第17話 空白を埋める仕事
翌朝、エイルがギルドへ着くと、いつもの受付ではなく二階へ通された。
依頼票には確かに《青晶洞第二層南区画・経路再調査》とある。
ただ歩いて地図を書けばいいと思っていたのだが、どうやら正式な探索依頼となると、それだけではないらしい。
案内された小部屋には、大きな机が一つ。
その上いっぱいに、青晶洞第二層の地図が広げられていた。
「君がエイルか」
地図の向こうにいたのは、三十代ほどの痩せた男だった。
薄茶色の髪を後ろで束ね、腰には武器ではなく大量の筆記具を提げている。
「はい」
「俺はハルト。ギルドの測量担当だ。冒険者でもあるが、最近はこっちの方が長い」
「測量担当……」
エイルの視線が、男ではなく机の地図へ吸い寄せられる。
ハルトはそれを見て笑った。
「先に地図を見る奴は珍しいな」
「すみません」
「謝ることじゃない。むしろ今回なら都合がいい」
広げられている地図は、入口で売られている簡易版とは比べものにならなかった。
細い枝道。
高低差。
採取地点。
危険区域。
過去に確認された落とし穴や崩落。
端には何年に更新された情報なのかまで小さく書かれている。
「……すごい」
エイルは思わず身を乗り出した。
「欲しいか?」
「欲しいです」
「駄目だ」
「ですよね」
「即答だな」
「こういうのは高そうなので」
「値段の問題でもない」
ハルトが南側を指した。
そこだけ、他より明らかに線が少ない。
「今日頼むのはここだ。共有地図上では南区画と呼んでる。昔はもう少し先まで記録があったらしいが、十数年前の小規模崩落で通行量が減った」
「完全に塞がったわけじゃない?」
「そこが今回見たいところだ」
古い紙が一枚重ねられる。
今よりずっと粗い地図。
それでも南側には、現在の地図より長い道が描かれていた。
エイルの目が細くなる。
「僕が昨日行った道……これと少し似てます」
「そうだ。報告を照合したら、旧経路の一部とかなり近かった」
ハルトが一本の線を指でなぞる。
「ここから先に昔は小さな昇降路があった。三層へ直接降りるものじゃない。中間の空洞を通って、第二層の別区画へ抜ける迂回路だ」
「今は?」
「記録上は崩落で消失」
エイルは古地図を見る。
その文字の横には、細い印がいくつか並んでいた。
「これは?」
「採掘跡だ。青晶洞が今ほど整備される前、冒険者が鉱石を掘ってた時期がある」
「青脈鉄も?」
「ここではほとんど出てない。もっと深い」
少し残念だった。
顔に出たらしく、ハルトが怪訝そうにする。
「青脈鉄が欲しいのか?」
「長剣の材料に使えるって聞きました」
「E級になったばかりで、もう装備を特注する気か」
「今の剣が少し追いつかなくなってきたので」
ハルトは一瞬黙ったが、それ以上は聞かなかった。
「まあ、深層まで行くようになれば素材は嫌でも見る。今は今日の範囲を覚えてくれ」
「はい」
エイルは地図へ視線を戻した。
今日確認する項目は多くない。
通行可能な経路。
大きな地形変化。
罠。
魔物の種類。
採取物。
そして、古地図にある南側の旧経路が残っているかどうか。
「地図は正確に描こうとしすぎるな」
ハルトが言った。
「え?」
「初めての奴ほど壁の形まで全部写そうとする。必要なのは、人が迷わず進める情報だ」
紙へ簡単な線を引く。
「曲がり角まで何歩だったか。傾斜はどうか。特徴になる岩があるか。分岐先が危険か。地図は絵じゃない。次に来る奴へ道を渡すものだ」
エイルはその言葉を少し考えた。
ローデンの地図屋で聞いた言葉とは違う。
けれど、どこか繋がっている。
地図は正しかった時の記録。
そして。
次に来る人間へ渡す道。
「覚えておきます」
「じゃあ行ってこい。紙はこれを使え。水に多少濡れても崩れない」
専用の記録紙を数枚渡される。
