第57話 地下街を歩く
地下街から地上へ戻った第一降下班の報告は、その日のうちに学院、水上隊、冒険者ギルドの三者へ共有され、翌朝には北岸の仮設本部へ前日までより大きな地図台が運び込まれていた。
エイルが本部へ入ると、昨日確認した街路と建物の位置がすでに簡易図へ起こされており、縦穴直下の広場を基点として、北へ伸びる主街路、その両側に並ぶ作業施設らしき建物、さらに遠方から届いた巨大な振動の方向まで書き込まれている。
もっとも、地図として形になっているのは入口から百メートル程度にすぎず、その先は大きな空白のままだった。
「昨日帰ってきたばかりなのに、もうここまで描いたんですね」
地図台の前で作業していたフィンへ声を掛けると、彼は眠そうな顔を上げた。
「帰ってから教授たちと夜までやってたからね。エイルたちが持ち帰った距離記録と方位、それから測定器の反響を合わせたんだけど、入口周辺だけでも思ったより構造が複雑だった」
「寝ましたか?」
「少しは寝たよ。三時間くらい」
「それは少しすぎると思います」
「昨日、地下に街があるって分かった日に普通に寝られる方がすごくない?」
その気持ちは分からなくもないため、エイルは地図へ視線を戻した。
昨日歩いた中央街路は、現在確認できている範囲だけでもかなり幅が広く、その両側には小さな路地が何本も伸びている。反響測定によれば、それらの路地の先にも空間が続いているらしく、見えていた建物だけがすべてではない。
「今日も降りる?」
「そのために来ました」
「だと思った」
フィンは机の上から別の紙を取り、エイルへ渡した。
「第二降下班の編成、朝に決まったよ。昨日の六人に追加で軍が三人、学院から二人、それにギルド側から二人入るから、今度は十三人」
「かなり増えましたね」
「昨日は入口確認だけだったけど、今日は地図作成班と警戒班を分ける必要があるからね。それと、地下で魔物が繁殖してるなら、六人で奥へ行くのはさすがに怖い」
ギルド側から参加する二人は、リューデンを拠点にしているC級冒険者らしい。
一人は大盾と片手斧を使う大柄な男で、もう一人は弓と探索技能を持つ女性だった。どちらも地下遺跡の経験があり、潜水そのものについては軍の訓練を以前受けたことがあるという。
新しく入る水上隊員にも、地上戦を専門にする者が含まれている。
地下街へ到達した後に本格的に歩いて探索することを考えれば、昨日よりずっと現実的な編成だった。
「エイルは前衛?」
「前衛兼探知だって言われました」
「とうとう普通に前へ置かれるようになったね」
「C級になったからですか?」
「それもあると思うけど、昨日の岩牙獣の報告読んだら、等級よりそっちだと思う」
フィンが少し笑う。
「軍の報告に『対象二体を技能使用なしで即時排除』って書いてあった」
「普通に斬っただけですよ」
「それが怖いんだって」
◇
出発前の確認では、レイアから昨日まで以上に細かな役割が割り振られた。
地下街へ到着した後、軍の四人が前後の警戒を担当し、学院組が建物や設備の記録を進める。ギルドから参加する二人は地図作成と横道の安全確認を行い、エイルは先頭近くで《振動感知》と《魔力感知》を使いながら、接近する魔物や稼働設備を早期に見つけることになった。
「昨日感じた大規模振動については、まだ直接向かわない」
レイアは地図の奥へ指を置いた。
「今日の目標は入口から五百メートル圏内の街路確認と、帰還経路を最低二本確保することだ。地下へ降りる道が縦穴一本だけなら、何か起きた時に全員が同じ場所へ集中することになる」
「別の出口を探すんですね」
「あればな。昨日の構造を見る限り、あれだけの施設へ出入りする道が一本だけだったとは考えにくい」
エイルも同じことを考えていた。
地下街が本当に一つの都市規模を持っているなら、湖底へ繋がる縦穴だけが唯一の出入口という方が不自然だ。
しかも、古い地図には西部水上遺跡や東湖域と思われる印まで存在する。
それらが地下で繋がっている可能性もある。
「それから、エイル」
「はい」
「前衛として動いてもらう以上、昨日より戦闘判断は任せる。ただし、追撃で隊列を離れるのは禁止だ」
「分かりました」
「昨日の岩牙獣程度なら任せる。明らかに格が違うものが出たら、まず全員へ知らせろ」
「はい」
