第30話 坑砕鬼の向こう
翌朝、エイルが出張所へ入ると、ナージャの前にはマルクのほかにもう一人、見覚えのない冒険者が立っていた。
長い金髪を首の後ろで束ねた女性で、年齢は二十歳を少し過ぎたくらいだろう。鉄板を要所だけに入れた革鎧を着込み、腰には幅広の片手剣、左腕には小型の円盾を下げている。
エイルが入ってくると、女性は一度だけ視線を向けた。
「こいつが?」
「ああ」
マルクが答える。
「例の道を見つけたエイルだ」
「若いね」
「よく言われます」
「D級になって十二日っていうのも本当?」
「D級になったのは十二日目ですね」
「……そういう意味か」
女性は少し眉を寄せたが、深くは聞かなかった。
ナージャが二人の間へ入る。
「紹介しておくよ。セリア、C級。前衛を任せるなら、この辺じゃマルクと一番組みやすい」
「セリア・ラウル。よろしく」
「エイルです」
短く挨拶を交わすと、ナージャは机の上へ地図を広げた。
昨日確認した第二運搬路、その先にある採掘広場、さらにドールの古い記録から写した《黒青脈》までの坑道。
「今日の目的は三つ。空間異常区間の再確認、坑砕鬼の排除、それから第二採掘区の現状調査。黒青脈まで到達できれば理想だけど、無理に行く必要はない」
「坑砕鬼は倒す前提?」
セリアが聞く。
「可能ならね。あれが居座ったままだと、今後の調査が進まない」
「分かった」
ナージャは次にエイルを見る。
「あんたは道案内と地図更新。戦うなとは言わないけど、前へ出すぎないこと」
「分かりました」
「昨日みたいに鉱車投げる必要もないからね」
「投げてません。押しただけです」
「どっちでもいいよ」
マルクが横で笑っていた。
◇
旧西坑へ入ってから第二運搬路へ出るまで、一度も迷わなかった。
エイルが先頭で経路を選び、マルクが古い標識を確認し、セリアは後方を警戒する。
途中で小型の魔物が二体現れたが、戦闘になる前にセリアが片方を斬り、もう片方をマルクが槌で仕留めた。
動きが速い。
特にセリアは、剣を抜くまでの無駄がほとんどなかった。
「C級って、やっぱり強いですね」
エイルが言うと、セリアが少し振り返る。
「D級に言われてもね」
「僕、なったばかりなので」
「聞いてる」
そこから先は昨日と同じだった。
西第五支坑の支柱を越え、存在しないはずの坑道を抜けると、本来より遥かに短い距離で第二運搬路へ出る。
セリアも地図を確認し、しばらく黙った。
「気持ち悪いね」
「やっぱりそう思います?」
「思うよ。地図上なら、今の移動距離でここに来るのは無理」
マルクも壁へ印を残し、帰路確認用の細い縄を結ぶ。
「帰りも同じ道が使える保証はない。目印は増やしとくぞ」
「道が変わることも?」
「旧西坑じゃある。ただ今回は、変わってくれない方が助かる」
三人は線路沿いを進んだ。
やがて、坑砕鬼がいた採掘広場へ近づく。
エイルの《気配感知》には、昨日と同じ大きな反応がすでに入っていた。
「います」
「動いてる?」
「まだ奥です。こっちには気づいてないと思います」
セリアが盾を左腕へ固定し、片手剣を抜く。
「なら広場でやろう。通路で四本腕相手は面倒」
マルクも採掘槌を構えた。
「エイル、昨日どんな動きだった?」
「壁を普通に砕きました。速さはそこまでじゃないですけど、一撃が重そうです」
「魔法は?」
「見てません」
「じゃあ近接型として考える」
必要な会話だけで準備が決まった。
エイルは少し後ろへ下がりながら、《魔力感知》を狭い範囲に絞る。
坑砕鬼がこちらへ近づいてくる。
四本の腕。
太い脚。
額の黒い角。
昨日より近くで見ると、岩のように見えた皮膚の一部には金属質の光沢が混じっていた。
「来る!」
最初に動いたのは坑砕鬼だった。
二本の腕を振り上げてセリアへ突っ込み、上からまとめて叩き潰そうとする。
セリアは真正面から受けず、盾を斜めに当てながら身体を外へ逃がした。衝撃で足元の石が割れたが、そのまま懐へ入り、剣を脇腹へ走らせる。
浅い。
坑砕鬼の皮膚は洞鱗鬼よりさらに硬かった。
「硬っ!」
反対側からマルクが槌を振り込み、膝の外側へ当てる。
