第49話 長剣を水へ
翌朝、エイルは久しぶりに長剣を腰へ下げたまま学院へ向かった。
昨日までの水中訓練では短剣しか使っていなかったため、普段なら落ち着くはずの重さが今日は少し違って感じられる。これをそのまま水の中へ持ち込めば、鞘も柄も身体の動きを邪魔する可能性があり、カイルからも「地上と同じ位置に下げたまま潜るな」と言われていた。
訓練施設へ着くと、カイルはすでに作業台の上へ何種類かの固定具を並べていた。
「来たな。まず剣を外せ」
「はい」
エイルが長剣を鞘ごと渡すと、カイルは腰帯へ当てていた金具を外し、代わりに背中へ斜めに固定する革製の装具を手に取った。
「水中じゃ腰に長い物をぶら下げると、それだけで抵抗になる。狭い場所なら壁へ当たるし、命綱まで巻き込みやすいから、移動中は背中へ固定するのが基本だ」
「抜く時は?」
「右肩側へ柄を出す。お前の腕なら届くだろうが、地上みたいに真上へ抜こうとすると呼吸具に当たるから、少し外へ引く動きになる」
実際に装備してみる。
呼吸具の筒が背中中央にあり、その左側へ鞘を斜めに通す形だった。柄は右肩の後ろへ出ているので手は届くものの、いつもの腰位置よりかなり高い。
エイルは一度抜いてみようとして、途中で剣身が鞘口へ引っかかった。
「……やりにくいですね」
「だから今日やるんだ」
もう一度、今度は柄を外側へ引きながら抜く。
さっきより滑らかだったが、それでも地上の抜刀とは別の動きになる。
「戦う前から覚えること多いな」
「水の中は全部そうだ。歩き方も、呼吸も、武器も、地上と同じつもりでやると大抵失敗する」
カイルは長剣の鞘留めも確認し、湖底へ潜っている途中で勝手に抜けないよう小さな固定帯を追加した。
「これなら遺構で使えますか?」
「使えるようにするための訓練だ。ただし、長剣だから強いとは思うな。狭所じゃ短剣の方がずっと楽な場面もある」
「使い分けですね」
「そういうことだ」
◇
最初の訓練は、ただ潜って抜刀し、納刀して戻るだけだった。
十五メートル水槽へ入り、呼吸具を使いながら底へ降りる。長剣を背負っているだけで姿勢が少し変わり、身体を横へ向けた時には鞘が遅れて水を受ける感覚があった。
底へ着いてから右手を肩の後ろへ回し、固定帯を外す。
柄を掴む。
引く。
剣身の半分ほどが出たところで、呼吸具の外装へ軽く触れた。
すぐ止める。
無理に抜かない。
角度を変え、右肘を少し外へ出してから、今度は最後まで抜いた。
水の中へ長剣が現れる。
振ってみると、想像していた通り重い。
実際の重量ではなく、水の抵抗が大きいのだ。
横薙ぎをしようとすると刃全体が水を受け、地上の半分ほどの速度しか出ない。腕に力を入れて無理に振れば速くなるが、その分だけ身体まで反対方向へ流される。
「駄目だな」
エイルは動きを止めた。
長剣だからといって、地上と同じ斬り方を持ち込む必要はない。
昨日まで水中用短剣を使っていた時と同じで、水を大きく押さない方がいい。
なら。
大振りは捨てる。
突く。
短く斬る。
剣先を使う。
長い武器としてではなく、届く距離を生かす。
エイルは正面の模擬標的へ剣を向け、小さく踏み込む代わりに身体全体を前へ流した。
突き。
刃先が標的へ触れる。
そのまま引く。
今度は手首だけで角度を変え、短い斜め斬りを入れる。
さっきよりずっと楽だった。
さらに、剣を戻す時も無理に腕で引かず、水の流れに合わせて身体を少し回せば抵抗が減る。
【《剣術 Lv.12 → Lv.13》】
表示が浮かんだ。
エイルはそのまま動きを続けた。
水中で剣術そのものが変わるわけではない。
ただ、使える動きと使えない動きを選び直す必要がある。
それを身体が思った以上に早く覚えていく。
