第22話 D級冒険者
翌朝、エイルが目を覚ますと、机の上には昨夜広げたままの地図が残っていた。
ベルクから北西へ分かれる旧街道、その先にあるアルネア。さらに遠くには山地が続き、広域図まで重ねれば、いずれ天嶺山脈へ繋がっていく。
まだアルネアへ行くだけでも数日の旅になるというのに、その先を眺めていると距離の感覚がおかしくなりそうだった。
「まずはローデンでやることを終わらせないとな」
地図を丁寧に巻き、筒へ収める。
今日はギルドからD級昇格審査の結果が出る予定で、それが済めば《赤炉》へ三角狼の角を持っていくつもりだった。
荷物もそろそろ整理したい。
ローデンへ来てから、随分増えた。
青晶洞で拾った青鋼短剣、測距具、複数の地図、外套、薬、それに細かな探索道具。村を出た時には背負い袋一つにかなり余裕があったのに、今では何を残して何を置いていくか考える必要がある。
旅を続けるなら、こういうことも覚えていかなければならないのだろう。
◇
ギルドへ入ると、朝早い時間にもかかわらず依頼掲示板の前には冒険者が集まっていた。
その横を抜けて受付へ向かう。
「おはようございます」
「おはようございます、エイルさん」
ミレイは挨拶を返すと、机の下から一枚の書類を取り出した。
「ちょうどよかったです。審査、通りましたよ」
「もう?」
「昨日のうちに支部長の承認まで終わりました」
思っていたより早かった。
差し出された書類の上には、確かにエイルの名前と、
【D級昇格承認】
の文字がある。
「……本当に上がったんだ」
「登録から十二日ですね」
「十二日」
改めて日数で聞くと、エイル自身でも少し妙な気分になる。
村を出た時には、自分が十二日後にD級冒険者になっているなど想像もしていなかった。
「普通はどれくらいなんです?」
「D級までなら、順調な方でも一年前後は見ておいた方がいいですね。もちろん例外はありますが」
「一年……」
自分は十二日。
さすがに差が大きい。
ミレイはエイルの冒険者証を受け取り、奥の魔道具へ通した。
淡い光が走る。
返された冒険者証には、昨日までEだった場所へ新しい文字が刻まれていた。
【D】
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
エイルは冒険者証を裏返し、もう一度表へ戻した。
見た目は一文字変わっただけだ。
ただ、その一文字で入れる迷宮の階層も、受けられる仕事も変わる。
自然と依頼掲示板へ視線が向いた。
D級欄。
今まで自分には関係がなかった依頼が並んでいる。
【青晶洞第四層・魔物間引き】
【三日間・山岳薬草地調査】
【旧西街道・中継所跡確認】
【ベルク北方・行方不明商人捜索】
探索系だけでも一気に範囲が広がっていた。
「……いいですね」
「ランクそのものより、そっちなんですね」
「行けるところ増えましたから」
「そうでしょうね」
ミレイも、もうその辺りは理解しているらしい。
「ただ、D級になったことで一つ変わります。これまでは新人向けとして受付側から依頼を選別することが多かったですが、今後はかなり自由になります」
「自分で選べる?」
「基本的には。ただし、依頼ごとの人数条件や技能条件はあります」
それはありがたい。
自分で地図を見て、行きたい方向にある依頼を選べる。
旅を続けるなら、その方がずっと都合がいい。
「あと、青晶洞の単独探索制限も第三層までではなくなります。D級なら第四層まで単独許可、第五層以降は原則として複数人です」
「第五層……」
グレイグから聞いた言葉がすぐ浮かんだ。
青脈鉄。
記録上、青晶洞の五層より下で産出することがある。
今のエイルでは、まだ一人で自由に行ける場所ではない。
ただ、以前より一歩近づいた。
「行くんですか?」
「今日は行きませんよ」
「珍しいですね」
「角を見てもらいたいので」
背負い袋へ入れてある三角狼の角を軽く叩く。
それから、エイルは少し考えた。
「アルネアに行く前に、青晶洞の三層か四層は一度見ておきたいです」
「アルネアへ行くことは決めたんですね」
「ほぼ」
「いつ頃?」
「数日以内には」
言葉にしてみると、ローデンを離れる日がかなり近くなった気がした。
