第16話 剣が追いつかない
翌朝、エイルが最初に向かったのは冒険者ギルドではなかった。
腰にはいつもの長剣。
背負い袋には青晶洞で拾った青鋼の短剣。
そして手には、宿を出る前にもう一度確かめた長剣の鞘がある。
「……やっぱり少し変だな」
歩きながら、鞘の上から柄へ触れる。
昨日、岩角山羊と戦った時から気になっていた。
刃こぼれではない。
剣そのものが折れたわけでもない。
ただ、振った時の感触が以前と僅かに違う。
村から持ってきた剣ではなく、ローデンへ来てから手入れを重ねて使ってきた、ごく一般的な鋼の長剣だ。これまでにも鎧猪、棘狼、岩甲蟲、守護体と、硬い相手へ何度も刃を当てている。
そのうえ最近は、剣身へ《衝撃》を通すことまで増えた。
宿で素振りをした時、僅かに手へ返る震えがあった。
気のせいならいい。
だが、剣が戦闘中に折れてからでは遅い。
大通りを一本外れ、鍛冶場の並ぶ一角へ入る。
朝だというのに、すでにあちこちから槌の音が響いていた。
鉄の匂い。
炭。
熱気。
「ここか」
昨日、ギルドで教えてもらった店。
看板には、槌と一本の剣。
その下に、
《赤炉》
とだけ刻まれている。
扉を開けると、さらに強い熱気が顔へ当たった。
「すみません」
「そこ置いとけ!」
奥から大きな声が返ってきた。
「……何をですか?」
「剣だ!」
見えているらしい。
エイルは言われた通り、入口近くの台へ長剣を置いた。
しばらくして奥から現れたのは、肩幅の広い男だった。
四十代ほど。
短く刈った黒髪には白いものが混ざり、左腕には細かな火傷の跡がいくつも残っている。
「抜け」
「僕が?」
「お前の剣だろ」
「あ、はい」
鞘から抜く。
男は受け取ると、挨拶もせずに刃を眺め始めた。
表。
裏。
剣先。
鍔元。
それから指先で剣身を軽く弾いた。
キィン。
澄んだ音。
しかし男は眉を寄せる。
もう一度。
今度は場所を変える。
キン。
「何した?」
「戦いました」
「見りゃ分かる」
「硬い魔物が多かったです」
「それだけじゃねえな」
男が柄を握り、空中で軽く振る。
ぴたりと止めた。
「魔力を通したか?」
「はい」
「どんな魔法だ」
「《衝撃》です」
「……衝撃?」
男の視線が剣へ戻った。
「刃先で爆ぜさせてんのか」
「最初はそんな感じでした。最近は剣の中を通して、当たったところで出すことが多いです」
「何回」
「何回?」
「この剣で何回やった」
エイルは考える。
鎧猪。
棘狼。
裂爪猿。
洞牙狼。
守護体。
岩角山羊。
「……覚えてません」
「馬鹿野郎」
初対面で怒られた。
「すみません」
「謝って済むなら折れねえんだよ」
男は長剣を台へ置き、壁際から小さな道具を持ってきた。
刃へ油のような液体を薄く塗る。
しばらくすると。
「……あ」
剣身の中央。
肉眼では見えなかった細い線が浮かんだ。
一本ではない。
何本も。
刃の中ほどから、細い枝のように広がっている。
「これ……」
「中で傷んでる」
男が言った。
「表面だけ研いでもどうにもならん。今すぐ折れるほどじゃねえが、このまま使ってりゃ、そのうち戦ってる最中に逝く」
エイルは剣を見る。
昨日感じた僅かな違和感。
勘違いではなかったらしい。
「《衝撃》が原因ですか?」
「半分な。あとは使い方だ」
男はエイルの手を見る。
次に肩。
腰。
「振ってみろ」
「ここで?」
「人に当てなきゃいい」
長剣を返される。
エイルは少し場所を空け、いつも通り剣を振った。
一度。
二度。
三度。
「止めろ」
男が途中で言った。
「お前、いつからその剣使ってる」
「そんなに長くないです」
「どのくらい」
「……一週間くらい?」
男が黙った。
エイルも黙った。