エイルは紙を見た。
「これ、余ったらもらえます?」
「返せ」
「残念です」
◇
補修された長剣は、昨日より手に馴染んだ。
第一層を抜ける間に一度だけ岩甲蟲と遭遇したが、剣を岩へ叩きつけることはしなかった。
脚。
重心。
無言の《衝撃》で横転させ、腹部を一度突く。
グレイグに内部の傷を見せられたせいか、以前より剣への負担が気になる。
「使い方も考えないとな」
丈夫な剣を作れば全部解決するわけではない。
どんなに良い武器でも、無駄に傷めれば同じことになる。
第二層へ降りる。
今日の目的は南。
先日、レナたちと別れた分岐を越え、宝箱を見つけた場所を通る。
空になった箱は残っていた。
蓋が開いたまま。
昨日の短剣が入っていたことを思い出し、腰の後ろに追加した鞘へ触れる。
青鋼短剣。
戦闘用というより、今は魔力操作の補助として持ってきていた。
そこからさらに南へ。
昨日引き返した地点。
地図の線が終わる。
「ここからか」
エイルは新しい記録紙を出した。
目印となる壁の割れ目を記す。
方角。
距離。
進む。
最初の分岐は右が行き止まり。
ただし奥に青晶が多い。
『採取可能。小規模』
左。
本道。
途中で床が急に下がる。
高低差は腰ほど。
荷物が多い人間なら少し面倒だろう。
それも書く。
少しずつ。
紙の上へ道が伸びていく。
依頼として歩いているはずなのに、気づけば頬が緩んでいた。
「……これで報酬まで出るんだよな」
かなり良い仕事だと思う。
そのまま進んでいると、《罠察知》が小さく引っかかった。
エイルは足を止める。
前方の床。
昨日見た落とし床のような分かりやすい違いはない。
しゃがむ。
石。
砂。
微かな亀裂。
「薄いのか」
小石を投げる程度では崩れなかった。
今度は少し重い石を拾い、無言の《衝撃》で床へ落とす。
ゴッ。
一拍遅れて。
バキッ、と地面が割れた。
穴が開く。
底までは二メートルほどしかない。
しかし。
「水?」
暗い穴の底に、黒い液体が溜まっている。
《魔力感知》を向けると、薄い反応。
近くにあった小さな骨片を落としてみる。
じゅ、と嫌な音がした。
「……入らない方がいいな」
毒なのか。
酸なのか。
正体までは分からない。
地図には穴と危険印。
液体の存在も書き込む。
幅は二メートル少々。
助走をつければ普通に飛び越えられる。
エイルは一歩下がり、走り出した。
踏み切る。
余裕を持って反対側へ着地。
そのまま進もうとして、振り返った。
「……いや」
自分は越えられる。
でも。
次に来る冒険者が全員同じとは限らない。
ハルトの言葉を思い出す。
次に来る奴へ道を渡す。
エイルは少し戻り、穴の横幅を歩幅で測った。
迂回できる場所も探す。
右側。
壁際なら、少し狭いが穴を回り込める。
『右壁沿い通行可。荷物大の場合注意』
そこまで書いてから、ようやく先へ進んだ。
◇
南側は思っていたより魔物が少なかった。
晶尾蜥蜴を一体見ただけ。
しかも向こうから襲ってこなかったため、戦闘にもならない。
その代わり。
地形が複雑だった。
上り。
下り。
狭い裂け目。
途中で二つの通路が再び合流する。
エイルは何度も地図を見直しながら進んだ。
そして。
一時間ほど経ったところで。
「……これ」
壁の一部が、明らかに違っていた。
自然な岩肌ではない。
石を積んだ跡。
その大半が崩れている。
足元には錆びた金属片。
拾う。
長い。
先端が潰れている。
「楔?」
昔の採掘道具かもしれない。
周囲を見る。
古地図。
現在地。
方角。
「旧経路……この辺だ」
ハルトに見せられた道と重なる。
エイルは崩れた石を跨いだ。
その先。
細い通路が続いている。
完全には塞がっていなかった。
「残ってた」
声が少し上がった。
地図上では消えていた道。
十年以上前に失われたとされていた経路。
