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第146話 空を断つ剣

 第52標の傍らで夜を越した翌朝、エイルは野営地の外れにある、脈鎧竜との戦闘で沈んだ岩盤へ向かった。


 身体に残る傷はすでに塞がり、魔力の流れにも乱れはない。昨日初めて使った《地鳴り(グランド・ロア)》についても、休息を必要とするほどの負荷は残っていなかった。


 脈鎧竜を囲んだ衝撃経路は20本を超えていたが、現在の《魔力操作》《振動感知》《衝界》を考えれば、あれが限界というわけではない。新しい奥義を初めて実戦へ組み込んだことで、普段より集中力を使っただけだった。


 エイルは長剣を地面へ突き立て、岩盤の内部へ低出力の衝撃を送り込んだ。


 力は地中へ沈んだあと、枝分かれする。


 16本。


 32本。


 さらに細分化し、64本。


 それぞれの経路を異なる位置へ伸ばすと、周囲に散っていた小石が別々の周期で震え始めた。右側では円を描き、左側では直線へ並び、少し離れた窪地では砂だけが薄く浮き上がっている。


 64本を維持したまま、幾つかの経路を交差させる。


 互いの衝撃を潰さず、指定した地点だけで重ねる。


 地面から低い音が返ったが、昨日のような轟音にはならない。出力を抑えているため、岩盤もほとんど傷ついていなかった。


 この程度なら、周囲を探知しながらでも問題なく扱える。


 地面に立つ大型個体を倒すだけなら、20本へ限定する理由もなかった。必要に応じて40本、60本と増やし、複数の敵を別々の方向から同時に狙うこともできるだろう。


 100本以上を動く敵へ合わせ、味方を避けながら収束させるとなれば話は変わるが、それは今後試せばいい。


「昨日より、音が増えてる気がするんだけど」


 岩盤の縁から声が聞こえた。


 振り返ると、地図筒を背負ったリヴィアが立っていた。エイルが剣を抜くと、地中へ広げていた衝撃経路が消え、宙へ浮いていた小石が一斉に落ちる。


「経路を64本まで増やしてました」


「昨日は20本くらいだったと聞いたけど」


「昨日は、あれだけあれば足りたので」


「足りたから20本にしただけなのね」


「はい」


 リヴィアは脈鎧竜が沈んでいる場所と、特に疲れた様子のないエイルを交互に見た。


「イェルクさんたちは、昨日の技を使ったあとだから、今日の行軍は少し遅くした方がいいと話してたわ」


「普通に進めますよ」


「見れば分かる。伝えておくわ」


 彼女は野営地へ戻ろうとしたが、途中で足を止めた。


「《地鳴り》が通じない相手もいる?」


「地面に触れていなければ、直接は届きません」


「飛ぶ魔物とか?」


「そうですね。遠衝斬でも攻撃できますけど、大型個体を一撃で仕留めるなら、もう少し剣に寄せた技があった方がいいと思ってます」


 《地鳴り》は大地を媒体にするからこそ、広い範囲を囲み、逃がさず、巨大な力を内部へ収束させられる。


 しかし空を飛ぶ相手や、深い谷を挟んだ対岸には、地中へ作った経路が届かない。


 《遠衝斬》は距離を越えられるものの、軌道や幅を変えられる柔軟性と引き換えに、離れるほど密度が落ちる。現在の威力でも多くの大型魔物を倒せるが、脈鎧竜と同等以上の相手を遠方から一撃で断つには、別の形が必要だった。


 地面を借りない。


 空間を越える。


 剣術そのものを、最大火力へ変える。


 輪郭はまだないが、必要なものは分かっていた。


     ◇


 第52標から第53標までは、直線距離なら約6キロと記録されていた。


 だが、深層大地において直線距離は、移動時間の基準としてほとんど役に立たない。


 脈鎧竜が塞いでいた深層脈を西へ辿ると、地面は徐々に持ち上がり、やがて巨大な断層によって完全に分断されていた。


 幅は300メートル以上。


 底は深く、魔導灯の光を落としても、赤い霧の途中で消える。


 対岸は現在地より50メートルほど高く、断層の壁には人工的な石造建築が張りつくように残されていた。建物の半分は崩落しているものの、崖へ打ち込まれた支柱と円形の観測塔は、今も形を保っている。