「一週間?」
「多分」
「これが?」
男が剣を指す。
「はい」
「……一週間でここまで使い潰したのか」
「使い潰したつもりはないんですけど」
「剣からすりゃ同じだ」
男は頭を掻き、少し離れてエイルを眺めた。
「筋力が合ってねえ」
「剣と?」
「ああ。この剣を買った時より、今のお前の方が明らかに力が強い。振りそのものも速い。そこへ魔力を流して、内部で衝撃まで起こしてる」
男は長剣の腹を指で叩いた。
「普通の鋼剣にやらせる仕事じゃない」
エイルは少し困った。
「じゃあ、もっと丈夫な剣を買えばいいですか?」
「それだけなら簡単だがな」
男が再び剣を取る。
「丈夫にすりゃ重くなる。重くすりゃ魔力の通りも悪くなる。魔力が通りやすい素材だけで作りゃ、今度は粘りが足りないものもある」
「……難しいですね」
「だから鍛冶屋がいる」
もっともだった。
エイルは少し考え、背負い袋から青鋼短剣を取り出した。
「これなら魔力が通りやすいって聞きました」
男が受け取る。
鞘から抜いた途端、表情が少し変わった。
「青鋼か」
「迷宮で拾いました」
「状態も悪くねえ。どこで」
「青晶洞の二層です」
「運がいいな」
刃を確かめながら男が呟く。
「これを長剣にしたいのか?」
「全部これで作ったら、魔力は通しやすくなります?」
「なる。ただ、お前の使い方なら勧めん」
「やっぱり強度?」
「それもある」
男は短剣を台へ置き、紙を一枚引き寄せた。
炭筆で大雑把な長剣の形を描く。
「剣ってのは、一種類の金属だけで作りゃ一番いいってもんじゃねえ。硬さが欲しい場所、粘りが欲しい場所、魔力を流したい場所。それぞれ違う」
剣の中央へ一本の線を引く。
「たとえば芯に魔力を通しやすい素材を入れて、外側を強い鋼で包む」
「そんなことできるんですか?」
「できる鍛冶師ならな」
「できます?」
男が顔を上げた。
「俺を誰だと思ってる」
「まだ名前聞いてません」
「……そういやそうだったな」
男は一瞬黙り。
「グレイグだ。《赤炉》のグレイグ」
「エイルです」
「聞いてねえ」
「僕だけ知られてるのも変かなと思って」
グレイグが鼻を鳴らした。
「で、話を戻すぞ。青鋼を芯に使う案自体は悪くねえ。ただし」
短剣を指す。
「これ一本じゃ足りん」
「ですよね」
「それに、今のお前へ合わせて作っても、半年後に同じ身体してる保証がねえ」
エイルは僅かに固まった。
「……半年?」
「何だ」
「いえ」
一週間でこれだけ変わった。
半年。
想像できない。
グレイグはエイルの反応をどう受け取ったのか、話を続ける。
「長く使う剣を作るなら、ある程度余裕を持たせる。それでも持ち主が変わりすぎりゃ打ち直しは必要になる」
「打ち直せるんですか?」
「素材が死んでなきゃな」
その言葉に、エイルの興味が動いた。
「じゃあ、最初から完成させなくてもいい?」
「完成しない剣なんぞ渡したら店の名が死ぬ」
「そうじゃなくて」
エイルは少し考えながら言葉を選ぶ。
「今の僕に合う剣を作って、もっといい素材が手に入ったら、また作り直すとか」
グレイグがエイルを見る。
「旅先で?」
「はい」
「何年使う気だ」
「分かりません。でも、かなり遠くまで行きたいので」
「どこまで」
エイルは少し笑った。
「最果てまで」
グレイグは数秒黙った。
それから。
「でかく出たな」
「よく言われます」
「本気か?」
「はい」
答えはすぐ出た。
そこだけは迷わない。
グレイグは腕を組み、台の上に置かれた長剣と青鋼短剣を交互に見る。
「だったら、なおさら今すぐ高い剣を一本買って終わりってのは面白くねえな」
「面白さなんですか?」
「鍛冶師には大事だ」
そういうものらしい。
