ到着したエイルは、湖面から伸びる水上遺跡の石柱を見ながら、薄く展開している《近域感知》の状態を確かめていた。


 以前なら北岸から湖底へ潜り、中央導水路を抜けたうえで八十メートル近い縦穴を降りなければ地下街へ辿り着けなかったが、西部保守口が開通したことで経路は大きく短縮され、今日は潜水装備だけでなく地上戦用の武器や救護用品まで十分に持ち込めるようになっている。


 参加者は十三人で、領軍からはレイアを含む六人、学院から研究者三人、冒険者はB級のグラン、C級のボルクとセナ、それにエイルが加わる。


 グランは背中へ巨大な両手剣を負い、ボルクは大盾と片手斧、セナは二本の曲刀に加えて投擲用の短刃まで装備しており、これまでの調査班より明らかに戦闘を意識した編成だった。


 エイル自身も長剣と青鋼の短剣を確認しながら、《危機感知》を意識の奥へ薄く残し、その外側へ《魔力感知》と《振動感知》を広げている。


 近距離だけは《魔力圧縮》の感覚を応用し、数メートルの範囲へ感知密度を寄せていた。


 右後方ではセナが曲刀の留め具を直し、少し離れた場所ではグランが両手剣の固定を確かめている。視線を向けなくてもその程度なら自然に分かるようになり、エイル自身も昨日覚えたばかりの技能とは思えないほど馴染んできた感覚があった。


「もう使ってるの?」


 背後からセナが近づいてきたため、エイルは振り返る。


「《近域感知》ですか? 起きてからずっと薄く残してますよ」


「昨日覚えたばかりなのに、もう常時使う前提なんだ」


「強く使わなければ、ほとんど疲れないんです。それに、長く使っていた方が慣れると思うので」


「その理屈で本当に一日ごとに強くなるから嫌なんだよね」


 呆れたように言いながらも、セナは少し楽しそうに笑って離れていった。


 その直後、視界の端へ表示が浮かぶ。


【《近域感知 Lv.2 → Lv.3》】


 昨日の夜にはまだ意識し続けなければ維持できなかった技能が、今朝には会話や装備確認をしながらでも自然に残せるようになっている。


 以前から成長が速い自覚はあったが、最近は新しい技能を覚えた直後の伸び方そのものが明らかに変わっていた。


     ◇


 西部保守口から地下街へ入った一行は、装備を整えるとほとんど足を止めず中央街路へ向かった。


 入口から中央圧力制御塔までの経路はすでに何度も通っており、大型魔物の巣や崩落しやすい場所も地図へ記録されているため、以前のように一つひとつの建物を確認する必要はない。


 エイルは隊列の前方を歩きながら、遠距離には薄い《振動感知》と《魔力感知》を、近距離には高密度の《近域感知》を維持し、それらの上へ《危機感知》を重ねていた。


 すべてを同じ強さで使えば情報量が増えすぎるが、遠くについては大きな変化だけを拾い、十メートルほどまで近づいたものだけを詳細に見るようにすると負担はかなり小さい。


 百メートル以上先の路地で何か小型の生物が動いたことは分かるものの、それがこちらへ向かわない限り意識には上げない。一方、仲間が近くで剣の柄へ触れたり、歩調を変えたりすれば、そちらは視界を使わなくてもかなり鮮明に伝わってくる。


