第41話 湖都リューデン
定期船が港へ入るにつれて、リューデンの大きさがはっきりしてきた。
セレナでは湖岸に沿って町が伸びていたが、こちらは港だけでも一つの町のようだった。石造りの桟橋が何本も水上へ突き出し、それぞれに商船、漁船、軍船らしい船が分けて停泊している。
荷揚げ場では何十人もの人間が動き、積み上げられた木箱の間を荷車が絶えず行き交っていた。
その向こうには倉庫街。
さらに丘へ向かって商店や宿が並び、最も高い場所には、船上からも見えていた白い塔が立っている。
「学院、あそこです」
フィンが指を向けた。
「結構遠いな」
「港から歩くと三十分くらい。正門は丘の反対側だから、もう少しかかる」
「大きい?」
「学生だけで千人以上いるからね」
「千人」
村の人間を全員集めても、まるで届かない。
エイルは少し想像してみたが、途中でやめた。
「図書館は?」
「まだ言ってる」
「気になるので」
「着いた当日に学院の図書館へ行こうとする冒険者、初めて見たよ」
フィンの隣で、杖を持った少女が笑った。
彼女はリサという名前らしい。船の途中で他の三人とも簡単に名乗り合ったが、五人全員の名前を一度で覚えられた自信はまだなかった。
そのうちまた会えば覚えるだろう。
「まずギルドへ行った方がいいよ」
フィンが続ける。
「刃鰭魚の件も報告しないといけないし、エイルの《振動感知》についても向こうが聞きたがると思う」
「技能名までは言わなくていいです」
「あ、隠したい?」
「隠すほどじゃないけど、全部言う必要もないかなって」
「冒険者らしいな」
学院では技能を共有することが多いのかもしれない。
エイルは自分の状態板を他人へ見せるつもりはなかった。
《越境》はもちろん。
最近の成長速度も。
知っている人間が増えて得をするとは思えない。
◇
船を降りると、すぐに港の管理官から足止めされた。
刃鰭魚による襲撃があったためだった。
船長と船員が先に状況を説明し、学院生たちも名前と所属を記録される。エイルも冒険者証を見せ、聞かれた範囲だけ答えた。
「船底への接近を事前に察知した?」
「はい」
「水中探知系の技能か?」
「振動を見るのが得意です」
嘘ではない。
「魔力探知では?」
「それも使えますけど、今回は船を伝わってきた震えです」
管理官は少し考え、記録用紙へ何かを書いた。
「後で冒険者ギルドにも報告してくれ。北岸の異常と関係している可能性がある」
「分かりました」
港を出ようとしたところで、フィンたちとは一度別れることになった。
「俺たちは学院へ戻って報告する」
「じゃあまた」
「図書館に来るなら受付で探索科のフィンって言えば分かると思う」
「紹介してくれる?」
「外部閲覧区だけなら。旧西坑の話をもう少し聞かせてもらう代わりに」
「それなら」
交換条件としては悪くない。
リサが横から口を挟む。
「教授に捕まるかもしれないけど」
「それは嫌です」
「どういう即答なの」
「話長そうだから」
「教授にもよるよ」
学院生たちは笑いながら丘の方へ歩いていった。
エイルは一人になり、改めて街を見る。
「……どこから行こう」
地図屋。
宿。
ギルド。
学院。
港。
全部見たい。
ただ、船の件があるので先にギルドへ行くことにした。
◇
リューデンの冒険者ギルドは、これまで見たどの支部よりも大きかった。
二階建ての石造建築で、正面には剣と杖と波を組み合わせた紋章が掲げられている。扉を開ける前から中の話し声が聞こえ、入ってみれば受付だけで六つあった。
「でかい……」
依頼掲示板も一枚ではない。
街中。
湖上。
遺跡。
護衛。
討伐。
採取。
それぞれ分けられている。
冒険者の数も多い。
革鎧程度の者から、全身を金属鎧で固めた者、長い杖を持つ魔術師、見たことのない武器を持った者まで様々だった。
ローデンでは見慣れた顔が増え始めていたが、ここでは完全に知らない人間ばかりだ。
