第35話 火の中の芯
翌朝、エイルが《赤炉》へ着いた時には、表の扉に営業休止の札が掛けられていた。
昨日、裏から入るように言われていたので、店の脇を回って細い路地へ入る。裏口を二度叩くと、すぐに中から声が返ってきた。
「開いてる」
扉を押した瞬間、熱気が顔へぶつかった。
炉にはすでに火が入り、作業場の空気は朝とは思えないほど熱い。作業台には黒青脈から持ち帰った魔鉄、青鋼、三角狼の角が並べられ、その横にはエイルがこれまで使ってきた長剣も置かれていた。
「もう始めてたんですね」
「火を入れるのにお前を待つ理由があるか」
「ないですね」
外套を脱いで邪魔にならない場所へ置く。
グレイグは作業台の長剣を手に取ると、鞘ごとエイルへ渡した。
「一度振っとけ」
「今?」
「その形で使うのは最後になる」
エイルは少しだけ長剣を見た。
村を出る前から持っていた、何の変哲もない鋼の剣だ。
最初はこれで十分だった。
鎧猪と戦った時も、ローデンへ着いた時も、青晶洞へ潜った時も握っていた。途中で《衝撃》を流しすぎて内部を傷め、グレイグに一度直してもらったが、それでもその後も使い続けてきた。
剣を抜き、作業場の空いている場所で軽く振る。
縦に一度。
横に一度。
踏み込みながら斜めに振り下ろす。
使い慣れている。
けれど、やはり以前とは違う。
「どうだ」
「軽いです」
「前は?」
「ちょうどよかったと思います」
「剣は変わってねえ」
「僕が変わった?」
「そういうことだ」
グレイグは腕を組んだ。
「力だけじゃねえ。振り方も変わってる。前より剣を止める位置が早いし、切り返しも速い」
「そんなに分かります?」
「仕事だからな」
エイルはもう一度振る。
言われてみると、剣そのものが頼りないというより、自分の動きに対して少し遅れてついてくるような感覚があった。
これまで使ってきたからこそ扱いやすい。
しかし、この先も同じかと言われれば違う。
「もう少し重くても平気そうです」
「昨日の測り方で間違ってなさそうだな」
エイルは剣を鞘へ戻し、グレイグへ渡した。
「これ、全部溶かすんですか?」
「刃はほとんど使わん」
少しだけ惜しいと思った。
名剣ではない。
高価でもない。
それでも、村を出てからずっと腰にあった剣だ。
グレイグはその顔を見て、鍔元の辺りを指で叩いた。
「全部捨てるとは言ってねえ」
「残せるんですか?」
「この辺ならまだ状態がましだ。使える部分を切り出して、柄の内部か芯を留める部材に回す」
「新しい剣の中に?」
「強度を見てからになるがな」
「じゃあ、使えるなら入れてください」
「即答だな」
「その方がいいです」
形は変わっても、これまでの剣が少しだけ残る。
それなら、完全に別の一本へ持ち替える感じがしなかった。
グレイグは長剣を作業台へ戻す。
「ただし、古い部分を残すために作りを悪くする気はねえぞ」
「それは嫌です」
「なら使えるところだけ使う。それでいいな」
「はい」
それ以上の話はしなかった。
グレイグも余計なことを言わず、すぐ素材へ向き直った。
◇
最初に始まったのは魔鉄の精錬だった。
アルネアで掘った時には拳より大きかった鉱石が、砕かれ、不純物を落とされ、炉の中へ入っていく。
エイルは邪魔にならない位置からその作業を見ていた。
採掘した時には青黒い筋を含んだ岩の塊だったものが、熱と処理を重ねるたびに少しずつ金属らしい姿へ変わっていく。
「随分減るんですね」
「石まで剣にできるなら楽なんだけどな」
「このくらいまで?」
「まだ減る」
グレイグは炉から取り出した塊を確認し、再び手を入れる。
最終的に作業台へ残った魔鉄は、持ち込んだ時の大きさからすればかなり小さかった。
「足ります?」
「これなら足りる。黒青脈の中でも質が良かったんだろうな」
「ドールさんも使えるって言ってました」
「……あの爺が?」
「はい」
「余計な口は利いてなかったか」
「グレイグさんは昔より口が動くようになったって」