それが目の前にある。
ただし。
人が普通に使える状態ではない。
壁はところどころ割れ、天井にも亀裂がある。
少し先には大きな落石。
エイルは入口から数歩だけ入り、そこで止まった。
《危機感知》に反応はない。
だが、それと崩落するかどうかは別の話だ。
目視できる範囲だけ記録する。
『旧南経路と思われる通路を確認』
『完全閉塞ではない』
『崩落多数。現状での通常通行は困難』
さらに。
奥から風が来ている。
「どこかには抜けてるな」
行きたい。
かなり。
けれど今の依頼は道が使えるかを調べることだ。
この状態なら答えは出ている。
無理に瓦礫の向こうへ身体をねじ込む必要はない。
エイルは崩落地点を簡単に描き、戻ろうとした。
その時。
青鋼短剣が僅かに震えた。
「……?」
腰へ手を当てる。
勘違いか。
短剣を抜く。
淡い青の刃。
魔力は流していない。
それでも。
ほんの僅かに。
刃が奥の方へ引かれているような感覚がある。
「何だこれ」
《魔力感知》を広げる。
崩れた通路。
壁。
床。
そして奥。
何かある。
細い。
それほど強くない。
けれど、青鋼短剣を通している時だけ妙に分かりやすい。
「鉱石……?」
確証はない。
青鋼が何かに反応しているのか。
単に魔力の流れを拾いやすいだけかもしれない。
エイルは記録紙へ、
『奥部に微弱な魔力反応』
とだけ書いた。
今はそれで十分だ。
◇
帰路。
例の穴まで戻ったところで、前方から声が聞こえた。
「おい、そこ通れるのか?」
男性二人組の冒険者だった。
どちらもE級らしい。
穴を見て困っている。
「右側から回れます」
エイルが壁際を指す。
「さっき開いたばかりです。底の水には触らない方がいいと思います」
「助かる」
一人が慎重に壁沿いを進む。
無事に反対側へ渡った。
もう一人も続く。
「南行くなら、この先も足場悪いですよ」
「地図更新の調査か?」
「はい」
「なら帰ったら早めに出してくれ。ここ、最近来る奴増えてるからな」
「分かりました」
二人と別れる。
エイルはしばらく歩いてから、少しだけ後ろを振り返った。
自分が調べたことを。
次の人が使う。
「……こういう感じなんだ」
地図を作る意味が、少し分かった気がした。
◇
ギルドへ戻ったのは午後だった。
二階の小部屋へ上がると、ハルトは朝と同じ机で別の地図を修正していた。
「早かったな」
「一通り見てきました」
記録紙を広げる。
ハルトは最初、何も言わずに目を通していた。
穴。
迂回路。
採取地点。
分岐。
高低差。
そして。
旧南経路。
そこで指が止まる。
「残ってたか」
「少しだけ。奥へは行ってません」
「状態は?」
「普通に通るには危ないです。天井にも亀裂がありました。ただ、奥から風は来てました」
「完全閉塞じゃない、と」
「はい」
ハルトは古地図を重ねる。
エイルが書いた線と照らし合わせる。
「多少ずれてるが……十分だ」
「ずれてます?」
「ここ」
二つの曲がり角を指される。
確かに、エイルの地図の方が少し長い。
「歩幅で距離を取る癖がまだ一定じゃないな。下り坂で短くなってる」
「……なるほど」
「だが初回でこれなら上出来だ。特徴物の入れ方も悪くない」
褒められた。
戦闘より少し嬉しかった。
「旧経路の奥に魔力反応もありました」
「種類は?」
「分かりません。ただ、これを抜いたら感じやすくなりました」
青鋼短剣を見せる。
ハルトが少し考える。
「青鋼は魔力伝導がいい。感知の補助になった可能性はあるな」
「鉱石だったりします?」
「あり得る。ただ、場所的に青脈鉄を期待するには浅い」
「やっぱりですか」
「期待してたのか」
「少し」
ハルトは笑いながら報告書へ何かを書き込む。
「今日の情報で南側の共有地図はかなり更新できる。旧経路についてはD級以上を含めた別班で調べることになるだろう」
