第64話 届く前に分かる
深部調査を翌日に控えた朝、エイルは旧採石訓練場の隅に座り込み、目を閉じたまま周囲へ意識を広げていた。
昨日覚えた《魔力圧縮》は、長剣へ通す内部破壊や一点へ絞った《衝撃》だけでも十分すぎるほど使い道があったが、宿へ戻ってから考えているうちに、攻撃以外にも応用できるのではないかと思い始めていた。
もともとエイルが持つ探知技能には、それぞれ得意な範囲が違う。
《危機感知》は、自分へ害が及ぶ直前の異常に非常に強い反面、危険と判断されない動きまでは拾わない。《魔力感知》は生物や魔導具の魔力を遠くから見つけられるものの、人間同士の細かな動作までは分からず、《振動感知》は接触している地面や壁を通せばかなり広範囲を探れる一方、空中にいる相手や振動を抑えた相手には情報が減る。
今までは必要に応じて三つを切り替えたり重ねたりしていた。
ただ、《魔力圧縮》を使えば、感知範囲そのものを狭める代わりに、その中だけ情報の密度を上げられるのではないか。
エイルは《魔力感知》をいつものように広く伸ばさず、自分の周囲数メートルだけへ意識を集中させる。
最初は単純に範囲を狭めただけだった。
それでも遠くを探る必要がなくなった分、近くにいるグランやヴァルトの魔力が普段より細かく感じられ、呼吸によって僅かに揺れる魔力や、手足へ力を入れた時の変化まで少しだけ分かる。
そこへ《魔力圧縮》の感覚を重ねる。
魔力そのものを無理に押し込むのではなく、広く拾っていた感覚を狭い範囲へまとめ、その内側にある変化だけを濃く見る。
すると、同じ人物を感知しているはずなのに情報量が一段増えた。
「……面白い」
「何が見えてる?」
少し離れたところからグランに聞かれ、エイルは目を閉じたまま答える。
「グランさん、さっきから右手に力入れてますよね」
「まあな」
「ヴァルトさんは左足を少し前に出しました」
「見えてないよな?」
「見てません」
目を開く。
二人とも言った通りの姿勢をしていた。
グランが少し眉を寄せる。
「魔力だけでそこまで分かるのか?」
「今までは無理でした。範囲を狭くして、《魔力圧縮》を使う時みたいに感覚をまとめたら分かりやすくなりました」
「攻撃技能覚えた翌日に感知へ使う奴、初めて見たぞ」
「《魔力圧縮》は攻撃技能じゃないですよ」
「昨日の標的見た後だと説得力がない」
ヴァルトが横で笑いながら、エイルの背後へ回った。
「じゃあ、これはどうだ」
エイルには姿が見えているため、一度目は意味がない。
「目、閉じろ」
「はい」
再び目を閉じる。
足音。
床の振動。
それだけなら簡単に分かる。
「《振動感知》は禁止」
「それだと魔力で分かります」
「じゃあ魔力もできるだけ抑えて近づく。人間相手なら、そういう技能持ってる奴もいるからな」
ヴァルトではなく、今度はセナが前へ出た。
今日は深部班の連携確認のため彼女も採石場へ来ており、もともと遺跡内での斥候や索敵を得意にしている。
「私、《気配遮断》持ってるよ。高くはないけど、普通の人なら後ろまで行ける」
「お願いします」
「何で嬉しそうなの」
エイルは目を閉じ、今度は意識的に《振動感知》を弱めた。
《魔力感知》も広範囲へは伸ばさず、自分を中心に数メートルだけへ集中させる。
セナの気配が薄くなる。
魔力まで小さく見える。
足音もほとんど聞こえない。
正面にいたはずの反応が横へ移り、その途中から急に追いづらくなった。
この状態なら、普通に《魔力感知》だけを使っていれば見失ったかもしれない。
それでも完全には消えない。
セナが身体を動かせば、その瞬間だけ魔力の流れが僅かに変わる。
さらに床へ足を置けば、ごく弱い振動も生まれる。
そこへ《危機感知》を薄く重ねる。
普段の《危機感知》は、危険が迫った時に強く反応するまで半ば無意識へ任せている。今回は危険を待つのではなく、何かが起こりそうな僅かな違和感まで拾うよう、完全に切らず薄い状態を維持した。
右後ろ。
何かがいる。
正確な姿は分からない。
ただ、自分のすぐ近くにある空間だけが、他より濃く感じられる。
エイルは目を閉じたまま言った。
「右後ろ、三メートルくらい」
少し間があった。
「……正解」
セナの声が返ってくる。
目を開くと、本当に右後方へ立っていた。