グレイグの手が止まった。
「言いやがったのか」
「冗談です」
「お前まであの爺に似てくるな」
実際にはそんなことは言われていない。
少しだけからかってみただけだったが、思ったより効いた。
「知り合いっていうより、師匠なんですか?」
「違う」
「即答ですね」
「昔、あの町にいた頃に世話になった。それだけだ」
それ以上聞くなという声だったので、エイルも止める。
次に青鋼の処理へ移った。
魔鉄より量が少ないぶん、グレイグの手つきはさらに慎重だった。
「青鋼って熱に弱いんですよね」
「弱いってより、扱いを間違えると性質が死ぬ」
「魔力を通さなくなる?」
「完全に通らなくなるわけじゃねえ。ただ、せっかくの通りやすさが落ちる。普通の鋼より少しましな程度になったら、わざわざ使う意味がない」
火から出す。
確認する。
また入れる。
短い間隔で何度も繰り返していく。
エイルは腰に残した青鋼短剣へ目を向けた。
「この短剣も、作り方次第ではもっと悪い性能だった?」
「当然だ。素材がいいだけで名剣になるなら、鍛冶屋なんぞいらん」
「それもそうですね」
「ようやく分かったか」
「前から分かってますよ」
「怪しいな」
会話をしながらでも、グレイグの目は素材から離れなかった。
◇
昼を過ぎた頃、ようやく二種類の金属が並んだ。
黒灰色の魔鉄と、青みを帯びた青鋼。
どちらも量だけ見れば、長剣一本を作るには到底足りない。
「これだけで芯になるんですか?」
「ああ。剣全部をこの素材で作るわけじゃねえ」
グレイグは細長く整えた魔鉄を作業台へ置き、その中心から少し刃側へ寄った位置に細い溝を作った。
そこへ青鋼を合わせていく。
「真ん中じゃないんですね」
「お前が魔力を流した時、どこへ抜きたい?」
「刃側」
「なら通り道もそっちへ寄せる」
グレイグは今までの長剣を持ってきて、柄から剣先まで指でなぞった。
「今の剣は普通の鋼だ。《衝撃》を流しても、どこを通るか決まってねえ。中で散るし、引っかかるし、負荷が一ヶ所へ集まることもある」
「だから中から傷んだ」
「そうだ」
次に新しく作っている芯を示す。
「青鋼で流れを作って、その周りを魔鉄で支える。外側の刀身は別の鋼で包む」
「青鋼が道で、魔鉄がその周りを守る感じ?」
「大体それでいい」
エイルは少し考えた。
「じゃあ、《衝撃》を剣先まで流す時と、途中だけで止める時も変えられる?」
「完成して、お前が扱えればな」
それを聞いた瞬間、かなり興味が湧いた。
今までの剣では、弱く流すか強く流すかの違いはあっても、剣のどこへどれだけ通すかを細かく分けるのは難しかった。
青鋼短剣なら魔力は通しやすいが、今度は素直すぎて一気に先まで抜ける。
その中間。
自分で流れを選べる剣。
「触ってみろ」
グレイグがまだ接合していない芯材を差し出す。
エイルは端へ指を当て、ごく少量だけ魔力を流した。
青鋼へ入った魔力が細く先へ進む。
その周囲を魔鉄が囲っているせいか、横へ漏れにくい。
「これだけでも全然違う」
「まだ並べてるだけだ。喜ぶのは早い」
「でも分かります」
「なら忘れるな。完成した後に全部力任せで流したら意味がねえからな」
「しませんよ」
「本当か?」
「多分」
「信用できねえ」
◇
三角狼の角は、午後から加工された。
エイルは角そのものを鍔や柄へ使うのだと思っていたが、グレイグが切り出したのは根元近くのごく一部だけだった。
「もっと使うのかと思ってました」
「必要な分だけでいい。飾りじゃねえんだ」
切り出された角の断面には、細い筋がいくつも走っている。
「この部分は魔力を少し受ける性質がある」
「溜める?」
「一瞬だけな。お前が急に《衝撃》を流した時、その負荷をそのまま青鋼へ叩き込まないようにする」
「じゃあ壊れにくくなる?」
「そう考えてる」
「なら今より強く――」
そこまで言ったところで、グレイグが無言で見てきた。
「……使っても壊れにくいですね」
「今、何て言おうとした」
「何も」