 それぞれ独立していた技能が、少しずつ一つの感覚へ繋がり始めている。


【《振動感知 Lv.13 → Lv.14》】


【《近域感知 Lv.3 → Lv.4》】


 歩いているだけで二つの技能が上がり、エイルは表示を確認してからすぐ前方へ視線を戻した。


「また何か上がったな?」


 隣を歩いていたグランが言う。


「どうして分かるんですか?」


「お前、表示が出た時だけ一瞬目が止まるんだよ。中身まで聞く気はないが、今日だけでまた何か伸びてるんだろ」


「少しだけです」


「その『少し』を信用する奴は、もうこの辺には残ってないぞ」


 グランが笑い、少し前を歩いていたレイアまで小さく肩を揺らした。


 やがて中央圧力制御塔が見えてくる。


 巨大な柱を囲む金属環は以前と変わらずゆっくり回転しており、その向こうには三本の通路が伸びている。


 今日進むのは、その中で唯一さらに下へ向かう道だった。


 青緑色の灯りが途中まで並んでいるものの、傾斜の先は暗闇へ沈み、地図にも何も書かれていない。


「ここから先は未調査区画になる」


 レイアが全員を集め、簡潔に確認する。


「巨大個体は今朝の観測では南東側にいる。エイル、今の位置からでも拾えるか?」


「大まかには分かります」


 床へ手をつかず、そのまま意識を深部へ伸ばす。


 巨大な反応は確かに存在する。


 以前より《振動感知》が成長したことで、完全な位置までは分からなくても、その質量が動くたび地面を通して伝わる大きな揺れだけなら歩きながらでも拾えた。


「かなり遠いですし、今のところこちらへ向かっている感じもありません」


「なら予定通り進む。第五区画の入口を確認したら、それ以上欲張らず戻るぞ」


 隊列が組み直され、グラン、レイア、エイルが前へ入り、研究者三人をボルクと領軍兵が囲み、セナが後方を担当する。


 十六歳でC級になったばかりのエイルが、B級冒険者と領軍副隊長に並んで未知の深部へ入る形になったが、今では誰もその配置を不自然だとは思っていなかった。


     ◇


 下り通路は予想以上に長く、最初は緩やかだった傾斜も、二百メートルほど進む頃にははっきり地下へ降りていると分かるほど深くなっていた。


 壁面は街路より坑道に近い形へ変わっているものの、規則正しい金属枠や床下を走る太い管が残っているため、自然にできた洞窟ではないことだけは明らかだった。


 ところどころで地面の下から大量の水が流れる音も聞こえてくる。


「現在地点で、西部保守口の床より六十メートル以上下がっています」


 学院研究者が測定器を確認しながら言うと、ボルクが周囲を見回した。


「地下街そのものが湖底より下にあるのに、そこからさらに六十メートルか。どこまで掘ったんだ、これ」


「まだ下がありそうですよ」


 エイルが何気なく答えると、ボルクが嫌そうな顔をする。


「そういうこと普通に言うなよ。お前の感知で言われると、本当にありそうだから怖い」


 さらに進んだところで、《近域感知》の左側に小さな違和感が入った。


 危険ではない。


 それでも、周囲の石壁とは違う魔力と振動が僅かに動いている。


「少し止まってください。左の壁の中で何か動いてます」


 レイアがすぐ剣へ手を掛ける。


「生物か?」


「多分、機械です。魔力はありますけど、危険な感じはしません」


 エイルが壁へ触れると、その向こうに人一人が通れる程度の空洞があり、さらに内部では歯車のようなものが非常にゆっくり回転している。


 研究者が調べた結果、壁面に扉らしき細い継ぎ目も見つかったものの、今日は開けず位置だけを記録して先へ進むことになった。


 こうして歩く間にも、複数の探知技能を重ねる感覚はさらに自然になっていく。


 遠方の大きな振動を拾いながら、近くでは仲間一人ひとりの足運びまで分かる。レイアが左へ意識を向け、グランが剣の柄へ触れ、後方でボルクが研究者の歩幅へ速度を合わせるといった細かな変化まで、視界とは別の場所へ薄く像を作るように伝わってくる。


