第18話 街道の外へ
翌朝、エイルがギルドへ入ると、受付のミレイから一枚の依頼票を差し出された。
「これ、どうでしょう」
「僕に?」
「はい。昨日、D級昇格について聞いたそうですね」
どうやらハルトから話が回ったらしい。
エイルは依頼票へ目を落とす。
【E級以上】
【ローデン―ベルク間・商隊護衛】
【期間予定 三日】
【往路護衛および野営時警戒】
【報酬 銀貨十八枚】
「ベルク……」
知らない名前だった。
「ローデンから北西にある小さな宿場町です。徒歩なら一日半ほど。今回は荷馬車なので、順調なら二日目の夕方には着きます」
地図を見せてもらう。
ローデンから北へ伸びた街道が、途中で西へ曲がっている。
その先。
エイルが持っているローデン周辺図では、ほとんど端に近い。
「ここまで行くんですか」
自然と声が少し明るくなった。
「そこに食いつくと思いました」
「行ったことないので」
「護衛が本題ですよ」
「分かってます」
エイルはもう一度依頼票を見る。
三日。
街の近くで日帰りの依頼をこなすのとは違う。
食事。
夜営。
荷馬車の速度に合わせた移動。
襲撃があれば商品だけでなく、依頼人も守らなければならない。
ハルトが言っていたD級昇格の評価項目。
複数日の依頼。
護衛。
ちょうど両方に当てはまる。
「受けます」
「では登録しておきます。出発は明朝です」
「他にも護衛が?」
「三人いますよ」
聞き覚えのある名前が並んだ。
レナ。
ドガン。
シード。
「……知ってる人たちだ」
「向こうもエイルさんが追加されると聞いて、問題ないそうです」
青晶洞で少し一緒に動いた程度だが、全く知らない冒険者よりはやりやすい。
エイルは依頼票をしまった。
「じゃあ、今日は準備します」
「商隊護衛なら、今の背負い袋も整理した方がいいですね。使わない採掘道具まで全部持っていく必要はありません」
「……確かに」
最近、持ち物が増えていた。
青晶洞へ行くための採掘槌。
ロープ。
保存食。
薬。
青鋼短剣。
地図。
そこへ拾った素材まで入れるため、背負い袋はかなり膨らんでいる。
旅を続けるなら、装備そのものも一度整えた方がいいかもしれない。
◇
改めて自分の格好を見てみると、確かに少しちぐはぐだった。
村を出た時から使っている濃い茶色の上着。
丈夫ではあるが、袖口は枝や魔物の爪で何ヶ所か傷んでいる。
胸にはローデンで買った革の簡単な防具。
腰に長剣。
その後ろに青鋼短剣。
背負い袋だけ妙に大きい。
「……冒険者には見えると思うんだけど」
「見えるが、旅慣れてるようには見えんな」
装備店の主人に即答された。
昼前。
エイルはギルド近くの旅装具店へ来ていた。
武器は《赤炉》。
それ以外はここを紹介された。
店内には革鎧、外套、靴、手袋、背負い袋まで所狭しと並んでいる。
「軽い方がいいです」
「前衛だろ?」
「一応」
「盾は?」
「使いません」
「なら重い胸甲はいらんな」
主人はエイルの身体つきを見てから、何着か引っ張り出した。
最初は革鎧。
胸全体を厚く覆うものではない。
黒に近い焦げ茶色の硬革を胸と脇腹へ配置し、肩は動かしやすいよう小さな革板だけが付いている。
「これなら腕の邪魔をしにくい。腹まで板を入れると、お前みたいに動く奴は窮屈になる」
着てみる。
軽い。
腕も振れる。
身体を捻っても引っかからない。
「いいですね」
「中古だが状態はいい。銀貨八」
次。
外套。
何枚か試した結果、エイルが選んだのは暗い灰色のものだった。
膝より少し上まで。
厚すぎず、雨を弾くための油処理がされている。
簡単なフード付き。
「黒は?」
主人が隣の一枚を示す。
「こっちの方が冒険者には人気だぞ」
エイルは見比べる。
「灰色でいいです」
「理由は?」
「汚れても分かりにくそうなので」
