第145話 地鳴り
西から届く脈動の位置がある程度まで絞れたことで、第3調査拠点では、その日のうちに次の調査計画が組み直された。
これまでの調査は、深層脈の流れを記録し、魔物の生息域を避けながら標を探すことを目的としていた。しかし、すでに異常によって複数の群れが住処を追われ、拠点へ50体を超える魔物が流れ込んでいる以上、観測だけを続ける余裕はない。
西で何が起きているのかを確認し、可能ならば逆流を止める。
そのための調査隊には、拠点長のセヴェルではなく、斥候長のイェルクが現地指揮官として入ることになった。リヴィアを含む測量斥候が2人、盾と槍を持つ護衛が3人、深層脈の状態を記録する感応術師が1人、そしてエイルを加えた合計9人である。
会議の途中、感応術師の1人が、エイルの能力値や技能の詳細を記録へ添えるべきではないかと提案した。
昨日から続く戦闘で、エイルの異常な探知範囲と戦闘力は、すでに拠点中へ知られている。報告書へ《A級冒険者1名》とだけ書けば、中央へ届いた時に戦況が正確に伝わらないという意見だった。
エイルは机へ広げられた地図を見たまま、静かに答えた。
「状態板の詳細は公開していません。必要なら、何を倒したかと、何ができたかを書いてください」
「だが、今の君をA級とだけ記すのは、明らかに不正確だ」
感応術師が困ったように言うと、イェルクが腕を組んだ。
「なら、事実をそのまま書けばいい。2キロ以上離れた群れの数を把握し、地中の魔物が現れる位置を予測し、56体と大型4体を単独で阻止した。階級については、所持証がA級であるとだけ添える」
「中央から、追加の照会が来るぞ」
「それへ答えるのは拠点長の仕事だ」
「私へ押しつけるな」
セヴェルが眉を寄せると、部屋にいた者たちから小さな笑いが漏れた。
緊張が僅かに緩んだところで、セヴェルは改めてエイルへ顔を向ける。
「君が数値を明かしたくないなら、それを求めるつもりはない。ただし、これから向かう場所では、君の探知と判断を隊全体の基準にする。危険を捉えた時は、遠慮なく指示を出してくれ」
「分かりました」
「もう1つ。君をA級冒険者として扱うべきか、意見が分かれている」
「証はA級ですよ」
「証の文字を読めるかどうかではない」
セヴェルは昨日と同じように、深く息を吐いた。
「護衛を1人加えるのではなく、我々の探知網と主戦力を1つの人間へまとめて預けることになる。その認識を、隊員全員で共有しておきたいという話だ」
エイルは階級について、それ以上何も言わなかった。
A級であろうと、その先であろうと、地図の空白が埋まるわけではない。西へ進むために必要な力があるなら使い、足りないなら伸ばせばいいと考えていた。
リヴィアはエイルの隣で地図を丸めながら、少しだけ口元を緩めた。
「本人が一番、階級に興味がないのよね」
「上がると、何か変わるんですか?」
「周囲の胃が痛くなると思う」
「それなら、今のままでいいです」
「もう十分痛くなってるわ」
◇
調査隊は翌朝、拠点の西門から出発した。
エイルが作成した地図と、第3調査拠点が保有していた観測記録を重ねることで、西へ向かう経路は以前より明確になっている。
問題は、地図に道がないことではなく、地図を描いた翌日に地形が変わる可能性があることだった。
昨日の大規模な脈動によって、拠点西側の岩盤は複数箇所でずれている。谷だった場所が持ち上がって低い丘となり、反対に平地が割れて、底の見えない亀裂へ変わった場所もあった。
エイルは隊の先頭で地面へ感覚を広げ、岩盤の繋がりを確認しながら進んだ。
遠距離では《警戒圏》を薄く維持し、深層脈を通る強い反応だけを拾う。数百メートル以内については《振動感知》と《魔力感知》を重ね、地中の空洞や魔物の位置まで分けていた。
以前なら、これほど広い範囲へ感知を伸ばしたまま歩けば、情報量によって頭痛や集中力の低下が起きていた。
今は違う。
重要ではない反応を意識の外へ流し、危険へ繋がる動きだけを自動的に浮かび上がらせることができる。まだ技能として完成したわけではないものの、複数の感知情報を統合する精度は、昨日の戦闘を経てさらに上がっていた。
出発から2時間ほど経ったところで、隊は幅60メートル近い断層へ行く手を阻まれた。
対岸との高低差は10メートルほどあり、底には赤く輝く深層脈が露出している。通常なら大きく南へ回る必要がある地形だったが、エイルは断層の壁へ残された新しい亀裂を調べ、北側の岩柱がまだ深部で繋がっていることを見つけた。
「この岩柱を倒せば渡れます。ただ、全員が渡ったあとで崩れると思います」
「帰りは別の道になるということか」
イェルクが断層を覗き込む。
「逆流を止められれば、岩盤の動きも変わるかもしれません。今から帰路を固定しても、同じ形で残る保証はないです」
