第29話 短すぎる道
翌朝、出張所へ入ると、ナージャの前にはすでに一人の男が立っていた。
三十歳前後だろうか。日に焼けた肌に短い黒髪、革鎧の上から腰袋をいくつも提げ、背中には長柄の採掘槌を背負っている。
剣も腰にあるが、使い込まれているのは明らかに槌の方だった。
「来たね。こいつが昨日話した案内役だ」
「案内役って言い方はやめろ。俺も確認に行くんだろ」
男はそう返してからエイルを見る。
「マルク。C級。生まれも育ちもアルネアで、旧西坑にはガキの頃から入ってる」
「エイルです。よろしくお願いします」
「例の道を見つけた新人か」
「多分、それです」
「多分で知らない坑道増やすなよ」
第一声から少しドールに似ていた。
ナージャが机へ三枚の地図を広げる。
現在の探索図。
二十四年前の坑道図。
そして昨日エイルが書いた地図。
「今日はこの未記録坑道を再確認する。マルクには距離と方角、それから古い設備の見分けを頼むよ」
「分かった」
「エイルは昨日と同じ経路を辿って。途中で違いがあったら、その時点で止まる」
「道が変わってる可能性もあるから?」
「そういうこと」
マルクがエイルの地図を手に取り、未記録坑道の部分を眺めた。
「距離までちゃんと取ってるな」
「測距具があるので」
「それでも短すぎる。ここから旧運搬路に出るなら、山を半分くらい無視してるぞ」
「僕もそう思いました」
「だから確かめるんだよ」
マルクは地図を返すと、背負っていた槌の位置を直した。
「行くぞ。中で昼飯食うことになる」
◇
旧西坑へ入ってから第一旧広場までは、昨日と同じだった。
エイルが先に歩き、マルクは少し後ろから壁や古い設備を確認している。
「ここの線路、まだ残ってるんですね」
「主坑道だからな。昔は一日何十台も鉱車が走ってたらしい」
「マルクさんが子供の頃には?」
「もう西坑はほぼ死んでたよ。ただ、入るなって言われると入りたくなる年頃だった」
「分かります」
「お前の場合、今もだろ」
否定しにくかった。
第一旧広場から北支道へ入り、昨日見つけた岩穿獣の親子がいた場所まで進む。
今日は姿がなかった。
床には岩を削った跡だけが残っている。
「ここからです」
エイルが脇道を示す。
古図なら短い採掘跡で終わる場所だが、その奥には昨日と同じ隙間が開いていた。
マルクが中を覗き込む。
「こんなのあったか?」
「知りませんでした?」
「少なくとも俺が通った記憶はないな。ここ自体、ほとんど誰も使わんけど」
二人で奥へ入る。
エイルは昨日と同じ地点から距離を測り始めた。
マルクも歩数を数えている。
曲がり角。
緩い下り。
古い木材。
【西五】
昨日と何も変わっていない。
「これです」
マルクが木材を持ち上げ、裏まで確認する。
「西第五支坑の印で間違いない。ただ、ここにあるのはおかしい」
「運ばれてきた可能性は?」
「ある。ただな」
マルクが木材の根元を指した。
岩へ腐った木片が食い込んでいる。
「これ、折れた支柱の一部だ。置いてあるんじゃなくて、ここに立ってた」
「じゃあ元からここに?」
「少なくとも、最近誰かが持ってきたわけじゃない」
昨日より一つ、可能性が減った。
そのまま進む。
しばらくして道が広がり、古い線路へ出た。
マルクの足が止まった。
「……おい」
「これです」
「見りゃ分かる」
しゃがみ込み、線路の幅を測る。
次に壁の削り方を見て、錆びた固定具を一つ外した。
「旧運搬路だ」
「第二採掘区の?」
「この型は西坑の奥で使ってた。南坑や浅層のものとは幅が違う」
マルクの表情から軽さが消えていた。