エイルは空いていた受付へ向かった。
「ようこそ、リューデン支部へ」
受付にいたのは三十歳前後の男性だった。
「他支部登録ですね?」
「ローデンです」
冒険者証を差し出す。
男は魔道具へ通し、少しだけ目を止めた。
「D級、エイル・アーネットさん。登録から……」
そこで言葉が止まる。
エイルは何となく嫌な予感がした。
「何か?」
「いえ。随分早い昇格ですね」
「たまたまです」
「十二日をたまたまと呼ぶ人は初めて見ました」
支部間の記録には、やはり登録日まで残っているらしい。
「それで、本日は?」
「セレナから来た定期船で刃鰭魚に襲われました。港からこっちにも報告するよう言われて」
受付員の表情がすぐ仕事のものへ変わった。
「白帆三号ですね?」
「はい」
「すでに港から速報が来ています。三体で船を攻撃したと」
「多分三体でした」
「撃退方法について確認しても?」
聞かれたことにだけ答える。
船体を伝わる振動で位置を見たこと。
接近に合わせて《衝撃》を船へ流し、水中から追い払ったこと。
細かい技能Lvや能力値については話さない。
「《衝撃》で?」
「はい」
「船を?」
「壊さないくらいで」
「……なるほど」
受付員は一度筆を止めた。
「念のため聞きますが、一般的な《衝撃》ですよね?」
「多分」
「多分」
「技能名は《衝撃》です」
「そうですか」
納得したようには見えなかった。
◇
「北岸調査なら俺たちが入ってるだろ」
少し離れた受付から、低い声が聞こえた。
最初は気にしていなかった。
だが次に、
「今さらD級を混ぜる必要あるのか?」
と言われ、エイルは自然とそちらを見る。
三人組の冒険者が立っていた。
先頭は二十代半ばほどの男で、背が高い。肩まである茶髪を後ろで束ね、背中には長槍を背負っている。
左胸にはC級冒険者の徽章。
その横には弓を持つ男と、短杖を腰に差した女性がいた。
受付にいた職員が何か説明している。
「船の襲撃情報が追加されました。水中の動きを察知できる冒険者がいるため、明日の調査に――」
「それがそいつ?」
槍の男がこちらを見た。
話が繋がった。
どうやら自分のことらしい。
エイルは少し嫌な予感がした。
男はこっちへ歩いてくると、まず冒険者証ではなく、エイルの顔を見た。
「何歳だ?」
「十六です」
「D級?」
「はい」
「湖は?」
「昨日初めて見ました」
男が鼻で息を吐く。
「ふざけてんのか」
「何がです?」
「水上経験もねえD級を北岸調査に入れるって話だよ」
「僕に言われても」
まだその依頼を受けるとも言っていない。
槍の男は少し眉を寄せた。
「名前」
「エイル」
「俺はダリオ。C級だ」
「そうですか」
「……お前、人の話聞いてる?」
「聞いてます」
何を求められているのかが分からないだけだった。
ダリオの後ろにいた女性が、小さくため息をつく。
「ダリオ、やめなって。支部が決めることでしょ」
「だから確認してんだよ。北岸は遊びじゃねえ」
そこは正しい。
昨日まで水上経験すらなかった自分を警戒すること自体は、おかしくない。
「僕も、知らない場所で無理に一人で動くつもりはないです」
「だったら降りろ」
「まだ受けてませんけど」
ダリオの顔が少し引きつった。
「さっきからそればっかりだな」
「事実なので」
周囲で話していた冒険者たちの声が、少しだけ小さくなっている。
見られている。
エイルとしては、あまり嬉しくない。
「そもそも」
ダリオがエイルの腰の長剣を見る。
「新品の剣下げて、登録したばっかりのD級が何を探知できるって?」
「色々です」
「具体的に言えよ」
「嫌です」
「は?」
「技能を全部話す理由ないですよね」
今度こそ周囲が静かになった。
ダリオが一歩近づく。
エイルは動かなかった。
相手に殺気はない。
怒ってはいるが、いきなり武器を抜くほどではない。
