第31話 黒青脈
黒灰色の岩肌へ走る青い筋は、灯火の位置を変えるたびに鈍い光を返した。
ドールから渡された見本と比べても、反応はかなり近い。むしろ壁の奥へ《魔力感知》を伸ばすと、表面に見えている部分より深いところほど魔力の密度が高いように感じられた。
「掘るなら、この辺だな」
マルクが壁を軽く叩き、青い筋が太く集まっている場所を示した。
「ただし欲張るなよ。帰り道が普通じゃない以上、持てるからって背負えるだけ掘るのは馬鹿がやることだ」
「必要な分だけにします」
「お前、その言葉を覚えたのは偉い」
「前から知ってますよ」
セリアが少し離れた場所で坑道の奥を警戒しながら笑った。
「知ってるのと実行できるのは別だからね」
反論しようとしたが、エイルにも心当たりがないわけではない。
採掘槌を取り出し、マルクに教わった角度で亀裂へ打ち込む。
一撃目では表面が少し欠けただけだった。力任せに叩けばもっと大きく崩せそうだが、目的は岩を壊すことではなく、中にある魔鉄をできるだけ傷めず取り出すことだ。
「もっと端から。筋そのものを殴るな」
「はい」
位置をずらし、二度目。
亀裂が少し広がる。
三度目で拳ほどの岩塊が剥がれ、その断面に黒青色の金属質な部分が現れた。
「お」
マルクが受け取り、灯火へかざした。
「さっきの外縁部よりずっといい。まだ岩が混じってるが、精錬すれば十分使える」
「剣の芯に?」
「そこまでは俺に聞くな。鍛冶屋の領分だ」
エイルはもう一つだけ場所を選び、今度は最初より少ない打数で岩を割った。
【《採掘》Lv.3 → Lv.4】
表示が浮かんだが、口には出さない。
最近は技能が上がること自体に驚かなくなってきた。それよりも、昨日まで三回、四回と試していた動作が、今日になると最初から少し上手くできることの方が気になっている。
《越境》による成長補正は、単純に数字だけを押し上げているわけではないのかもしれない。
「それくらいでいいだろ」
マルクの声で意識を戻す。
採れた魔鉄混じりの岩塊は三つ。合わせても背負い袋の底へ十分収まる量だった。
「もう少し良さそうなのがありますけど」
「見えてるな」
「はい」
「だから帰って、必要な質と量を鍛冶屋に聞いてから来い。無駄に掘っても運ぶだけ損だ」
「……確かに」
エイルは槌をしまった。
その判断ができるようになっただけでも、最初の頃より少しは冒険者らしくなったのかもしれない。
◇
黒青脈の位置を記録したあと、三人は周囲の調査を続けた。
目的の鉱脈へ辿り着けた以上、これ以上深く進む必要はない。ただ、ナージャからは第二採掘区の現状も可能な範囲で確認するよう頼まれている。
採掘広場から南へ伸びる通路には古い作業部屋がいくつか残っており、壁際には腐食した道具や、文字の消えかけた木札が散らばっていた。
その一つをマルクが拾う。
「採掘班の番号だな。二十六年前の日付がある」
「黒青脈が使われてた頃?」
「多分な」
エイルは古い坑道図と照らし合わせながら、通れる場所だけを書き加えていく。
地図上では二本に分かれているはずの道が一つしかなかったり、逆に何もない場所へ細い支道が開いていたりする。崩落だけで説明できる違いも多いが、中にはどう考えても距離や向きの合わない場所が混じっていた。
「ここも変ですね」
エイルが足を止める。
古図では南へ伸びる直線の坑道だが、実際には途中から緩く東へ曲がっている。現在図にもこの先の記録はない。
マルクが方位具を確認した。
「東だな。古図が間違ってる可能性もあるが……」
「昨日のことを考えると、それだけとも言い切れないね」
セリアが周囲を見回す。
エイルも《地形把握》へ意識を向けた。
歩いてきた距離と高低差を頭の中で組み直すと、どこかに小さなズレがある。それが地図の誤差なのか、空間異常なのかまでは分からない。
ただ、進むほど違和感は強くなっていた。
「戻りましょうか」
エイルが言うと、マルクが少し意外そうな顔をした。
「自分から言うんだな」