「距離は?」
「入口からここまで、昨日とほぼ同じです」
「俺の歩測でも大差ない。多少ずれても、この位置に出る距離じゃねえ」
エイルは古図を広げ、現在地と思われる場所を指した。
本来ならここから第二採掘区の旧運搬路まで、まだかなりの距離がある。
「直線で抜けた道が昔あった可能性は?」
「それでも足りん。そもそも山の中を通ってるんだぞ。高低差も合わない」
マルクは近くの壁へ手を当て、しばらく考えてから言った。
「昨日、魔力溜まりの話は聞いたか?」
「地形に影響してる場所があるって」
「ここがそうかもしれん」
「空間が縮んでる?」
「そんな綺麗な話かは知らねえ。ただ、この山じゃ昔から変な話がある。歩いた時間と坑道図の距離が合わないとか、一本隣の坑道から出てきたと思ったら全然違う採掘区だったとか」
「それ、結構有名なんですか?」
「鉱夫の与太話扱いだよ。酒場なら山ほど聞ける」
マルクは立ち上がった。
「でも、これは笑えんな」
実際の線路がある。
西第五支坑の支柱もある。
二人で距離を測っても同じ結果になる。
少なくともエイル一人の測定ミスではなかった。
◇
「奥は昨日どこまで行った?」
「この先に《第二》って文字がありました。そこから先で大きな気配がしたので戻りました」
「正解」
マルクは即答した。
「今日は?」
「行かないんですか?」
「確認はする。ただし、気配の正体が面倒そうなら即戻る」
「分かりました」
線路に沿って左へ進む。
昨日と同じく緩い下りが続き、壁には古い採掘痕が増えていった。
エイルは《気配感知》を広げすぎないよう範囲を絞り、《危機感知》にも意識を残す。
やがて、欠けた文字が現れた。
【第二――】
マルクが灯火を近づけ、表面の汚れを払う。
「第二運搬路。間違いない」
「じゃあ第二採掘区に繋がってる?」
「少なくとも昔はな」
その先で通路が広くなった。
線路は二手へ分かれ、左はさらに下へ、右は岩壁の向こうへ消えている。
中央には倒れた鉱車が三台。
古いが、形は残っていた。
エイルは周囲を見る。
昨日感じた大きな気配。
今はまだ遠い。
「左です」
「分かるのか?」
「一ついます。大きいです」
「距離は?」
「百歩以上。正確には分かりません」
マルクは無理に近づこうとはしなかった。
「右を見てから戻るぞ」
「はい」
右側の線路を進むと、二十歩ほどで壁が崩れていた。
完全な閉塞ではなく、人一人が通れる程度の隙間が残っている。
その奥から冷たい風が吹いていた。
「また道がある」
「嬉しそうに言うな」
マルクが先に隙間へ灯火を差し込む。
向こう側は広い空間らしい。
二人で抜けると、そこには巨大な採掘跡が広がっていた。
天井まで十メートル以上。
壁面には何段もの掘削跡があり、崩れた木組みや鉱車の残骸が斜面の下へ散らばっている。
そして中央。
岩肌に、黒灰色の筋が何本も走っていた。
エイルは無意識に足を止める。
「……あれ」
背負い袋から、ドールにもらった魔鉄の見本を取り出した。
色。
青みを帯びた細い筋。
《魔力感知》を向ける。
壁の一部から、見本とよく似た重い反応が返ってくる。
「魔鉄?」
「多分な」
マルクが近くまで進み、採掘槌で表面を軽く叩いた。
剥がれた小片を拾い、灯火へかざす。
「混じってる。ただ、純度は高くない」
「採れます?」
「見本程度ならな。ここが本当に第二採掘区なら、もっと奥に良質な鉱脈があったはずだ」
エイルはそれでも嬉しかった。
アルネアへ来た目的の一つが、目の前にある。
マルクから採掘していい場所を教わり、岩肌へ槌を入れる。