鈍い音とともに巨体が少し揺れた。
斬撃より打撃の方が通る。
エイルはその一撃を見ながら前へ出る。
坑砕鬼の魔力は全身へ均等に流れているわけではなく、腕を振る直前に肩と背中へ強く集まる。その分、下半身の流れが一瞬だけ薄くなる。
「マルクさん、右膝もう一回!」
「見えてんのか!」
「多分!」
坑砕鬼が二本の腕を横へ薙ぐ。
セリアが下がり、エイルは《衝撃》で一歩だけ前へ滑り込んだ。
右膝。
マルクが傷を入れた場所へ長剣を当て、刃を深く入れようとはせず、そのまま一点へ衝撃を通す。
ゴッ、と鈍い音が鳴った。
坑砕鬼の脚が少し沈む。
「効いてる!」
マルクがもう一度槌を入れる。
今度は明確に膝が崩れた。
それでも坑砕鬼は倒れず、残る二本の腕を地面へ叩きつける。
床が大きく揺れた。
砕けた石が周囲へ飛び、エイルは腕で顔を庇いながら距離を取る。
「地面も使うのか」
「次来るよ!」
セリアの声。
坑砕鬼が低く腰を落とし、四本の腕を身体の前へ集めている。
《魔力感知》では、額の角へまで魔力が流れ始めていた。
「角に集まってます!」
「何が来る?」
「分かりません!」
直後、坑砕鬼が地面を殴った。
今度はただの衝撃ではなかった。
床を走るように亀裂が伸び、その途中から岩が次々に跳ね上がる。
「散れ!」
三人が別方向へ避ける。
エイルは一つ目を外し、二つ目を《衝撃》で横へ弾いたが、三つ目までは間に合わなかった。
肩へ直撃する。
「っ!」
身体が横へ飛ばされ、地面を滑った。
痛い。
ただ、腕は動く。
骨も折れていない。
「エイル!」
「平気です!」
立ち上がった時には、セリアが坑砕鬼の正面へ戻っていた。
盾で二本の腕をいなしながら、残る腕の間へ剣を差し込む。
完全には防げない。
それでも攻撃を自分へ集めている。
マルクが背後へ回り、傷ついた右膝へ槌を叩き込んだ。
一度。
二度。
坑砕鬼の体勢が落ちる。
そこでエイルも走った。
今度は脚ではない。
額。
岩を飛ばした時、魔力が角へ集まっていた。
つまり、あれが何かの起点になっている。
「セリアさん、頭下げさせられます?」
「やってみる!」
セリアが一歩深く入り、盾を坑砕鬼の肘へ押し当てる。
腕の軌道がずれ、巨体が僅かに前へ傾いた。
マルクも反対側から膝を打つ。
頭が下がる。
届く。
エイルは足元へ二度《衝撃》を重ね、一気に距離を詰めた。
長剣を振り上げる。
角の根元。
斬るのではなく、刃を当てたまま魔力を通す。
「《衝撃》!」
強い衝撃が角の付け根で弾けた。
一本目では折れない。
だが、ひびが入った。
「もう一回!」
セリアが坑砕鬼の腕を盾で押し返す。
エイルは踏み込み直し、同じ場所へ二撃目を入れる。
今度は声を出さない。
魔力を集中させ、ひびへ一点だけ通す。
黒い角が根元から砕けた。
「グオオオオッ!」
坑砕鬼が初めて大きく怯む。
同時に、全身を覆っていた魔力の流れが乱れた。
「弱くなった!」
「分かるのか?」
「流れが落ちてます!」
マルクが迷わず前へ出た。
槌を両手で握り、右膝へ渾身の一撃を落とす。
ついに脚が折れた。
坑砕鬼が片膝をつく。
そこへセリアが飛び込み、首の付け根へ剣を突き立てる。
刃は半分ほどしか入らない。
「エイル!」
呼ばれるより先に動いていた。
セリアの剣が作った傷へ、自分の長剣を横から合わせる。
二本の刃がほぼ同じ場所へ入る。
そのまま《衝撃》を通すと、坑砕鬼の巨体が大きく揺れた。
マルクの槌が最後に後頭部へ叩き込まれる。
坑砕鬼はしばらく痙攣したあと、そのまま前へ倒れた。
広場へ重い音が響いた。
◇
「……これでC級寄り?」
エイルが息を整えながら聞く。
「単独ならかなり面倒だよ」
セリアは盾の縁を確認しながら答えた。
「今日は三人で弱点を集中したから早かっただけ」
マルクも槌を肩へ担ぐ。
「それでも角を折る発想はなかったな。あれ、魔力の核になってたのか?」
「多分。少なくとも、折れてから全身の流れが落ちました」
「便利だな、その目」
「目というか《魔力感知》です」
「そういう意味じゃねえ」
