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第36話 旅の剣

 昼を少し回った頃、エイルは訓練場を出た。


 朝から使い続けていた木剣は、最初に握った時よりずっと軽く感じる。実際の重さは変わっていないのだから、身体の使い方が馴染んできたのだろう。


 ただ、腕にはしっかり疲労が残っていた。


 《越境》のおかげで覚える速度が上がったとしても、身体そのものが疲れなくなるわけではない。


 訓練場の返却口へ札を返し、木剣を肩へ担いで《赤炉》へ向かう。


 約束通り、朝から店へ押しかけるのは我慢した。


 昼ならいいと言われている。


 昼を少し過ぎている。


 問題はない。


 そう考えながら裏口を叩くと、中から返事がなかった。


「グレイグさん?」


 もう一度。


 やはり返ってこない。


 作業中かもしれないと思い、勝手に開けずに待っていると、しばらくして内側から扉が開いた。


「……来たか」


 グレイグが立っていた。


 昨日以上に汗をかいている。


「入っていいです?」


「もう来てんだから入れ」


 工房へ入った瞬間、エイルは作業台を見た。


 昨日作られていた芯は、そこにはない。


 代わりに金床の横へ、細長い剣身らしきものが置かれていた。


 まだ磨かれていない。


 表面も黒く、刃も完成していないが、昨日の棒とは違う。


「もう剣になってる」


「まだだ」


「形は剣ですよ」


「形だけならな」


 グレイグは水を一口飲み、再び金床へ戻る。


「外側の鋼を被せて、一度大まかな形まで出した。ここから厚みと反りを詰める」


「反り?」


「曲がってるって意味じゃねえ。熱を入れりゃ金属は動く。芯がある分、普通の長剣より気を使う」


 エイルは邪魔にならない位置から剣身を見る。


 昨日作った芯はもう外から見えない。


 黒青脈の魔鉄も、青鋼も、その中に隠れている。


「今、魔力を流したら?」


「触るな」


「聞いただけです」


「目が触る気だった」


 ばれていた。


 グレイグは剣身を炉へ戻す。


「今日は見てるだけにしろ。最後の焼きまで行けるかは状態次第だ」


「完成は今日じゃない?」


「急げばできるかもしれん」


「じゃあ――」


「急がねえ」


 先に言われた。


「お前が何日待とうが、鉄には関係ない。ここで雑にやって後から割れる方が面倒だ」


「分かりました」


 エイルは素直に引いた。


 これまでの長剣なら、多少刃が欠けても研げばよかった。


 だが今作っている剣は、芯から自分のために組まれている。


 ここまで待ったなら、一日や二日を惜しむ理由もない。


     ◇


 グレイグの作業をしばらく眺めていると、昨日とは違う工程が多いことに気づいた。


 槌を入れる回数はむしろ少ない。


 代わりに何度も剣身を横から見て、厚みを測り、削る位置へ細かな印を付けている。


「打つだけじゃないんですね」


「昨日も言っただろ」


「思ったより測ってるなって」


「お前が使う長さと重さを決めたんだから、そこから外れたら意味がねえ」


 剣身を量りに載せる。


 数字を確認し、少し削る。


 また量る。


「今どれくらい?」


「予定より少し重い」


「僕は平気ですよ」


「お前が平気かどうかだけで決めてねえ」


 グレイグが剣身の先を示す。


「前が重すぎると、最初の一撃は強くなる。その代わり細かい切り返しが死ぬ。お前は《衝撃》で補えるが、全部それ頼みの剣にはしない」


「魔力を使わなくても振れるように?」


「当然だ。魔力切れたら棒になる剣なんぞ作るか」


 エイルは頷いた。


 その考え方は好きだった。


 《衝撃》は便利だが、それがなければ戦えないようにはなりたくない。


 剣だけでも戦える。


 そこへ《衝撃》を加えた時、さらにできることが増える。


 今までと同じだ。


「昨日の木剣はどうだった」


「最初は止めにくかったです。でも、重さを無理に止めずに次の動きへ流したらかなり良くなりました」


「《衝撃》は?」


「必要な時だけ。踏み込みに使うより、止める方へ少し使った方が合いました」


 グレイグが一瞬だけこちらを見る。


「なら重心は今のでいいな」


「それ聞くために木剣渡したんですか?」


「他に何がある」


「慣れるためだけかと思ってました」