最初の一撃は浅い。
角度を変え、亀裂へ合わせて二度目。
三度目で拳ほどの塊が剥がれた。
【《採掘》Lv.2 → Lv.3】
「上がった」
「何が?」
「《採掘》です」
「お前、採掘技能まだ二だったのか?」
「今三になりました」
「その状態で魔鉄探しに来たのかよ」
「だから練習してます」
マルクは何とも言えない顔をした。
採れた塊には不純物が多く、そのまま武器に使えるようなものではない。それでもドールへ見せる見本としては十分だった。
「もう一個だけ――」
エイルが次の場所を探そうとした時だった。
《危機感知》が強く跳ねる。
「マルクさん」
「ああ」
今度はマルクも気づいたらしい。
遠くで、低い音が響いている。
ゴッ。
少し間を空けて。
ゴッ。
岩を叩いているような音。
ただし、一撃ごとに床へ僅かな振動が伝わってくる。
エイルは《気配感知》へ集中した。
先ほどの大きな気配が動いている。
「近づいてます」
「どっちから?」
「さっきの左側。多分、この広場へ繋がってます」
マルクはすぐに槌を背負い直した。
「戻るぞ」
「戦わない?」
「正体も知らん相手と、逃げ道の怪しい場所でやり合う理由がない」
「それはそうですね」
エイルも採掘した塊を袋へ入れ、入口へ向かう。
だが、隙間まで戻ったところで音が変わった。
ゴッ、ではない。
岩が連続して崩れる。
次の瞬間、広場の左奥で壁が砕けた。
大量の石片が床へ落ち、その向こうから巨大な影が姿を現す。
エイルとマルクが同時に足を止めた。
岩のような灰色の皮膚。
四本の太い腕。
人間の倍近い巨体。
額から、黒い鉱石のような角が一本伸びている。
「……坑砕鬼」
マルクの声が低くなった。
「知ってるんですか?」
「旧西坑の奥に出る。B級寄りのC級指定だ」
自分より二段上。
エイルは坑砕鬼を見る。
向こうもこちらに気づいた。
四本の腕がゆっくりと持ち上がる。
「走るぞ」
マルクが言った。
エイルも迷わなかった。
二人は隙間を抜け、旧運搬路へ戻る。
直後、背後で轟音が響いた。
岩壁ごと殴ったらしい。
坑道が揺れる。
「これ、追ってきます?」
「来るだろうな!」
足音が近づく。
速さはそこまでではない。
ただ、狭い坑道であの巨体に追いつかれれば面倒だった。
エイルは前を走りながら周囲を見る。
線路。
下り。
倒れた鉱車。
「マルクさん、あの鉱車使えます?」
「何に!」
「塞ぎます」
返事を待たず、倒れていた鉱車へ走る。
錆びてはいるが、車輪は線路の近くに残っている。
一台を起こすには重い。
それでも今のエイルなら動かせる。
「おい、力――」
マルクが何か言う間に、エイルは鉱車の縁を掴んで持ち上げた。
以前なら到底無理だった重さだ。
自分でも少し驚く。
だが今は考えている時間がない。
車輪を線路へ戻し、下り方向へ押す。
動き始めた鉱車へ《衝撃》を重ねると、速度を増して坑砕鬼の方へ走っていった。
曲がり角の向こうで衝突音。
咆哮。
「止まった?」
「数秒だろ!」
「十分です」
二人は走る。
西第五支坑の支柱。
未記録坑道。
昨日通った分岐。
迷いはない。
エイルが前を行き、マルクが後ろを確認する。
やがて追跡音が遠くなり、岩穿獣のいた広間まで戻ったところで、二人はようやく歩調を落とした。
「……お前」
マルクが息を整えながらエイルを見る。
「何です?」
「あの鉱車、普通に起こしたよな」
「重かったですよ」
「そういう話じゃねえ」
「《衝撃》も使いました」
「起こす時は使ってなかっただろ」
見られていた。
「最近、筋力上がったので」