今までなら「まず戦うな」と言われていたところが、「戦闘判断を任せる」へ変わっている。
C級への昇格もあるだろうが、それ以上に、この数日で積み上げた実績を見られているのだろう。
エイルは少しだけ嬉しくなった。
◇
二度目となる縦穴の下降は、昨日よりずっと速かった。
どこに水流の境目があり、どの辺りで圧力が変わり、途中に突き出した金属枠がどれほど邪魔になるかまで一度経験しているため、前回のように一つずつ確認しながら進む必要がない。
特にエイルは、水中で姿勢を変える動作が昨日よりさらに滑らかになっており、強く泳いでいるわけでもないのに潜水員たちと同じ速度を保っていた。
途中、後方の学院員が流れへ身体を持っていかれた時も、エイルは一度だけ壁を蹴って近づき、腕を掴んで流れの弱い場所まで引き戻す。
《衝撃》も《身体強化》も使わなかった。
それでも成人男性一人と、その背中にある潜水装備をまとめて引くことに、ほとんど苦労はなかった。
助けられた学院員は礼を示しながらも、エイルの腕と自分の身体を交互に見ていたが、本人は特に気にせず先へ進む。
縦穴下部の水面を抜け、四メートル下の床へ降りる時も、昨日のようにいきなり飛び降りることはせず、今日は軍が設置した縄を使った。
「今日は飛ばないんだな」
先に降りていた潜水班長が少し意外そうに言う。
「昨日怒られたので」
「ちゃんと覚えてたか」
「僕だって同じことで何回も怒られたくないですよ」
「その言葉、レイア副隊長にも聞かせたいな」
装備を整えた十三人が地下街へ入る。
昨日と同じ青緑の灯りが古い街路を照らしていた。
入口から見える景色自体は変わっていない。
それでも人数が増え、測量器具や予備装備まで持ち込まれたことで、昨日より本格的な探索が始まるという実感が強かった。
◇
最初の二百メートルほどは、昨日確認した街路をなぞるように進んだ。
岩牙獣の死体は軍が入口近くへ移動させていたため路上には残っておらず、周辺に新しい魔物の反応もない。
エイルは先頭から少し後ろを歩きながら、石畳を通して周囲の動きを拾っていく。
水中より感覚はずっと広く届く。
建物内部を走る小さな生物、地下水路の流れ、遠くで周期的に作動する設備らしき振動まで、意識を分ければある程度区別できた。
昨日より範囲も広い。
感覚の縁をさらに押し広げるように意識すると、今までぼやけていた場所の輪郭まで少しずつ見えるようになる。
【《振動感知 Lv.10 → Lv.11》】
表示が浮かんだが、エイルは歩きながら一度確認しただけで、そのまま右側の建物へ意識を向けた。
「右の建物、地下があります」
すぐ前を歩いていた潜水班長が振り向く。
「地下室か?」
「多分。床の下に空間があって、奥へ細い通路が続いてます。生き物の反応は今のところありません」
地図担当の冒険者が記録し、学院研究者が入口だけ確認する。
今日は下へ入らない。
ひとまず印だけ残す。
さらに進むと、今度は左の路地から小型の反応が五つ近づいてきた。
「左から五体、昨日の岩牙獣より小さいです」
前衛が武器を構える。
現れたのは灰色の甲殻を持つ獣で、見た目は岩牙獣の幼体に近かった。
ただし、こちらを見てもすぐ襲ってこない。
低く唸りながら距離を取り、路地の奥を守るように並んでいる。
「巣があるのかもしれません」
学院研究者が声を落とす。
「刺激しなければ避けられる可能性があります」
エイルも攻撃する必要はないと判断し、右側の広い道を指した。
「回れます。向こうの道から同じ場所へ出られそうです」
「分かるのか?」
地図担当の女性冒険者が聞く。
「壁の位置くらいなら。完全な形までは無理ですけど、向こう側にも空間が続いています」
「便利だな、それ」
一行は無理に幼体を倒さず迂回した。
通ったことのない道でも、エイルが壁越しに大まかな構造を拾えるため、袋小路へ入り込む回数が明らかに減っている。
それを利用して街路を進むうち、《地形把握》の感覚まで変わり始めた。
見た場所だけを覚えるのではなく、《振動感知》で得た壁や空間の情報が頭の中の地図へ重なっていく。
【《地形把握 Lv.7 → Lv.8》】
少し経ってから、さらに表示が出る。
【《地形把握 Lv.8 → Lv.9》】
以前なら数日の探索で一つ上がれば十分だった技能が、今では未知の地下街を歩いているだけで連続して伸び始めていた。
