第60話 西側から開く道
西部保守口を発見した翌朝、北岸と西岸では同時に二つの調査班が動き始めていた。
北岸側からはエイルたちが地下街へ入り、昨日見つけた保守口へ認証器を持ち込む。一方、西岸では水上隊と学院の別班が水上遺跡周辺を調べ、地下側から扉が開いた場合にどの位置へ繋がるのかを確認する予定になっている。
これまで北岸の縦穴一本しかなかった地下街への経路が二本になれば、探索の安全性は大きく変わる。
特に中央圧力制御塔より先へ進むことを考えれば、退路の確保は避けて通れない。
「今日は開通確認が最優先だ。深部へ寄り道はしない」
出発前、レイアが念を押すように言った。
「昨日の崩落で西側通路は一部不安定になっている。工兵が補強した経路以外へ入らず、保守口を開けた後も西岸班との合流を確認した時点で一度戻る」
「分かりました」
エイルが素直に答えると、レイアは少しだけ怪訝そうな顔をした。
「最近、本当に聞き分けが良くなったな」
「前から話は聞いてましたよ」
「聞いた上で、行けそうなら行こうとしていただろう」
「今は準備してから行った方が遠くまで行けるって分かってます」
その答えに、レイアは少し意外そうに目を細めたあと、何も言わず頷いた。
エイル自身、それは本心だった。
地下街の奥にいる何かは、今まで出会った魔物とは明らかに規模が違う。湖面を揺らし、地下施設全体へ振動を伝え、何百メートル離れていても《振動感知》で位置が分かるほど巨大な反応を持っている以上、興味だけで近づいていい相手ではない。
だからこそ、退路も、人員も、装備も整えてから行く。
その間に自分自身もさらに強くなればいい。
◇
今日の地下街班は十人だった。
昨日と同じ工兵二人、学院研究者一人、水上隊員三人に加え、エイル、ボルク、セナ、そして認証器を扱う魔導技師が参加している。
縦穴を降りる手順は、もうほとんど全員が慣れ始めていた。
エイルに至っては、湖底まで潜る段階から周囲を探知する余裕があり、第一空洞で壁際を移動していた爪潜り二体にもかなり早い段階で気づいたものの、進路と交わらないと判断してそのまま通過した。
以前なら敵を見つければまず戦うかどうかを考えていたが、今では探索に必要のない戦闘を自然に避けるようになっている。
「右に二体いますけど、こっちへ来る様子はないです」
エイルが告げると、潜水班長はすぐ進路維持を選んだ。
「なら無視する。刺激するな」
爪潜りの反応は遠ざかり、そのまま縦穴へ到達する。
水面を抜けて地下街へ降りる頃には、一行の移動時間は最初の降下時よりかなり短くなっていた。
地下街へ入ると、エイルは長剣を腰側へ移し、《振動感知》を西側へ広げる。
昨日の崩落による振動は落ち着いていた。
補強した支柱も残っている。
大きな魔物の反応も近くにはない。
「西側、今のところ問題なさそうです」
「じゃあ行くぞ」
工兵が先頭へ出る。
◇
崩落区画は、昨日より通りやすくなっていた。
帰還後に別班が補強作業を続けたらしく、狭かった隙間は二人が順番に装備を背負ったまま抜けられる程度まで広げられ、天井にも新しい支柱が何本も追加されている。
それでもエイルは通過前に壁へ触れ、昨日動きかけていた右上の岩を確認した。
「今は大丈夫そうです。昨日ずれたところも、支柱に重さが逃げてます」
工兵の一人が頷く。
「俺たちも同じ判断だ。お前の感覚と一致するなら安心材料にはなる」
「振動感知って、本来こういう使い方する技能なの?」
セナが聞く。
「本来はもっと近い範囲を見る技能だと思います」
「思いますって、自分の技能でしょ」
「最初は鉱山の壁の向こうを見るくらいでしたから」
「それが今は街一つ探してるのか」
セナは呆れたように笑った。
エイル自身も、最初に《振動感知》を覚えた頃を思い出す。
あの時は壁へ触れなければ分からなかった。
今では歩きながら周囲の建物や通路を拾い、地面を通して百メートル以上先の大きな動きまで感じられる。
技能の名前は変わっていない。
それでも、できることは明らかに別物になっていた。
◇
西部保守口へ到着すると、魔導技師がすぐに認証器を取り出した。
北岸の水門で使ったものを改良した型らしく、守衛機の胸部から回収した円形部品そのものを使わず、内部の魔力波形だけを再現できる。
「これで反応しなければ、別系統の認証だった可能性がある」
技師はそう説明しながら、扉中央の窪みへ装置を固定する。
「開いた場合、水が一気に来る可能性は?」
ボルクが聞く。
「向こう側に短い通路があり、その先が水中だというエイルの探知が正しければ、直接ここへ湖水が流れ込む構造にはなっていないはずです。ただし、古い設備なので保証はできません」
「じゃあ一応下がるか」
一行は扉から十メートルほど距離を取った。
エイルだけは壁へ片手を触れ、内部機構の動きを探る。
認証器が起動する。
最初に伝わってきたのは、扉の左右で小さな部品が動く振動だった。
「反応してます」
「動きそうか?」
「まだ分かりません。中で何個か外れてます」
数秒後、中央部から重い振動が返ってくる。
長い間動かなかった金属同士が擦れ、石扉全体が僅かに震えた。
「来ます」