「まだ近づいてないから分かっただけかもしれない。もう一回やるね」
「はい」
今度はエイルへ何も知らせず始めることになった。
目を閉じる。
広い範囲は見ない。
遠くの人間の魔力も、採石場の外で動く兵士の足音も意識から外す。
半径五メートルほど。
そこだけを高密度に見る。
さらに、その外側へ《危機感知》を薄く残し、《振動感知》も完全には切らず、ごく僅かな情報だけ常時受け取る。
遠くを見るための感知と、近くを見るための感知を分ける。
最初からすべてを最大出力で使えば、情報が多すぎて疲れる。
なら普段は広く薄く。
近距離だけ狭く濃く。
その形なら維持できる。
エイルがそこまで考えた時、左側にいたグランの魔力が僅かに動いた。
違う。
グランは囮。
本命は後ろ。
何も感じないはずの場所で、空気を切る小さな音がした。
同時に《危機感知》が鋭く反応する。
エイルは振り向かなかった。
右手だけを肩の後ろへ出す。
指の間に、細い木製の訓練刃が止まった。
セナが背後から突き出していたものだった。
「……嘘でしょ」
刃先はエイルの肩へ届く直前で、しっかり二本の指に挟まれている。
エイルはそのまま木剣を離した。
「最後は《危機感知》でした。近づいてる途中は何となくしか分からなかったです」
「何となく分かった時点で十分おかしいんだけど」
セナは木剣を引き、少し離れる。
「私、最後の三歩は《気配遮断》かなり強くしたよ」
「魔力はほとんど見えませんでした。でも、近くへ来るほど、逆に何もない場所が不自然に感じました」
ヴァルトが腕を組んだ。
「消してるから分かった?」
「多分。周囲の人や物は少しずつ情報があるのに、そこだけ急に薄かったので」
「厄介だな、それ」
グランが笑う。
「気配を出したら魔力で分かる。消したら消したで、周りとの差で分かる。そのうえ攻撃しようとした瞬間に《危機感知》が来るんだろ?」
「今の距離なら」
「近接で奇襲する側からしたら最悪だぞ」
エイルは自分の周囲へもう一度意識を広げる。
確かに、今までは《危機感知》が鳴ってから反応することも多かった。
今後は、その一段前。
危険になる前から、近くに何かがいると分かる。
【《魔力感知 Lv.16 → Lv.18》】
【《危機感知 Lv.19 → Lv.20》】
【《魔力圧縮 Lv.5 → Lv.6》】
続いて、見覚えのない表示が現れた。
【技能《近域感知 Lv.1》を獲得しました】
【周囲の限定範囲へ複数の感知を集中し、動き・魔力・振動・危険兆候を高精度に捉える】
「新しいの増えました」
「今度は何だ」
「《近域感知》です」
グランは一度空を見上げた。
「昨日新技能覚えたばっかだよな?」
「昨日の技能を使ったら増えました」
「もう好きにしろ」
◇
新しい《近域感知》を覚えてからは、それをどこまで薄く維持できるか試すことになった。
最初は意識して使わなければすぐ消えたが、常に最大精度を求めるのではなく、普段は半径三メートルほどをぼんやり把握するだけにすると、思ったほど疲れない。
誰かがその範囲へ入れば分かる。
急に腕を上げれば分かる。
魔力を集中させればさらに分かりやすくなり、攻撃の意思が実際の危険へ変わる瞬間には《危機感知》が上から重なる。
その状態でグランと普通に会話している間に、セナが何度か背後から近づいたが、一度目より明らかに早く位置を捉えられるようになっていった。
「右」
「正解」
「今度は左後ろ」
「まだ二歩しか動いてないんだけど」
「床の振動は見てませんよ」
「それでも分かるのが嫌なんだよ」
途中からセナは攻撃するつもりを一切持たず、ただ横を通り過ぎたり、わざと離れた場所から石を投げたりするようになった。
それでも近距離に入れば大まかな位置は分かる。
逆に遠くから飛んでくる石については、《危機感知》が危険だと判断するほど強く投げられない限り、近域感知だけでは途中まで分からない。
万能ではない。
だからこそ、他の技能と重ねる意味があった。
「遠くは《振動感知》と《魔力感知》で広く見て、近くはこれで濃く見ればいいですね」
エイルが言うと、ヴァルトが頷いた。
「その使い方なら実戦向きだ。全部を最大で維持しようとすると先に頭が疲れるが、遠くは大きな変化だけ拾って、近くへ来たら細かく見るなら負担も減る」
