第53話 C級昇格審査
C級昇格審査の朝、エイルがリューデン支部へ入ると、普段より少しだけ受付周辺が騒がしかった。
湖底遺構の件で北岸関連の依頼や報告が増えているらしく、水上隊の兵士、学院関係者、冒険者がそれぞれ別の窓口へ並び、二階へ上がる階段でも何人かの職員とすれ違う。
エイルが受付で名前を告げると、すぐ奥から職員が出てきた。
「エイル・アーネットさんですね。審査室へお願いします」
「はい」
案内されたのは、以前ダリオと模擬戦をした訓練場ではなく、二階奥の小さな会議室だった。
室内にはガレスと、見覚えのない男女が二人いる。
一人は四十代半ばほどの男で、濃い灰色の短髪に、右頬から顎へかけて古い傷が走っていた。装備は軽い革鎧だが、腰には使い込まれた片手剣を下げている。
もう一人は三十代ほどの女性で、こちらはギルド職員らしい。机の上へ大量の書類を並べ、エイルが入ってくると一枚目をめくった。
「座ってくれ」
ガレスに言われ、エイルは三人の向かいへ座る。
「先に紹介しておこう。こっちが支部所属の審査官、ヴァルト。元B級冒険者だ」
「元、というところまで付けなくていい」
ヴァルトが低い声で言う。
「膝をやって前線を退いただけだ。今でも若いD級を転がす程度なら問題ない」
「それで、こちらが記録担当のノーラだ」
「よろしくお願いします」
「お願いします」
ノーラは軽く頭を下げると、すぐ書類へ視線を戻した。
「審査を始めます。まず確認ですが、現在の冒険者等級はD級、昇格から……」
紙を見直し、少し眉を動かす。
「まだ一ヶ月も経っていませんね」
「はい」
「普通なら、この時点でC級審査へ上がってくることはほぼありません。ただ、今回は実績による特例推薦です」
ノーラが読み上げていく。
ローデン周辺での探索依頼。
青晶洞での調査。
アルネア旧西鉱山の異常報告。
坑砕鬼群との戦闘。
黒青脈の発見。
リューデ湖での船舶防衛。
北岸異常調査。
深湖甲獣との交戦。
潜水班救助支援。
湖底遺構での守衛機撃破。
そして、水門事故での研究者救助。
並べられると、エイル自身でも少し多いと思った。
「全部、本人確認済みか?」
ヴァルトが聞く。
「各支部、軍、学院から記録が来ています」
「盛られてない?」
「軍の報告書の方が冒険者側より細かいですね」
ガレスが横から笑う。
「特に水門の件は、潜水班長がかなり具体的に書いてる」
「……あれは事故対応です」
エイルが言うと、ヴァルトがこちらを見る。
「数トン級の水門を止めた事故対応か」
「実際に掛かってた重さは、もっと少ないらしいです」
「本人が一番話を小さくするタイプか。面倒だな」
「何でですか?」
「強さを盛る奴は見抜けばいいが、弱く言う奴は判断を誤る」
ヴァルトは椅子へ少し深く座った。
「じゃあ聞くが、自分を今どれくらいの冒険者だと思ってる?」
少し考える。
C級相当です、と答えるのも妙だった。
強さだけなら、以前見たC級より上の部分はかなり増えている。
ただ、経験では負けているところも多い。
「できることは増えました。でも、水中みたいに知らない環境へ入ると、まだ普通に失敗します」
「戦闘は?」
「相手によります」
「守衛機は?」
「一人ではないです。軍の人たちとダリオさんが崩してくれたので、最後に中心を壊せました」
「深湖甲獣は?」
「倒せてません」
「ダリオには勝った?」
「模擬戦なら」
ヴァルトが少し口元を上げる。
「悪くない答えだ」
◇
最初の審査は戦闘ではなく、判断力を見る質問だった。
護衛中に依頼内容にない魔物を発見した場合、どうするか。
仲間が負傷し、依頼対象だけならまだ追える場合。
未記載の遺跡入口を見つけた場合。
依頼主が危険を隠していた場合。
どれも正解が一つではなく、状況によって変わる。
エイルは、自分がこれまで実際にやってきたことを基準に答えた。