「目的は達成しましたし、帰り道まで変わったら困るので」
「成長したじゃねえか」
「そこまで無茶してました?」
「してた」
セリアまで頷いたため、二対一で負けた。
◇
来た道を戻り、坑砕鬼を倒した採掘広場まで戻ったところで、エイルは違和感に気づいた。
「止まってください」
二人がすぐ足を止める。
「何かいる?」
セリアが剣へ手を掛ける。
「違います。道です」
広場の北側。
昨日まで通っていた第二運搬路の入口が、少し狭く見える。
エイルは地図を確認してから近づいた。
入口横に残した印はある。坑道そのものも同じ場所にあるが、昨日は二人が並べる程度の幅があったはずなのに、今は一人ずつ通るのがやっとだった。
「崩れた?」
マルクが壁へ触れる。
新しい崩落なら破片や粉塵が残るはずだが、床は古い埃で覆われたままだ。
「いや……違うな」
セリアの顔から笑みが消えた。
「最初からこうだったみたいに見える」
エイルは入口へ青鋼短剣を近づけ、《魔力感知》を絞った。
壁そのものから強い反応はない。
ただ、その奥。
坑道の途中に、薄く濃淡の違う魔力の層がある。
「中に何かあります」
「魔物?」
「気配はないです。魔力だけ」
マルクが眉を寄せる。
「帰路はここしかない」
「通れるうちに抜けよう」
セリアの判断は早かった。
三人は一列になり、エイルを先頭に狭くなった坑道へ入る。
十歩。
二十歩。
途中までは何も起きなかった。
やがて《魔力感知》で見えていた薄い層へ近づく。
エイルは足を止めず、そのまま一歩踏み込んだ。
瞬間。
耳が詰まったような感覚があった。
「……?」
次の一歩で元に戻る。
後ろからセリアとマルクも抜けてきた。
「今、何か感じました?」
「耳が変だった」
「俺は一瞬だけ足元が沈んだ気がした」
三人で振り返る。
通ってきた坑道は、先ほどより広くなっていた。
昨日と同じ程度。
「……戻った?」
エイルが呟く。
マルクは何も言わず、測距具を取り出した。
「ここから西五の支柱まで測り直すぞ」
◇
結果はさらに妙だった。
昨日と今朝、第二運搬路から西第五支坑までの距離はほぼ同じだった。
ところが帰りは、一割以上長い。
測り間違いを疑ってもう一度確認しても、大きくは変わらない。
「往路より長い」
エイルが地図へ数字を書き込む。
「同じ道なのに?」
「同じに見える道、だな」
マルクの言葉に、誰も反論できなかった。
地図が古いから合わないのではない。
今日一日の中だけでも距離が変わっている。
それが確定した。
エイルは少しだけ背筋が寒くなった。
面白い。
同時に、危険だ。
今までの探索では地図を書けば、少なくとも帰る道を残せた。
けれどここでは、その前提すら信用できない。
「空間異常って、他の迷宮にもあるんですか?」
「あるにはある」
セリアが答えた。
「でも、ここまで露骨に距離が変わる場所は珍しいと思う」
「大迷宮だと、階層ごと入れ替わるなんて話も聞くけどな」
マルクが続ける。
「俺は行ったことねえが」
「大迷宮……」
エイルはその言葉を覚えておく。
青晶洞より遥かに大きく、街一つを養うほどの迷宮。
いつか行きたい場所が、また一つ増えた。
◇
坑外へ戻ったのは夕方近くだった。
出張所ではナージャが報告を待っており、三人が持ち帰った地図を見比べると、すぐに距離の違いへ気づいた。
「往復で変わった?」
「間違いない」
マルクが答える。
「俺とエイルで別々に取ってる。多少の誤差じゃ済まん」
ナージャは長く黙ったあと、第二採掘区周辺を赤線で囲った。
「当面、単独探索は禁止にする。最低二人、それも一人はC級以上」
「妥当だね」
セリアが頷く。
エイルも異論はなかった。
「黒青脈は?」
「確認できました。これです」
背負い袋から岩塊を一つ取り出す。
ナージャが重さと断面を確かめた。
「質は私じゃ判断できないけど、発見報告としては十分。第二採掘区の再到達と合わせて追加報酬を出すよ」
「黒青脈の素材、僕が持って帰っても?」