◇
浮上すると、カイルが最初に聞いてきた。
「どうだった?」
「横に大きく振るのは駄目です。突きと短い斬りの方がいい」
「まあ基本だな」
「あと、剣を戻す時に身体ごと回した方が楽です」
「そこまで一回で分かったなら十分だ」
エイルは長剣を抜いたまま水槽脇へ置く。
「《衝撃》を使ったら、もう少し地上に近い動きできますか?」
「できるかもしれんが、最初から地上へ寄せるな。水中で水中の動きを覚えてから補助しろ」
「分かりました」
「お前は補助技能を主役にするのが早い」
確かに、何か困ると《衝撃》で解決できないか考える癖はある。
ただ、それ自体が悪いとは思っていなかった。
問題は、他の動きを覚える前に頼り切ることだ。
その後は、長剣を背負ったまま狭い柱の間を抜けたり、途中で抜刀してからもう一度背中へ納めたりする練習が続いた。
最初の数回は鞘が柱へ当たった。
角度を変える。
次は呼吸具が当たる。
身体を少し横へ。
その次は命綱が柄へ絡みかけたので、潜る前に縄を身体の左側へ流す癖をつける。
一つ失敗するたびに修正し、同じ場所をもう一度通る。
五周目には、ほとんど何も触れなくなった。
カイルが水面から見ながら顔をしかめている。
「また速くなってるな」
エイルは水面へ顔を出した。
「昨日もやったことに剣が増えただけなので」
「その『だけ』で普通はかなり崩れるんだよ。背中へ長剣一本増えるだけで、重心も抵抗も変わる」
「でも慣れました」
「見れば分かる」
カイルは少し考え、次の訓練用具を指した。
「なら午後からやる予定だったのを前倒しする。模擬遺構へ入るぞ」
◇
学院の水中訓練施設には、水槽の中へ石造りの迷路を組んだ区画があった。
実際の遺跡を想定しているため通路幅は一定ではなく、急に狭くなる場所や、一度沈まなければ通れない低い門、横穴まで作られている。
今日は水も少し濁らせてあった。
「中に標的が六つある」
カイルが簡易図を見せる。
「全部倒して出口まで来い。ただし、最短距離を取る必要はない。装備をぶつけず、安全に通れる道を選べ」
「敵役は?」
「いる」
「何人?」
「教えない」
エイルは少し笑った。
「分かりました」
水へ入る。
呼吸具。
長剣。
短剣。
命綱。
今までで一番装備が多い。
入口から水中へ沈み、石の通路へ入る。
すぐに視界が狭くなった。
壁が近い。
長剣を背負っているため、身体の向きを変える時に鞘の先まで意識しなければならない。
最初の分岐。
左は狭い。
右は少し遠回り。
地図だけなら左が短いが、長剣を背負ったまま抜けるには厳しい。
右へ。
少し進むと最初の標的が見えた。
人型。
正面に一体。
長剣を抜く。
狭い通路なので横薙ぎは使わず、そのまま突きで胸へ触れる。
標的の札が外れた。
一つ目。
その奥から水が動く。
敵役。
右側の横穴から模擬槍が伸びてきた。
エイルは後ろへ下がらず、壁へ身体を寄せて避ける。
槍が通り過ぎたところで長剣の腹を相手の柄へ当て、そのまま押し込まず角度だけ変える。
敵役の身体が少し開く。
胸の札へ剣先を触れさせた。
そこで相手は攻撃を止める。
通過。
さらに奥。
今度は通路が急に狭くなった。
長剣を抜いたままでは無理だ。
納める。
背中へ戻す。
固定帯。
身体を横にし、壁と呼吸具の間を確認しながら進む。
その途中で《危機感知》が反応した。
前ではない。
上。
天井近くの隙間から敵役が降りてくる。
視界で見るより先に身体を沈める。
攻撃が頭上を通った。
反撃するには長剣を抜く余裕がない。
なら短剣。
腰から抜き、そのまま相手の脇へ入って札へ触れる。
短い武器の方が明らかに使いやすい。
カイルが言っていた意味が分かった。