「未記載の遺跡を見つけたら、場所だけ確認して戻ります。危険が低そうでも、勝手に奥までは行かないです」
ヴァルトが片眉を上げる。
「本当に?」
「最近は」
ガレスが吹き出した。
「最近は、か」
「前なら入ってた?」
「少しだけなら」
「その少しが一番危ないんだよ」
ノーラが笑いを堪えながら記録する。
「では、護衛対象が予定より危険な場所へ行くと言い出した場合は?」
「依頼条件にないなら断ります。どうしても行くなら、依頼の再設定か追加人員を頼みます」
「相手が貴族でも?」
「危ないものは危ないので」
ヴァルトが頷いた。
「いい。C級になると、依頼主側が冒険者を使い慣れてるとは限らない。名前や身分で押してくる奴もいるから、断るべき場面で断れない奴は上げづらい」
「断るのは得意です」
「そこだけ自信あるな」
◇
一時間ほどで書類と口頭審査が終わり、次は訓練場へ移ることになった。
ガレスの話では大掛かりな戦闘試験はしないはずだったが、ヴァルトは自分で確認したいことがあるらしい。
「剣は真剣でいい。ただし刃は当てるな」
「分かりました」
「技能は?」
「使っていいんですか?」
「身体強化は使え。《衝撃》は直接俺へ当てるな。移動補助や剣へ流すのも、危険だと思ったら止める」
エイルは少し驚いた。
「身体強化を覚えたの、知ってるんですね」
「昨日の訓練場で四百キロ持ち上げた話まで届いてる」
「広まるの早くないですか?」
「学院とギルドが情報交換してるからな。あと、お前は最近目立ちすぎだ」
訓練場の中央へ出る。
ヴァルトは片手剣を抜き、軽く肩を回した。
膝を悪くしたと言っていたが、立ち方にはほとんど隙がない。
ダリオとは違う。
前へ出る圧がない代わりに、どこへ動いても対応されそうな構えだった。
「先に言っとく。俺は速くない」
「はい」
「ただし、速い奴を何人も倒してきた」
「分かりました」
「じゃあ来い」
合図はそれだけだった。
エイルは最初から《身体強化》を使わず、普通に踏み込む。
長剣を斜め上から。
ヴァルトは受けない。
半歩だけ下がり、剣の腹で軌道を滑らせる。
次。
横。
今度はエイルの手首へ軽く刃を当てて止められた。
「速いな」
ヴァルトが言う。
「でも、今の二つは読める」
エイルは距離を取った。
確かに。
身体の速度だけならこちらが上だと思う。
しかし、ヴァルトは動き始めてから反応していない。
エイルが剣を振る前の肩や腰を見ている。
なら。
そこを変える。
もう一度入る。
今度は剣を振る前に腰を切らず、身体ごと距離を詰めてから短く突く。
ヴァルトの剣が間へ入る。
防がれる。
ただし、さっきより遅い。
次は身体強化。
脚へ多めに魔力を流し、腰と背中へ必要な分だけ繋げる。
地面を蹴る。
身体が前へ出る。
速い。
昨日までの加速とは違う。
《衝撃》を使っていないのに、一歩目そのものが強い。
ヴァルトの目が僅かに開いた。
それでも剣は間に合う。
エイルの長剣と片手剣が触れた。
ここで以前なら、相手の剣へ強くぶつからず、そのまま流して次へ行っていた。
今日は違う。
押せるかもしれない。
エイルは腕だけではなく、背中と腰まで繋げて力を入れた。
ヴァルトの剣が押し込まれる。
「……!」
相手が一歩下がった。
その瞬間、エイル自身が少し驚いた。
元B級。
しかも正面から力を受ける構えをしていた相手を、剣ごと押した。
ヴァルトはすぐ力を抜き、横へ流して距離を取る。
「今の筋力、昨日までの記録と合わんな」
「昨日増えたので」
「本当にその言い方するんだな」
笑っている。
ただし、目はさっきより鋭い。
「もう一回来い。今度は遠慮するな」
◇
エイルは身体強化を全身へ薄く広げた。
脚を強めすぎると上半身が遅れる。
昨日覚えた。
なら、脚を六、腰と背中を四、腕を三くらいの感覚で配分する。
数字が見えるわけではない。
ただ、魔力の流れを意識すると自然にそれくらいの差を作れる。
