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第32話 最初の剣へ

 アルネアを発つ朝、エイルは出張所へ顔を出した。


 旧西坑の調査報告はすでに整理が始まっており、壁に掛けられた探索図には第二採掘区周辺が新しく赤線で囲まれている。昨日まで存在すら確定していなかった経路も、エイルたちが歩いた部分だけは点線で追加されていた。


「もう戻るのかい」


 ナージャが書類から顔を上げる。


「一度ローデンへ。集めた素材を鍛冶屋に見せたいので」


「その後は?」


「まだ決めてません」


 これは本当だった。


 旧西坑にはまだ奥があり、第一旧支坑の調査も残っている。それとは別に、アルネアの西から山へ続く古道も気になっていた。


 戻ってくる理由はいくつもある。


「なら、これを持っていきな」


 ナージャが封をした書状を一通差し出した。


「ローデン支部宛て。旧西坑の空間異常と第二採掘区再発見についてまとめてある。向こうでも過去の記録を照合してもらいたい」


「僕が届けていいんですか?」


「どうせ行くんだろ。正式な依頼扱いにしておくから、帰り道の飯代くらいにはなるよ」


「助かります」


 書状を地図筒とは別の防水袋へ入れる。


 ナージャはそれを確認してから、少しだけ表情を緩めた。


「短い間だったけど、ずいぶん坑道を増やしてくれたね」


「増やしたのは僕じゃないですよ」


「見つけた奴も半分くらい同罪さ」


「じゃあ、次に来るまで増えないといいですね」


「本当にね」


 アルネアへ来てから数日しか経っていないが、出張所も、ドールの鍛冶屋も、もう知らない場所ではなくなっていた。


 町を出る前にドールの店へ寄ると、老人は昨日と同じ場所で採掘槌の柄を削っていた。


「帰るのか」


「はい。魔鉄、グレイグさんに見せてきます」


「名前出すなって言っただろ」


「まだ何も伝えてません」


「その顔は伝える顔だ」


 エイルは少し笑って、背負い袋を叩いた。


「この黒青脈の魔鉄なら、剣に使えそうなんですよね」


「精錬してからだ。素材が良くても、打つ奴が駄目なら鉄屑になる」


「グレイグさんなら?」


「……腕だけなら問題ねえ」


「やっぱり仲いいですよね」


「帰れ」


 追い出された。


     ◇


 帰路では大きな問題は起きなかった。


 崩れかけた石橋は前回見つけた北側の迂回路を使い、ベルクまで一日半。そこで一泊してから、今度は商隊に合わせず自分の速度でローデンへ向かった。


 以前は二日かかった道だったが、一人で歩くとかなり早い。


 特に上り坂や足場の悪い場所で違いが出た。


 《地形把握》によって歩きやすい線を選びやすくなり、《衝撃》も戦闘以外ではごく小さな出力で身体を補助できるようになっている。全力で走っているわけではないのに、休憩を挟んでも以前より明らかに進めた。


