第28話 地図が合わない坑道
翌朝、エイルはアルネアの出張所で旧西坑の探索図を受け取った。
昨日の南坑より地図そのものが大きく、入口から第三旧広場までの主要経路には太い線が引かれているものの、そこから先は急に情報が少なくなる。崩落、魔物の巣、通行不明といった注意書きも多く、端には更新された年まで細かく記されていた。
「今回の地図更新は、この辺まででいい」
ナージャが第二旧広場の少し先を指した。
「無理に奥へ行く必要はないよ。現在図と実際の地形を照らして、違うところがあれば書いてくれれば追加報酬を出す」
「第二採掘区はもっと先ですよね」
「かなり先。今の探索図だと、まともに辿れる道すら確定してない」
机の横には、エイルがベルクでもらった二十四年前の坑道図も広げてある。
古図では第二採掘区まで複数の経路が繋がっているが、現在図ではその大半が崩落扱いになっていた。
「この道は?」
エイルが古図の一本を指す。
第一旧広場から西へ伸び、そのまま第二採掘区方面へ向かう太い坑道だった。
「五年前に調査した時は崩れてた。それ以降、再調査はしてない」
「五年なら変わってる可能性もあります?」
「崩落が勝手に直ることは普通ないけど、この坑道じゃ絶対とも言えないね」
「迷宮化してるから?」
「それもある」
ナージャは古図を指先で叩いた。
「旧西坑で厄介なのは、全部を迷宮のせいにできないことさ。元々何十年も増築を繰り返した鉱山だから、正式図に載ってない作業道もあるし、崩落後に誰かが掘った抜け道もある。そのうえ魔力溜まりが地形へ干渉してる区画まで混ざってる」
「だから地図が合わない」
「そういうこと」
エイルにとっては、むしろ面白い条件が揃っていた。
「楽しそうな顔するね」
「してました?」
「してる」
否定はしなかった。
ナージャは小さく笑ってから、革製の札を一枚渡してくる。
「旧西坑の入坑証。今日は日没二刻前までに戻ること。遅れるなら捜索の判断が必要になる」
「分かりました」
「あと、坑道内で価値のある鉱脈を見つけても、その場で大量採掘はしないこと。見本程度なら持ち帰っていい」
「はい」
必要な説明はそれで終わった。
◇
旧西坑の入口は、町から歩いて三十分ほど山を上った場所にあった。
南坑より明らかに大きな坑口で、かつて鉱車を何台も出入りさせていたらしい。錆びた線路が二組並んだまま暗闇へ続き、入口脇には今も冒険者向けの詰所が残されている。
入坑証を見せて中へ入ると、すぐに空気が変わった。
南坑は人の声や採掘音が遠くから聞こえていたが、こちらはほとんど無音だった。壁には古い灯火台が残っているものの火はなく、エイルの灯火だけが周囲を照らしている。
最初のうちは現在図とほぼ同じだった。
広い主坑道を進み、崩れた鉱車を越えたところで右へ曲がる。そこから緩い下りが続き、一つ目の分岐は左が崩落、右が第一旧広場へ繋がっていた。
エイルは歩くたびに距離を取り、特徴になる場所だけを地図へ追加していく。
南坑で得た《地形把握》があるためか、以前より高低差を掴みやすい。単純に道を写すだけでなく、崩れやすそうな斜面や迂回に使えそうな脇道まで自然と意識へ入ってきた。
第一旧広場へ着いたところで、一度立ち止まる。
天井の高い空間に、朽ちた木箱や鉱車の残骸が散らばっている。壁には昔の採掘班が残したらしい文字がいくつもあり、その一部は煤で黒く潰れていた。
「ここまでは合ってる」
現在図も古図も大きな違いはない。
問題はここからだった。
古図では西へ太い坑道が一本伸びている。
現在図では、その道は少し先で崩落。
エイルはまずそこを確認することにした。
◇
崩落地点までは十分もかからなかった。
現在図の記載通り、大量の岩が通路を完全に塞いでいる。
「これは無理だな」
少し石をどけた程度ではどうにもならない。
《危機感知》も瓦礫へ近づくほど弱く反応しているため、無理に掘るのは危険だった。
ただ、エイルが気になったのは風だった。
頬へごく薄く空気が当たっている。
完全に奥まで埋まっているわけではない。
青鋼短剣を抜き、瓦礫へ近づけてから小さな《衝撃》を流す。
振動が岩を伝い、手元へ返ってくる。
何度か場所を変えると、左側の奥だけ反応が軽い。