「お前は剣の耐久を上げる話をすると、すぐ出力を上げる方向に行くな」
「使える余裕が増えるなら、その分は使いたくないですか?」
「普通は少し長持ちすると思うんだよ」
「それも思います」
「先にそっちを思え」
グレイグは呆れながら角材を削っていく。
それでも、口調には本気で怒っている様子はなかった。
魔鉄。
青鋼。
三角狼の角。
さらに今までの長剣から残す鋼。
一つの作業台へ集まった素材を見ていると、それぞれを手に入れた時のことが自然と思い出された。
青鋼短剣を見つけた青晶洞。
ベルクへの護衛中に戦った三角狼。
アルネアの旧西坑、その奥で見つけた黒青脈。
どれも最初から剣を作るためだけに行った場所ではない。
歩いた先にたまたまあったものを拾い、掘り、持ち帰ってきた。
それが今、一本の武器へ集まり始めている。
エイルにはそのことが少し嬉しかった。
◇
「ここからは黙って見てろ」
夕方。
グレイグの声が少し低くなった。
それまでとは違い、今からは集中を切らしたくないらしい。
魔鉄と青鋼を組み合わせた芯材が炉へ入れられる。
赤くなり、さらに熱が入る。
グレイグは頃合いを見て取り出し、金床へ置いた。
槌が落ちる。
高い音が工房へ響いた。
一度。
二度。
三度。
ただ強く叩いているわけではない。
金属を裏返し、位置を変え、また火へ戻す。熱が足りなければ叩かず、十分になれば迷いなく槌を落とす。
エイルは壁際でそれを見続けた。
どこへ力を入れるか。
どこでは入れないか。
何度も戦ってきた中で覚えたことと、少し似ている。
強ければいいわけではない。
速ければいいわけでもない。
必要な場所へ、必要なだけ。
その積み重ねで、二つの金属が少しずつ一つになっていく。
青鋼の線は外から見えなくなった。
魔鉄も元の形を失っていく。
やがて、細長い一本の金属へまとまった。
グレイグはそれでも手を止めず、さらに何度か炉と金床を往復した。
外が完全に暗くなった頃。
ようやく槌が置かれた。
「今日はここまでだ」
エイルは近づく。
金床には、細長い金属が一本置かれていた。
まだ刃はない。
剣らしい形ですらない。
だが、朝まで石や金属片だったものとは明らかに違う。
「これが芯?」
「ああ」
「もうくっついてるんですか?」
「一応な。明日状態を見て、問題なければ外側へ進む」
「問題あったら?」
「やり直し」
「全部?」
「場合による」
グレイグは水を飲み、少し休んでから続けた。
「剣は最後まで何があるか分からん。芯がうまくいっても、外側の鋼と噛み合わないこともある。反ることもあるし、割れることもある」
「失敗する可能性、結構あるんですね」
「ある。だから完成するまで完成した顔すんな」
「まだしてません」
「してる」
自覚はなかった。
冷えるまでしばらく待ってから、グレイグが芯を持ち上げる。
「触ってみろ」
エイルは両手で受け取った。
重さは大したことがない。
見た目も地味だ。
しかし魔力を流した瞬間、感覚が変わった。
「……あ」
入口から先端まで、細い道が通っている。
青鋼短剣ほど何の抵抗もなく抜けるわけではない。
少しだけ重い。
それでも、その抵抗は邪魔ではなかった。
流れを受け止めながら整えているような感覚がある。
「青鋼短剣と違いますね」
「わざとそうしてる」
「短剣の方が通りやすい」
「あれは通しやすすぎる。剣先まで一気に抜くだけなら便利だが、お前が途中で止めたり、範囲を変えたりしたいなら少し抵抗があった方がいい」
エイルは魔力を少しだけ流す。
途中で止める。
次は先まで。
また戻す。
今までの長剣では、ここまで分かりやすく流れを操れなかった。
「これ、完成したらかなり使いやすそうです」
「だからまだ芯だ」
「分かってます」
「顔が分かってねえ」
グレイグから芯を取り上げられた。
◇
「明日は何時に来ればいいです?」
「来なくていい」
「何で?」
「外側の鋼を作る。お前が見ても今日ほど面白くねえ」
「僕は見たいですけど」