「実際に振らせなきゃ分からんこともある。作ってから直すより先に潰せるなら、その方が早い」


 剣を作る側も、試しながら決めている。


 完成形が最初から決まっているわけではない。


 エイルはそれが意外だった。


 そして少し、旅に似ていると思った。


 地図を持っていても。


 行ってみなければ分からない。


     ◇


 午後の半ば。


 グレイグは昨日まで使っていた長剣を作業台へ持ってきた。


「切るぞ」


 鍔と柄が外され、使い古した剣身だけになる。


 それを固定し、鍔元に近い一部分を切り出す。


 エイルは黙って見ていた。


 残った刃の大半は別の箱へ入れられた。


「そっちは?」


「あとで潰して、使える鉄だけ回収する。別の仕事に使える部分は使う」


「捨てないんですね」


「鉄だからな」


 グレイグが切り取った小さな鋼片を磨く。


 長く一緒にいた剣は、もう剣の形ではない。


 不思議と寂しくはなかった。


 次へ移っている途中なのだと分かっているからだろう。


「これは柄の中へ入れる」


「芯の固定?」


「ああ。力が掛かる場所だから、状態を見て使える部分だけ選んだ」


 小さくなった鋼片を見て、エイルは笑った。


「本当に少しですね」


「剣一本そのまま入ると思ってたのか」


「そこまでは」


「なら十分だろ」


「はい」


 これまで使った剣が、新しい剣の強さを邪魔するなら意味がない。


 残せる分だけでいい。


 それでも、次の剣の中に確かにある。


 エイルにはそれで十分だった。


     ◇


 その日は結局、完成までは進まなかった。


「明日の昼過ぎだな」


 夕方、グレイグは剣身の状態を見ながら言った。


「今夜は休ませる。明日、問題なければ焼きを入れて仕上げる」


「剣って休ませるんですか?」


「冷ます時間まで叩いてたら割れるぞ」


「なるほど」


「お前も腕休ませろ」


 訓練場で振り続けていたことまで見抜かれたらしい。


「明日の朝も少し練習しようと思ってました」


「少しならな」


「分かりました」


 翌朝。


 本当に少しだけにした。


 昨日までなら何十回も繰り返していた型を、身体の確認程度に留める。


 重い木剣にもかなり慣れ、今までの長剣と同じように振ろうとする癖も薄れてきた。


 昼食を取ったあと、《赤炉》へ向かう。


 今度は裏口を叩く前から、中で槌の音が聞こえていた。


 何度か鳴り。


 止まる。


 少し待ってから扉を叩く。


「入れ」


 中へ入る。


 グレイグは金床の前にいた。


 そして。


 その隣に一本の長剣が置かれている。


 昨日とは違う。


 黒かった表面は磨かれ、刀身には鋼本来の鈍い光が戻っていた。


 長さは以前の剣より少しだけ長い。


 刃幅も僅かに広く、根元から先へ向かって無駄なく細くなっている。派手な装飾はなく、鍔も小さめで実用的だった。


 柄には黒に近い革が巻かれている。


「……できた?」


「刃はな」


 エイルが近づこうとすると、グレイグが手で止めた。


「まだ触るな」


「まだ?」


「今から魔力の通りを確認する」


 作業台へ剣を寝かせ、グレイグが柄へ手を置いた。


 鍛冶師用の小さな魔導器具を接続し、弱い魔力を流す。


 剣身の表面は何も変わらない。


 しかし《魔力感知》を使ったエイルには、中を通る細い流れが見えた。


 柄から入った魔力が鍔元で一度僅かに広がり、そこから刃側へ寄った一本の線を走る。


 青鋼。


 その周囲を魔鉄が包んでいる。


 先端近くまで到達した魔力が、不自然に散ることなく消えていった。


「綺麗だ」


「見えるのか」


「はい。途中でほとんど乱れてない」


「なら一つ目は問題なし」


 次に少し出力を上げる。


 今度は鍔元で一瞬だけ流れが滞った。


 三角狼の角を加工して入れた場所だ。


 そこが急な流入を受け止め、その後ゆっくり青鋼へ送っている。


「これが角?」


「ああ」


「ちゃんと分かります」


「なら次はお前だ」


 グレイグが剣を持ち上げた。


「外でやるぞ」


     ◇


 《赤炉》の裏には、小さな試し斬り用の庭があった。


 普段は武器を確認するために使っているらしく、太い木杭や傷だらけの丸太が何本か立っている。


 エイルはその中央で、新しい長剣を受け取った。


 初めに感じたのは重さだった。


