第25話 道が細くなる
ローデンを出てからの道は、一度通ったばかりということもあって迷うような場所はなかった。
前回は商隊の速度に合わせて歩いていたが、今回は一人なので休憩も進む速さも自由に決められる。荷馬車がない分だけ歩調は自然と速くなり、昼を過ぎた頃には、三角狼と戦った街道まで来ていた。
血の跡はもうほとんど残っていない。
エイルは少しだけ周囲を確認したものの、林の中にも街道沿いにも危険な気配はなく、そのまま通り過ぎた。
以前なら一度立ち止まって調べていたかもしれないが、今は行き先が決まっている。気になるもの全てへ寄り道していては、目的地までいつ着くか分からない。
日が傾く前には前回と同じ野営地へ着き、井戸の水を確かめてから荷物を下ろした。
一人で使うには広すぎる場所だった。
「前は四人だったからな」
焚き火を起こしながら呟く。
レナたちと歩いたのは数日だけだが、同じ場所へ戻ってくると静かさが妙に目立つ。
寂しいというほどではない。
むしろ、好きな時に食べ、好きな時に地図を広げられる一人旅の気楽さはやはり性に合っていた。
夕食にはローデンで買っておいた干し肉と豆を使った。
以前なら適当に炙って食べていたところだが、ベルクへ向かった時の食事を思い出し、豆と刻んだ干し肉を小鍋で一緒に煮てみる。
「……こっちの方がいいな」
大した料理ではない。
それでも温かいだけで随分違った。
長い旅をするなら剣や魔法だけでなく、こういうことも覚えて損はなさそうだった。
◇
翌日の昼過ぎにはベルクへ着いた。
初めて来た時ほど町そのものへ目を奪われることはなかったが、それでも門をくぐると自然に地図屋の場所を確認してしまう。
今回は新しい地図を買う予定はない。
すでにアルネアまでのものは持っている。
まずギルドへ寄り、ローデンで渡された資料に加えて、旧街道の最新情報を確認する。
「アルネアまで歩き?」
受付の男は、以前エイルの護衛報告を受けた人だった。
「はい」
「昨日の雨で沢が増えてるかもしれん。途中に古い石橋があるが、無理そうなら北側の斜面を回れ」
卓上の地図へ指を置く。
ベルクから北西へ。
以前見た、使われなくなりつつある街道だ。
「この橋?」
「そう。完全に落ちてはいないが、もう誰もまともに修理してない。馬車は別の道を使うからな」
「他に危ないところは?」
「魔物なら牙鼠と山犬くらいだ。たまに鉱山跡からゴブリンが下りてくるが、D級なら問題ない」
魔物より道そのものを気にした方がよさそうだった。
「アルネアは今も人いますよね?」
「いるぞ。昔よりずっと少ないが、山師や採取屋、それに古坑道へ潜る冒険者もいる。宿が一軒と食堂、それからギルドの出張所も残ってる」
「鍛冶屋は?」
「ある。鉱山町だからな」
エイルの反応を見て、男が少し笑った。
「武器でも作るのか?」
「材料を探してます」
「なら現地で聞くといい。古坑道のことなら、こっちより詳しい奴がいる」
必要な情報を聞き終えると、エイルはそのままベルクを出た。
宿を取れば楽だが、まだ日は高い。
せっかくここまで来たのなら、少しでも先へ進みたかった。
◇
分岐へ着いたのは一時間ほど後だった。
右へ進めば、今も商人や旅人が使う街道。
左はアルネアへ続く旧道。
以前見た時と変わらず、中央には古い道標が立っている。
エイルは今度こそ迷わず左へ入った。
「……なるほど」
百歩ほど進んだだけで、主要街道との違いが分かった。
道幅そのものは馬車が通れる程度に残っているが、地面には草が増え、車輪の跡も少ない。両側から伸びた木の枝が道の上へ張り出し、場所によっては昔敷かれていた石まで土に埋もれている。
それでも廃道ではない。
新しい靴跡がある。
大きいものが二つ。
少し小さいものが一つ。
少なくとも三人が、ここ数日のうちに同じ方向へ歩いている。
「ちゃんと使われてるんだな」
《追跡》で確認すると、アルネア側へ向かう足跡のほか、逆方向のものもいくつか見つかった。
人が消えた道ではない。
ただ、使う人が減っただけ。
エイルは地図へ小さく印を付けながら歩いた。
道標。
水場。
倒木。
分岐。
旧街道の地図は持っているが、ベルクの店主が言っていた通り、紙の上と現在の道には少しずつ違いがある。
川が細くなっている場所もあれば、新しい獣道が横切っている場所もあった。
歩き始めて二時間ほど経った頃、《危機感知》が弱く反応する。
魔物の気配ではない。
エイルは足を止め、前方を見る。
特に何もないように見える。
道は緩く下り、その先を木々が隠している。
慎重に近づくと、理由はすぐに分かった。
「これか」
石橋。
ベルクで聞いたものだった。