【《近域感知 Lv.4 → Lv.6》】


【《魔力感知 Lv.18 → Lv.19》】


【《危機感知 Lv.20 → Lv.21》】


 成長するたびに情報の境界が滑らかになり、自分の周囲だけなら背後という概念そのものが薄くなり始めていた。


     ◇


 下り通路へ入ってから四十分ほど経った頃、長く続いていた坂が唐突に途切れ、その先へ地下街で見てきたどの区画より巨大な空間が広がった。


 天井までは五十メートル近くあり、横幅は照明石の光が端まで届かないほど広い。


 中央には直径数十メートルの円形構造物が半分ほど床へ埋まり、その周囲を幅十メートル近い水路が幾重にも取り囲んでいた。


 壁面に残された青白い結晶灯は、これまでの区画より数が多く、長い年月が経っているにもかかわらず、巨大構造物の輪郭を十分に確認できるほどの光を放っている。


 研究者たちが入口付近から古代文字を読み取る。


「《第五管理区・深層循環核》……おそらく、そう書かれています」


「深層循環核?」


 レイアが中央構造物を見る。


 外見上は停止しているように見えるが、エイルには内部からごく弱い魔力と規則的な振動が伝わっていた。


「完全には止まってません。中で何か動いてます」


「巨大個体はどうだ?」


 今度はグランに聞かれ、エイルは深部へ意識を伸ばす。


 巨大反応はまだ遠い。


「今のところ位置はほとんど変わってません。この区画へ来ている感じもないです」


「なら十五分だけ調べる。それ以上は残らない」


 レイアの指示で研究者たちが動き始め、中央構造物そのものへは不用意に近づかず、外周の文字、水路、接続している通路の位置だけを記録していく。


 エイルも周囲を警戒しながら少しずつ移動していたが、やがて中央構造物の真下から返ってくる振動に違和感を覚えた。


 深い。


 今いる床よりさらに下へ、複数の空間が伸びている。


 エイルはその場へしゃがみ、片手を石床へ触れた。


「中央の下にも通路があります。それも一本じゃなくて、何本か分かれてます」


「まだ下があるのか?」


 グランが近づいてくる。


「かなり深いです。水路みたいなものもありますし、縦方向へ大きく空いてるところも――」


 そこまで言ったところで、《危機感知》が弱く反応した。


 最初は気のせいかと思う程度だった。


 ところが数秒もしないうちに反応が明確になり、それとほぼ同時に、遠くで感じていた巨大な振動の位置まで変わり始める。


 エイルは立ち上がった。


「全員、止まってください」


 声の変化に気づいたのか、研究者まで即座に動きを止めた。


「巨大個体か?」


「はい。さっきまで南東側にいたのに、北へ動いてます。それも、今までよりかなり速いです」


 レイアは確認を重ねなかった。


「撤収する。記録をまとめて、全員下り通路へ戻れ」


 研究者が器具を回収し、ボルクがそのうち一人の荷物を受け取る。


 一行が出口へ向かい始めた直後、地下空間全体へ低い揺れが走り、中央を囲む水路へ大きな波紋が広がった。


 次の振動はさらに近い。


 巨大個体が一歩動くたび、距離が明確に縮まっている。


「かなり速いです! このままだと接触します!」


 エイルが声を上げる。


「走れ!」


 グランの声とともに、十三人が一斉に出口へ向かった。


     ◇


 第五管理区の出口までは百メートルほどしかない。


 しかし、巨大個体が近づく速度は予想よりはるかに速かった。


 エイルは隊列の後方へ少し下がりながら、何度も深部側へ感知を伸ばす。


 巨大な接地。


 次の一歩。


 さらに次。


 今まで遠距離から拾っていた時には、巨大だから動きも遅いのだと思っていた。


 実際には違う。


 普通に歩いているだけで一歩の距離が長すぎる。


「あとどれくらいだ!」


 グランが走りながら聞く。


「正確には分かりません! でも、数分なんてありません!」


 その時、右側の水路から複数の振動が跳ね上がった。


 エイルの《近域感知》が先に反応する。


「右から来ます!」


 水面を割って、細長い地下魔物が二体飛び出した。