踏み込む。
ヴァルトが剣を合わせる。
今度は押さない。
触れた瞬間に力を抜き、剣を滑らせる。
相手が押し返そうとした力だけ空へ逃がす。
そのまま近づく。
肩。
腰。
足。
ヴァルトの次の動きが見える。
右へ回る。
エイルは先に身体を向ける。
片手剣が来る。
受ける。
今度は正面。
金属音。
腕へ衝撃が来た。
でも。
止まる。
以前なら、強い相手の剣を正面から受ければ体勢まで崩れていた。
今は違う。
脚が地面を掴む。
腰が負けない。
背中から腕まで力が繋がり、長剣が押し込まれずその場で止まる。
ヴァルトの表情が変わった。
エイルはそこから押し返した。
相手が半歩下がる。
追う。
さらに一歩。
今度は《衝撃》を足元へ入れる。
身体強化で作った踏み込みへ、小さな加速を重ねる。
景色が縮んだ。
ヴァルトとの距離が、一瞬で消える。
「速――」
相手が剣を上げる。
間に合う。
でも。
エイルの方が少し早い。
長剣を振り切らず、喉元へ寸前で止めた。
ヴァルトの剣はエイルの肩へ向かう途中で止まっている。
数秒。
誰も動かない。
ヴァルトが先に剣を下げた。
「そこまで」
エイルも長剣を下ろす。
呼吸は少し速い。
ただ、それ以上に身体の感覚が変だった。
今の一歩。
身体強化。
筋力。
敏捷。
《衝撃》。
全部が別々ではなく、初めて一つの動きになった。
速くするために《衝撃》を使ったのではない。
まず自分の脚で強く踏み込み、その速度を身体強化で支え、最後に《衝撃》で少しだけ足した。
以前より明らかに効率がいい。
【《身体強化 Lv.3 → Lv.4》】
表示が浮かぶ。
続いて。
【《衝撃 Lv.17 → Lv.18》】
【《剣術 Lv.15 → Lv.16》】
エイルは表示を見ながら、さっきの感覚を忘れないよう何度か足を動かした。
「おい」
ヴァルトの声で顔を上げる。
「今、何か掴んだか?」
「はい。多分」
「だろうな」
ヴァルトは剣を鞘へ戻した。
「途中から一歩が別物になった。最初は速いだけだったが、最後は踏み込みそのものに重さがあった」
「重さ?」
「速い剣士には軽い奴が多い。身体を前へ運ぶのは上手いが、ぶつかった瞬間に押し返せる」
ヴァルトは自分が一歩押された場所を見る。
「お前は今までそっち寄りだったはずだ。少なくとも記録を読む限りはな。でも今は、速さを維持したまま力まで乗り始めてる」
エイルは自分の右手を見る。
筋力が伸びれば剣が強くなる。
それくらいには考えていた。
でも。
速さそのものも変わる。
強い脚で地面を蹴れば、一歩目が速くなる。
強い腰と背中があれば、その速度のまま剣を振れる。
《衝撃》はそこへさらに加速を足せる。
「面白いな」
「何が?」
「お前、強くなった分だけ戦い方まで変わってる」
ヴァルトが少し笑った。
「普通は新しい力を手に入れても、使い方が追いつくまで時間が掛かる。お前はその時間が妙に短い」
エイルは何も答えなかった。
その部分については、自分でも最近はっきり感じている。
◇
模擬戦の後、もう一つだけ確認が行われた。
今度は対人戦ではなく、訓練場の端に置かれた大型盾を使う。
厚い木板を鉄で補強したもので、本来は大型魔物の突進を受ける訓練用らしい。
「押してみろ」
ヴァルトが言う。
「どこまで?」
「まず普通に」
盾の裏には、重量を調整する鉄塊が載せられている。
エイルは両手を当て、身体強化なしで押した。
動く。
以前なら足を踏ん張って少しずつ押す重さだったはずだが、今は一歩ずつ前へ進める。
「止まれ。次、身体強化」
魔力を脚から背中へ流す。
押す。
盾がさっきより速く動く。
鉄塊が床の上で重い音を立てた。
ヴァルトが横から見ている。
「もう少し出せるか?」
「多分」
「痛みは?」
「ないです」
「なら一回だけ全身へ回してみろ。《衝撃》はなし」
エイルは呼吸を整える。