 塔の上部へ埋め込まれた赤い鉱石からは、第52標と同じ形式の反響が返っていた。


「あれが外縁観測所ね」


 リヴィアが地図へ位置を書き込む。


「第53標も中に残っている可能性が高いわ」


 イェルクは断層の左右へ視線を向けた。


「渡れる場所はあるか?」


 エイルは断層の壁と、霧の中へ《振動感知》を広げた。


 かつて両岸を結んでいた橋の跡がある。


 崖の内部には金属の支柱が残り、断層の中へ何本もの太い鎖が垂れていた。中央部分の床板と橋脚は失われているが、下方には崩れずに残った岩棚が3つあり、それぞれを鎖で繋げば、調査隊全員が渡れる経路を作れそうだった。


「ここから150メートルほど下ったところに、古い橋脚があります。そこから対岸へ鎖が続いています」


「使える状態か?」


「途中で何か所か補修が必要です。僕が先に確認します」


 崖へ刻まれた階段は、70年以上の地形変動によって大半が崩れていた。


 エイルは岩の内部まで確認し、荷重へ耐えられる場所を選びながら進む。段差が大きい場所では《遠衝斬《インパクト・スラッシュ》》で岩壁へ足場を刻み、細い亀裂には脈鎧竜の外殻から切り出した板を差し込んだ。


 調査隊は1時間ほど掛けて断層の中腹まで下り、最初の橋脚へ到着した。


 床の半分は失われていたが、崖へ固定された金属支柱はまだ生きている。そこから対岸へ伸びる鎖も、錆に似た表面変化こそあるものの、内部の魔力繊維までは切れていなかった。