「D級……」
「崩落地を越えるならE級の通常調査から外れる」
エイルは自分の冒険者証を思い出す。
E。
少し前までFだった。
今までランクそのものには大して興味がなかった。
けれど。
ランクが上がれば。
行ける場所が増える。
受けられる探索依頼も増える。
青晶洞の第四層以降。
旧経路の奥。
もっと危険な地域。
「D級になるには、何が必要ですか?」
ハルトが顔を上げた。
「早いな」
「気になっただけです」
「普通ならE級でしばらく実績を積む。単独戦闘だけじゃなく、複数日の依頼、護衛、探索、緊急時の対応なんかを見られる」
「どれくらい?」
「人による。早くても数ヶ月」
「数ヶ月……」
エイルが少し考える。
ハルトはその顔を見て、何か思ったらしい。
「ただ」
続ける。
「お前の場合、もう通常の昇格速度から外れてる」
「……ですよね」
「今回みたいな調査をきっちり積めば、支部側から早めに声が掛かる可能性はある」
エイルは小さく頷いた。
D級になりたい。
その文字が欲しいわけではない。
ただ。
今より遠くへ行けるなら。
少し意味が変わる。
「報酬は明日査定する。旧経路発見分は加算になる」
「ありがとうございます」
「それと」
ハルトがエイルの記録紙を持ち上げる。
「次に地図調査を受ける時は、これ使え」
小さな道具を机から投げてきた。
受け取る。
細い紐。
先端に金属の重り。
「何です?」
「簡易測距具。紐に一定間隔で印がある。長い直線や高低差を見る時には歩幅よりましだ」
「もらっていいんですか?」
「貸与だ。失くしたら銀貨二枚」
「大事にします」
「急に扱い丁寧になるな」
エイルは道具を背負い袋へしまった。
また一つ。
知らなかった道具を覚えた。
できる仕事も少し増えた。
そして。
地図の空白も。
ほんの少しだけ埋まった。
◇
ギルドを出たあと。
エイルは宿へ戻る前に《赤炉》へ寄った。
グレイグは作業台の向こうで剣身を磨いていた。
「どうした。もう折ったか」
「折ってません」
「じゃあ何だ」
「青鋼って、他の魔力のある鉱石に反応したりします?」
グレイグの手が止まる。
「反応?」
今日あったことを簡単に話す。
崩落した旧経路。
奥の魔力。
短剣を抜くと感じやすかったこと。
グレイグは少し考えてから答えた。
「青鋼そのものが鉱石を探すわけじゃねえ。ただ魔力を通しやすい分、お前の感知を刃が拾ったんだろ」
「じゃあ、短剣を使えば鉱石探しにも?」
「お前の《魔力感知》次第だな」
「便利ですね」
「何でも便利で片づけるな」
言われてしまった。
だが。
エイルは腰の青鋼短剣を見る。
戦うために拾ったものではない。
なのに。
魔力操作を教えてくれて。
今度は迷宮の中を見る手助けまでしてくれた。
「素材一つで結構変わるんだな」
「今さら分かったか」
グレイグが笑う。
「剣だって同じだ。何を使ったかで性格が変わる」
「性格?」
「硬い。粘る。魔力を通す。熱に強い。魔法を弾く。それぞれだ」
グレイグは磨いていた剣を光へ向ける。
「だから、自分がどう戦うか分からん奴に良い剣は作れねえ」
エイルは少し黙った。
自分がどう戦うか。
数日前よりは分かる。
剣。
《衝撃》。
感知。
正面から力で押し切るより、相手を見て崩す。
でも。
まだ変わっている途中だ。
「じゃあ僕の剣、まだ先ですね」
「そうでもねえ」
グレイグは作業へ戻りながら言った。
「戦い方が変わるなら、そのたびに直しゃいい」
エイルはその言葉を聞いて。
少しだけ笑った。
「それ、いいですね」
「金は取るぞ」
「そこは分かってます」
今すぐ完成させなくていい。
旅をしながら。
変わった分だけ。
剣も変える。
その方が。
自分には合っている気がした。