「俺たちは三日前から北岸を調べてる。浅瀬の魔物が増えて、漁師が怪我して、昨日は船まで一隻戻ってこなかった」
声から軽さが消えた。
「そこへ昨日湖を見たばっかりのガキが入ってきて、特殊な探知ができますって言われて信用できるか?」
なるほど。
ただの絡みではないらしい。
自分たちが追っている危険な場所へ、知らない若いD級が突然混ざる。
嫌がる理由は分かった。
「それなら、信用しなくていいです」
「何?」
「役に立つかどうかは、実際に見れば分かるから」
エイルはそれだけ言った。
無理に認めてもらう必要はない。
依頼を受けることになれば、その時にやるべきことをやる。
「口だけなら何とでも――」
「ダリオ」
今度は後ろの女性が強い声で止めた。
「そこまで。ギルド内でやるなら私帰るよ」
ダリオは舌打ちこそしなかったが、明らかに納得していない顔で離れた。
「明日、こいつが来るなら俺は実力確認させてもらうからな」
受付員へそう言い残し、仲間と掲示板の方へ戻っていく。
エイルはその背中を見送った。
「すみません」
自分の受付にいた男性が頭を下げる。
「ダリオさんは少し言葉が荒いですが、北岸調査では昨日仲間が負傷しています」
「だから苛立ってた?」
「それもあると思います」
エイルは少しだけ考えた。
突っかかってきたこと自体は面倒だった。
ただ。
危険な場所で組む相手を疑うのは、エイルにも理解できる。
「明日の調査、僕も候補なんですか?」
「港から上がった報告を見て、支部長代理が提案しました。水中の接近を事前に把握できるなら非常に価値があります」
「何を調べるんです?」
受付員が新しい地図を広げた。
リューデンから北西。
湖岸沿いの浅瀬。
赤い印が複数付いている。
「この五日間で、水棲魔物の出現地点が明らかに岸へ寄っています。昨日はこの付近で漁船一隻が消息を絶ちました」
「刃鰭魚?」
「不明です」
さらに別の印。
「領軍の水上隊が主要航路を確認し、学院が水質と魔力濃度を調査しています。ギルドは岸辺と浅瀬の魔物分布を担当中です」
昨日聞いた三つの勢力が、同時に動いている。
「報酬は?」
「調査だけなら銀貨四十五枚。危険個体の発見、討伐、異常原因の特定で追加です」
D級依頼としては高い。
その分、危険なのだろう。
「船に乗ります?」
「小型の調査船を使います。船員は別に付きます」
「やります」
決めた。
ダリオに言われたからではない。
昨日襲ってきた刃鰭魚も気になる。
水の下に何があるのかも。
「では明朝、第六桟橋へ。ダリオさんたち三人と、もう一組が参加予定です」
「学院や軍と一緒じゃない?」
「調査範囲は分けます。ただ、異常があれば救難信号を共有します」
エイルは依頼票へ署名した。
◇
ギルドを出た後、すぐ宿を探すつもりだった。
ところが入口近くで、先ほどのダリオが壁へ寄りかかっていた。
「待ってたんですか?」
「違う」
明らかに待っていたように見える。
「受けたか?」
「はい」
「なら明日、邪魔だけはするなよ」
「分かりました」
「あと一つ」
ダリオが真っ直ぐこちらを見る。
「船の上で動けんのか?」
「今日初めて乗ったので、まだ慣れてません」
「……本当に正直だな、お前」
「嘘ついても明日分かりますよ」
「なら今から訓練場来い」
「何で?」
「実力確認だ」
「明日やるんじゃ?」
「水の上で確認して使えなかったら遅えだろ」
言っていることは分かる。
ただ、どうも言い方が気に入らない。
「嫌なら逃げてもいいぞ」
そこで少し。
エイルの中でも引っかかった。
「逃げませんよ」
「じゃあ来い」
◇
ギルド裏の訓練場には、水上戦用らしい設備まであった。
地面に固定された大きな木製台。
その下に何本もの支点があり、人が乗ると不規則に揺れる。
「こんなのあるんだ」
「湖の街だからな」
ダリオが先に台へ乗った。
足元が傾いても、身体はほとんどぶれない。