 イェルクが鎖を引き、状態を確かめる。


「体重を預けても問題はなさそうだ」


「一度に3人までなら耐えます。途中の岩棚で順番を入れ替えましょう」


 エイルがそう答えた直後、断層の底から強い風が吹き上がった。


 自然に生まれた上昇気流ではない。


 赤い霧の奥を、複数の大きな生物が移動している。


 エイルは橋脚の縁へ立ち、霧の中へ探知を伸ばした。


「何かいるの?」


 リヴィアが短弓を手に取る。


「5体。小さい個体でも10メートルを超えています」


「こちらへ向かってる?」


「観測塔の魔力へ反応しています。僕たちより、向こう側を狙っているようです」


 霧の中から、低く長い鳴き声が響いた。


 音は断層の壁へ反射し、遠近の判断を狂わせる。


 それでもエイルの感知には、5つの反応が異なる高度から接近していることが分かっていた。


 最初の1体が、赤い霧を割って現れる。


     ◇


 姿を見せた魔物は、巨大な鰩に似ていた。


 全長は14メートルほど。


 扁平な胴体の左右へ4枚の鰭を広げ、尾の先には2本の赤い結晶が伸びている。腹部は白い半透明の膜へ覆われ、その内側では濃い魔力が血流のように巡っていた。


 翼を羽ばたかせているわけではない。


 4枚の鰭によって周囲の魔力を流し、その上を滑るように飛んでいる。


 続いて、残る4体が霧から現れた。


「《浮脈鰩》だ」


 感応術師が杖を構えた。


「深い断層へ棲む魔力捕食種です。術具や魔石も餌として狙います」


 浮脈鰩の1体が橋脚の右側へ回った。


 尾の結晶へ魔力が集まり、薄く長い刃となって伸びる。


「右から来ます」


 エイルの声に合わせ、盾兵たちが防御を重ねた。


 浮脈鰩が橋脚の横を高速で通過し、尾から魔力刃を振るう。


 赤い刃が大盾へ当たり、3人の身体をまとめて後方へ滑らせた。


 間を置かず、2体目が上空から降下する。


 白い腹部が開くと、橋脚の上にある魔力が吸い上げられ、感応術師の杖や観測器具を収めた箱が宙へ浮いた。


 リヴィアが矢を放つ。


 腹部の膜へ矢が刺さり、込められていた術式が魔力の流れを乱した。吸引が弱まり、浮いていた道具が橋脚へ落ちる。


「下から1体!」


 エイルは橋脚の縁を蹴り、断層の空へ出た。


 足場のない空中へ《空衝歩(エア・ステップ)》を放ち、下から迫る浮脈鰩の頭上へ回る。


 長剣が頭部の膜を切り開いたが、内部を巡る魔力に押され、刃は途中で止められた。


 浮脈鰩が身体を捻り、巨大な鰭を横から叩きつける。


 エイルは鰭の表面へ一瞬だけ足を置き、その動き自体を利用して上方へ抜けた。


 空中から遠衝斬を放つ。


 1本目が背中の膜を裂き、2本目が同じ切断線へ重なる。


 内部の魔力経路まで断たれた浮脈鰩は、身体を維持できなくなり、赤い光を散らしながら断層の底へ落ちていった。


 エイルは落下する巨体を足場に方向を変え、橋脚へ戻る。


「空中で仕留めたのか……」


 盾兵の1人が声を漏らしたが、残る4体はすでに次の攻撃へ入っていた。


 仲間を倒したエイルだけを狙うのではなく、橋脚、鎖、対岸の観測塔へ分かれ、調査隊の移動手段そのものを奪おうとしている。


 この狭い場所へ留まれば、全方向から攻撃を受け続ける。


「鎖を渡ってください!」


 エイルが対岸を示した。


「リヴィアさんと斥候が先行。盾兵は術師を中央へ入れてください。止まらず、次の岩棚まで進んでください」


「君は?」


「後ろを抑えます」


 イェルクは一度だけ霧の中を見回し、即座に判断した。


「移動する! 鎖の上で戦おうとするな!」


 リヴィアが最初に鎖へ乗った。


 細い足場にもかかわらず速度を落とさず、対岸へ向かって走りながら、正面から来る浮脈鰩へ矢を放つ。


 矢が左の鰭へ刺さり、魔物の軌道が僅かに傾いた。


 その隙へ、エイルの遠衝斬が入る。


 鰭の根元が断たれ、浮脈鰩は鎖へ身体をぶつけようと落下した。


 エイルは橋脚から飛び、空中で巨体へ追いつくと、右膝へ《纏刃(エッジ・コート)》を形成した。


 膝蹴りが背中の膜を裂き、打撃が落下方向を外側へ変える。鎖から十分に離れたところで長剣を首元へ突き込み、実体の刃が止まった先へ遠衝斬を伸ばした。


 2体目が断層へ消える。


 残る3体は前後へ分かれた。


 2体が鎖の先へ回り込み、1体は最後尾のイェルクを狙う。


「前に2体!」


 リヴィアの声が響く。


 エイルは鎖へ着地せず、空中で身体を返した。