「《危機感知》も薄くずっと使えると思います」
「今まで常に動いてなかったのか?」
「危険そのものは勝手に拾ってましたけど、意識して周囲を見る時だけ強く使ってました」
「それを普段から薄く残すのか」
「はい。地下だといつ魔物が壁の向こうから来るか分からないので」
グランは少し考えたあと、真面目な顔になる。
「今は魔物相手だからそれでいい。ただ、そのうち人間相手に戦うことがあるなら、今のうちに慣れとけ」
「人間?」
「冒険者やってりゃ、魔物だけ斬って終わりとは限らん。盗賊、密輸屋、遺跡荒らし、場合によっちゃ依頼主と敵対する人間までいる。人間は魔物より弱い奴が多いが、騙すし、隠れるし、毒も使うし、寝てる時も狙う」
エイルは少し黙った。
今まで戦った相手のほとんどは魔物だった。
対人模擬戦なら何度もしている。
けれど、本当に殺すつもりの人間と戦った経験はほとんどない。
「嫌そうだな」
「できれば人とは戦いたくないです」
「普通はそうだ。ただ、相手がそう思ってくれるとは限らん」
グランはそれだけ言って話を終えた。
エイルも無理に答えなかった。
ただ、《近域感知》を薄く残したまま長剣の柄へ手を置き、その状態で普通に歩き始める。
誰かを疑うためではない。
何かが起きた時、気づくのが遅れないようにするためだった。
◇
午前の後半は、昨日覚えた《魔力圧縮》と剣を使う内部衝撃の調整へ移った。
今回は威力を上げるより、圧縮した状態をどれだけ短時間で作れるかが重点だった。
昨日は胸元へ魔力を集め、何秒か掛けて形を整えたあと長剣へ流していたが、実戦で大型魔物を相手にするなら、毎回立ち止まって準備できるとは限らない。
剣を振りながら。
避けながら。
走りながら。
その途中で準備できる必要がある。
エイルは採石場へ設置された複合標的の前に立ち、長剣を抜いた。
「最初は半分くらいの圧縮量でやれ」
グランが少し離れた位置から言う。
「威力じゃなく速度を見る。昨日みたいに全力近くまで溜めるなよ」
「分かりました」
構える。
その時点では魔力を圧縮しない。
踏み込む。
一歩目で胸元へ魔力を集め始め、二歩目で《魔力圧縮》を使い、長剣が標的へ届く直前には必要な量をまとめ終える。
刺す。
剣先が装甲内部へ入った瞬間に刀身へ流し、そのまま《衝撃》へ変える。
内側から重い音が響いた。
昨日より威力は低い。
しかし準備に掛かった時間は二秒もない。
「もう一回」
次は一秒半。
さらに繰り返す。
一秒。
その頃には、圧縮そのものを独立した動作として考えなくなっていた。
踏み込む動作の途中で魔力が集まり、剣を入れる頃には自然と完成している。
【《魔力圧縮 Lv.6 → Lv.7》】
【《魔力操作 Lv.20 → Lv.21》】
グランが標的内部を確認しながら言う。
「昨日より威力落としてるのに、深さはあんまり変わってないな」
「放出する場所をもっと狭くしました」
「つまり効率が上がった?」
「多分」
「その『多分』で大型魔物の中身飛ばすの怖すぎるだろ」
エイルは次の標的を見る。
昨日から考えていたことがある。
「今度、《振動感知》も使っていいですか?」
「何に?」
「刺した後、中のどこへ《衝撃》を入れるか見るためです」
グランが嫌そうな顔をした。
「また組み合わせ増やすのか」
「硬い魔物なら、骨とか核の位置を探して、そこだけ狙えた方がいいですよね」
「理屈は正しい。やってみろ」
複合標的の内部には、今回だけ硬い金属球が一つ埋められた。
場所は知らされていない。
エイルは剣先を標的へ触れさせ、《振動感知》を刀身から内部へ通す。
剣そのものが接触点になる。
内部の材質。
硬い層。
柔らかい層。
その中に一つだけ、返ってくる振動が明らかに違う場所がある。
「右奥ですね」
「分かるのか?」
「多分、この辺です」
剣を突き込む。
金属球へ直接届く角度ではない。
それでも問題ない。
圧縮した《衝撃》を剣先から真っ直ぐではなく、僅かに右へ向ける。
外へ放つ《衝撃》ではほとんどやったことがない使い方だった。
発動。
標的内部で鈍い音がする。
解体すると、金属球の右側だけが大きく凹んでいた。
ヴァルトがそれを拾い上げる。
「これ、生き物相手なら内臓とか核を探して直接叩けるってことか」
「接触できれば」