 訓練用の木剣とほぼ同じ。


 だが、実物の方が握った時の収まりがいい。


 柄の太さも。


 長さも。


 指の位置も。


 自分の手に合っている。


「抜いてみろ」


 鞘から引き抜く。


 思っていたより静かに刃が出た。


 刀身は派手ではない。


 よく見れば普通の鋼より少し暗く、光の角度によって中心近くに青灰色の細い筋が浮かぶ程度だった。


 何も知らなければ、少し質のいい長剣にしか見えない。


 エイルは気に入った。


「いいですね」


「まだ振ってねえだろ」


「見た目も大事です」


「派手な方がよかったか?」


「これがいいです」


 余計な飾りはいらない。


 旅で使う剣なのだから。


 構える。


 まずは魔力を使わず、一度だけ振り下ろした。


 風を切る。


 止める。


 そのまま横へ返す。


 木剣で繰り返した動きとほぼ同じだ。


 ただ、刃がある分だけ空気の抜け方が違う。


「もう一回」


 今度は踏み込む。


 重心が少し前へあるため、振り始めれば自然に剣先が走る。それを身体の回転へ乗せ、無理に腕で止めず次へ繋げる。


 扱える。


 むしろ以前の長剣より、今の身体には合っていた。


「どうだ」


「重いです」


「知ってる」


「でも前よりこっちの方がいい」


「なら次だ。《衝撃》流せ」


 エイルは剣を見た。


「どのくらい?」


「最初は小さく」


「分かりました」


 柄から魔力を入れる。


 驚くほど簡単に刀身へ通った。


 青鋼短剣ほど素通りではない。


 芯の中に僅かな抵抗があり、それがむしろ魔力の位置を掴みやすくしている。


 鍔元。


 刀身の中央。


 先端。


 自分が今どこまで流しているかが、これまでよりはっきり分かる。


 エイルは刀身の半ばで魔力を止めた。


 そこで小さな《衝撃》を起こす。


 トン、と剣が僅かに震えた。


「……止められた」


「今までできなかったのか」


「できなくはなかったです。でも、もっと難しかった」


 次は先端。


 魔力を通し、剣先だけへ小さく衝撃を生む。


 空気が弾ける。


 その感覚が手元までほとんど乱れず返ってきた。


「もう少し強くしていいです?」


「中くらいまで」


「はい」


 エイルは木杭の前に立つ。


 剣を振る。


 刃が木へ食い込む瞬間、《衝撃》を重ねた。


 乾いた破裂音。


 太い杭が半ばから裂け、後ろ側まで亀裂が走る。


 以前なら刃へ返ってきていた嫌な震えがない。


 エイルは自分の手を見る。


「……全然違う」


「剣は?」


「変な振動がないです」


「もう一回」


 別の木杭。


 今度は《衝撃》をさらに細く、刃が入った部分だけへ集中させる。


 斬る。


 内部で衝撃。


 木片が大きく飛ばず、代わりに切断面の奥だけが砕けた。


「これ」


 エイルが振り返る。


「前よりずっと細かくできます」


「そのための剣だ」


 嬉しくなって、もう一度構えたところで。


「今日はそこまでだ」


 止められた。


「まだ二回です」


「二回で十分だ」


「もう少し試したい」


「初日に限界まで流して壊したら、今度こそ殴るぞ」


 エイルは剣を見る。


 まだ余裕はありそうだった。


 けれど、ここまで作るところを見ている。


 さすがに今すぐ壊したくはない。


「……分かりました」


「珍しく聞き分けいいな」


「僕だって剣は大事にしますよ」


「今までもそう思ってたなら、なお悪い」


     ◇


 工房へ戻ると、グレイグは最後に鞘の収まりと柄の緩みを確認した。


「一応、今のお前が普通に使う分には耐えるように作った」


「一応?」


「お前がどれだけ伸びるか分からんからな」


 グレイグは刀身を指で軽く叩く。


「魔鉄の量にも、青鋼の通せる量にも限界がある。《衝撃》の出力が今の倍、三倍になれば、また話は変わる」


「その時は?」


「持ってこい」


「打ち直す?」


「ああ」


 グレイグは当然のように答えた。


「芯の状態を見て、まだ使えるなら残す。外側を替えるだけで足りなきゃ、芯にも素材を足す。お前が変わるなら剣も変える」


 エイルは鞘へ収まった長剣を見る。


 完成した。


 けれど、終わりではない。


 むしろ最初だった。


「名前とか付けるんですか?」


「付けたきゃ勝手にしろ」


