第4話 冒険者登録
冒険者ギルドの中は、外から見た以上に広かった。
正面には長い受付台。
右手には壁一面を使った依頼掲示板があり、その前には何人もの冒険者が集まっている。
左側には酒場のような場所まであった。
昼を少し過ぎた時間だというのに、既に酒を飲んでいる者もいる。
剣。
槍。
弓。
杖。
見渡すだけでも様々な装備が目に入った。
エイルは入口の脇へ寄った。
「……人、多いな」
村でこれだけの人数が一か所に集まることなど、祭りの日くらいしかない。
しかも、そのほとんどが武器を持っている。
妙な圧迫感があった。
同時に。
少し、わくわくもする。
ここにいる者たちは皆、エイルの知らない場所へ行ったことがあるのだろう。
森。
山。
洞窟。
迷宮。
もしかすると、国の外へ出た者もいるかもしれない。
そう考えていると、つい視線があちこちへ向いた。
「新規登録ですか?」
声をかけられ、エイルは我に返った。
受付の一つが空いている。
そこに座る女性が、こちらを見ていた。
「あ……はい」
「でしたら、こちらへどうぞ」
エイルは素直に受付へ向かった。
女性は二十代半ばほど。
栗色の髪を肩の辺りで揃え、胸元にはギルドの紋章が入った制服を着ている。
「まず、お名前をお願いします」
「エイル・アーネットです」
「年齢は?」
「十六です」
「出身地」
「リネル村です。ここから南へ二日くらいの」
「リネル……」
女性は手元の冊子を確認し、小さく頷いた。
「ありました。では、エイルさん。冒険者ギルドの利用は初めてですね?」
「はい」
「分かりました。登録の前に簡単な説明をします」
女性が一枚の紙を取り出した。
エイルは少し姿勢を正す。
「冒険者にはFからSまでの階級があります。新規登録者は原則としてF級からの開始です」
「原則?」
「他支部からの移籍や、国軍などで明確な戦闘実績がある場合には例外があります。ただ、ほとんどの方はF級からですね」
それなら問題ない。
むしろ、その方がいい。
「依頼には推奨階級が設定されています。自分より上の階級の依頼は、原則として受注できません。ただし、上位冒険者の同行がある場合などは例外となります」
「なるほど」
「階級を上げるには依頼実績、素行、戦闘能力、ギルドへの貢献などが見られます。単純に強ければ上がれるわけではありません」
そこはエイルが思っていたものと少し違った。
「戦えるだけじゃ駄目なんですね」
「はい。冒険者は討伐だけをする仕事ではありませんから」
採取。
護衛。
捜索。
調査。
荷運び。
場合によっては町の雑用まで。
ギルドへ持ち込まれる依頼はかなり幅広いらしい。
エイルとしては、その方がありがたかった。
知らない場所へ行く理由が増える。
「それと、依頼中に発見した未知の魔物、遺跡、地形などの情報にも報奨金が出る場合があります」
エイルの目が少しだけ動いた。
「地形もですか?」
「はい。既存の地図との違いが大きい場合や、新しい道を発見した場合などですね」
「……それ、いいな」
「はい?」
「いえ」
思わず声に出ていた。
エイルは少しだけ視線を逸らした。
受付の女性は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐ説明へ戻る。
「登録には状態板の確認が必要です。ただし、確認する項目は限定されています」
エイルの意識が戻った。
「全部、見せる必要がありますか?」
少しだけ声が硬くなった。
「いいえ」
即答だった。
エイルは肩の力を抜く。
「ギルド側が確認するのは、氏名、年齢、レベル、それから重大な犯罪系称号の有無です。能力値や保有技能を公開する義務はありません」
「良かった……」
「技能については、依頼の受注条件として確認を求められる場合があります。その際も必要なものだけです」
「分かりました」
《越境》を見せずに済む。
それだけでかなり安心した。
理由を聞かれても、エイル自身がまだよく分かっていない技能だ。
人に説明する方が難しい。
「では、この用紙に記入をお願いします」
羽根ペンを受け取る。
名前。
年齢。
出身地。
使用武器。
緊急時の連絡先。
得意とする技能。
そこで手が止まった。
「これは全部書くんですか?」
「任意です。依頼を紹介する際の参考に使います」
エイルは少し考えた。
《剣術》。
《野営》。
《追跡》。
その三つを書く。
《危機感知》は迷って、結局書かなかった。
《衝撃》も同じ。
隠すほどのものではない気がする。
ただ、今のところ人に知らせる必要も感じなかった。
「これで」
「はい。確認しますね」
女性が用紙へ目を通す。
「剣術、野営、追跡。探索系が多いんですね」