「甲殻が硬い意味、どんどんなくなってくな」
エイルは自分の長剣を見る。
斬れなくてもいい。
深く刺さらなくても、先端が少し入ればいい。
そこから内部を見て。
狙って。
圧縮した衝撃を送る。
外側がどれだけ硬くても、その内側まで同じとは限らない。
グランが昨日言った通り、えげつない使い方かもしれない。
それでも深部にいる巨大個体を思えば、使える手段は多い方がいい。
◇
午後には、深部調査班全員が北岸の仮設本部へ集められた。
明日の編成は予定通り、レイアを含む領軍六人、学院研究者三人、冒険者四人の十三人で、グラン、ボルク、セナ、エイルが戦闘要員として加わる。
西部保守口から地下へ入り、中央街路を通って中央圧力制御塔まで進み、そこから前回未調査だった下り通路へ入る。
目標は第五区画の入口確認。
深層巨大個体と接触した場合は、戦闘せず即座に撤退する。
「観測では、明日の午前中は巨大個体が南東側にいる可能性が高い」
レイアが地図を指す。
「ただし、これはあくまで三日間の傾向だ。突然進路を変える可能性はあるから、深部へ入った後はエイルの感知も判断材料にする」
「ずっと見ておきます」
「できるのか?」
「今日から、探知系を薄く常に使う練習を始めました。遠くは大きい変化だけ、近くは細かく見る感じなら、そんなに疲れません」
レイアの眉が少し動く。
「今日から?」
「はい」
「明日使う技能を前日に作るの、そろそろやめないか」
セナが横から言い、何人かが笑った。
「新しい技能まで増えたの?」
「《近域感知》っていうのを覚えました」
「やっぱり増えてるじゃん」
グランはもう驚かなかった。
「こいつ、近くなら《気配遮断》持ちのセナが背後取ろうとしても分かるぞ」
「完全じゃないですよ」
「攻撃直前の木剣を見ずに掴んだ人が言わないで」
レイアは少し考えたあと、むしろ真面目な表情になる。
「なら明日は、移動中も維持してくれ。ただし負担を感じたらすぐ伝えること。深部へ着く前に集中力を使い切る方が危険だ」
「分かりました」
◇
その夜、エイルは夕食を終えたあと、市街を少し歩いた。
特別な訓練ではない。
新しく覚えた《近域感知》を、戦闘していない時にも維持できるか確かめるためだった。
人通りのある道では、三メートルほどの範囲だけを薄く見る。
右から人が近づく。
後ろを荷車が通る。
店から誰かが出てくる。
わざわざ振り向かなくても、近くへ入ってくれば大まかな位置が分かる。
最初は情報が気になって仕方なかった。
しかし十分ほど歩いていると、全部を意識する必要がないことに気づく。
危険でなければ流す。
《危機感知》が反応した時だけ、近域感知の密度を一気に上げればいい。
それなら。
ずっと使える。
宿へ戻り、受付で鍵を受け取っている間も切らない。
階段を上がる時も。
部屋へ入り、長剣を壁へ立て掛ける時も。
薄く。
周囲だけ。
意識の端へ置いておく。
【《近域感知 Lv.1 → Lv.2》】
表示が浮かぶ。
エイルは一度確認したあと、状態板を閉じた。
この先、魔物だけと戦うとは限らない。
グランの言葉が少し残っている。
人間なら、正面から来ないこともある。
隠れる。
騙す。
こちらが剣を抜いていない時に狙うこともある。
だからといって、これから会う人間をすべて疑うつもりはない。
ただ、信じることと、何も見ていないことは別だ。
エイルは灯りを消し、ベッドへ横になった。
《近域感知》は完全には切らない。
最初は意識して維持していたが、眠りへ近づくにつれて少しずつ薄くしていく。
部屋の外。
廊下。
扉の向こう。
そこまで全部を見る必要はない。
せめて、自分のすぐ近くへ誰かが来れば分かる程度でいい。
まだ眠ったまま維持できるほどではなかったものの、意識が落ちる直前まで薄い感知は残っていた。
いずれ、これすら意識せずできるようになるかもしれない。
その時には、正面から戦うより、不意を突こうとする方が面倒な相手になっているだろう。
翌朝になれば、深部へ向かう。
今までより遠くまで見える感知と、今までより深く壊せる《衝撃》を持って。
それでも、地下の奥で待っている巨大な反応が自分より強いことだけは変わらない。
だからこそ、その場所へ踏み込んだ時に何が見えるのかを考えながら、エイルは静かに目を閉じた。