「現実的だな」
格好良さでは選んでいない。
それでも羽織って鏡の前へ立つと、村を出た頃とは随分印象が変わっていた。
暗い灰色の外套。
その下に軽い革防具。
腰には長剣。
反対寄りに青鋼短剣。
足元は以前買った革靴。
髪は元々暗い灰色に近く、少し伸びて前髪が目元へ落ちている。
鏡の中の少年は、まだ一流冒険者などには見えない。
だが。
「……それっぽくなったな」
思わず呟いた。
「今まで何だったんだ」
「村から出てきた人?」
「まあ、そう見えた」
正直だった。
さらに腰袋を一つ追加し、薬や小物を背負い袋から移す。
地図用の革筒も買った。
これが一番気に入った。
「それだけ妙に嬉しそうだな」
「地図が折れないので」
「外套より高い顔してるぞ」
◇
最後に《赤炉》へ寄った。
グレイグは補修した長剣をもう一度確認し、問題ないと判断した。
「三日の護衛なら、普通に使う分には持つ」
「《衝撃》は?」
「使うなとは言わん。だが岩をぶった斬るような真似はするな」
「分かりました」
それだけ聞けば十分だった。
「ところで」
グレイグが新しい外套を見る。
「見違えたな」
「そうですか?」
「前は村のガキが剣だけ持ってきたような格好だった」
「装備屋でも似たようなこと言われました」
「事実だからな」
複数人に言われるなら、そうだったのだろう。
エイルは少しだけ複雑だった。
「青鋼短剣は持っていくのか」
「はい。戦闘にも使えるし、魔力感知にも便利なので」
「落とすなよ。そいつ一本で、お前の新しい剣の材料代の足しになる」
「売りませんけどね」
「知ってる」
グレイグはそう言って仕事へ戻った。
◇
翌朝。
北門前には二台の荷馬車が停まっていた。
前の馬車には布や乾物。
後ろには酒樽と金属製品が積まれている。
護衛は三人。
見慣れた赤茶色の髪が最初にエイルへ気づいた。
「おはよう」
「おはようございます」
レナが一瞬、エイルを上から下まで見た。
「……何か変わった?」
「装備を買いました」
「それだ」
ドガンも振り返る。
「外套一枚で結構違うな」
「そんなに前ひどかったです?」
「ひどくはない。新人だった」
「今も新人ですけど」
「新人が一週間ちょいでE級になるか?」
エイルは答えに困った。
シードが荷馬車の横から顔を出す。
「そのうち新人扱いもできなくなるんじゃないか」
「できれば静かにお願いします」
「何をだよ」
護衛依頼の責任者はレナたちらしい。
三人ともD級。
エイルより一段上だ。
「私たちは何度かベルクまで行ってるから、道は分かる」
レナが街道図を開く。
「今日はここ」
指したのはローデンから北西へ二十数キロほど進んだ辺り。
小さな川と街道が交わる場所。
「野営地があるんですか?」
「昔の荷車停め。井戸と簡単な屋根だけ残ってる」
「地図に書いてない」
「その地図、ローデン近郊用でしょ?」
「はい」
「ベルクまで行くなら新しいの買った方がいいよ」
エイルは少し悔しかった。
昨日装備ばかり見ていて、肝心の地図を買い忘れている。
「帰ったら買います」
「ベルクでも売ってるよ」
「……ベルクの地図屋」
「食いつくねえ」
レナが笑う。
商隊の主人が号令をかける。
馬が動き。
車輪が石を踏む。
ローデンの北門が少しずつ遠ざかっていく。
エイルは後方を担当し、二台目の荷馬車の横を歩いた。
初めてローデンへ来た時。
あの門を見上げた。
数日前のことなのに、随分前に感じる。
今度は。
依頼を受け。
装備を整え。
冒険者として別の町へ向かっている。
「……いいな」
「何が?」
近くを歩いていたレナが聞く。
「街から離れていく感じ」
「普通、護衛初日にそこ喜ぶ?」
「旅してる感じがするので」
「まだ二十分しか歩いてないけど」
それでもだった。