「最近で済ませる上がり方じゃなかったぞ」
エイルは答えに困り、結局肩をすくめた。
「僕もそう思います」
「自覚あるのが一番怖えよ」
◇
坑外へ戻った頃には、昼を少し過ぎていた。
ナージャは二人の報告を聞き、机へ広げた地図を長い間見つめていた。
「二人で測っても距離は同じ」
「ほぼな」
マルクが答える。
「しかも第二運搬路の設備まで残ってた。あの道は本当に第二採掘区近くへ繋がってる可能性が高い」
「空間異常か」
「俺はそう見る。普通の抜け道じゃ説明できん」
ナージャはエイルが採ってきた魔鉄混じりの鉱石も確認する。
「これが出た場所は?」
「大きな採掘広場です。そこに坑砕鬼もいました」
「そいつが問題だね」
地図へ赤い印が付けられる。
「坑砕鬼が居座ってるなら、あの経路はD級向け探索から外す。次に奥へ行くならC級以上を含む調査になる」
エイルは赤い印を見た。
「僕は?」
「D級」
「知ってます」
「なら分かるだろ」
「一緒なら行けます?」
ナージャがマルクを見る。
マルクは少し考えてから答えた。
「俺だけじゃ足りん。坑砕鬼を倒すなら、もう一人前衛が欲しい」
「倒さず抜けるなら?」
「それなら可能性はあるが、奥で帰路を塞がれたら終わる」
エイルもそれには同意した。
坑道は地上と違う。
敵を避けても、帰り道が同じなら再び会うことになる。
「じゃあ、次は人を増やす?」
「そうなるね」
ナージャは報告書を閉じた。
「それまでに、あの空間異常について古い記録も探してみる。第二採掘区まで本当に繋がってるなら、アルネアにとっても大きい発見だよ」
エイルは頷いた。
魔鉄は見つかった。
まだ質は低い。
本当に欲しいものは、もっと奥にあるかもしれない。
しかも、その奥へ続く道そのものが普通ではない。
出張所を出たあと、エイルは採掘した鉱石を持ってドールの店へ向かった。
◇
ドールは鉱石を見ると、何も言わずに小さな槌で端を割った。
断面を削り、魔力を流してから鼻を鳴らす。
「西坑の魔鉄だな」
「使えます?」
「これ単体じゃ不純物が多すぎる。精錬すりゃ少量は取れるが、お前の剣に使うにはまだ足りん」
「やっぱり奥ですか」
「第二採掘区まで行けたならな」
エイルは少し笑った。
「かなり近くまで行きました」
「何?」
今日の話をすると、ドールは最初こそ黙って聞いていたが、第二運搬路と採掘広場の話で表情を変えた。
「その広場、壁が段になってただろ」
「なってました」
「中央に古い鉱車の残骸があったか」
「何台か」
ドールが椅子から立ち、店の奥へ向かった。
古い帳面を一冊持って戻ってくる。
「俺がガキの頃に親父からもらった採掘記録だ」
開かれたページには粗い図が描かれていた。
大きな採掘広場。
複数の線路。
壁面に何段もの採掘跡。
エイルが今日見た場所とよく似ている。
「ここです」
「なら第二採掘区の外縁まで行ってる」
「本当に?」
「ああ」
ドールの指が図のさらに奥へ動く。
「質のいい魔鉄が出てたのは、その先だ」
そこには一本の坑道が描かれ、終点近くに小さな文字がある。
【黒青脈】
「黒青脈?」
「昔の呼び名だ。アルネアで一番質のいい魔鉄が出た鉱脈の一つ」
エイルはその文字を見る。
欲しかった素材。
それが、ようやく具体的な場所を持った。
「これ、写していいですか?」
「勝手にしろ。ただし」
ドールがエイルを見る。
「坑砕鬼を越えなきゃ行けんぞ」
「はい」
「嬉しそうだな」
「場所が分かったので」
強い魔物がいることより。
その向こうに道があることの方が。
今は大きかった。