 距離は80メートル以上ある。


 遠衝斬を2本続けて放ち、1本目で浮脈鰩の尾にある結晶を断つ。2本目は鎖の下へ回り込んだ個体の腹部を掠め、攻撃の軌道を外側へ逸らした。


 倒すには足りない。


 それでも鎖への攻撃は止まり、リヴィアたちは最初の岩棚へ到着する。


 後方ではイェルクが迫る浮脈鰩へ槍を投げた。


 穂先は開いた口へ入ったが、巨体の勢いは止まらない。


 エイルは鎖の上を走り、空衝歩を重ねて一気に距離を詰めた。


 浮脈鰩がイェルクを飲み込む直前、長剣が首を横断する。


 実体の刃と遠衝斬が同じ軌道へ重なり、頭部を胴体から切り離した。


 残る2体も、リヴィアたちが動きを制限し、エイルが接近して中枢を断つことで倒された。


 赤い霧の中から、魔物の反応が消える。


 調査隊が対岸の岩棚へ渡り切り、イェルクが鎖の状態を確かめようとした、その時だった。


 断層の底から、先ほどまでとは比較にならない魔力が上昇してきた。


     ◇


 赤い霧が、巨大な円を描いて押し広げられる。


 断層全体へ強風が吹き荒れ、崖へ張られた鎖と観測所の支柱が激しく震えた。


「壁側へ寄ってください!」


 エイルの指示に従い、調査隊は観測所へ続く崖際へ集まった。


「まだいるのか!」


「今までの個体とは別です。かなり大きい」


 霧の中から最初に現れたのは、岩棚の幅を超える白い鰭だった。


 反対側にも同じものが浮かび、その間から黒紫色の扁平な頭部がゆっくり上昇する。


 全長は70メートルを超えていた。


 左右へ広げた4枚の主鰭を合わせれば、幅は100メートル近い。さらに身体の周囲には、半透明の膜が十数枚浮遊し、それぞれが周囲の魔力を別方向へ流している。


 腹部には赤い鉱物によって作られた巨大な環が埋め込まれ、断層内の魔力を絶えず吸い上げていた。


 浮脈鰩の群れを率いる成体というより、別の階層へ属する個体だった。


 エイルは仮に《天蓋鰩》と記憶した。


 天蓋鰩は人間たちへ口を向けない。


 狙っているのは、崖へ作られた外縁観測所だった。


 腹部の赤い環が光ると、観測塔へ埋め込まれた鉱石から魔力が抜かれ、建物全体を覆っていた古い術式が弱まり始める。


「あれが塔を食べようとしてる!」


 リヴィアが矢を番えた。


 観測所が破壊されれば、第53標だけでなく、70年以上前に残された記録まで失われる。


 エイルは天蓋鰩へ向け、圧縮した遠衝斬を放った。


 透明な衝撃の刃が断層を横切り、100メートル以上離れた頭部へ迫る。


 しかし天蓋鰩の周囲に浮かぶ膜が動いた。


 3枚が斬撃の前へ重なり、衝撃の流れを外側へ逸らす。


 遠衝斬は頭部へ届かず、崖へ斜めの傷を残した。


 2本目は放出後に軌道を曲げ、右側から回り込ませる。


 膜はそれにも反応した。


 今度は4枚が斬撃を挟み込み、上下へ力を分けて消してしまう。


「遠距離の攻撃を読んでるのか」


 イェルクが天蓋鰩を見上げた。


「魔力の流れへ反応しています」


 エイルは膜の動きを追った。


 防いでいるのは威力ではない。


 遠衝斬が空間を進む間に、その外側を包む圧力へ触れ、斬撃の形を崩している。


 天蓋鰩の上空へ、十数枚の膜が集まっていく。


 巨大な1枚の刃が形成される。


 長さは100メートルを超え、周囲の赤い霧が吸い寄せられるほど密度が高い。


 あれが振り下ろされれば、観測所と崖の一部がまとめて断たれる。


「全員、観測所の中へ入ってください」


「建物ごと切られるぞ!」


「その前に止めます」


 エイルは岩棚の先端へ歩いた。


 イェルクは何かを言い掛けたが、すぐに隊員たちへ退避を命じた。リヴィアも最後まで残っていたものの、エイルの横顔を見たあと、扉の内側へ下がった。


 天蓋鰩は上空にいる。


 《地鳴り》の経路は届かない。


 遠衝斬は膜によって崩される。


 それでも、エイルの手には長剣がある。


     ◇


 巨大な魔力刃が完成し、天蓋鰩の頭上でゆっくり傾いた。


 広げた攻撃では、膜へ触れられる面積が増える。


 複雑な軌道を作れば、到達するまでに魔力の流れを読まれる。


 ならば、変化させなければいい。


 たった1本。


 剣を振った瞬間に生まれた斬線を、相手へ届くまで微塵も崩さず維持する。


 エイルは長剣を構え、刀身へ魔力を集めた。


 《魔力圧縮》によって密度を高め、刃へ纏刃を沿わせる。実体の剣、魔力の刃、衝撃の進路を、ずれのない1本へ重ねていく。