◇
街道は北へ続いていた。
最初の数時間は農地が多い。
麦畑。
牧草地。
小さな農村。
道端には旅人向けの石標まである。
エイルは時折、地図と周囲を見比べていた。
青晶洞とは違う。
地図に道がある。
街も。
川も。
村も。
それでも実際に歩くと、紙には載っていないものがいくらでもある。
丘の形。
使われていない脇道。
遠くに見える森。
壊れた石壁。
「エイル」
「はい?」
「前じゃなくて横見すぎ」
レナに言われ、視線を戻す。
「すみません」
「護衛中だからね」
「地図が……」
「逃げないから」
「分かってます」
少し恥ずかしかった。
昼。
商隊は街道脇の広場で一度休憩を取った。
干し肉。
固いパン。
水。
エイルが普通に食べていると、向かいでレナがじっと見ていた。
「何です?」
「いや。思ったより普通だなって」
「何がですか」
「食べ方」
「どう食べると思ってたんです?」
「保存食を齧りながら地図見てそう」
エイルは少し黙った。
実際、村を出た初日はそれに近かった。
「……たまにします」
「するんだ」
ドガンが横から笑った。
「レナ、そいつに普通を求めるのもうやめろ」
「最近そうしようと思ってる」
エイルとしては不本意だった。
しかし。
悪くない。
一人なら休憩も好きな時に取り、食事も黙って済ませる。
誰かと歩くと、自分ではしない会話が増える。
青晶洞で感じたのと同じ。
少し窮屈。
少し楽しい。
両方だった。
◇
午後になると農地は減り、街道の両側に林が増えた。
人通りも少なくなる。
シードが先頭寄りへ。
ドガンが一台目。
レナが中央。
エイルが最後尾。
自然と配置ができていた。
日が傾き始めた頃。
《気配感知》に反応があった。
エイルは歩調を落とす。
左。
林。
一つではない。
「レナ」
声を抑えて呼ぶ。
すぐに振り向いた。
「左の林に何かいます。五……」
少し意識を広げる。
「六」
商隊の速度は変えない。
レナが前へ合図を送り、ドガンが荷馬車を止めずに御者へ何か伝えた。
シードは弓へ手を伸ばしている。
「距離は?」
「四十歩くらい。並んで動いてます」
「こっちへ?」
「……多分」
少しずつ近い。
エイルは腰の長剣へ手を掛けた。
護衛。
自分だけなら、林へ入って様子を見る選択肢もある。
今は違う。
守るものが動いている。
レナが短く言った。
「街道から外れない。向こうが出てきたら迎える」
「分かりました」
エイルは荷馬車の後方へ位置を変える。
林の中。
気配。
六。
そのうち二つが速くなった。
「来ます」
直後。
茂みが大きく揺れた。
一体。
二体。
灰褐色の獣が街道へ飛び出す。
狼に似ている。
だが大きい。
肩までエイルの腰近く。
さらに額から一本の短い角が伸びていた。
「角狼!」
レナが剣を抜く。
林の奥にはまだ四体。
エイルの《危機感知》が反応した。
前へ出る。
一体目が荷馬車へ向かう。
エイルはその進路へ身体を入れた。
角狼がこちらへ狙いを変える。
速い。
棘狼ほどではない。
エイルは剣を抜き、低く構える。
角狼が跳んだ。
角。
牙。
一直線に胸へ。
無言の《衝撃》。
足元。
半歩だけ横へ。
すれ違う。
剣を振る。
首。
刃が深く入った。
一体目が街道へ転がる。
「……」
エイル自身が、一瞬だけ動きを止めかけた。
簡単だった。
昔なら。
村にいた頃の自分なら、あれだけの魔物を見た時点で逃げることを考えていたはずだ。
今は。
一撃。
「エイル!」
レナの声。
すぐ意識を戻す。
林から残り四体が飛び出した。
その奥。
《気配感知》に。
もう一つ。
今まで動かなかった大きな反応がある。
「……七体目」
エイルが呟く。
他の角狼より。
明らかに大きい。
ゆっくりと。
林の奥から。
こちらへ近づいていた。