 夕方になる前には、見覚えのある外壁が遠くに見えた。


「思ったより早かったな」


 エイルは歩調を落とさず、そのまま北門へ向かった。


 門番へ冒険者証を見せると、一度Dの文字を確認されたあと、顔まで見直された。


「前にここから出た少年だよな?」


「多分」


「もう戻ったのか」


「一度だけです。また出ると思います」


「忙しいな、冒険者ってのも」


 エイルの場合は仕事に追われているわけではないのだが、説明するほどでもなかった。


 門を抜けると、石畳の道も建物の並びも変わっていない。離れていたのはほんの数日なのに、アルネアの静かな町から戻ると人の多さが妙に新鮮だった。


 まずギルドへ向かう。


     ◇


「お帰りなさい」


 受付にいたミレイは、エイルを見ると少しだけ驚いた。


「思っていたより早かったですね」


「歩くのが速くなったみたいです」


「その言い方が少し怖いんですが」


「普通に歩いてきましたよ」


 アルネアから預かった書状を渡す。


 ミレイは封の宛名を確認すると、すぐ奥へ回した。


「旧西坑で何かあったんですか?」


「道の距離が行きと帰りで変わりました」


「……もう一度お願いします」


「同じ坑道を歩いたのに、帰りの方が長かったです」


 ミレイが数秒黙った。


「エイルさん、行く先々で妙なものを見つけません?」


「僕が作ってるわけじゃないです」


「それは分かっています」


 アルネアでの出来事を簡単に報告し、第二採掘区と黒青脈についても伝える。


 支部側でも資料を確認するらしく、詳しい聞き取りは後日必要なら呼ぶと言われた。


「今日はもう依頼を受けませんよね?」


「鍛冶屋に行きます」


「安心しました」


 何に安心したのかは聞かなかった。


     ◇


 《赤炉》の扉を開けた瞬間、奥から槌の音が聞こえた。


 エイルは作業が終わるまで入口近くで待ち、グレイグが炉から離れたところで声を掛ける。


「戻りました」


「見りゃ分かる」


「素材あります」


 グレイグの目が一瞬だけ背負い袋へ向いた。


「出せ」


「そっちは早いですね」


「素材見に来たんじゃねえなら帰れ」


 作業台へ布を敷き、アルネアから持ち帰った黒青脈の魔鉄を置く。


 グレイグの手が止まった。


「……どこで拾った」


「拾ってません。掘りました」


「どこだ」


「アルネアの旧西坑。第二採掘区の黒青脈です」


 グレイグが顔を上げる。


「黒青脈?」


「ドールさんが――」


「ドール?」


 今度は明確に反応した。


「知ってるんですよね」


「誰から聞いた」


「本人から」


「まだ生きてたか、あの爺」


「グレイグさんより元気そうでしたよ」


「余計なこと言ってねえだろうな」


「昔ここにいたって聞きました」


「……あの爺」


 どうやら本当に古い知り合いらしい。


 グレイグは何か小さく呟いたあと、魔鉄へ意識を戻した。


 表面を削り、破片を小さな器具へ挟む。少量の魔力を流し、角度を変えながら何度も断面を見ていた。


「質は?」


 エイルが尋ねる。


「悪くないどころか、かなりいい」


「使えます?」


「ああ」


 その答えに、自然と口元が緩んだ。


「これなら芯の材料になる?」


「量は精錬してみねえと断言できんが、候補としては十分だ。魔力を受けた時の粘りもあるし、お前の《衝撃》を流す剣には相性がいい」


 グレイグは棚から以前の木箱を出した。


 中には三角狼の角がある。


 その隣へ黒青脈の魔鉄を置く。


「これで二つ」


「青鋼は?」


「まだ足りん」


 予想はしていた。


 エイルは腰から青鋼短剣を外す。


「これを使えば?」


「使わん」


 即答だった。


「何でです?」


「今のお前に必要だからだ」


 グレイグが青鋼短剣を手に取る。


「これ一本潰せば芯を作れる可能性はある。だが、お前はこいつで魔力の流し方を覚えてる最中だろ」


「はい」


「なら残せ。新しい長剣ができるまで、こいつが基準になる」


 エイルは納得した。


 青鋼短剣は、単なる材料ではない。普通の鋼と比べてどれほど魔力が通りやすいのか、実際に手で覚えるための道具でもある。


「じゃあ、青鋼をもう少し探す必要がある?」


「そうだな。ただし同じ青鋼でも質に差がある。適当なものを買って混ぜるより、今の短剣に近いものを探した方がいい」


「青晶洞?」


「可能性は高い」


 あそこで見つけた宝箱から出た短剣だ。


 第四層には青い鉱脈らしき反応もあった。


「戻ってきたばっかりなんですけど」


「誰も今すぐ行けとは言ってねえ」


「でも場所は分かってるんですよね」


「お前、その顔やめろ」


「どんな顔です?」


「明日行きそうな顔だ」


 否定しきれない。


 グレイグはため息をつき、黒青脈の魔鉄をもう一度見た。


「ただ、素材集めはもう終わりが見えてきた」


「本当ですか?」