 巨大個体から逃げているらしく、人間を獲物として狙った動きではなかったが、混乱したまま隊列へ突っ込んでくる。


 一体はレイアが走りながら首元へ剣を通し、もう一体はグランが両手剣を横薙ぎに振って頭部ごと叩き飛ばした。


「止まるな、そのまま出口へ!」


 誰も死体を確認しないまま走り続ける。


 出口まで残り五十メートルを切ったところで、《危機感知》が今までにないほど強く跳ね上がった。


 エイルが振り返る。


 第五管理区の反対側にある巨大な石壁が、内側から一度大きく膨らんだ。


 次の瞬間には何本もの亀裂が走り、そのさらに奥から凄まじい衝撃が加わる。


「壁が来ます! 散って!」


 叫びと同時に石壁の一部が吹き飛び、何十トンあるかも分からない石材が水路と床へ降り注いだ。


 その向こうから最初に現れたのは、建物の柱よりさらに太い前脚だった。


 灰黒色の甲殻で覆われた脚が石床へ触れただけで周囲に亀裂が広がり、続いて低い頭部と、岩盤を幾重にも重ねたような背中が壊れた壁の向こうから姿を見せる。


 以前は暗闇越しに一部しか見えなかった。


 今度は全身が見える。


 頭部から尾の付け根まで三十メートル近くあり、肩の位置だけでも三階建ての建物を越えそうな巨体だった。


 その身体を覆う甲殻は岩甲牙獣とは比較にならないほど厚く、青白い二つの目だけが暗い頭部の奥で異様に明るく輝いている。


 誰もすぐには声を出さなかった。


 巨大個体が人間たちへ顔を向ける。


 その瞬間、《危機感知》が身体の内側を刺すような強さで警告を発した。


「走ってください!」


 エイルの声で全員が再び動く。


 巨大個体が前脚を持ち上げた。


 あの巨体からは想像できないほど速い。


 叩きつけられた脚そのものは誰にも当たらなかったが、床へ生まれた衝撃だけで石畳が数メートル単位に割れ、研究者の一人が足元をすくわれて転倒した。


 ボルクがすぐ腕を掴んで引き起こす。


「このままじゃ追いつかれるぞ!」


 ボルクが叫び、グランが一度だけ後ろを確認する。


 巨大個体はすでに次の一歩へ入っていた。


     ◇


 グランが突然足を止めた。


「俺が一発受ける! 研究者を先に通路へ入れろ!」


「グランさん!」


「こういう時に残るためのB級だ! お前は後ろを見ろ!」


 そう言いながら両手剣を構えると、グランの全身へ大量の魔力が流れ始めた。


 エイルと模擬戦をした時とは比較にならない。


 身体強化だけではなく、両手剣そのものへまで強い魔力が集まっている。


 巨大個体の前脚がグランへ向かって振り下ろされた。


「《重断》!」


 両手剣が下から跳ね上がり、巨大な前脚へ正面からぶつかる。


 衝突音だけで周囲の空気が震えた。


 グランは確かに一瞬だけ攻撃を止めた。


 しかし次の瞬間には両手剣ごと身体を押し切られ、十メートル近く後方へ吹き飛ばされる。


「グラン!」


 ボルクが叫ぶ。


 石床を何度も転がったグランは、それでもすぐ片膝をつき、折れていないことを示すように片手を上げた。


「俺は動ける! 先に行け!」


 B級冒険者が本気で受けて、それでも一撃で飛ばされた。


 その事実を考えている余裕はない。


 巨大個体はグランから視線を外し、研究者を支えながら走っているボルクへ頭を向けた。


 エイルには、次に何が起きるか分かった。


 自分が避ければ、そのまま後ろへ届く。


 だから迷わず地面を蹴った。


 脚と腰へ《身体強化》を集中させ、さらに《魔力圧縮》で必要な箇所へ密度を寄せる。最後に足元へ《衝撃》を重ねると、一歩目だけで身体が一気に前へ押し出された。


【《身体強化 Lv.15 → Lv.16》】


【《魔力圧縮 Lv.7 → Lv.8》】


 表示は視界に浮かんだまま流れていく。


 エイルはボルクと巨大個体の間へ割り込み、両手で長剣を構えた。


「エイル!」


 巨大な頭部が横から振られる。


 長い牙と甲殻が、壁そのもののような質量で迫ってくる。


 エイルは避けなかった。