「グレイグさんは?」


「剣は剣だ」


「僕もそれでいいかな」


「ならそうしろ」


 今のところは、それでよかった。


 名を付けるほど大層な剣ではない。


 けれど。


 自分にとっては、十分特別だった。


 グレイグが腰へ下げるための帯を渡してくる。


「使ってみて、どこか気になったらすぐ持ってこい。変な音、妙な振動、魔力の引っかかり。何でもだ」


「分かりました」


「特にお前は、壊れるまで使うな」


「前は壊れてませんよ」


「壊れる手前だったんだよ」


 新しい長剣を腰へ下げる。


 少し位置を調整すると、外套の下にも自然に収まった。


 青鋼短剣は反対側へ。


 二本になっても、それほど邪魔にはならない。


「似合ってる?」


「俺に聞くな」


「作った人なのに」


「使えるかどうかしか興味ねえ」


「じゃあ使えます」


「二回振っただけで決めんな」


 エイルは笑った。


     ◇


 《赤炉》を出たあと、すぐに依頼を受けることはしなかった。


 まず歩く。


 腰にある剣の重さを確かめながら、ローデンの通りを進む。


 これまでより少し重いはずなのに、不思議と違和感は少なかった。


 訓練用の木剣で慣れていたのもある。


 何より、自分の身体に合わせて作られている。


 店の窓へ映った姿を見る。


 暗灰色の外套。


 革鎧。


 背負い袋。


 地図筒。


 腰の長剣と青鋼短剣。


 旅を始めた時から、ずいぶん装備が変わった。


 けれど、豪華になったという感じはしない。


 必要なものが増えただけだ。


 そのまま地図屋まで歩いた。


 老人は入ってきたエイルを見るなり、腰へ視線を落とした。


「剣、変わったな」


「今日できました」


「嬉しそうだ」


「分かります?」


「分かる」


 以前買ったリューデ湖地方の地図を机へ広げる。


「南へ行くのか」


「そのつもりです」


 答えは昨日までよりはっきりしていた。


 アルネアにはまた戻る。


 旧西坑も。


 その西の古道も。


 けれど、一度別の方向を見てみたい。


「湖までは?」


「急がなきゃ五日から六日。途中に町があるから、野営だけで行く必要はない」


「道は?」


「ローデンから南へ二日は大街道。その先で湖方面へ分かれる。迷うような道じゃない」


 老人の指が途中の町へ移る。


「ここがハルム。街道沿いの宿場町だ。その先から森が増える」


 さらに南。


「こっちは?」


「セレナ。湖の北側にある小さな町だ。船着き場もある」


「そこからリューデンまで船?」


「行ける。歩いて東岸を回ってもいい」


 船に乗ったことはない。


 それだけでも行く理由になった。


「水上遺跡は?」


「まだ気にしてたのか」


「せっかく行くなら見たいです」


「湖へ着いてから聞け。あそこは水位で入れる場所が変わる」


 エイルは地図へ簡単な印を付けた。


 ローデン。


 ハルム。


 セレナ。


 リューデ湖。


 その先は、まだ決めない。


「明日出るのか?」


「準備が終われば」


「新しい剣を持ったその日に?」


「使いたいので」


「剣を買った子供みたいだな」


「作ってもらったんです」


「余計悪い」


 老人が笑う。


 エイルも地図を畳んだ。


     ◇


 その日の夕方。


 宿の部屋で旅装を確認する。


 食料。


 水袋。


 薬。


 火口箱。


 予備の紐。


 採掘道具は一部を置いていき、代わりに雨具を増やす。湖の周辺は天候が変わりやすいと地図屋から聞いていた。


 最後に新しい長剣を机へ置く。


 鞘から少しだけ抜く。


 鈍い鋼の色。


 その内側には、アルネアで掘った魔鉄と、青晶洞で採った青鋼がある。


 柄の中には、村からここまで持ってきた長剣の一部も残っている。


 これから別の土地へ行けば。


 また何かを見つけるかもしれない。


 いつかこの剣が今の自分へ追いつかなくなった時、その素材も加わるのだろうか。


「その時考えればいいか」


 剣を鞘へ戻す。


 机には南の地図を広げた。


 明日。


 ローデンをもう一度出る。


 今度は北西ではなく。


 まだ歩いたことのない、南へ。


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