「ああ。魔鉄、角、それに青鋼。あとは外側の刀身に使う鋼をこっちで用意すれば、最初の一本は打てる」


 最初の一本。


 その言葉に、エイルの意識が止まった。


「最初の?」


「完成品だと思うなよ」


 グレイグは作業台へ炭筆で簡単な長剣を描いた。


「今のお前へ合わせて作る。細すぎず、重すぎず、《衝撃》を剣身へ通しても負担が一点に集中しにくい構造にするつもりだ」


 中央へ芯。


 外側へ刀身。


 柄に近い部分へ別の印。


「三角狼の角は?」


「魔力の受けを安定させる部材として使えるか試す。うまくいけば鍔元付近だ」


「その剣もあとで打ち直せる?」


「そのための芯だ」


 刀身が摩耗すれば交換する。


 新しい素材が手に入れば混ぜる。


 エイル自身の力や戦い方が変われば、それに合わせて形も変える。


「じゃあ、ずっと同じ剣にできるんですね」


「何をもって同じと言うかによるがな」


「芯が残れば十分です」


 グレイグが少しだけ笑った。


「変なところにこだわるな」


「旅で見つけた素材を足していきたいので」


「なら最初から余白を残して作ってやる」


 今の自分に完璧な剣ではない。


 これから変わることを前提にした剣。


 その方がエイルには合っていた。


     ◇


「ところで」


 グレイグが急に長剣の柄へ手を伸ばした。


「今の剣も見せろ」


 エイルは鞘ごと渡す。


 抜いた瞬間、グレイグの眉間に皺が寄った。


「何した」


「普通に戦いました」


「前にも聞いたぞ、その台詞」


「今回は本当に普通です」


「相手は」


「洞鱗鬼と、坑砕鬼くらい」


「どこが普通だ」


 剣身を確認すると、補強した部分そのものは無事だったが、刃の数ヶ所に細かな歪みが出ているらしい。


「また強くなったな?」


 エイルは一瞬だけ返答に迷った。


「多少は」


「数字は聞かん」


 グレイグは剣を軽く振った。


「前よりこの剣が軽く感じるだろ」


「……はい」


 言われて初めて意識した。


 確かに。


 最初に使っていた頃は十分な重さを感じていたのに、今では振り回してもほとんど身体が持っていかれない。


「剣が軽くなったわけじゃねえ。お前が変わった」


 グレイグは長剣を作業台へ置いた。


「次を作るなら、今より少し重くしてもいい。ただ、お前の場合は完成時点だけ見ても意味がねえな」


「またすぐ変わるかもしれない?」


「そういうことだ」


 グレイグはしばらくエイルの腕や肩を見たあと、紙へ何ヶ所か数字を書き込んだ。


「一度ちゃんと測るぞ。腕の長さ、握り、振った時の重心。今の剣を基準にしながら、お前用に詰める」


「今日?」


「青鋼が足りねえから打ちはしない。設計だけだ」


「お願いします」


 そこから一時間ほど。


 握りの太さを変えた木剣を何本も持たされ、振りやすさを比べた。


 重心が鍔に近いもの。


 少し前へ出たもの。


 柄が短いもの。


 長いもの。


 エイル自身、今まで剣は使えればいいと思っていたが、比べると細かな違いが分かる。


「これが一番いいです」


 最後に選んだ木剣を渡す。


 グレイグは重心位置を確認した。


「やっぱり少し前だな。お前は《衝撃》で切り返しを補えるから、軽さだけ優先する必要がねえ」


「威力を上げる?」


「それもある。ただし重くしすぎれば、今度は細かい操作が死ぬ。お前の戦い方はそこを捨てられん」


 自分の戦い方を、鍛冶師が武器の形へ変えていく。


 それが妙に面白かった。


     ◇


 店を出た頃には日が傾いていた。


 新しい長剣はまだない。


 黒青脈の魔鉄と三角狼の角は《赤炉》へ預け、腰にはこれまでと同じ長剣と青鋼短剣が残っている。


 それでも、以前とは違った。


 次の剣には、もう形がある。


 足りないものも分かっている。


「青鋼か」


 エイルは歩きながら考える。


 買う方法もある。


 青晶洞で探す方法もある。


 あるいは、まったく別の土地で見つかるかもしれない。


 急ぐ必要はない。


 今の剣もまだ使える。


 アルネアには戻りたい場所があり、その先の山道も気になっている。


 ローデンへ戻ったからといって、青晶洞だけに潜り続ける必要もなかった。


 宿へ戻る途中、エイルは地図屋の前で足を止めた。


 店先には見覚えのあるローデン周辺図に混じって、一枚だけ別の地図が掛けられている。


 北ではない。


 西でもない。


 ローデンから南へ大きく伸びる街道と、その先に描かれた湖。


【リューデ湖地方】


 さらに湖の東岸には、小さく町の名前があった。


 まだ見たことのない土地だった。


「……」


 エイルはしばらく眺めたあと、店の中へ入る。


 アルネアから帰ったばかりで、次の行き先はまだ決めていない。


 だからこそ。


 今まで見ていなかった方向の地図も、一度くらい見ておきたかった。


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