第27話 古い印の先
翌朝、エイルは宿で簡単に朝食を済ませると、採掘槌と灯火具を背負い袋へ追加して南坑へ向かった。
アルネアの南側は町の中心よりも建物が少なく、山肌へ近づくにつれて古い作業場や資材置き場が増えていく。使われなくなった鉱車の線路も残っており、錆びた二本の鉄が地面へ半ば埋もれながら坑口まで続いていた。
南坑の入口には小さな詰所があり、そこで冒険者証と依頼票を見せる。
「旧標識の調査か」
詰所の男は五十代ほどで、右手の指が二本なかった。机に置かれたエイルの地図を見ると、第三分岐より先を指で叩く。
「ここまでは今も採取屋が入る。その先は昔の支道が多いから、壁の番号を見落とすなよ」
「番号?」
「坑道には道標がある。古いのは数字だけじゃなく、色や形でも採掘区を分けてた。今回調べるのはそれだ」
男は棚から木片を一つ取り出した。
表面に、三本線と逆三角形を組み合わせた印が焼き付けられている。
「南坑の旧標識はこの形が基本だ。三本線が主坑道からの距離、下の印が支道番号。崩れて読めないものも多いから、分かる範囲で写してくれればいい」
「古地図と違ってたら?」
「それも記録。昔の地図が間違ってるのか、崩落後に掘り直したのかは後で判断する」
エイルは木片の印を紙へ写し、詰所を出た。
坑口へ近づくと、外の朝日が届かなくなる。
青晶洞とは違い、南坑には壁を削った跡がはっきり残っていた。天井を支える古い木材、等間隔に掘られた灯火用の窪み、鉱車を通すため平らに均された床。人が作った道であることが一目で分かる。
「こっちはこっちで面白いな」
灯火を点け、坑道へ入った。
◇
第一分岐までは採掘者とも何度かすれ違った。
壁を削る槌の音が遠くから響き、荷籠を背負った男たちが鉱石を運んでいる。南坑は古いとはいえ完全に捨てられた場所ではなく、浅い区画では今も細々と採掘が続いているらしい。
第二分岐を越えると人の姿が減り、第三分岐ではついに誰とも会わなくなった。
ここからが依頼範囲だった。
エイルは現在の坑道図と二十四年前の古図を見比べる。
最初の旧標識はすぐに見つかった。
壁へ刻まれた三本線。その下には、半分欠けた四角形が残っている。
「これが支道四……かな」
現在の地図では、その先は十五歩ほどで行き止まりになっている。
実際に進んでみると、大きな崩落で完全に塞がれていた。
エイルは標識の形と崩落位置を記録し、主坑道へ戻る。
二つ目も大きな違いはなかった。
問題は三つ目だった。
「……ない」
古地図では、主坑道の右壁に支道が一本ある。
ところが実際には、壁しかなかった。
崩れた痕跡もなく、最初から道など存在しなかったように岩が続いている。
エイルは地図の位置を間違えた可能性を考え、第三分岐まで戻って距離を測り直した。
測距具を使い、曲がり角も確認する。
もう一度同じ場所へ来る。
「合ってるな」
古地図が間違っているのか。
あるいは昔の坑道が完全に埋め戻されたのか。
壁へ灯火を近づけると、自然の岩とは少し違う箇所があることに気づいた。色はほとんど同じだが、岩の並びが妙に均一だ。
エイルは手で触れ、《魔力感知》を狭く向ける。
奥から微かな反応が返ってきた。
「空洞?」
青鋼短剣を抜き、柄を壁へ軽く当てる。
そこからごく小さな《衝撃》を流した。
叩き割るためではない。
壁を伝わった震えが返ってくる。
一度ではよく分からなかったため、場所を変えてもう一度。さらに少し上、少し下と試していくうち、中央だけ明らかに返り方が違うことに気づいた。
岩の向こうに空間がある。
「埋めたのか」
壁を壊す許可までは依頼に含まれていないので、場所だけ詳しく記録する。
青晶洞で試した振動の使い方が、ここでも役に立った。
【《地形把握》Lv.1 → Lv.2】
表示が現れる。
さらに数秒遅れて、
【《魔力感知》Lv.5 → Lv.6】
と続いた。
「最近、上がるの早いな」
洞鱗鬼との戦いで一気に技能が伸びたばかりなのに、もう次が上がっている。
もちろん今回は何もないところから成長したわけではなく、これまで何度も魔力を壁や床へ流し、返ってくる感覚を試してきた。その積み重ねが形になったのだろう。
それでも以前より、成果へ届くまでが短くなっている感覚はあった。
エイルは壁に小さく印を残し、さらに奥へ進んだ。
