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第6話 地図にない道

 翌朝。


 エイルは冒険者ギルドへ行く前に、一軒の店へ寄った。


 昨日、通りがかった地図屋だった。


 狭い店内には、壁という壁に地図が掛けられている。


 ローデン周辺。


 王国南部。


 北方街道。


 山岳地帯。


 川の流れだけを記したもの。


 商人向けらしい街道図には、宿場や井戸の位置まで細かく書き込まれていた。


「……すごいな」


 店へ入ってから、もう三度目になる呟きだった。


 老いた店主は最初こそ声をかけてきたが、エイルが本気で地図を見ていると分かると、何も言わなくなった。


 それがありがたい。


 エイルは一枚ずつ眺めていく。


 欲しい。


 全部欲しい。


 だが当然、全部買えるわけがない。


 最終的に選んだのは、ローデンから半径数日ほどの範囲を記した地図だった。


 昨日入ったラグナの森も載っている。


 銀貨三枚。


 安くはない。


 それでも昨日の稼ぎがある。


「これ、お願いします」


「随分熱心に見ていたな」


 店主が地図を丸めながら言った。


「好きなので」


「地図が?」


「はい」


「珍しい若者だ」


 そう言って、店主が細い紐で地図を縛る。


「ただし、その地図を信じすぎるなよ」


 エイルの手が止まった。


「古いんですか?」


「そこまで古くはない。二年前だ」


「二年なら……」


「森と山では、二年もあれば十分変わる」


 土砂崩れ。


 増水。


 倒木。


 魔物が住み着けば、人が使っていた道そのものが消えることもある。


 逆に。


 猟師や冒険者が歩き続ければ、新しい道ができる。


「地図は正しいものじゃない」


 店主が言った。


「正しかった時の記録だ」


 エイルは丸められた地図を見る。


「……いいですね、それ」


「何がだ?」


「変わってるってことです」


「普通は困るところなんだがな」


 呆れられた。


 だが、エイルには少し嬉しかった。


 地図に載っているものと、実際に歩いた景色が違う。


 なら。


 そこには、自分で確かめる意味がある。


 代金を払い、地図を背負い袋へしまう。


 店を出た時には、朝から少し機嫌が良かった。


     ◇


 ギルドの依頼掲示板へ向かう。


 昨日よりも、貼られている紙が少し入れ替わっていた。


 エイルは討伐依頼より先に、調査や採取の欄を見る。


【街道沿いの倒木除去】


【井戸水の採取・搬送】


【角兎討伐】


【荷馬車護衛補助】


【ラグナの森・西側旧道の確認】


「……」


 手が止まった。


 一番下。


 依頼票を外す。


【F級推奨】


【ラグナの森・西側旧道の確認】


【依頼内容】


【先日の大雨以降、西側旧道を利用した猟師から通行困難との報告あり】


【道標三か所の状態確認】


【通行不能箇所がある場合、簡易記録を行うこと】


【報酬 銀貨二枚】


 討伐ではない。


 採取ですらない。


 ただ道を歩いて、確認する。


「これにしよう」


 決めるまでにほとんど時間はかからなかった。


 受付へ持っていく。


 今日はミレイではなく、眼鏡をかけた若い男性が座っていた。


「旧道確認ですね」


「はい」


「地図はお持ちですか?」


「買ってきました」


 少し自慢げに答えてしまった。


 男性職員が地図を確認する。


「これなら大丈夫です。ただし、この旧道は地図上でも一部しか載っていません」


「一部?」


「元々は森の西を抜けて山間の集落へ続いていたそうなんですが、十年以上前に別の街道が整備されてから使われなくなっています」


 男性職員が指で地図をなぞる。


 ラグナの森。


 その西端。


 細い線が途中まで続き。


 消えている。


 エイルの目がそこへ吸い寄せられた。


「この先は?」


「使われていません」


「地図にはないんですね」


「ないですね」


「……」


「エイルさん?」


「いえ」


 危なかった。


 少し笑いそうになった。


「今回確認してほしいのはここまでです」


 職員が三つの印を指す。


「一つ目と二つ目の道標は森の浅部。三つ目は少し奥です。ただ、F級依頼なので危険域には入りません」


「分かりました」


「三つ目より先へ行く必要はありません」


「はい」


「……」


 男性職員がエイルを見る。


「何ですか?」


「念のためです」


「行きませんよ」


「本当に?」


「……多分」


「そこは『はい』でお願いします」


 昨日も似たようなことを言われた気がする。


 どうやらギルド職員というのは心配性らしい。


     ◇


 ラグナの森へ入るのは二度目だった。


 だが、昨日とは方向が違う。


 今日は入口から西へ。


 地図と周囲を見比べながら進む。


「ここが小川」


 地図に細い青線。


 実際にも水が流れている。


「で、北に大きい岩」


 あった。