「ルールは簡単。武器は訓練用。相手を台から落とすか、一撃取れば終わり」
「本当にやるんですか?」
「お前が明日俺たちと船に乗るならな」
周囲にはいつの間にか数人の冒険者が集まっている。
ダリオの仲間二人もいる。
女性の方は呆れた顔をしていた。
「エイル、嫌ならやらなくていいからね」
「大丈夫です」
エイルは腰の剣を外し、用意されていた木剣を一本取った。
少し軽い。
重心も違う。
それでも問題はない。
揺れる台へ乗る。
船より狭い。
そして揺れ方が不自然だ。
端へ体重を掛けると反対側が浮き、少し遅れて戻ってくる。
「始めるぞ」
ダリオは訓練用の槍を構えた。
「はい」
直後。
槍が来た。
速い。
昨日まで戦った魔物とは違う、明確に人間の技術が乗った突きだった。
エイルは木剣で受けず、身体を半歩ずらす。
台が傾く。
そこを狙って二撃目。
「っ」
剣を横へ合わせる。
槍と木剣がぶつかり、手へ衝撃が返る。
ダリオの方が筋力は上かもしれない。
押し合うのは不利。
エイルはすぐ力を抜いた。
槍が前へ流れる。
同時に、自分の足元へ小さな《衝撃》を入れた。
傾いた台の戻りに合わせ、一歩だけ横へ滑る。
「なっ」
ダリオの脇へ出た。
木剣を首元へ止める。
一瞬だった。
周囲が静かになる。
ダリオも動かなかった。
「……今、何した?」
「横に動きました」
「それは見りゃ分かる」
エイルは木剣を下ろす。
「台が戻る方向に合わせただけです」
「二回目で?」
「船で少し慣れたので」
実際には。
台へ乗った瞬間から、足元の動きは《地形把握》が拾っていた。
さらに《振動感知》で支点の軋みまで分かる。
ダリオが踏み込む前には、どちらへ台が沈むかほぼ読めていた。
そこへ《衝撃》を少し足しただけだ。
「もう一回」
ダリオが言う。
「一回で終わりじゃ?」
「いいから」
今度は最初から本気に近かった。
槍が連続で来る。
一撃。
二撃。
三撃。
エイルは避ける。
受ける。
台が揺れる。
身体がそれに合わせる。
最初の船上では、足元が動くたびに違和感があった。
今は違う。
揺れるなら。
その揺れごと使えばいい。
四撃目を剣で逸らし、台がダリオ側へ沈む瞬間に踏み込む。
今度は《衝撃》すら使わない。
槍の内側へ入り。
柄を木剣で押し上げる。
ダリオの体勢が崩れる。
肩を軽く押した。
「お――」
巨体が一歩下がり、その足が台の外へ落ちた。
地面へ着地する。
二度目も終わった。
誰かが小さく笑った。
ダリオがそちらを睨む。
「笑った奴、次お前やれ」
すぐ静かになった。
エイルは台から降りる。
「これでいいですか?」
「……D級なんだよな?」
「はい」
「レベルは?」
「秘密です」
「技能は?」
「それも秘密です」
「腹立つな、お前」
「聞かれたから答えただけです」
ダリオはしばらく睨んでいたが。
やがて。
「明日、前に出すぎんなよ」
「分かりました」
「水中探知は任せる」
「はい」
さっきまでとは少しだけ声が違った。
完全に気に入られたわけではない。
むしろ、まだかなり疑われている。
それでよかった。
少なくとも。
明日、邪魔扱いされることはなさそうだった。
◇
訓練場を出る直前。
視界に表示が浮かんだ。
【《地形把握 Lv.5 → Lv.6》】
【《剣術 Lv.9 → Lv.10》】
エイルは足を止める。
剣術は昨日上がったばかりだった。
それが。
もう次へ進んでいる。
相手が自分より経験豊富なC級だったこと。
動く足場という慣れない条件だったこと。
それらが《越境》の補正へ引っかかったのだろう。
ただ。
それだけでは説明しきれないほど。
速い。
「……まただ」
昨日より。
さらに少し。
次へ届くまでの距離が短くなっている。
エイルは表示を消した。
明日は湖上。
水の中には、何がいるか分からない。
けれど。
今の自分なら。
今日よりまた少し先へ行ける気がした。