ミレイも僅かに目を細めたが、引き止めることはなかった。
「そうですか。では、出発前にギルドへ寄ってください。アルネア方面の最近の記録があれば渡せます」
「助かります」
エイルが頭を下げる。
それだけで話は終わった。
◇
D級の冒険者証を持って《赤炉》へ入ると、グレイグは炉の前で赤熱した金属を叩いていた。
話しかけずに待つ。
槌が一定の間隔で落ち、そのたびに火花が飛ぶ。
十数回。
金属を炉へ戻してから、ようやくグレイグがこちらを見た。
「何だ」
「素材を持ってきました」
「早えな」
「途中で見つかったので」
「その辺の石じゃねえだろうな」
「角です」
布で包んだものを作業台へ置く。
開くと、三角狼の小角が現れた。
グレイグはすぐ手に取り、表面の青黒い筋を指でなぞる。
「三角狼か」
「分かるんですか?」
「素材屋じゃ珍しくねえ。状態はいいな」
根元。
先端。
断面。
いくつか確かめてから、軽く作業台へ打ちつける。
硬い音がした。
「剣に使えます?」
「使える」
返事はあっさりしていた。
エイルの目が少し明るくなる。
「刀身に?」
「そのまま鉄みたいに打てるわけじゃねえ。こいつは魔力を溜める性質があるから、細かく砕いて処理してから合金へ混ぜるか、別の部材にする」
「《衝撃》と相性は?」
「悪くないだろうな」
グレイグが角を持ったまま、エイルの腰の長剣を見る。
「お前の場合、魔力を流した瞬間に剣へ負担が集中する。こいつをうまく使えば、その一部を受ける場所は作れる」
「じゃあ使いたいです」
「待て」
すぐに決めたエイルを片手で止める。
「今この角だけ混ぜても半端になる。青鋼も足りねえ、刀身側の素材も決まってない」
「取っておく?」
「それがいい」
グレイグは棚から木箱を一つ取り出し、角をその中へ入れた。
「ここに置いといていいんですか?」
「お前が旅の途中で失くすよりましだ」
「……否定できないですね」
外套や背負い袋に括りつけて持ち歩くこともできるが、これからアルネアまで移動することを考えれば、使わない素材を運び続ける意味は薄い。
「それと」
グレイグがエイルの冒険者証へ目を向けた。
「Dになったのか」
「今日」
「この前Eだったろ」
「はい」
「何日前だ」
「……五日くらい?」
グレイグがしばらく無言でこちらを見る。
「何です?」
「いや。お前の剣、やっぱ最初から作り込みすぎねえ方がいいなと思ってな」
「僕もそう思います」
「普通は客に言われたら腹立つ台詞なんだが」
グレイグは腕を組み、少し考え込んだ。
「今のお前用に一本作っても、出来上がる頃には力の使い方が変わってる可能性すらある」
「そんなに時間かかります?」
「まともなものならな。素材選びからやるんだぞ」
「……なるほど」
青鋼短剣を拾ってからも、《衝撃》の扱いはすでに変わった。
無言発動ができるようになり、小さな衝撃なら足や剣へ連続して使える。魔力操作も数日前とは比べものにならない。
さらに旅を続ければ、今は思いついていない使い方を覚える可能性も高い。
「じゃあ、最初の一本はどうしたらいいですか?」
「まずは芯だな」
「芯?」
「何度打ち直しても残せる部分を一つ決める」
グレイグは作業台の上に炭筆で長剣を描き、その中央へ一本の細い線を入れた。
「刀身全部を同じまま使い続けるのは無理だ。削れるし、折れることもある。ただ、核になる素材を作っておけば、次の打ち直しにも回せる」
「それが青鋼?」
「候補ではある。青鋼と、魔力を受け止める素材を合わせて芯材を作る。外側はその時のお前に合わせて変えりゃいい」
エイルは紙を見る。
刀身が変わっても。
その中央だけは残る。
「いいですね、それ」
「お前が素材を集められればな」
「何が要ります?」
「青鋼は今の短剣だけじゃ足りねえ。質を揃えたいから、同じ系統の青鋼をもう少し。あとは魔力負荷に耐える金属……青脈鉄なら理想だが、別のものでもいい」
「三角狼の角は?」
「芯そのものじゃなく、補助に使う」
少しずつ形が見えてきた。
まだ剣ですらない。
材料の話をしているだけ。
それでも、自分だけの長剣が遠い未来の話ではなくなっている。
「青晶洞の五層なら青脈鉄があるんですよね」
「出ることがある、だ。行けば落ちてると思うな」