 黒い苔に覆われた岩。


 その横から細い獣道が伸びている。


 地図を確認。


 旧道はもう少し西。


 エイルはそちらへ進んだ。


 木々の間に、かろうじて人が歩いた形跡が残っている。


 道、と言うには細い。


 草も生えている。


 だが木の配置を見ると分かる。


 昔はここを人が通っていた。


「これか」


 少し楽しい。


 昨日の薬草採取とはまた違う。


 ただ歩いているだけなのに、地図と現実が繋がっていく。


 十五分ほどで、一つ目の道標を見つけた。


 木製。


 かなり傷んでいる。


 矢印の先には、かろうじてローデンの文字。


 状態を確認する。


 持ってきた紙へ簡単に記す。


『第一道標――立っている。文字は薄い。根元に腐食あり』


 字はあまり綺麗ではない。


 読めればいい。


 二つ目へ。


 途中。


 エイルが止まった。


「……違うな」


 地図では、道は緩く北西へ曲がる。


 だが実際の旧道は、ほとんど西へ伸びている。


 少し歩き直す。


 地面を見る。


 こちらが旧道で間違いない。


 地図の方がずれている。


「本当に違う」


 妙に嬉しかった。


 店主の言葉を思い出す。


 地図は、正しかった時の記録。


 エイルは地図の余白へ小さく線を書き加えた。


 自分で買った地図だ。


 好きに書いていい。


 現状の道。


 小さな倒木。


 水の流れ。


 歩いた距離。


 エイルはしばらくして、自分が依頼のこと以上に地図へ書き込むことへ夢中になっていると気づいた。


「……進もう」


 このままでは日が暮れる。


     ◇


 二つ目の道標は倒れていた。


 根元から折れている。


 どうやら大雨で地面が緩み、そのまま倒れたらしい。


 エイルは周囲を確認した。


「足跡……」


 人。


 一人。


 古い。


 数日は経っている。


 猟師だろうか。


 その横に別の痕跡。


 四足。


 小型。


 特に危険なものではなさそうだ。


 《危機感知》にも反応はない。


 記録する。


 二つ目、倒壊。


 通行可能。


 ここまでは簡単だった。


「次が三つ目」


 旧道をさらに奥へ進む。


 森が深くなる。


 頭上の枝が重なり、昼だというのに少し暗い。


 エイルは歩く速度を落とした。


 《危機感知》がある。


 だからといって雑に進んでいいわけではない。


 足元。


 頭上。


 左右。


 獣の痕跡。


 折れた枝。


 糞。


 土の状態。


 見ながら進む。


 そのうち。


 道がなくなった。


「……あれ?」


 地図を見る。


 位置は合っている。


 少なくとも、この先へ旧道が続くはずだった。


 だが。


 目の前には木々。


 いや。


 違う。


 エイルが近づく。


「崩れたのか」


 大きな斜面崩れ。


 地面ごと森の一部が落ちている。


 幅は二十メートル近い。


 旧道はそこで完全に途切れていた。


 下を見る。


 かなり深い。


 落ちれば無事では済まない。


「これじゃ通れないな」


 依頼達成。


 そう思った。


 通行不能箇所。


 記録する。


 簡単な図も描く。


 幅。


 深さ。


 迂回できそうな場所。


 エイルは周囲を歩いた。


 南側は斜面が急。


 北側なら。


「……行けそう?」


 旧道から外れる。


 目的は迂回路の確認。


 三つ目の道標は崩落の向こう側にあるはずだった。


 道標三つの確認が依頼内容。


 なら、できれば見ておきたい。


 エイルは北側へ回る。


 木の根を越える。


 岩場。


 斜面。


 以前なら少し慎重になったであろう場所も、今は身体が軽い。


 足を置く。


 体重を移す。


 次。


 するすると登れる。


「……やっぱり違うな」


 レベルが上がった影響。


 昨日の森でも感じた。


 単に速くなっただけではない。


 身体を思った位置へ動かしやすい。


 跳べる距離も伸びている。


 ただ。


 油断はしない。


 崖の近くで一度足を滑らせれば、それで終わる。


 二十分ほどかけて崩落箇所を迂回した。


「よし」


 旧道へ戻る。


 向こう側。


 明らかにこちらの方が草が深い。


 最近ほとんど人が通っていない。


 三つ目の道標を探す。


 百メートル。


 二百。


「ないな……」


 地図ではこの辺り。


 エイルは少し広く歩く。


 《追跡》を使うように、古い人の痕跡を探す。


 踏み固められた地面。


 切り株。


 人工物。


 やがて。


「……あった」


 倒木の下。


 半分土に埋もれた木材が見えた。


 枝をどかす。


 三つ目の道標。


 完全に倒れている。


 文字もほとんど読めない。


「これで三つ」


 記録。


 帰ればいい。


 エイルは立ち上がった。


 そこで。


 視線が止まった。


 三つ目の道標。


 倒れていたため気づかなかった。