◇
旧標識を四つ確認した頃には、坑道の状態もかなり悪くなっていた。
床には大小の石が増え、天井を支える木材も腐っている。古い鉱車の線路は途中で切れ、片方の鉄だけが壁際へ歪んで伸びていた。
《危機感知》が弱く反応する場所では天井を確認し、危険そうなら遠回りする。
坑道では、最短距離を歩けばいいわけではない。
床。
天井。
空気。
水。
壁。
それぞれを見なければならず、青晶洞とはまた違った神経を使う。
曲がり角へ差しかかったところで、《気配感知》に複数の反応が入った。
天井付近。
五つ。
エイルは灯火を少し下げた。
岩の窪みに、黒い塊がぶら下がっている。
翼を畳んだ大型の蝙蝠だった。
資料で見た鉱牙蝙蝠。
そのまま抜けられれば戦う必要はないが、こちらが灯火を動かした瞬間、一体が目を開いた。
甲高い鳴き声が坑道へ響き、残る四体も一斉に翼を広げる。
「やっぱり駄目か」
エイルは長剣を抜いた。
狭い坑道では大振りに剣を振れないうえ、相手は頭上から不規則に飛び込んでくる。しかし《危機感知》が襲ってくる方向を先に拾うため、真正面から姿を追い続ける必要はなかった。
一体目の突進を半歩外し、翼の付け根へ剣先を当てる。続けて背後から来た個体には振り向かず、小さな《衝撃》を横へ放って軌道をずらした。
壁へぶつかったところへ短剣を入れる。
残る三体は距離を取って旋回し始めたが、狭い坑道では逃げ道も限られている。エイルは灯火を床へ置き、飛び込んでくる瞬間だけ剣を合わせて一体ずつ落とした。
最後の一体が奥へ逃げたところで追うのをやめる。
討伐依頼ではない。
無理に全部倒す必要もなかった。
「飛ぶ相手は、また違うな」
剣を鞘へ戻し、落ちた三体から小さな魔石だけを回収する。
この程度なら今は苦戦しない。
それでも、地上の狼や洞窟の四足獣とは攻撃方向がまるで違うので、経験としては悪くなかった。
◇
五つ目の標識は、古地図と現在地図の両方に記載されていない場所で見つかった。
主坑道から少し外れた壁。
瓦礫に半分隠れた石柱へ、古い印が残っている。
三本線。
その下に、逆三角形。
朝、詰所で見せてもらったものと同じだった。
「支道……一?」
だが、その方向に道はない。
先ほどと同じように埋め戻されたのかと思い、周囲を調べる。
今回は壁ではなく、床だった。
瓦礫を少しどかすと、下から金属製の輪が出てくる。
引いてみる。
動かない。
土と石で完全に固まっている。
「蓋かな」
古地図を広げる。
この場所には何も描かれていない。
現在の地図にもない。
それでも標識だけが残っている。
エイルは無理に開けず、位置と形を記録した。
依頼としてはそれで十分なはずだった。
立ち上がろうとした時、青鋼短剣が腰で微かに震えた。
「……また?」
抜いてみる。
《魔力感知》を重ねると、床のさらに下から細い魔力反応が返ってきた。
南坑の浅い区域で感じていた鉱石とは少し違う。
エイルは背負い袋から、昨日ドールにもらった魔鉄の見本を取り出した。
黒灰色の金属片。
青い筋。
試しに床から感じる反応と比べる。
「似てる……?」
完全に同じとは言えない。
しかし、魔力を流した時の重さに近いものがある。
もし床下に魔鉄を含む古い採掘区が残っているなら。
それは気になる。
かなり。
エイルは金属輪を見る。
少し力を入れれば、周囲の瓦礫ごと《衝撃》で飛ばせるかもしれない。
ただし、坑道の床を勝手に壊していいとは聞いていない。
「……報告してからだな」
惜しいが、ここで依頼内容を外れる理由もない。
位置を地図へ書き込み、標識の形も丁寧に写した。
◇
その後は大きな問題もなく、予定されていた範囲の確認を終えて南坑を出た。
外へ戻った時には午後を少し過ぎていた。
詰所の男へ地図を見せると、途中までは淡々と確認していたが、埋められた支道の話で手が止まった。
「ここ、空洞があるのか?」
「多分。壁に小さく《衝撃》を流したら、中央だけ返り方が違いました」
「そんな使い方する奴は初めて見たな」
「便利ですよ」
「普通は壁の向こうを調べるために攻撃魔法使わん」
言われてみればそうかもしれない。
「それから、こっちです」
床下の標識と金属輪。
男は地図へ顔を近づけた。
「……この印、第一旧支坑だな」