最近、似たことをよく言われる。
エイルは坑砕鬼の額へ落ちた黒い角を拾った。
かなり重い。
表面には魔鉄に似た青黒い筋がある。
「これも素材になりますかね」
「またそれか」
マルクが笑う。
セリアが横から覗き込んだ。
「売れば結構すると思うけど」
「一回鍛冶屋に見せます」
「武器作ってるんだっけ」
「まだ材料だけです」
坑砕鬼の魔石と角、使えそうな皮膚の一部だけを回収する。
全部持ち帰れば重すぎるため、残りは位置を記録し、後で回収班を出してもらうことにした。
◇
戦闘後、エイルの視界にはいくつかの表示が浮かんでいた。
【Lv.18 → Lv.21】
【《剣術》Lv.7 → Lv.8】
【《衝撃》Lv.8 → Lv.10】
【《魔力操作》Lv.7 → Lv.9】
【《魔力感知》Lv.6 → Lv.8】
【《危機感知》Lv.10 → Lv.11】
エイルは歩き出す前に、しばらく表示を見つめた。
「……三つ?」
レベルが一度に三つ。
《衝撃》と《魔力操作》、《魔力感知》は二段階ずつ上がっている。
洞鱗鬼の時より、さらに伸びていた。
「どうした?」
セリアが聞く。
「レベルが上がりました」
「いくつ?」
「十八から二十一です」
セリアが止まった。
「今ので?」
「はい」
「三つ?」
「はい」
マルクも振り返る。
「お前、昨日十八だったのか?」
「そうです」
「……経験補正系の技能でも持ってる?」
「少し特殊なのはあります」
固有技能まで話すつもりはない。
セリアは何か言いかけたが、結局やめた。
「まあ、隠したい技能はあるよね」
それだけで流してくれる。
エイルは表示の一番下を見る。
【《越境 Lv.3》】
まだ上がっていない。
それなのに。
明らかに成長が加速している。
以前なら強敵一体を倒して数値が大きく伸びるだけだった。
今は、強敵との一戦で複数の技能がまとめて二段階上がる。
単に経験が多かっただけなのか。
それとも。
これまで何度も限界を越えた結果、その次へ到達するまでの距離そのものが短くなっているのか。
答えはまだ分からない。
ただ。
偶然で済ませるには、回数が増えてきていた。
◇
坑砕鬼がいた広場の奥へ進む。
昨日は遠くからしか見られなかった第二採掘区の外縁を、今日は落ち着いて調べることができた。
壁には古い番号。
線路。
崩れた作業場。
ドールの帳面と照らし合わせると、位置関係もほぼ一致している。
「本当に第二採掘区だな」
マルクが言った。
「空間異常の道が近道になってる」
「毎回使えるなら便利ですね」
「毎回同じ場所に出ればな」
そこが問題だった。
三人は帰り道用の目印を増やしながら、黒青脈へ続く坑道を探す。
帳面では採掘広場から西へ一度下り、旧作業所を越えた先。
ところが現在は、大規模な崩落で二本ある道の片方が塞がっていた。
残った一本を進む。
途中から空気が冷たくなり、壁の色も少しずつ暗くなる。
エイルが先頭を歩いていると、腰の青鋼短剣が微かに反応した。
「この先、魔力が濃いです」
「鉱脈?」
「多分」
数十歩。
曲がり角を越える。
そこで道が開けた。
壁一面。
黒灰色の岩肌に、青い筋が何十本も走っている。
灯火を向けると、青い部分だけが鈍く光を返した。
エイルはドールの見本を取り出す。
近づけるまでもない。
同じ反応だった。
「……黒青脈」
マルクが呟く。
ドールの帳面にだけ残っていた古い鉱脈。
二十年以上、本格的には掘られていなかった場所。
エイルは壁へ手を触れた。
魔力を流すと、青鋼のように滑らかには通らず、代わりに深く受け止められる感覚が返ってくる。
グレイグが求めていたもの。
剣の芯を支えられる素材。
「これなら……」
「持って帰れる分だけにしろよ」
マルクが先に言う。
「分かってます」
「本当か?」
「多分」
「そこは断言しろ」
セリアが笑った。
エイルは採掘槌を取り出し、壁へ向き直った。
旅を始めた時には。
自分の剣を作るために、こんな場所まで鉱石を掘りに来るとは思っていなかった。
それでも今は。
この鉱脈が。
次の長剣へ続いている。