エイルがそう言った直後、扉の中央に一本の隙間が生まれた。
ゆっくり左右へ開いていく。
その向こうには、予想通り短い石造通路が続いていた。
ただし、通路の先は青く揺れている。
「水ですね」
「西岸側へ繋がったか?」
学院研究者が測定器を向ける。
地上との通信に使う魔導信号器が反応し、数秒後には西岸班から返信が返ってきた。
「向こうでも反応を確認したそうです。水上遺跡の南側、水深十二メートルのところで石扉が開いたと」
その場にいた全員の空気が少し緩んだ。
二本目の道が繋がった。
「確認へ行くぞ。ただし全員は出ない」
潜水班長が指示し、水上隊員二人とエイル、学院研究者が通路へ入る。
短い坂を上ると、すぐ水面が現れた。
こちらは地下街入口のような逆さまの水面ではなく、普通に下から潜っていく形になる。
呼吸具を装着し、順番に水へ入る。
エイルが最後に通路を抜けると、数メートル先に外の湖が広がっていた。
水上遺跡。
石柱が何本も湖底から立ち上がり、その上部は水面近くまで伸びている。
少し離れた場所には西岸班の潜水員が待っていた。
エイルたちを見ると、大きく手を振る。
完全に繋がった。
◇
確認だけ済ませ、地下街側へ戻る。
これで北岸の縦穴に加え、西部水上遺跡からも地下へ入れるようになった。
しかも西側の入口は水深十二メートル程度しかなく、八十メートル近い縦穴を降りる必要もない。
「次から物資の搬入はかなり楽になるな」
ボルクが保守口を見ながら言う。
「呼吸具の消耗も全然違う」
「研究班も増やせそうですね」
「それが一番大きい。今まで縦穴を降りられる奴しか入れなかったからな」
魔導技師は開いた扉の制御状態を確認し、当面閉じないよう固定設定を試している。
その間、エイルは西側通路の床へ座り、《振動感知》を広げた。
地下街へ新しい入口ができたことで、これまでより少し違う方向から街全体を感じられる。
中央圧力制御塔。
第三循環炉。
北岸へ続く導水路。
それぞれの設備が出す振動を一つずつ分けていく。
そして、そのさらに奥には例の巨大反応がある。
今日も動いている。
ただし、昨日より位置が少し変わっていた。
「……また動いてる」
エイルが呟くと、近くにいたセナが振り向いた。
「例の大きいやつ?」
「はい。昨日より少し南側です」
「距離は?」
「中央圧力制御塔からなら、多分あと一キロもないと思います」
「そんな近いの?」
「振動が大きいから、距離は正確じゃないですけど」
ボルクも聞いていたらしく、表情を引き締める。
「一キロ以内であの反応か」
「多分、その間にまだ何区画かあります」
「明日すぐ行くって話にはならんな」
「ならないと思います」
エイルが普通に答えたことで、セナが少し笑った。
「本当に我慢できるようになったね」
「我慢してるわけじゃないですよ。今まで地図がなかったから、まず道を作った方がいいって分かっただけです」
そう言いながら、エイルは床に触れたままさらに意識を伸ばした。
すると、巨大反応とは別のものが引っかかった。
「……待ってください」
表情を変える。
「何かいた?」
「違います。中央の方から走ってきます。人です」
「人?」
全員が顔を上げた。
地下街には、今の時間も中央側を調査している別班がいる。
エイルは反応を追う。
一人。
かなり速い。
後ろにも複数いるが、その距離が開いている。
「多分、中央調査班の人です。こっちへ急いでます」
潜水班長がすぐ西側通路の出口へ向かう。
数分もしないうちに、街路の向こうから一人の軍兵が姿を現した。
走っている。
明らかにただ事ではない。
「中央班から伝令!」
兵士は息を切らしながら叫んだ。
「第四区画で大型魔物群と遭遇、現在撤退中! 負傷者二名、追跡されている!」
空気が一変した。
「数は?」
「大型が六、小型が十以上! ただし問題はそれじゃない!」
兵士は一度息を整え、それでも声を強くした。
「奥の何かが動いた直後、魔物が全部こちらへ逃げてきた! 中央班は巻き込まれた!」
エイルの視線が中央街路の方向へ向く。
巨大反応。
今も感じている。
さっきより。
少し近い。
「中央班は何人ですか?」
「十一人! 負傷者抱えてるから、このままじゃ追いつかれる!」
潜水班長が即座に判断する。
「西部出口を開けたままにしろ! 負傷者はこっちから地上へ逃がす! ボルク、セナ、エイルは俺と迎えに行く!」
「了解!」
エイルはすでに立ち上がっていた。
長剣を抜きやすい位置へ直し、《振動感知》を中央側へ集中する。
走ってくる人間たち。
その後ろに複数の魔物。
さらに。
もっと遠く。
巨大な反応が一度、ゆっくりと動いた。
それだけで、地下街の床が僅かに震えた。
ボルクが大盾を背負い直す。
「こいつらが逃げてきてるってことは、奥に相当やばいのがいるぞ」
「はい」
「戦うなよ。今日は救助だ」
「分かってます」
エイルはそう答え、中央街路へ向かって走り始めた。
今向かうのは、正体不明の巨大反応を倒すためではない。
仲間を連れて帰るためだ。
それでも、地下の奥から一度震えが届くたび、《危機感知》はこれまで感じたことがないほど強く反応していた。