「知ってるんですか?」
「名前だけは。俺が若い頃にはもう閉じてた」
「何を掘ってた場所です?」
「魔鉄混じりの鉱脈だったはずだ」
エイルの予想が当たった。
「入れます?」
「今は入れん。そもそも入口が残ってるなんて知られてなかった」
「開けるなら?」
「出張所へ報告だな。崩落状態を調べて、安全なら探索依頼が出る」
エイルは少し残念に思ったものの、勝手に開けなくて正解だったらしい。
男は写した標識をもう一度確認する。
「これ、よく見つけたな。瓦礫の下だったんだろ?」
「少しだけ石柱が見えてました」
「昔の坑夫でもなきゃ見逃すぞ」
「標識を探す依頼だったので」
「そういう問題かね」
男は首を傾げながら報告書へ署名した。
◇
アルネアの出張所へ戻ると、ナージャは報告を聞き終える前から地図を広げていた。
「第一旧支坑……まだ入口が残ってたのか」
「床の下に魔力反応もありました。ドールさんにもらった魔鉄と少し似ています」
「見本まで持たせたのか、あの爺さん」
ナージャは金属片を見てから、古い資料棚へ向かった。
数冊の記録を引っ張り出し、埃を払いながらページをめくる。
「第一旧支坑。閉鎖は二十八年前……理由は落盤じゃないね」
「何だったんです?」
「鉱脈が細くなったから放棄。その後、上層を埋めて南坑の主坑道を補強したらしい」
「じゃあ、中は崩れてない可能性も?」
「ある」
ナージャが次のページをめくる。
「しかも魔鉄の記録が最後まで残ってる。量は少なかったみたいだけどね」
それだけ聞けば十分気になる。
「調査できます?」
「今すぐは無理。まず入口周辺の安全確認が必要だし、勝手に掘り返すわけにもいかない」
ナージャは資料を閉じた。
「ただ、あんたが見つけた場所だから、調査依頼を出すなら優先して声は掛ける」
「お願いします」
「本当に鉱石が好きなのか、道が好きなのか分からないね」
「どっちもです」
「そうかい」
ナージャは笑い、報酬袋を机へ置いた。
「旧標識五ヶ所、未記録入口一ヶ所、埋没支道の報告込みで銀貨十五枚。通常より追加が入ってる」
「ありがとうございます」
「それと、《地図作成》持ってるだろ」
エイルが少し驚く。
「何で分かるんです?」
「この地図見れば分かる。素人の書き方じゃない」
「まだLv.3ですけど」
「十分だ。明日から旧西坑へ入るなら、簡単な地図更新も一緒にやってくれれば追加報酬を出せる」
旧西坑。
第二採掘区。
魔鉄が残っているかもしれない場所。
エイルはほとんど迷わなかった。
「受けます」
「だと思ったよ」
◇
出張所を出たあと、エイルは宿へ戻る前にドールの鍛冶屋へ寄った。
「ありました」
店へ入って最初にそう言うと、ドールが作業台から顔を上げる。
「何がだ」
「魔鉄の古い支坑」
「掘ったのか」
「まだです。入口だけ」
「なら『ありました』じゃねえ」
「入口はありました」
エイルが南坑で見つけた標識と魔力反応を説明すると、ドールはしばらく黙っていた。
「第一旧支坑か……懐かしい名前だな」
「入ったことあるんですか?」
「ガキの頃に一度だけな。親父に連れられて」
「魔鉄は?」
「出てた。量は少なかったが、質は悪くなかった」
期待が少し増した。
「調査が通ったら見てきます」
「好きにしろ。ただし、あそこは本命じゃねえぞ」
「第二採掘区?」
「ああ」
ドールは壁に掛けられた古い採掘槌を眺めながら続ける。
「第一旧支坑で採れてたのは、昔のアルネアじゃ中の上程度だ。本当にいい魔鉄は西坑の奥から出てた」
「じゃあ、まず見分ける練習にします」
「……お前、妙なところで堅実だな」
「いきなり一番危ないところ行って死んだら、先が見られないので」
「それでいい」
ドールは短く答えた。
エイルは宿へ戻る。
明日は。
旧西坑。
現在の地図と古地図が合わない場所。
その先には、かつて第二採掘区へ続いていた道がある。
南坑へ入っただけでも、知らなかった入口が一つ見つかった。
なら。
もっと古く。
もっと使われなくなった坑道には。
何が残っているのか。
部屋へ戻ったエイルは、現在の探索図と古い坑道図を机へ広げた。
明日歩く範囲を比べると、やはり途中から線が大きくずれている。
その差の中に。
今は誰も使っていない道が、まだ残っているかもしれなかった。