 《衝界》も広げない。


 斬撃の内側だけへ通し、外へ逃げようとする力を斬線の中心へ押し戻す。


 さらに《高密度強化》を全身へ巡らせ、踏み込みから剣先までを、1つの動きとして繋いだ。


 重要なのは、ただ力を込めることではない。


 足を置く位置。


 重心の移動。


 腰と肩の回転。


 刃筋が最も速く、最も正確に通る角度。


 長い旅と数え切れない戦闘で積み上げた《剣術》が、余分な動きを削り落とし、1度の斬撃へ収束していく。


 天蓋鰩の魔力刃が振り下ろされた。


 断層を覆う赤い霧が、巨大な刃の左右へ押し分けられる。


 エイルも剣を振った。


 先に空を走ったのは、ほとんど見えない細い線だった。


 巨大な魔力刃と、エイルの斬撃が衝突する。


 幅だけを比べれば、飲み込まれて当然だった。


 だが細い斬線は形を変えず、巨大な魔力刃の中心を真っ直ぐ貫いた。


 100メートルを超える刃が、左右へ分かれる。


 その奥に浮かぶ防御膜へ届く。


 1枚目が断たれた。


 続く膜が重なり、斬撃を外へ流そうとする。


 斬線は揺れない。


 3枚。


 6枚。


 10枚。


 天蓋鰩の周囲を守っていたすべての膜が、同じ線上で切り開かれていく。


 斬撃は薄れず、腹部へ届いた。


 赤い環が両断される。


 そのまま巨体の内部を斜めへ貫き、背中から抜けた斬線は、さらに上空の霧まで数百メートルにわたって切り分けた。


 音はまだ聞こえない。


 天蓋鰩は空中へ浮いたまま、巨大な鰭をゆっくり動かしている。


 だが腹部の環からは、すでに光が消えていた。


 数秒後。


 全長70メートルを超える身体へ、斜めの線が浮かんだ。


 上半分がずれる。


 遅れて下半分が沈む。


 巨大な魔物は2つに分かれ、血と赤い魔力を断層へ撒き散らしながら、観測所を避けるように左右へ落下していった。


 そのあとで。


 エイルが放った斬撃の音が、断層全体へ轟いた。


     ◇


 観測所の入口から空を見ていた者たちは、すぐには声を出せなかった。


 天蓋鰩が作った巨大な魔力刃は消えている。


 防御膜も1枚として残っていない。


 断層に満ちていた赤い霧まで、斬撃が通った線を境に左右へ押し分けられ、上空へ細長い空白を作っていた。


 リヴィアは外へ出ると、岩棚の先端へ立つエイルを見た。


 濃灰色の長衣と暗灰色の髪が、落下した巨体によって生まれた風へ揺れている。


 長剣にも、腕にも異常はない。


 呼吸は少し深くなっているものの、それだけだった。


「今のは……遠衝斬?」


「使っているものは近いです。でも、別の技になったみたいです」


 遠衝斬は放出後も短い時間だけ形を保ち、幅や進路へ多少の調整を加えられる。


 今の斬撃には、その柔軟さがない。


 振り抜いた瞬間に決めた線を、途中で曲げることも、広げることもできない。


 その代わり、剣術、圧縮した魔力、纏刃、衝撃を完全に同じ軸へ重ね、遠距離でも密度を失わず押し通す。


 巨大な相手を、ただ断つための奥義だった。


【超高密度斬撃の長距離維持に成功しました】


【剣術・魔力圧縮・纏刃・遠距離衝撃の完全同軸化を確認しました】


【新規奥義を獲得しました】


【《断天(スカイ・セヴァー) Lv.1》】


【巨大飛行個体の単独討伐を確認しました】


【Lv.134 → Lv.141】


【生命力 2876】


【魔力 3724】


【筋力 3369】


【耐久 3098】


【敏捷 3916】


【器用 3264】


【感知 4862】


【《剣術 Lv.92 → Lv.96》】


【《身体強化 Lv.58 → Lv.61》】


【《高密度強化 Lv.55 → Lv.59》】


【《魔力操作 Lv.94 → Lv.97》】


【《魔力圧縮 Lv.81 → Lv.85》】


【《衝界 Lv.62 → Lv.65》】


【《遠衝斬 Lv.9 → Lv.12》】


【《纏刃 Lv.10 → Lv.12》】


【高密度斬撃の有効到達距離が大幅に上昇しました】


【斬撃経路の崩壊耐性が上昇しました】


 エイルは自分にだけ見える状態板を確認し、すぐに閉じた。


 レベルは7上がっている。


 剣術も96へ届いた。


 基礎能力の伸びも大きく、感知は5000へ近づき、敏捷も4000を目前としている。《越境 Lv.7》による加速は弱まるどころか、新しい戦い方を完成させるたび、さらに上昇幅を広げていた。