「俺が落ち着かん」
「静かにしてます」
「今日も途中まで喋ってただろ」
「途中から静かでした」
「最初から静かにしろ」
しばらく押し問答した末、結局昼過ぎなら来てもいいということになった。
「じゃあ昼に来ます」
「朝から来るなよ」
「分かりました」
エイルが外套を取ろうとすると、グレイグが壁際から一本の木剣を投げてきた。
反射的に受け取る。
普通の木剣より重い。
「これ何です?」
「新しい剣の予定重量に合わせた練習用だ」
握ってみる。
今までの長剣より明らかに重く、重心も少し前にある。
「昨日測ったやつ?」
「あれを元にした。完成してから振りにくいって言われても困るから、先に慣れとけ」
エイルはその場で軽く振る。
重い。
けれど嫌な重さではなかった。
一撃を出した時に、今までより剣そのものが前へ進もうとする。
「いいかも」
「今はな。動いたら違う」
「明日試します」
「朝は訓練場でも借りろ」
「分かりました」
木剣を背負い袋へ固定する。
腰には青鋼短剣だけが残っている。
長剣がないだけで、妙に軽く感じた。
◇
翌朝。
エイルはギルドの訓練場を一角借り、グレイグから渡された木剣を構えていた。
まだ人は少ない。
離れた場所で槍を使う冒険者が二人いるくらいで、こちらへ注意を向ける者はいなかった。
まずは普通に振る。
縦。
横。
斜め。
今までの剣より一拍だけ遅れる。
力が足りないわけではない。
重心が前へあるぶん、振り始めよりも止める時に違いが出る。
エイルは何度か繰り返し、次に足を動かした。
一歩踏み込んで斬る。
止まる。
切り返す。
今まで通りにやると、剣の重さを手だけで戻そうとして少し詰まる。
「違うな」
もう一度。
今度は剣を止めず、その勢いを身体の回転へ乗せる。
振り下ろしから横薙ぎへ。
横薙ぎから一歩踏み込み、そのまま突きへ。
重い剣を無理に止めるのではなく、次の動きへ使う。
少し良くなった。
そこへ《衝撃》を足す。
最初は踏み込みを強くするために使った。
だが、それでは剣の重さまで増えて制御しづらい。
次は逆。
踏み込んだ後、止めたい方向へ小さく《衝撃》を入れる。
身体だけでなく、剣の勢いも一緒に収まった。
「こっちだ」
さらに繰り返す。
全部を《衝撃》で補助する必要はない。
木剣自身の重さで進めるところは進ませる。
止めたい時だけ補う。
切り返しで足りない時だけ押す。
少しずつ動きが馴染んでいく。
最初は重く感じていた木剣が、しばらくすると扱いづらくなくなっていた。
むしろ今までより一撃を乗せやすい。
エイルはそのまま何度も型を繰り返した。
【《剣術 Lv.8 → Lv.9》】
視界の端に表示が浮かんだ。
「……早いな」
手を止める。
以前なら、新しい重さへ慣れるだけでももっと時間がかかったはずだ。
もちろん、今まで積み重ねた剣術がある。
まったく初めて剣を握るわけではない。
それでも、身体が理解するまでの速さが明らかに変わっている。
《越境 Lv.4》。
越えた経験が、その後の成長効率へ反映される。
青晶洞で新しい技能を得た時にも感じた。
採掘でも。
魔力操作でも。
そして今は剣術でも。
一度掴み始めると、以前よりずっと早く形になる。
エイルは木剣を見た。
「……強くなる速さまで変わってるのか」
言葉にすると、少し妙だった。
けれど説明にはそう書いてある。
強敵を越える。
知らない場所へ行く。
新しいことを覚える。
そのたびに成長して。
その成長が、次の成長をさらに早くする。
今はまだ、多少早い程度かもしれない。
それでも、この先も続くなら。
どこかで普通の成長とはまったく違うものになる。
エイルは少しだけ考えたあと、木剣を構え直した。
今はそれでいい。
この力がどこまで伸びるかを考えるより、目の前の新しい剣を扱えるようになる方が先だった。
踏み込む。
振り下ろす。
重さをそのまま流し、次の一撃へ繋げる。
最初に構えた時より。
もう、剣先は速くなっていた。