「山に入ることが多かったので」
「ご実家が猟師など?」
「いえ。ただ、僕が勝手に歩き回っていただけです」
「……なるほど」
何かを納得された。
少し不本意だった。
女性が机の下から透明な水晶を取り出す。
両手に収まる程度の大きさだ。
「こちらへ手を置いてください」
「はい」
エイルが右手を置く。
一瞬。
水晶の内部に淡い青い光が走った。
女性の横に置かれた小さな石板へ、いくつかの文字が浮かび上がる。
女性はそれを確認した。
「エイル・アーネット。十六歳。レベル六……犯罪系称号なし。問題ありません」
「良かったです」
「レベル六ですか」
「はい」
女性がもう一度石板を見る。
「十五歳で状態板が開いて、一年ほどですよね?」
「そうですね」
「村では魔物討伐などを?」
「小さいものなら」
兎型の魔物。
牙鼠。
森狼を追い払ったことも何度かある。
だが、大したものではない。
女性は少し考えたようだったが、それ以上は聞かなかった。
「では登録料として銀貨一枚になります」
「はい」
財布を出す。
旅立つ時に持ってきた金の中から銀貨を渡すと、少しだけ寂しくなった。
昨日、鎧猪の素材を取ってこなかったことが改めて悔やまれる。
女性は金を確認すると、今度は金属製の小さな札を取り出した。
掌に収まる大きさ。
灰色。
表面にはギルドの紋章と、エイルの名前。
その下に大きくFの文字が刻まれている。
「こちらが冒険者証です」
エイルは受け取った。
思っていたより少し重い。
「なくした場合は再発行に費用がかかりますので、注意してください」
「分かりました」
表。
裏。
なんとなく眺める。
これで。
冒険者になった。
「……」
もう少し何かあるのかと思っていた。
鐘が鳴るとか。
皆に祝われるとか。
もちろん、そんなものはない。
受付の向こうでは別の冒険者が依頼について話している。
酒場では誰かが笑っている。
掲示板の前では男二人が依頼票を取り合っていた。
誰もエイルが冒険者になったことなど気にしていない。
それが少しだけ心地よかった。
「どうされました?」
「あ、いえ」
冒険者証を握る。
「思ったより普通だなと思って」
「登録ですからね」
「ですよね」
女性が小さく笑った。
「冒険者らしくなるのは、これからだと思いますよ」
エイルも少し笑った。
「そうします」
「では最後に――」
受付の女性が何かを言いかけた。
その時。
「ミレイさん」
横から声が飛んだ。
男性職員が一人、早足で近づいてくる。
その顔に少し焦りがある。
「南門から連絡です。巡回隊を出したいと」
「何かありました?」
「鎧猪です。街道の近くに出た可能性があるらしくて」
エイルの視線が僅かに逸れた。
受付の女性――ミレイが眉を寄せる。
「街道に? 珍しいですね」
「親一頭と幼体二頭。親は既に死んでいるそうですが、念のため確認を依頼したいと」
「討伐者は?」
「それが……」
男性職員が手元の紙を見る。
「冒険者ではない十六歳の少年、と」
沈黙。
ミレイがゆっくりエイルを見る。
エイルは冒険者証をしまった。
「……」
「エイルさん」
「はい」
「今朝、南門を通りました?」
「通りました」
「鎧猪を見ました?」
少し迷った。
ここで知らないと言えば、多分すぐにばれる。
「見ました」
「親個体は?」
「……僕が倒しました」
ミレイが黙った。
隣の男性職員も黙った。
周囲の音だけが妙に大きく聞こえる。
「一人で?」
「はい」
「レベル六で?」
「倒した時は三でした」
言った後。
エイルは少し嫌な予感がした。
ミレイの表情が止まっている。
男性職員は一度紙を見て、エイルを見て、もう一度紙を見た。
「……レベル三?」
「昨日、上がったので」
「いくつ?」
「三つです」
「一度に?」
「はい」
また沈黙。
どうも反応がおかしい。
エイルは眉を寄せた。
「珍しいんですか?」
「……珍しいですね」
ミレイが慎重に答えた。
「かなり」
「そうですか」
自分でも少しおかしいとは思っていた。
やはり普通ではなかったらしい。
「鎧猪をどうやって倒したんです?」
「足場を崩して、前脚を傷めさせて。それから腹へ剣を」
「足場を?」
「柔らかい土があったので」
「……なるほど」
ミレイの視線がエイルの剣へ向かう。
そこへ。
ギルドの入口が開いた。
「ミレイ!」
聞き覚えのある声だった。
振り向く。
先ほど入口でぶつかりかけた、赤茶色の髪の少女が戻ってきていた。
今度は一人ではない。
後ろに二人の男を連れている。
一人は弓。
もう一人は盾。
「南の街道に鎧猪が出たって――」
そこで少女の言葉が止まった。
エイルと目が合う。
「あ」
「……どうも」