 全身へ《身体強化》を流し、そのうえで脚、腰、背中、肩、腕へ圧縮した魔力を順番に繋ぎ、長剣の腹を巨大個体の頭部へ斜めに合わせる。


 衝突した瞬間、視界が大きく揺れた。


 腕だけでは支えられないほどの力が入り、足元の石床が靴の下から砕けていく。


 身体が後方へ押された。


 一メートル、さらに二メートルと滑り、三メートルを越えても勢いは落ちない。


 エイルは歯を食いしばりながら脚へ流す魔力を増やし、背中と肩へ掛かる負担を《身体強化》で支える。


 四メートル近く押されたところで、ようやく止まった。


 巨大な頭部と、一本の長剣を挟んで正面から押し合う。


 腕が軋み、肩には明確な痛みが走り、脚は砕けた石床へ半ば沈んでいたが、それでもエイルは倒れなかった。


「……止めたのか」


 後ろでボルクが息を呑む。


「先に行ってください!」


「でも、お前一人で――」


「今は持ちます! 研究者を先に!」


 エイルが声を上げると、ボルクは一瞬だけ迷ったあと研究者を抱え直し、出口へ向かって走った。


 巨大個体はさらに力を加えてくる。


 正面から押し切るのは無理だ。


 それなら、力そのものを受け続ける必要はない。


 《近域感知》で頭部の動きを拾い、長剣を通して伝わる振動から押してくる方向を読む。


 相手の力が僅かに右へ寄った瞬間、エイルは真正面の抵抗をやめて剣の角度を変えた。


 巨大個体の頭部が外側へ流れる。


 その勢いを利用して身体を横へ抜き、エイルは一歩踏み込んだ。


 狙うのは首。


 長剣を全力で振り抜く。


 刃は甲殻へ食い込んだものの、岩甲牙獣なら断ち切れていた力を受けても数センチしか入らなかった。


 硬い。


 それでも、剣先は入った。


 なら十分だった。


 エイルはすでに胸元で圧縮していた魔力を右腕へ送り、長剣の青鋼を通して刀身の奥へ流す。


 外殻の表面を砕くためではない。


 刃が届いたその先へ、圧縮した《衝撃》を直接送り込む。


「《衝撃(インパクト)》」


 低く重い破裂音が巨大個体の首の内部で響いた。


 巨体が初めて明確に揺れ、甲殻の隙間から黒い血が噴き出す。


「通った!」


 グランが遠くから叫ぶ。


 ただし、傷はエイルが期待したほど深くない。


 人間や岩甲牙獣なら致命傷になっていた出力を内部へ直接入れても、巨大個体は一歩よろめいただけだった。


 《危機感知》が鋭く反応し、エイルは長剣を引き抜いて後ろへ跳ぶ。


 直後、巨大な前脚がさっきまでいた場所へ叩きつけられ、石床が大きく陥没した。


「エイル、戻れ!」


 レイアの声が聞こえる。


 研究者たちはほとんど出口へ到達している。


 グランもすでに立ち上がっていた。


「はい!」


 エイルも下り通路へ向かって走り始める。


 ところが、その途中で第五管理区の中央から、それまで聞いたことのない低い作動音が響いた。


 深層循環核の表面へ青白い光が走り、幾重にも重なっていた金属部が一つずつ動き始める。


「循環核が……!」


 研究者の一人が足を止めかけ、レイアに背中を押される。


「見るのは後だ、走れ!」


 巨大個体も変化していた。


 エイルたちを追っていた動きを止め、深層循環核へ頭部を向ける。


 青白い光が強くなるにつれて、巨大個体の身体は細かく震え始め、その奥から低い唸り声が漏れていた。


 やがて、これまで聞いたどの咆哮より大きな声が第五管理区全体へ響き渡る。


 空気が震え、水路の水面が大きく波立ち、壁面に並んでいた古い結晶灯が次々と点灯した。


 同時にエイルの《振動感知》へ、第五管理区だけではない無数の機構音が流れ込んでくる。


 北岸。


 西部。


 東湖域。


 さらに、今いる場所より深い地下。


 長い間停止していた設備が、湖の下で一斉に動き始めていた。


     ◇


 十三人が下り通路へ入った時点では、まだ巨大個体は第五管理区中央に残っていた。


 追ってこないうちに距離を取るため、レイアは人数を確認するとすぐ全員を上へ向かわせる。


 しかし、数十メートルほど登ったところで通路全体を大きな衝撃が揺らし、前方から石材が崩れる激しい音が聞こえた。