「ひとまず今の剣は補強する。数日は持つ」
「数日」
「お前の場合はな」
なぜか少し棘があった。
「青鋼短剣はそのまま持っとけ。今は魔力操作の練習にも使える」
「長剣は?」
「作るなら材料を集めろ」
「何が必要ですか?」
グレイグは少し考え。
「まず芯に使う青鋼。今ある短剣と同質なら悪くねえ。それから刀身側に使う、粘りのある魔鉄。普通に買えば高い」
「どれくらい?」
「質にもよるが、まともな量なら金貨が飛ぶ」
「……それは高いですね」
銀貨が増えた程度で喜んでいる場合ではなかった。
「ただし魔物素材でも代用できる。角、甲殻、迷宮鉱。物によっちゃ普通の金属よりいい」
エイルはすぐに思い浮かべた。
青晶洞。
まだ歩いていない場所。
第三層。
さらに下。
「迷宮でも取れます?」
「取れる可能性はある。青晶洞なら深い層に青脈鉄が出た記録があったはずだ」
「青脈鉄」
「魔力を流しても歪みにくい。量は少ないが、長剣の骨にするには悪くない」
「何層ですか?」
「確か五層より下だ」
エイルの顔から期待が少し引いた。
「まだ行けないですね」
「今はな」
青晶洞の第四層以降は、E級が単独で潜る場所ではない。
もっと深く潜るなら、ランク。
経験。
装備。
どれも足りない。
けれど。
そこに欲しいものがある。
それだけで、五層という数字が少し違って見えた。
「分かりました」
「何がだ」
「とりあえず探します」
「簡単に言うな」
「旅してれば、そのうち何か見つかるかもしれないので」
「その辺の石拾って持ってくるなよ」
「ちゃんと聞いてから持ってきます」
「ならいい」
グレイグは古い長剣を持ち、工房の奥へ向かった。
「夕方取りに来い」
「お願いします」
「あと」
振り返る。
「素材が手に入ったからって勝手に加工すんな。珍しいもんほど、下手に削ると価値が死ぬ」
「覚えておきます」
今度こそグレイグは奥へ消えた。
エイルは腰が軽くなったことに少し違和感を覚えながら、店を出る。
新しい剣。
まだない。
材料すら揃っていない。
なのに、不思議と少し楽しみだった。
◇
冒険者ギルドへ着くと、ミレイから一枚の依頼票を渡された。
「昨日話していた件です」
「地図?」
「はい」
エイルはすぐ紙へ目を落とす。
【E級探索依頼】
【青晶洞第二層南区画・経路再調査】
【旧共有地図との照合、および通行可能経路の記録】
【魔物・罠・採取地点等の付帯情報には追加報酬】
「受けます」
「早いですね」
「受けたいって昨日言ったので」
「それもそうですね」
ミレイはそのまま手続きを進めた。
今回は目的地の討伐でも、素材採取でもない。
歩くこと。
見ること。
記録すること。
それ自体が依頼になる。
エイルは依頼票を見ながら、少し口元を緩めた。
「こういう依頼、結構あるんですか?」
「地域によります。街道調査、魔物分布、遺跡測量、迷宮地図の更新。遠方になるほど危険度も報酬も上がりますよ」
「遠方……」
山。
遺跡。
未踏地域。
地図を作るためだけに行く冒険者もいるのだろう。
「探索を専門にする人も?」
「います。高位になると、新しい迷宮や未開地域の調査だけで生活している冒険者もいます」
「いいな」
思わず漏れた。
ミレイが少し笑う。
「エイルさんには向いていそうですね」
「僕もそう思います」
ただし。
行くためには強くなければならない。
地図のない場所ほど、助けもない。
魔物も。
地形も。
何がいるのかすら分からない。
強さそのものが目的ではなくても。
遠くへ行くなら必要になる。
そして今は。
剣まで、それに追いつけなくなり始めていた。
◇
その日は剣を預けているため、青晶洞へは行かなかった。