 矢印が二つある。


 一つはローデン方面。


 もう一つ。


 森の奥。


 文字は消えかけている。


 エイルは土を払った。


「……何だ、これ」


 読めない。


 最初の一文字だけ。


 カ。


 その後は腐食している。


 エイルは地図を開いた。


 三つ目の道標より先。


 何もない。


 正確には。


 旧道を示す線が、ここで途切れている。


 それより西は森。


 その先に山。


 だが、道は描かれていない。


「……」


 矢印を見る。


 森の奥。


 道らしきもの。


 ほとんど消えている。


 それでも。


 木々の隙間に僅かな空間が続いているように見える。


 エイルはじっと見た。


 行きたい。


 ものすごく行きたい。


 ギルド職員の言葉を思い出す。


 三つ目より先へ行く必要はありません。


「……」


 一歩。


 踏み出しかける。


 止まった。


「駄目だな」


 今日は依頼中。


 しかも一人。


 初めて入る森。


 地図にもない。


 時間も昼を過ぎている。


 条件が悪い。


 未知の場所へ行くのと、考えなしに危険へ突っ込むのは違う。


 エイルは地図を開いた。


 現在位置に、小さな印をつける。


 そして。


 そこから西へ。


 ほんの少しだけ。


 点線を引いた。


「……今度」


 ちゃんと準備して来ればいい。


 今日見つけた。


 なら。


 場所は分かる。


 その時だった。


 ぞくり。


 《危機感知》。


 エイルの表情が変わった。


 右。


 いや。


 違う。


「……下?」


 足元を見る。


 一瞬遅れて。


 ガサッ。


 崩れた道標の奥。


 草の中から何かが飛び出した。


 エイルは後ろへ跳ぶ。


 黒いものが足元を通過した。


「っ!」


 着地。


 剣を抜く。


 相手も止まった。


 低い。


 四足。


 狼に似ている。


 だが普通の狼ではない。


 黒灰色の毛。


 異様に長い前脚。


 肩から突き出した骨のような突起。


「……知らない」


 村の周辺にはいなかった魔物だ。


 ラグナの森について読んだ簡単な資料にも記憶がない。


 魔物が低く唸る。


 エイルは剣を構えた。


 《危機感知》が反応を続けている。


 鎧猪ほどではない。


 だが。


 昨日の角兎よりは、明らかに強い。


「一体……」


 言いかけて。


 止まる。


 左。


 草が揺れた。


 もう一体。


 さらに後ろ。


 三体目。


「……」


 エイルがゆっくり息を吐いた。


「一体じゃないのか」


 前。


 右。


 左後方。


 三方向。


 囲まれている。


 逃げ道は。


 ある。


 ただし、来た方向には崩落地がある。


 慌てて走れば危ない。


 エイルは剣の柄を握り直した。


 怖さはある。


 だが。


 鎧猪を前にした時とは違う。


 相手を見る余裕があった。


 前の個体が腰を落とす。


 来る。


 《危機感知》が告げるより少し早く。


 エイルには、その動きが見えていた。


「……大丈夫」


 小さく呟く。


 自分へ言った。


 魔物が跳んだ。


 速い。


 角兎より遥かに。


 それでも。


 エイルは一歩踏み込み。


 剣を斜めに振り上げた。


 刃が前脚の内側を裂く。


 魔物が空中で体勢を崩す。


 そのまま横を抜ける。


 追わない。


 次。


 右から二体目。


 エイルは身体を捻る。


 牙が迫った。


 半歩下がる。


 届かない。


「見える」


 自分でも驚くほど、冷静な声だった。


 三体目。


 背後。


 《危機感知》。


 振り向かない。


 左へ踏む。


 背中を掠める気配。


 その瞬間。


「――《衝撃(インパクト)》」


 足元で魔力を弾かせた。


 身体が横へ滑る。


 魔物三体が、一瞬だけ同じ方向に集まった。


 エイルは距離を取る。


「……」


 剣を構え直す。


 今の《衝撃(インパクト)》。


 前より扱いやすい。


 鎧猪戦では、自分まで飛ばされそうになった。


 今は。


 狙った程度だけ身体を押せた。


 《魔力操作》。


 Lv.1。


 それと。


 《衝撃》Lv.2。


 数字一つ。


 たったそれだけ。


 でも。


 違う。


 強くなった。


 実感する。


 一体目が再び立ち上がる。


 前脚から血。


 二体目。


 三体目。


 まだ来る。


 エイルは少しだけ口元を引き締めた。


 森の奥。


 地図にない道。


 知らない魔物。


 本当なら。


 少しわくわくしてしまう状況だった。


 ただ。


「まずは――」


 剣先を前へ向ける。


「帰らないとな」


 三体の魔物が。


 同時に地面を蹴った。


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