◇
入口から三百メートルを越えた辺りで、街の雰囲気が少し変わった。
それまで作業施設ばかりだった両側の建物が途切れ、代わりに巨大な石柱が並ぶ広場へ出る。
中央には干上がった水路があり、その底には黒い砂のようなものが厚く積もっていた。
「ここ、昔は水が流れてたんでしょうか」
エイルが言うと、学院研究者が水路の縁へ近づく。
「可能性は高いです。幅からすると排水路ではなく、運搬か循環用だったかもしれません」
広場の向こうには、これまでの建物よりはるかに大きな門が見えている。
高さは十メートル近く、左右には守衛機と同じ青い線を持つ石像が立っていた。
ただし、今のところ動かない。
全員が距離を取りながら近づく。
エイルも《魔力感知》を向けたが、石像内部にはほとんど魔力が残っておらず、すぐ起動する様子はなかった。
門そのものには文字がある。
学院研究者二人が表面を掃除し、古い文字を一つずつ確認していく。
「読めそうですか?」
「少し待ってください……これは、管理区の表示ではありません」
研究者が防水板へ書き写した。
【第三循環炉 西側搬入口】
「循環炉?」
「おそらく施設へ動力か水流を供給する設備だと思います。文字通りなら、ここはその西側入口になります」
「第三ということは、第一と第二もある?」
「可能性は高いですね」
街そのものが一つの施設ではなく、複数の巨大設備を内包した管理都市だったのかもしれない。
エイルが門の向こうへ意識を伸ばそうとした、その時だった。
《危機感知》が反応する。
同時に、石畳を通して重い足音が届いた。
「前から来ます。大きいのが一体」
全員が即座に隊形を変えた。
学院組が後ろへ下がり、大盾を持つC級冒険者が前へ出る。
やがて門の脇にある別の通路から、巨大な四足獣が姿を現した。
昨日倒した岩牙獣に似ている。
ただし大きさが違う。
肩の高さだけで二メートルを超え、全長は五メートル近い。全身を覆う灰黒色の甲殻も厚く、前脚の爪は岩を削れるほど大きい。
「成体……いや、上位個体か」
学院研究者が息を呑む。
大盾の冒険者が前へ出た。
「俺が止める。横から脚を狙え!」
巨大な岩牙獣が地面を蹴った。
体格から想像するより速い。
大盾の男が腰を落とす。
正面衝突。
鈍い音が広場に響き、大盾の冒険者が二歩ほど後ろへ押された。
それでも倒れない。
「重いな!」
横から軍兵二人が槍を入れる。
甲殻へ当たるものの、浅い。
岩牙獣が身体を振り、大盾ごと男を押し飛ばそうとする。
エイルはその動きを見ながら長剣を抜いた。
以前なら、足か首の隙間を探していた。
今もそれが正しい。
ただ、必ず弱点へ入れなければ倒せない相手には見えなかった。
エイルは前へ出る。
「僕が止めます」
「は?」
大盾の男が振り向くより早く、エイルはその横を通った。
岩牙獣が前脚を振り上げる。
人間の胴ほどある脚が落ちてくる。
エイルは長剣を両手で持ち、身体強化を脚から腰、背中、肩へ繋げた。
大きく構えない。
剣の腹を斜めに当てる。
前脚がぶつかった。
石畳へ重い衝撃が走る。
しかしエイルの足は、ほとんど動かなかった。
岩牙獣の方が一瞬止まる。
エイルはそのまま剣を押し返し、巨大な前脚を外へ弾いた。
「……え?」
誰かの声が聞こえた。
エイルは気にせず、一歩踏み込む。
無防備になった胸元へ長剣を横から叩き込む。
甲殻が硬い。
刃が半ばで止まる。
以前なら、ここから《衝撃》を内部へ通す。
今日は、その前にもう一度力を込めた。
脚で石畳を踏み、腰を回し、剣を押し込む。
硬い外殻が音を立てて割れ始めた。
刃がさらに深く入る。
最後に、ごく小さな《衝撃》だけを重ねた。
内側で鈍い破裂音が響き、岩牙獣の巨体が横へ崩れる。
立ち上がろうとした前脚も、すぐ力を失った。
戦闘開始から十秒も経っていなかった。
エイルは長剣を引き抜き、刃の状態を確かめる。
「大丈夫そうですね」
周囲から返事がない。
顔を上げると、大盾の冒険者がまだ盾を構えた姿勢のままエイルを見ていた。
「……今の、正面から止めたよな?」
「はい」
「あれ、俺が盾で受けて押されたんだけど」
「かなり重かったですよ」
「そういう話してないんだが」
潜水班長が小さく息を吐く。