エイルは軽く頭を下げた。
少女の目が細くなる。
次に。
エイル。
その腰の剣。
受付のミレイ。
男性職員。
順番に見る。
「……まさか」
嫌な予感がした。
エイルは何も言わなかった。
少女が近づいてくる。
「さっきの猪って」
「鎧猪です」
「やっぱり!」
声が大きい。
周囲にいた何人かがこちらを見た。
エイルは少しだけ俯いた。
「……声、少し」
「あ、ごめん」
少女も周囲を見て、少し声を落とした。
「でも、あれ一人で倒したの?」
「そうです」
「あなた、何級?」
「今、F級になりました」
「今?」
「今です」
少女がミレイを見る。
ミレイが頷く。
「五分ほど前に」
「……嘘でしょ」
エイルは困った。
「別に嘘をつく理由もないです」
「いや、そうだけど……」
少女が頭を掻いた。
後ろにいた盾持ちの男が笑う。
「レナ、お前より新人らしいぞ」
「うるさい」
「一人で鎧猪だってよ」
「聞こえてる」
どうやら少女はレナというらしい。
レナが改めてエイルを見る。
「怪我してるじゃない」
「少しだけ」
「少しに見えないけど」
「死んではいないので」
「基準そこなの?」
エイルは答えなかった。
確かに低い気がした。
ミレイが間に入る。
「とにかく、巡回隊は予定通り出します。幼体もいますし、死骸が街道近くなら別の魔物を呼ぶ可能性がありますから」
「私たち行けるよ」
レナが言った。
「ちょうど予定してた依頼がなくなったところだし」
「助かります。現地確認と、可能なら素材回収をお願いします」
素材。
エイルの耳がそこに反応した。
「……素材、回収できるんですか?」
レナがこちらを見る。
「できるけど」
「その……僕が倒した鎧猪なんですが」
「うん」
「素材って」
少し言いにくい。
けれど金は必要だ。
「僕のものになります?」
レナが一度瞬きをした。
それから、吹き出した。
「そこ気にするんだ」
「大事なので」
「まあ、そりゃそうか」
ミレイが答える。
「討伐の確認が取れれば、基本的にはエイルさんの所有物です。回収を他の冒険者へ依頼する形になりますので、その分の手数料は発生しますが」
「それでもお願いします」
即答した。
「分かりました」
ミレイが笑う。
レナもまだ少し笑っていた。
「何ですか」
「いや。もっと変な人かと思ったから」
「……さっき会ったばかりですよね」
「それでも、鎧猪を一人で倒した新人って聞いたら普通は警戒するでしょ」
「僕はあまり倒したくなかったんですけど」
「倒したくなかった?」
「逃げるつもりでした」
レナの笑みが少し薄くなった。
「じゃあ、なんで倒したの?」
エイルは少し考えた。
上手く説明できる気がしない。
「……倒せるかもしれないと思ったので」
「それで?」
「はい」
「死にかけた?」
「かなり」
「馬鹿じゃない?」
「僕もそう思います」
すぐに認めた。
レナは一瞬黙り、それからまた笑った。
「変な人」
「よく言われます」
「それ、自覚あるんだ」
「少しは」
そこで男性職員が咳払いした。
「レナさん。出発するなら、場所の確認を」
「あ、そうだった」
話が切れる。
少しほっとした。
エイルは目立ちたいわけではない。
むしろ、できるならF級のまま静かに依頼を受けていたい。
昨日のことも。
《越境》のことも。
自分の数字も。
必要以上に知られる理由はなかった。
ミレイが地図を広げる。
エイルも呼ばれ、昨夜の場所を指で示した。
レナたちはそれを確認する。
「ここね」
「小川があります。その少し北側です」
「分かった」
レナが地図から顔を上げた。
「じゃ、行ってくる」
「お願いします」
「エイル」
突然名前を呼ばれた。
「はい」
「帰ってきたら、話聞かせて」
「何のですか?」
「鎧猪の倒し方」
「……別に面白くないですよ」
「それは聞いてから決める」
勝手に決められた。
レナたちはギルドを出ていく。
エイルはその背中を見送った。
昨日まで知らなかった人。
今日初めて来た街。
初めてのギルド。
冒険者証を手に入れて。
鎧猪の素材を回収してもらうことになって。
ついでに、また一人知り合いができた。
エイルは少しだけ不思議な気分になった。
「エイルさん」
ミレイに呼ばれる。
「はい」
「今日は依頼を受けますか?」
「……」
右腕。
腹。
身体中の痛み。
エイルは少し考えた。
「今日は宿を探します」
「それがいいと思います」
「ですよね」
無理はしない。
昨日そう決めたばかりだ。
少なくとも今日は守れそうだった。
エイルはF級の冒険者証を一度だけ眺め、ポケットへしまった。
冒険者としての最初の日は、依頼を受けるより先に休むことから始まりそうだった。