「向こうに空間は残ってるな」
通れるかどうかは別だ。
現在図へその情報だけ追加して、いったん戻る。
古図を見る限り、西へ向かう経路はもう一本あった。
第一旧広場から北側の支道へ入り、途中で西へ折れる細い道。
現在図にも途中までは記載されているが、その先は《未確認》になっている。
「次はこっちか」
エイルは北側の支道へ入った。
◇
道幅は主坑道の半分ほどしかなかった。
天井も低く、場所によっては頭を下げなければ通れない。古い支柱が残っているものの、何本かは途中から折れていた。
しばらく進むと、《気配感知》に二つの反応が触れる。
前方。
人ではない。
動きは遅いが、片方はかなり大きかった。
灯火を低くして進むと、先の広がった場所で何かが岩を削っている。
四本脚。
背中を厚い岩殻で覆い、頭部には横向きに伸びた二本の角。
資料で見た覚えがあった。
岩穿獣。
岩盤を角で削って鉱物を食べる魔物で、D級帯では珍しくない。ただし狭い坑道で突進されると逃げ場が少ないため、場所によってはかなり危険らしい。
もう一体は小さい。
まだ成体ではないようだった。
「親子か」
エイルは剣に手を掛けず、少し後ろへ下がった。
こちらへ気づいていないなら、避けた方が早い。
問題は、この道しか西へ抜ける経路がないことだった。
地図を見る。
手前に脇道が一本ある。
古図では短い採掘跡で終わっているが、現在図には記載すらされていない。
「そっち見てみるか」
親子を刺激しないよう距離を取り、脇道へ入る。
十数歩で行き止まりになると思っていた。
ところが。
「……続いてる」
古図では壁のはずの場所に、人一人が通れる隙間が開いていた。
自然に崩れたというより、後から岩が割れて繋がったように見える。
《危機感知》に強い反応はない。
エイルは地図へ位置を記し、その隙間を抜けた。
向こう側には細い坑道が続いている。
古図を開く。
現在図も見る。
「どっちにもないな」
未記録の道だった。
◇
新しい坑道は、古い支道よりさらに狭かった。
壁を見る限り人が掘った形跡はあるが、仕上げが荒く、鉱車を通した跡もない。正式な採掘道ではなく、作業用の抜け道だったのかもしれない。
途中には古い木材が一本だけ残っていた。
表面に文字が刻まれている。
【西五】
「西五……」
エイルは古図を確認する。
西第五支坑。
現在地からかなり南西にあるはずの区画だった。
「位置が合わない」
自分が歩いた距離を間違えた可能性もある。
測距具を出し、今までの経路を頭の中で組み直す。
第一旧広場。
北支道。
未記録の隙間。
ここまでの距離。
どう計算しても、西第五支坑へ来るには短すぎた。
「標識が移された?」
その可能性はある。
廃坑になって何十年も経っているなら、木材一本が元の場所に残っている保証はない。
だから、それだけで地形が変わったとは決められない。
エイルは木材の位置を記録し、さらに先へ進んだ。
数分後。
道が急に広がった。
灯火を掲げる。
「……え?」
目の前に、鉱車用の線路が現れた。
二本。
しかも主坑道と同じ規格。
古図を開く。
現在図。
何度見ても。
この位置には存在しない。
エイルはしゃがみ、線路を見る。
錆びている。
かなり古い。
最近作られたものではない。
「どこに出たんだ?」
線路は左右へ続いている。
右からは薄い風。
左は僅かに下っている。
《地形把握》へ意識を向けると、左側の方が山の奥へ向かっている感覚があった。
エイルは現在図の余白へ、今まで歩いた経路を点線で書き足した。
すると。
「……近いな」
線路の向きと勾配だけを古図へ重ねるなら。
第二採掘区へ続いていた旧運搬路に似ている。
ただし、距離が合わない。
少なくとも、本来なら今いる場所からさらにかなり西へ進まなければ辿り着かないはずだった。
エイルはしばらく地図を見たあと、線路の左側へ数十歩だけ進んだ。
壁には古い文字が残っている。
【第二――】
後半は欠けて読めない。
「本当に?」
胸の奥が少し高鳴る。
けれど、ここで先へ進みすぎるのは違う。
今日は地図更新。
しかも、この道は誰も現在位置を把握していない可能性がある。
戻る道を失えば終わりだ。