「昨日の岩牙獣二体の報告を読んだ時点で分かってたつもりだったが、また一日で基準がずれてないか?」
「そんなに変わってますか?」
「本人だけが毎回そこ聞くのやめろ」
後方で学院研究者が笑いを堪えていた。
エイルは特に言い返さず、倒れた岩牙獣へ視線を戻した。
強かった。
少なくとも、村を出た頃の自分なら逃げるしかなかった相手だろうし、少し前でも一度動きを見てから戦っていたはずだ。
今は、目の前へ来たから止めて、そのまま斬った。
それだけだった。
◇
巨大な岩牙獣は、学院側の確認で《岩甲牙獣》という別種に近い可能性が出た。
地上で稀に確認されるC級上位相当の魔物に似ているものの、地下個体はさらに甲殻が発達しており、危険度については持ち帰って詳しく調べる必要があるらしい。
大盾の冒険者はその説明を聞きながら、何度かエイルを見る。
「C級上位相当を十秒か」
「一人で戦ったらもう少しかかったかもしれません」
「いや、俺たち最初に一発入れただけだぞ」
「注意を引いてくれてたので」
「そういうところだけ妙に律儀だな」
周囲の警戒を続けながら、学院研究者たちは巨大門の記録へ戻った。
扉そのものは閉じているが、左右の壁には小さな点検口があり、その奥から微かな魔力反応がある。
ただし今日の目的は門を開くことではない。
位置を地図へ記録し、第三循環炉へ繋がる入口として後の調査対象に回す。
「奥の大きな振動、ここの設備からじゃないです」
エイルが石畳へ手を触れながら言う。
「もっと先です。昨日より少し近づいたので方向は分かりやすくなりましたけど、ここからでもかなり距離があります」
「正面の街路をさらに進んだ方向か?」
「少し右です。地図で言うと……」
エイルは作成途中の簡易図を借り、現在地から東寄りの奥を指した。
「多分、この辺のもっと先です」
「まだ測量範囲外だな」
「はい。ただ、振動は前より大きく感じます」
地下街へ降りてから距離が縮まっただけではない。
《振動感知》そのものも、探索を続けるたびに強くなっている。
【《振動感知 Lv.11 → Lv.12》】
表示が浮かび、さらに少し遅れて別のものも現れた。
【《身体強化 Lv.8 → Lv.9》】
先ほど岩甲牙獣を止めたことで、身体強化まで一段上がったらしい。
技能が増え、上がる速度まで速くなっている。
以前なら、一つの技能をここまで育てるだけでも長い時間が必要だった。
今は未知の場所へ入り、強い相手と戦い、新しい使い方を覚えるたび、その場で身体が次へ追いついてくる。
◇
その日の調査では、入口から四百五十メートルほどまで地図を広げたところで引き返すことになった。
巨大門のほかにも二本の横道と、一つの地下階段が発見され、さらに西側の街路からは上方向へ続く緩やかな坂道まで見つかっている。
坂の先は崩落しているものの、その向こうから水の振動が届いていた。
「これ、もしかしたら別の湖底区画へ繋がってるかもしれない」
地図担当の女性冒険者が壁へ耳を寄せながら言った。
「僕も水を感じます。かなり上ですけど、流れてますね」
「なら帰還路候補にはなる。崩落を掘り返せるか、軍に調べてもらおう」
目的だった第二の退路が見つかる可能性が出た。
それだけでも今日の成果は大きい。
帰還前、エイルはもう一度だけ中央街路の奥を見た。
青緑の光がずっと続いている。
その先からは、昨日より少しはっきり巨大な振動が届いているものの、まだ正体までは分からない。
急ぐ必要はない。
地図は確実に広がっている。
昨日まで百メートルだった空白が、今日は四百メートル以上先まで埋まり、さらに新しい道まで増えた。
それに伴って、自分の感知も地形把握も、身体強化もまた伸びている。
「エイル、戻るぞ」
潜水班長に呼ばれ、エイルは奥から視線を外した。
「はい」
帰還隊列へ加わりながら、先ほど倒した岩甲牙獣を思い出す。
以前なら強敵として構えたはずの相手を、今日は特別な大技も使わず正面から押し返し、そのまま斬り伏せた。
だからといって、もう敵がいないわけではない。
むしろ、この地下街の奥には、湖上からでも感じられるほど巨大な何かが残っている。
今の自分より強いものがいるなら、そこへ辿り着くまでにさらに強くなればいい。
エイルはそう考えながら、仲間たちとともに縦穴へ向かって歩いていった。