昨日までなら、身体強化を使う時にはただ全身へ魔力を流していた。
今は違う。
押す動作に必要な場所へ配分する。
脚。
腰。
背中。
肩。
腕。
全部を繋ぐ。
押す。
大型盾が動いた。
しかも。
思った以上に速い。
エイルは慌てて力を抜いた。
盾は一メートル以上滑り、固定用の木杭へ当たって止まった。
訓練場にいた何人かがこちらを見る。
「……壊してませんよね」
「そこ気にするのか」
ヴァルトが近づき、盾と床を確認する。
「壊れてない。ただ、これ以上は専用設備でやれ」
「はい」
「昨日四百キロを上げたって聞いた時は、多少誇張されてると思ったが……」
「誇張じゃなかったですね」
ガレスがいつの間にか入口で見ていた。
「お前、見てたのか」
「最後だけな」
「審査はもう十分だ」
ヴァルトはそう言って、エイルを見る。
「俺からは問題なし。むしろD級で置いとく理由がない」
◇
会議室へ戻り、ノーラが最後の書類を確認する。
「では、審査結果を正式に伝えます」
エイルは椅子へ座り直した。
「エイル・アーネットさん、本日付で冒険者等級をD級からC級へ昇格とします」
机の上へ新しい冒険者証が置かれる。
以前のものと形は同じだが、縁の色が変わっている。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
エイルは証を受け取った。
F級になった時も。
E級へ上がった時も。
D級へ上がった時も。
特別、等級そのものへ強い憧れがあったわけではない。
今回も同じだった。
ただ。
「これで受けられる依頼、増えますよね」
ノーラが少し笑う。
「増えます。長距離護衛、未調査区域周辺の探索、大規模遺跡の補助、危険度の高い地方依頼など、かなり選択肢が広がります」
「じゃあ嬉しいです」
「やっぱりそこなんだな」
ガレスが呆れたように言う。
「普通はC級になったこと自体でもう少し喜ぶぞ」
「嬉しいですよ」
「顔に出てない」
「地図見た時の方が出ます」
「知ってる」
◇
審査が終わった後、エイルは一階の依頼掲示板を見に行った。
今まで入れなかったC級以上の区画。
並んでいる紙の内容も、D級までとはかなり違う。
遠方の護衛。
山岳地帯の調査。
古街道の再測量。
中規模迷宮の未踏区域確認。
地方領からの緊急討伐。
そして。
地図の空白へ近い依頼も増えている。
「……いいな」
思わず声が出た。
その中で、一枚だけ目につく依頼があった。
【東湖域・異常音源調査】
依頼主はリューデン学院と領軍水上隊。
場所は、フィンたちから聞いた東側。
四十年前から何度か報告されている、水中の金属音。
古代図に描かれていた大きな印とも近い。
ただし。
依頼票の下には赤字がある。
【北岸遺構調査との関連確認後に実施予定】
まだ受注開始前。
「見つけると思った」
横からフィンの声がした。
「何でいるんですか?」
「学院の報告書届けに来た。あと、昇格したって聞いた」
「さっきです」
「おめでとう」
「ありがとう」
フィンも依頼票を見る。
「東、行く気でしょ」
「受けられるなら」
「北が片付いた後だけどね」
「分かってます」
「本当に?」
「最近はちゃんと待ってるじゃないですか」
「確かに」
フィンが笑う。
エイルはもう一度、東湖域の依頼票を見た。
C級になった。
筋力も増えた。
身体強化まで覚えた。
湖底へ潜れるようにもなった。
少し前までなら、地図の上に印をつけるだけだった場所へ、今は実際に行くための手段が揃い始めている。
そして、その手段が増える速度も以前とは違う。
エイルは腰の冒険者証をしまい、依頼掲示板から離れた。
まずは北岸。
閉じた水門の向こうを確かめる。
それが終われば東へ行ける。
その先でまた新しい場所が見つかれば、さらに遠くへ進めばいい。
C級という新しい等級も、増えた力も、エイルにとっては結局そのためのものだった。