エイルは壁の文字を写し、目印になる線路の傷や岩の形まで細かく記録する。
その時、《危機感知》が反応した。
強い。
左側。
奥。
エイルはすぐ灯火を下げた。
何かがいる。
《気配感知》へ意識を広げると、一つだけ大きな反応が返ってきた。
かなり遠い。
それでも、今まで旧西坑で感じたどの魔物より重い。
「……今日はやめよう」
好奇心より先に判断した。
今の目的は、奥に何がいるか確かめることではない。
道を見つけた。
それだけで十分だった。
◇
来た道を戻る途中、先ほどの岩穿獣の親子はまだ同じ広間にいた。
今度も刺激せず、そのまま抜ける。
第一旧広場まで戻ったところで、エイルは一度壁へ背を預けた。
魔物との戦闘は一度もしていない。
それなのに、青晶洞で一日歩いた時とは違う疲れがあった。
地図を読み。
距離を測り。
道を比べ。
危険を避けながら、存在しないはずの通路を探す。
探索そのものに頭を使ったせいだろう。
状態板を開く。
【《地図作成》Lv.3 → Lv.4】
【《地形把握》Lv.2 → Lv.3】
【《気配感知》Lv.3 → Lv.4】
エイルは少し眉を上げた。
「また三つ」
戦っていない。
それでも技能がまとめて伸びている。
特に《地図作成》は、昨日上がったばかりだ。
以前なら一つの技能が上がるまで、もう少し同じことを繰り返していた気がする。
《越境》の説明を開く。
【自己の能力を上回る困難、未到達の領域、未習熟の技術を克服した際、成長に補正を得る】
未到達の領域。
今日見つけた未記録坑道は、確かにそれに当てはまる。
「……戦わなくても、ちゃんと効いてるんだな」
以前から分かっていたことではある。
ただ、最近は補正そのものが強くなっているように感じる。
《越境》はLv.3のまま。
それでも、一度境界を越えるたびに次の成長まで近くなっている。
気のせいかもしれない。
まだ断定はできない。
エイルは状態板を閉じ、坑口へ向かった。
◇
アルネアへ戻ると、ナージャはエイルの地図を見るなり椅子から立ち上がった。
「待ちな。ここ、どこを歩いた?」
「僕もそれが分からなくて」
「分からない道を平然と書くな」
「戻れるようには記録しましたよ」
「そういう意味じゃない」
現在図、古図、エイルの記録。
三枚を机へ並べる。
ナージャは何度も位置を確認したあと、未記録坑道の先に見つけた線路へ指を置いた。
「第二採掘区の旧運搬路に似てる」
「僕もそう思いました」
「でも距離が合わない」
「はい」
「半分以下だよ」
やはり測り間違いではなかったらしい。
「昔、別の運搬路があったとか?」
「記録上はない。ただ、ここは正式図に載ってない道も多いから、絶対とは言えない」
「魔力溜まりの影響は?」
「それも否定できない」
ナージャの表情が少し真剣になる。
「旧西坑で地図が合わないって言っただろ」
「はい」
「こういうことさ。曲がり角が増えた程度なら崩落で説明できる。でも、距離そのものが合わない報告が時々出る」
「今までにも?」
「ある。毎回じゃないし、同じ場所で再現するとも限らないけどね」
エイルは記録した線路を見る。
もし本当に。
坑道の一部だけ距離が変わっているなら。
「……面白い」
「まず怖がりな」
「危なかったら戻りますよ」
「そこは知ってる」
ナージャはため息をつきながらも、報告書を書き始めた。
「この道は明日、もう一度確認する。あんたも来るかい?」
「行きます」
「即答だね」
「途中まで分かってるので」
「それと、今回は一人じゃない」
エイルが顔を上げる。
「誰か来るんですか?」
「坑道に詳しい奴を付ける。距離がおかしいなら、あんたの測り方だけじゃなく、別の人間の感覚でも確認したい」
一人旅は好きだ。
それでも、こういう時に他人の知識が必要なことは分かる。
「分かりました」
「明日の朝ここへ来な。紹介する」
エイルは頷き、地図を畳んだ。
第二採掘区へ続いているかもしれない線路。
その奥にいた、大きな気配。
そして。
本来より短すぎる距離。
魔鉄を探しに来ただけだったはずが、旧西坑そのものが想像以上に妙な場所らしい。
アルネアへ来て三日目。
まだ山の入口に近い場所しか歩いていないのに、地図は早くも信用できなくなり始めていた。