幅は五メートルほどの沢を跨いでいるが、中央付近の石が大きく落ち、一人分程度の穴が空いている。さらに昨日の雨の影響か、沢の水量もかなり多かった。
橋自体が今すぐ崩れるようには見えない。
ただ、穴を避けて通るには端へ寄らなければならず、そこもひび割れている。
エイルは橋へ足を乗せず、まず横から状態を確かめた。
対岸まで跳ぶには少し遠い。
《衝撃》を使えば届くだろうが、失敗した時に下へ落ちる。
「回った方がいいか」
地図には北側へ迂回路があると聞いている。
問題は、どこから斜面へ入れば楽なのかだった。
エイルは沢沿いを少し歩き、《気配感知》と目視を使いながら地形を確認する。
北へ三百歩ほど進んだところで、斜面が緩くなる場所を見つけた。
木の根を使えば下まで降りられる。
沢も橋の近くより狭い。
対岸側の斜面も登れそうだった。
エイルは地図を開き、橋からの距離と地形を書き込む。
その時。
【《地図作成》Lv.2 → Lv.3】
続けて、もう一つ表示が出た。
【技能《地形把握 Lv.1》を獲得しました】
「……新しいのが出た」
説明を開く。
【《地形把握 Lv.1》】
【周辺地形の高低差、通行難度、移動経路の把握に補正を得る】
エイルは周囲を見る。
先ほどまでより景色が急に変わったわけではない。
ただ、斜面のどこを通れば足を取られにくいか、沢を渡るならどこが浅いかといった情報が、少しだけ頭へ入りやすくなった気がする。
「これ、かなり便利だな」
探索では戦闘技能より使う場面が多いかもしれない。
エイルは斜面を降り、沢の狭い場所を飛び越えた。対岸では足場の良い場所を選んで登り、十分ほどで旧街道へ戻る。
橋を無理に渡るより時間は掛かった。
それでも怪我をする危険はずっと低い。
地図には迂回路を実線で書き足し、橋の方には、
『中央破損。北側迂回可』
と記した。
次にベルクへ戻る機会があれば報告しておけばいい。
◇
そこから道は少しずつ山へ入っていった。
平坦だった街道にも勾配が増え、遠くには岩肌の露出した斜面が見え始める。
時折、古い石柱が道端に残っていた。
どれも上部が欠けているが、かつては一定の間隔で置かれていたらしい。
三本目を見つけた時、エイルは表面の文字を指でなぞった。
【アルネア 二里】
文字は薄い。
それでも読める。
「ちゃんと近づいてる」
当たり前のことなのに少し嬉しかった。
さらに進むと、道の横に崩れかけた小屋が現れた。
屋根の半分は落ちているが、石壁は残っている。
中へ入る前に《危機感知》と《気配感知》を確かめる。
何もいない。
床には古い薪と、壊れた椅子。
それから。
「……新しいな」
灰。
炉の中に残ったものは完全には湿っていなかった。
最近、誰かがここを使っている。
外を探すと、裏手に小さな水場もあった。
野営場所としては十分だ。
日没までまだ少しあるが、この先の地図にはしばらく休める場所がない。
今日はここで止まることにした。
◇
火を起こし、外套を石壁へ掛ける。
夕食を作っている間、エイルは小屋の入口に座って今日の地図を整理した。
壊れた橋。
迂回路。
水場。
古い道標。
今も使われている小屋。
地図そのものには旧街道の線がある。
でも、実際に歩いたことで中身が増えた。
「正しかった時の記録、か」
ローデンの老人が言っていた言葉を思い出す。
なら、自分が今書いているものも、いつか古くなる。
橋が完全に落ちるかもしれない。
新しい道ができるかもしれない。
アルネアがまた栄えるかもしれないし、逆に誰も住まなくなるかもしれない。
そう考えると、地図は完成するものではないのかもしれない。
エイルは少し考えたあと、余白へ日付を書き込んだ。
「これでいいな」
今、自分が見た道。
それを残す。
それだけで十分だった。
夕食を食べ終える頃には、山の向こうへ日が沈んでいた。
夜になると旧街道は真っ暗で、ローデン近郊のような旅人の灯りも見えない。
代わりに、遠くから水の音と虫の声が聞こえる。
《危機感知》は静かだった。
エイルは火へ薪を足し、明日の地図を広げる。
ここからアルネアまでは、順調なら半日もかからない。
町の手前には古い採掘場がいくつかあり、そのうち一つは現在も使われているらしい。
さらに町の西側には、閉鎖された坑道群。
そして、その先へ続いていた二十三年前の道。
「まずは町を見てからだな」
鉱山。
魔鉄。
古坑道。
どれも気になる。
だが、着いてもいないうちから決める必要はない。
エイルは地図を畳み、背を石壁へ預けた。
ローデンから離れるほど道は細くなり、人の痕跡も少なくなっている。
それなのに。
進むほど、見たいものは増えていた。