「分かってます」
「ならいい」
グレイグは木箱を棚の奥へしまった。
「アルネアにも行くんだろ」
「何で知ってるんですか?」
「昨日、地図屋の婆さんがここに来た」
「知り合い?」
「この街で長く店やってりゃ顔くらい知る」
どうやらエイルが古い鉱山町に興味を持ったことまで伝わっているらしい。
「アルネアの古坑道なら、魔鉄の残りが見つかる可能性はある。ただ、昔の鉱山だからって夢見すぎるなよ。価値ある場所なら、とっくに誰かが掘ってる」
「誰も見てない場所なら?」
グレイグが片眉を上げた。
「そういう場所を見つけられりゃ話は別だ」
「じゃあ探します」
「簡単に言いやがる」
だが、その声には少し笑いが混じっていた。
◇
《赤炉》を出たあと、エイルはローデンの地図屋へ向かった。
村からこの街へ来た直後、最初に地図を買った店。
扉を開くと、奥に座っていた老人が顔を上げる。
「久しぶりだな」
「まだ十日くらいですよ」
「地図を買いに三回来る客なら十分久しぶりだ」
「そんなに来ました?」
「来た」
覚えられていた。
エイルはベルクで買った地図を机へ広げる。
「アルネアに行こうと思ってます」
「ほう」
老人は驚くより先に、地図へ目を落とした。
「旧街道か」
「ベルクの店で地図も買いました。ただ、ローデン側から見た古い記録があれば知りたいです」
「少し待て」
老人が店の奥へ消える。
しばらくして、数枚の古い紙を抱えて戻ってきた。
「売り物じゃないぞ」
「見るだけ?」
「ああ」
机へ広げられたのは、三十年ほど前の街道図だった。
現在では草に覆われていた分岐が、当時は主要路として太く描かれている。
ベルク。
アルネア。
さらに。
「……ここにも道がある」
アルネアの西。
今の地図では山道が途中で途切れている場所から、古地図には細い線が続いていた。
「昔は鉱石運びに使われていた道だ。山の反対側に小さな集落がいくつかあったらしい」
「今は?」
「知らん」
老人はあっさり答えた。
「道が崩れたのか、集落がなくなったのか、それとも新しい道へ移ったのか。俺が持ってる記録じゃ、二十三年前を最後に更新がない」
エイルは線の先を見る。
古い。
今はどうなっているか分からない。
そんな道が。
アルネアのさらに先へ続いている。
「……いいな」
「お前、そればっかりだな」
「だって知らないので」
老人が鼻で笑う。
「最初に来た時と変わらんな」
「そうですか?」
「装備は随分冒険者らしくなったが、中身は同じだ」
そう言われると、少し嬉しかった。
強くなりたいから旅を始めたわけではない。
D級になりたかったわけでもない。
村を出た理由は。
地図の白い場所を見たかったからだ。
そこだけは。
変わらなくていい。
「この道、写しても?」
「好きにしろ」
エイルは自分の地図へ、古い線を薄く書き足した。
確定した道ではない。
だから点線で。
その横へ。
『二十三年前まで記録あり』
と記す。
老人がそれを見ながら言った。
「前にも言ったが、地図は正しかった時の記録だ。古けりゃ古いほど、今と違う」
「はい」
「だから面白い、って顔してるな」
「分かります?」
「分かりやすい」
◇
夕方。
宿へ戻る途中、エイルは冒険者証を取り出した。
D級。
たった十二日。
普通ではない。
自分でも、もうそれは分かっている。
レベルも技能も、ランクも。
全部が妙な速さで上がっていく。
ただ。
悪い気はしなかった。
強くなれば、危険な場所へ行ける。
ランクが上がれば、遠くの依頼を受けられる。
技能が増えれば、一人で歩ける範囲が広がる。
どれも目的ではない。
けれど。
全部が同じ方向へ繋がっていた。
宿の部屋へ入り、机の上に地図を広げる。
ローデン。
ベルク。
旧街道。
アルネア。
そこから先に書き足した、細い点線。
その先は。
また空白だった。
「……次はここだな」
エイルはアルネアへ続く道へ指を置いた。
ローデンでやり残していることは、もう多くない。
青晶洞。
三層と四層。
できれば一度だけ。
それが終われば。
次の町へ向かう。
村を出た時よりも、少し良い装備で。
少し強くなって。
少しだけ広い地図を持って。
それでも行き先は。
まだ、地図の先だった。