そのまま通路を抜け、広い部屋へ出る。
◇
部屋には標的が三つ。
ただし、一つは柱の向こう。
もう一つは水底。
最後は奥の壁際。
さらに敵役が二人いる。
エイルは長剣を抜いた。
広さがあるなら、今度は使える。
正面から一人。
左からもう一人。
水中なので地上ほど速くはないが、相手も訓練を積んでいる。
最初の短剣を避け、そのまま柱の裏へ回る。
追ってきた一人が柱の反対側へ。
もう一人は正面。
挟まれる前に動く。
エイルは柱を蹴らず、足元へごく小さな《衝撃》を入れて横へ流れた。
相手二人の攻撃線が重なる。
その間を抜ける。
まず標的。
長剣の先で札を落とす。
そのまま身体を回し、追ってきた一人の短剣を剣の中ほどで外へ逸らす。
強く受けない。
触れて方向だけ変える。
空いた胸へ手を伸ばし、札を取る。
残り一人。
今度は慎重に距離を取っている。
正面から行けば逃げられる。
エイルは追わず、底にある標的へ向かった。
相手も来る。
予想通り。
標的へ意識を向けた瞬間を狙っている。
水底近く。
エイルは長剣を標的へ向けながら、相手の位置を《振動感知》で追う。
後ろ。
少し上。
攻撃が来る。
エイルは標的へ剣を突き出したまま、左手だけ水底へ触れた。
そこから小さな《衝撃》を斜め後ろへ。
身体が前へ滑る。
攻撃が外れ、同時に剣先が標的へ届いた。
そのまま反転。
相手が姿勢を戻すより先に、長剣の先を胸元へ止める。
そこで敵役が両手を上げた。
残る標的は一つ。
奥の壁際。
エイルはそのまま進み、最後の札を落とした。
◇
模擬遺構を出た頃には、それなりに疲れていた。
地上で同じ距離を動くより、身体全体へ負担が掛かる。
それでも昨日のような息切れはなく、装備を外した後もまだ余裕が残っていた。
カイルは記録板を見ながら言う。
「一周目でそこまでできるなら、明日は問題なさそうだな」
「まだ失敗しましたよ」
「失敗しない奴なんかいない。重要なのは同じ失敗を繰り返さないことだ」
エイルは長剣を抜き、刃を布で拭く。
「水中だと、思ったより短剣使いますね」
「だから両方持てと言ったんだ。広い場所なら長剣の間合いは強いが、通路じゃ邪魔になる。遺跡に入ったら状況で変えろ」
「《衝撃》は?」
「今日くらいなら問題ない。むしろお前の場合、移動補助としてかなり使える」
少し間を置いてから、カイルが続ける。
「ただ、水中で出力を上げすぎるな。狭い遺構の中で強く使えば、自分の逃げ場まで崩す可能性がある」
「分かりました」
「お前の《衝撃》、もう低級技能の使い方じゃないからな」
エイルは剣を拭く手を止めた。
「そんなに違いますか?」
「最初は押すだけの魔法だろ。それを足場にして水面走って、水中移動して、船から魚追い払って、剣の中へ通して内部へ衝撃入れてる時点で別物に近い」
「技能名は同じですけど」
「技能名が同じなら同じ使い方しかできない、なんて決まりはない」
それは確かにそうだった。
同じ《剣術》でも、人によって戦い方は違う。
なら《衝撃》も同じなのだろう。
◇
昼食を挟んだ後、エイルは一度学院の図書館へ向かった。
湖底調査へ入る前に、少しでも水没遺構について見ておきたかった。
フィンが話を通してくれていたため、外部閲覧区までは臨時入構札だけで入れる。
図書館は想像していた以上に大きかった。
二階まで続く本棚が何列も並び、地図だけを集めた区画まである。
エイルは入口で数秒止まった。
「……すごい」
「やっぱり来た」
横からフィンの声がした。
「待ってたんですか?」
「教授に頼まれて資料運んでたら、入口で立ち尽くしてる奴がいたから」
「地図がいっぱいある」
「そっちから見るの?」
「駄目ですか?」