代わりに必要な道具を買い足し、午後はローデンの外で短剣を使った魔力操作の練習をすることにした。
青鋼短剣。
魔力を流す。
やはり長剣とは違う。
刃先まで滑らかに通る。
エイルは地面に転がっていた小石へ刃先を当てた。
無言で《衝撃》。
トン。
小石が動く。
もう一度。
今度は刃の中ほど。
さらに根元。
発生させる位置を少しずつ変える。
「……なるほど」
魔力が通りやすい分、どこで《衝撃》を起こしているかも分かりやすい。
今までは、
剣へ魔力を通す。
先端まで送る。
そこで発動。
その程度の感覚だった。
青鋼ではもっと細かい。
流れている魔力そのものを追える。
剣先。
刃の腹。
柄に近い場所。
どこでも。
小さな衝撃なら起こせる。
「これなら……」
エイルは短剣を逆手に持つ。
少し離れた石へ刃を当てる。
斬るのではない。
触れるだけ。
刃の先端ではなく。
石へ触れた一点。
そこだけへ。
魔力を集める。
トッ。
小さな音。
石の表面が欠けた。
「……できた」
力は弱い。
しかし剣全体を震わせていない。
必要な場所だけ。
必要な分だけ。
以前よりずっと無駄が少ない。
視界に文字が浮かぶ。
【《魔力操作》Lv.4 → Lv.5】
「やっぱり上がるな」
エイルは短剣を見る。
これを拾わなければ。
素材によって魔力の通り方が違うことも知らなかった。
今の長剣が傷んでいることにも、もう少し遅く気づいたかもしれない。
拾った一本の短剣。
そこから。
次の剣へ繋がっていく。
「青脈鉄……」
五層より下。
今はまだ行けない場所。
他にも素材はある。
青晶洞だけで全部集める必要もない。
むしろ。
この先、いろいろな土地を歩くなら。
そこで見つけたものを使う方が面白い。
「……急がなくていいか」
今すぐ最高の剣が欲しいわけではない。
必要になったら。
見つけたら。
少しずつ。
それでいい。
◇
夕方。
《赤炉》へ戻る。
グレイグは奥から長剣を持ってきて、無造作にエイルへ投げた。
「うわっ」
慌てて受け取る。
「投げないでくださいよ」
「剣士なら取れ」
「鞘ごとでしたけど」
「細けえな」
抜いてみる。
見た目はほとんど変わらない。
ただ、鍔元から刀身の中ほどにかけて、薄い黒色の筋が一本入っていた。
「補強した。傷んだ部分を全部消したわけじゃねえから、無茶はすんな」
「ありがとうございます」
軽く振る。
昨日感じた妙な震えが消えている。
むしろ以前より安定している気がした。
「いくらですか?」
「銀貨三枚」
支払う。
グレイグは硬貨を受け取ると、エイルの背負い袋へ目を向けた。
「短剣は?」
「あります」
「練習したか」
「はい」
「どうだった」
「普通の剣より、かなり分かりやすかったです」
「そうか」
グレイグはそれだけ言った。
だが、少しだけ口元が上がっている。
エイルは長剣を鞘へ戻した。
店を出る前。
振り返る。
「グレイグさん」
「あ?」
「いい素材見つけたら、持ってきます」
「鑑定して価値がなきゃ買い取らんぞ」
「剣に使えそうなら?」
「そん時考える」
「分かりました」
外へ出る。
夕暮れのローデン。
腰には、補修された今までの長剣。
背中には、迷宮で拾った青鋼短剣。
そして頭の中には。
まだ形のない次の剣。
どんな剣になるのか。
今は分からない。
素材も。
形も。
いつ完成するのかすら。
それでよかった。
エイルは明日受ける探索依頼の地図を開く。
第二層南側。
昨日、自分が引いた線。
そのさらに先は白い。
長剣を作るための素材がそこにあるとは限らない。
何もないかもしれない。
それでも。
歩けば。
何かは見つかる。
「明日は、こっちだな」
地図の空白を指でなぞり。
エイルは宿へ向かった。