 《断天》は、地面を必要としない。


 空中の敵。


 深い谷の対岸。


 遥か遠方にいる巨大個体。


 剣を振り抜く線さえ通るなら、地形に左右されず、最大火力を届かせることができる。


 魔力消費は通常の遠衝斬より大きいが、身体や剣へ異常はなく、今のエイルなら実戦中に複数回使うことも可能だった。


 これを放つだけで限界へ達するようでは、現在まで積み上げた能力値も技能も意味を持たない。


 本当の無茶と呼べるのは、断天を複数へ分け、同時に異なる敵へ届かせるか、数キロ先まで密度を保つか、今の出力を遥かに超える相手へ放った時だろう。


「名前は?」


 リヴィアが尋ねた。


「《断天》です」


「空を断つ剣」


 彼女は天蓋鰩が落ちていった断層ではなく、赤い霧へ残された長い切断跡を見上げた。


「そのままの名前ね」


「地上の相手にも使えますよ」


「今は訂正しなくてもいいと思う」


 イェルクたちも観測所から外へ出てきた。


 盾兵の1人は、天蓋鰩の巨体が消えた断層と、岩棚に立つ17歳の少年を何度も見比べている。


「距離はどれほどあった?」


「斬った時点では、180メートルくらいです」


「180メートル先の70メートル級を、一撃で両断したのか」


 イェルクは昨日までなら驚きの声を上げていただろう。


 今は額へ手を当て、深く息を吐いただけだった。


「A級として扱うことへ疑問を持った翌日に、また判断材料が増えたな」


「証は変わってませんよ」


「君の方が変わる速度に、証が追いついていない」


     ◇


 天蓋鰩が消えたことで、観測所を狙う魔物の反応はなくなった。


 調査隊は崖へ張りつく建物へ入り、崩落の危険を調べながら、第53標と過去の記録を探した。


 第53標は、円形の観測塔の中央に残されていた。


 高さ3メートルほどの石柱には、これまでの標よりも多くの赤い鉱物が埋め込まれ、その周囲へ深層脈の圧力を測る古い器具が並んでいる。


『第53標 脈源外縁観測所』


『以西、深層脈収縮域』


『周期収縮の中心、地下推定深度2400』


『収縮時、周辺支脈へ大規模圧力波を確認』


 続く文章は一部が欠けていた。


 観測塔の地下から回収した記録板を読み合わせることで、70年以上前の測量隊が何を調べていたのか、少しずつ明らかになっていく。


 深層脈の源に近い場所で、何かが収縮と膨張を繰り返している。


 周囲の魔力を長い時間かけて吸い込み、一定量へ達すると、膨大な圧力として外へ押し返す。


 岩盤の移動や魔力溜まりの崩壊とは異なり、その周期には生物の呼吸にも似た揺らぎがあった。


『脈源を地形と仮定するには、収縮周期が不規則』


『巨大生体器官、または脈内生物の可能性を否定できず』


 最後の記録を読み上げた感応術師は、しばらく言葉を続けられなかった。


「地下2400メートルに、生物がいる可能性があるというのか」


「生物の一部かもしれないわ」


 リヴィアが欠けた記録板を見た。


「測量隊が見ていたものが、本体とは限らない」


 エイルは観測塔の床へ手を触れた。


 《魔力感知》と《振動感知》を重ね、深層脈へ沿って意識を沈める。


 2400メートル。


 現在の探知でも、その深さにある存在の全体像までは捉えられない。


 それでも天蓋鰩を倒し、断層を満たしていた魔力の乱れが消えたことで、以前より深い場所の反応が分かるようになっていた。


 巨大な空洞。


 内部へ絡む数え切れない深層脈。


 その中心で、何かがゆっくり縮んでいる。


 次の脈動は、まだ先だ。


 エイルは立ち上がり、第53標の位置を自分の地図へ書き込んだ。


 地上へ立つ巨大な敵なら、《地鳴り》で大地ごと捉えられる。


 空や遠方にいる相手なら、《断天》で斬れる。


 それでも、地下2400メートルの脈源にいる何かへ、現在の剣はまだ届かない。


 ならば、そこへ降りる道を見つければいい。


 道がなければ、作ればいい。


 そして辿り着くまでに、今よりさらに強くなる。


 観測所の外では、断天によって割られた赤い霧が、時間を掛けてゆっくり戻り始めていた。


 ただし、その上空にはもう。


 エイルの剣が届かない場所は残っていなかった。


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