「駄目じゃないけど、今日は湖底遺構を調べに来たんじゃないのか」
「それも見ます」
フィンに案内され、古いリューデ地方の記録を集めた棚へ向かう。
すでに何冊か机へ出されており、リサもそこで紙へ何かを書き写していた。
「ちょうどいいところに来た」
「何か見つかった?」
「多分」
リサが一冊の古い記録を開く。
紙は黄ばんでおり、現在の文字へ書き直された写本らしい。
「百八十年くらい前の水位低下記録。大渇水で湖の水がかなり下がった年があったんだけど、その時に北岸と西部で石造物が露出したって記録がある」
「今の遺跡?」
「断定はできない。ただ、場所はかなり近い」
フィンが別の地図を広げる。
現在より少し湖岸線が内側へ下がった古地図で、北岸には小さな四角い印、西の葦原付近には三つの点が描かれている。
「この北の印が、今の湖底穴とほぼ重なる」
「西の三つは?」
「現在の水上遺跡に近い」
エイルは地図を見比べる。
北と西。
距離はある。
それでも同じ時代の記録に、両方が同時に現れている。
「水門って、何のためにあったんだろう」
「そこを教授たちも調べてる」
リサが答える。
「普通に考えるなら水位管理だけど、今のリューデ湖にそんな大規模な人工水門が必要だった理由が分からない。しかも施設が湖底まで続いてるなら、単なる堤防じゃ説明しにくい」
「湖そのものを管理してた?」
「可能性の一つ」
フィンがさらに別の紙を出す。
「それと、石片の文字がもう少し読めた」
「昨日の続き?」
「うん。《上層水門・第二管理区》に近いらしい」
エイルの視線が止まる。
「第二」
「つまり少なくとも第一がある可能性はかなり高い」
「他にも?」
「第三以降がないとは言えない」
地図の空白が、一つ増えた。
明日入る場所が第二なら。
第一はどこか。
西部水上遺跡が別区画なのか。
あるいは、湖の底にまだ見つかっていない施設があるのか。
「明日、第一空洞へ入るんだよね」
フィンが聞く。
「はい」
「俺たちは船上観測班。中には入らないけど、入口近くまでは行く」
「リサも?」
「私も」
「じゃあ何か見つけたら教えます」
「それ、こっちの台詞だから」
リサが笑った。
◇
夕方、学院を出る前に、エイルは訓練施設へ戻って長剣を受け取った。
固定具も明日の調査用に調整され、そのまま持ち帰っていいことになった。
「今夜は無駄に振るなよ」
カイルが言う。
「休んどけ」
「分かりました」
「本当に?」
「明日使うのに、今日疲れても仕方ないので」
「やっとまともなこと言ったな」
「僕、そんなに無茶ばっかりしてますか?」
カイルは少し考えてから答えた。
「自覚ないなら今はいい」
気になる言い方だった。
宿へ戻る途中、エイルは一度だけ状態板を開いた。
【Lv.29】
【《剣術 Lv.13》】
【《危機感知 Lv.16》】
【《衝撃 Lv.15》】
【《魔力操作 Lv.13》】
【《魔力感知 Lv.12》】
【《振動感知 Lv.8》】
【《水泳 Lv.7》】
【《水中行動 Lv.7》】
試験前より、また上がっている。
特に《水中行動》は、習得してからまだ数日しか経っていない。
なのに、もう七。
エイルは歩きながら表示を閉じた。
強くなっている。
しかも。
以前より速く。
ただ、そのことへ何度も驚いて立ち止まる時期は、そろそろ終わりなのかもしれない。
明日は湖底へ入る。
そこには自分より水中へ慣れた兵士がいて、正体の分からない魔物がいて、そのさらに下にはまだ誰も歩いたことのない空間がある。
伸びる速度が上がるなら、その分だけ遠くへ行けばいい。
エイルは腰ではなく背中側に回した長剣の重さを確かめながら、湖へ目を向けた。
明日の朝には、あの水面の下へ自分から潜っていく。