「今回採った分はいい。ただ、本格採掘するなら権利関係を整理してからだね」
「分かりました」
欲しいのは鉱山そのものではない。
自分の剣に必要な分があれば十分だった。
報告を終えたところで、セリアが自分の冒険者証を机へ置いた。
「ナージャ、次に奥へ行くなら一度戦力確認した方がよくない? 坑砕鬼より上が出る可能性あるんでしょ」
「そうだね」
ナージャはマルクとエイルを見る。
「状態板まで見せろとは言わないけど、得意分野くらいは共有しておこうか」
「俺は構わんぞ」
マルクが先に自分の状態板を開いた。
本人が許可した相手へだけ見える形に切り替える。
【マルク・ヴァイス】
【Lv.34】
【生命 156】
【魔力 58】
【筋力 112】
【耐久 118】
【敏捷 71】
【器用 83】
【感知 76】
【主要技能】
《槌術 Lv.9》
《身体強化 Lv.7》
《採掘 Lv.11》
《地形把握 Lv.8》
《危機感知 Lv.6》
《坑道探索 Lv.9》
「採掘十一……」
思わずそこを見る。
「見るところそこかよ」
「僕、四なので」
「そりゃそうだろ。俺は二十年以上掘ってるんだぞ」
次にセリアが状態板を開く。
【セリア・ラウル】
【Lv.32】
【生命 149】
【魔力 66】
【筋力 101】
【耐久 106】
【敏捷 91】
【器用 79】
【感知 72】
【主要技能】
《剣術 Lv.9》
《盾術 Lv.8》
《身体強化 Lv.7》
《危機感知 Lv.6》
《魔力操作 Lv.4》
エイルは数字を見ながら、自分の状態を頭の中で思い返した。
レベルは二人よりかなり低い。
生命、筋力、耐久もまだ及ばない。
しかし敏捷はすでにセリアより高く、感知に至っては二人を大きく上回っている。
魔力も、前衛型とはいえC級の二人より多い。
「エイルは?」
セリアに聞かれた。
エイルは少し考えてから、状態板そのものは開かなかった。
「僕は感知と移動が得意です。《衝撃》と《魔力感知》をよく使います」
「数字は秘密?」
「ちょっと特殊なので」
「ならそれでいいよ」
それ以上聞かれなかった。
エイルとしても助かった。
具体的な数値を見せれば、説明しづらいことが増える。
ただ、他のC級冒険者の数字を実際に見られたのは大きかった。
自分がどこまで来ているのか。
そして、何がまだ足りないのか。
ようやく少し具体的に分かった気がする。
◇
出張所を出たあと、エイルはそのままドールの鍛冶屋へ向かった。
黒青脈から採った岩塊を作業台へ置くと、老人はすぐに小槌と鑿を持ってきた。
表面を削り、断面を見てから魔力を流す。
しばらく無言だった。
「どうです?」
「使える」
短い答えだった。
「芯に?」
「グレイグが何を考えてるか次第だが、材料としては十分だ。昔の黒青脈らしい粘りが残ってる」
ドールは三つの岩塊を順番に確認し、そのうち二つを選んだ。
「こっち二つを持ってけ。一つは不純物が多い」
「量は足ります?」
「芯材だけなら足りる可能性はある。ただ、精錬でどれだけ減るか分からん」
「じゃあ、また必要になったら掘りに来ます」
「簡単に言うが、今日の場所はもう普通の採掘場じゃねえぞ」
「分かってます」
今度は本当に分かっている。
帰り道の長ささえ変わる場所だ。
ただ。
だから行かない、とはならなかった。
必要なら準備して戻る。
それだけだ。
「これで青鋼と、三角狼の角と、魔鉄」
エイルが数えると、ドールが眉を上げた。
「意外と揃うの早かったな」
「僕もそう思います」
「グレイグに持って帰るのか?」
「はい。そろそろ一回見せたいです」
アルネアへ来た目的だった魔鉄は手に入った。
旧西坑にはまだ黒青脈の奥があり、空間異常の正体も分かっていない。
さらに町の西には、二十三年前から記録が途切れた山道まで残っている。
ここにも、戻ってくる理由ができた。
エイルは黒青色の鉱石を布で包み、背負い袋へしまった。
次にローデンへ戻った時。
ようやく。
自分の長剣が、形になり始めるかもしれなかった。