「前方、崩落!」


 先頭の兵士が叫ぶ。


 天井の一部と側壁が落ち、通路は完全には塞がれていないものの、人一人が辛うじて通れるほどまで狭くなっていた。


「抜けられるか!」


「一人ずつなら可能です! ただ、装備を外さないと厳しい人もいます!」


「研究者を先に通せ。戦闘要員は後ろへ残る!」


 ボルクと兵士たちがすぐ瓦礫を動かし始め、研究者三人から順番に狭い隙間へ入っていく。


 エイルは最後尾側で第五管理区へ意識を伸ばした。


 巨大個体はまだ中央にいる。


 しかし、様子が明らかに違う。


 深層循環核から強い魔力が流れるたび、巨大個体の身体の内側にも今までなかった反応が増えていた。


「エイル、何が見える?」


 レイアが瓦礫を運びながら聞く。


「巨大個体の魔力が増えてます。循環核が動き始めてから急に……多分、何か繋がってます」


「こっちへ来るか?」


「まだ動いてはいませんけど――」


 そこで《危機感知》が一気に跳ね上がった。


 巨大個体の頭部、その口元へ大量の魔力が集まり始めている。


「全員、伏せてください!」


 エイルの声に反応し、通路内の全員が姿勢を落とした。


 その直後、第五管理区の奥で青白い光が弾ける。


 巨大個体の口から放たれたのは、単なる水ではなかった。


 圧縮された大量の水へ魔力が重なり、一つの巨大な砲撃のようになって下り通路の入口へ突き込んでくる。


 距離があったため直撃こそ避けられたものの、入口周辺の石壁はまとめて吹き飛び、通路の奥まで衝撃と水飛沫が押し寄せた。


 数人が床へ倒れ、ボルクの大盾へ大量の破片が叩きつけられる。


「全員動けるか!」


 レイアが叫ぶ。


 返事が重なり、致命傷を負った者はいないことが分かる。


「急げ! 次を撃たれたら、この通路そのものがもたない!」


 グランも瓦礫へ加わり、研究者の最後の一人が隙間を抜ける。


 続いて兵士。


 セナ。


 レイア。


 残っている人数が少しずつ減っていく。


 エイルは後方から巨大個体を見続けていた。


 今度は歩いている。


 ゆっくりではない。


 明確に、こちらへ向かっている。


「来ます。さっきより速いです!」


「あと三人だ!」


 ボルクが瓦礫の隙間から叫ぶ。


 グランがこちらへ振り返る。


「エイル、お前が先に抜けろ! 俺とボルクが最後に行く!」


「でも、次の攻撃がもう来ます!」


 巨大個体の口元で再び魔力が集まり始めていた。


 先ほどより形成が速い。


 しかも今回は距離まで縮まっている。


 このまま全員が狭い穴へ殺到すれば、間に合わない。


 エイルは長剣を握り直した。


 ここで逃げるために必要なのは、巨大個体を倒すことではない。


 ただ一度。


 次の攻撃を止めればいい。


 その一度で、後ろの全員が瓦礫の向こうへ抜けられる。


「僕が一回止めます。その間に抜けてください」


「一人で何する気だ!」


「撃たれる前に潰します。今ならまだ間に合います」


 グランが何か言おうとしたが、巨大個体の口元へ青白い光が集まっていくのを見て、その言葉を飲み込んだ。


「無理だと思ったらすぐ戻れ!」


「はい!」


 エイルは一歩、巨大個体の方へ戻った。


 《身体強化》を全身へ流しながら、胸元では《魔力圧縮》を始める。


 昨日までの訓練で使った量より多く、それでも外へ漏らさないよう小さくまとめ、《衝撃》へ変える直前の状態で維持する。


 さらに《近域感知》と《危機感知》を強め、巨大個体が撃つ瞬間を見逃さないよう意識を集中させた。


 背後では、仲間たちが瓦礫の隙間を抜け続けている。


 前には、今まで戦ったどの魔物とも比較にならない巨体が迫っている。


 エイルは長剣を構えながら、その両方を同時に感じ取っていた。


 今の自分がどこまで通じるのかは分からない。


 それでも、背後の足音が一つでも残っている間は、この場所を退くつもりはなかった。


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