「なら進もう。リヴィア、倒す方向を見てくれ」
リヴィアは岩柱の周囲を回り、根元と対岸の接地点を確認した。
「右下を深く切って、左上は少し残して。真っ直ぐ倒すと先端が砕けるから、手前へ回転させた方がいい」
「分かりました」
エイルは長剣を抜き、岩柱の根元へ《遠衝斬》を放った。
細い衝撃の刃が右下から斜めに入り、内部へ長い切断線を作る。続いて《衝界》で岩柱の重心を左側へ寄せると、巨大な柱はゆっくり回転しながら断層を跨ぎ、対岸へ先端を食い込ませた。
全員が渡り終えた直後、岩柱の根元から細かな亀裂が広がる。
エイルが最後に渡ると、後方で岩柱が折れ、断層の底へ落ちていった。
地面が遠く揺れる。
それとは別に、西から再び脈動が届いた。
前回より近い。
隊の足元を通る深層脈が一度だけ膨らみ、赤い光が東へ走る。
「距離は?」
イェルクが訊く。
「4キロくらいです。昨日よりかなり近づいてます」
「原因の形は見えるか?」
「まだです。ただ、脈動の少し手前に、大きな生物がいます。動いてはいません」
「同じものか?」
「脈動を起こしている反応とは別だと思います」
エイルは目を閉じ、深層脈から返る振動を辿った。
巨大な生物は、脈の上へ身体を伏せている。
脚は6本。
全長は30メートルを超える。
背中と腹部を厚い鉱物質の外殻へ覆われ、深層脈から押し返される魔力を、身体全体で受け止めていた。
それが壁となっているため、脈動の圧力が左右へ逃げず、東側へ集中している。
「大型個体が、深層脈を塞いでます。あれが逆流を起こしているわけではありませんが、圧力を拠点側へ押し返しています」
「排除すれば、逆流は止まるか?」
「少なくとも弱くなります。ただ、その先の原因から圧力が来続ければ、別の場所が壊れるかもしれません」
「まずは拠点へ向かう流れを減らす。そこから先を確認する」
イェルクの判断に、全員が頷いた。
◇
大型個体がいる場所へ近づくにつれ、地面へ露出する深層脈の数が増えていった。
赤い鉱物は川の支流のように何本も分かれ、最終的には前方の大きな岩丘へ集まっている。
岩丘の周囲には魔物の死骸が散乱していた。
結晶狼。
四足獣。
地中を進む節足獣。
どれも大型個体へ食べられた形跡はなく、全身の骨や外殻を内側から砕かれて死んでいる。
深層脈へ溜まった圧力が不規則に噴き出し、近づいた生物を巻き込んだらしい。
エイルは岩丘の手前で隊を止めた。
「この先は、地面から衝撃が上がります。踏む場所が悪いと、防御する前に内側を傷つけられます」
「安全な経路はあるか?」
「完全に安全な場所はありません。ただ、脈の噴き出す順番は読めます」
イェルクは隊員へ間隔を空けるよう命じた。
エイルが先に進み、3歩目ごとに立ち止まって、次に踏める岩へ印を付ける。リヴィアたちはその足跡を正確に辿り、赤い脈が膨らんだ時にはエイルの合図で一斉に移動した。
最後の護衛が岩丘の陰へ入った直後、背後の地面が弾けた。
赤い光を含んだ衝撃が高さ20メートル近くまで噴き上がり、先ほどまで全員が歩いていた岩盤を粉砕する。
感応術師の顔から血の気が引いた。
「これを、出る前から読んでいたのか」
「脈の中で圧力が膨らんでいたので」
「その説明を普通だと思える日は来ないだろうな」
岩丘を回り込むと、深層脈を塞いでいた大型個体の全貌が見えた。
形は竜に近い。
ただし翼はなく、太い6本の脚で地面へ伏せ、全長40メートル近い身体を深層脈の上へ横たえている。頭部は平たく、口の左右から岩盤へ打ち込むための牙が4本伸び、背中には城壁のような鉱物板が幾重にも重なっていた。
腹部からは赤い根のような器官が地面へ伸び、露出した深層脈と直接繋がっている。
大型個体は脈動の圧力を受け止めながら、その魔力を外殻の維持へ使っていた。
倒れているのではない。
この場所へ身体を固定し、流れてくる力を食べ続けている。
エイルは仮に《脈鎧竜》と呼ぶことにした。
「正面から攻撃しても、外殻へ力を流されます」
エイルが告げると、リヴィアが背中の鉱物板を観察した。
「板同士が繋がってる。どこかへ攻撃が入るたび、ほかの板が少し動いてるわ」
「全身へ衝撃を分散しています。剣で一枚ずつ割るより、腹部と脈の接続を切った方が早いです」
「腹へ入れる場所は?」
「今はありません。6本の脚と腹部が地面へ密着しています」
イェルクが周囲を確認し、隊を左右へ分けた。
「俺と盾兵3人で頭部を引きつける。リヴィアともう1人の斥候は関節へ印を付けろ。感応術師は脈との接続位置を探せ。エイルは開いた場所へ入ってくれ」
「分かりました」
誰もエイルを護衛の1人として扱っていなかった。
隊が大型個体を倒すために動き、その中で最も大きな攻撃を担う者として、自然に戦術の中心へ置いている。
◇
イェルクの投げ槍が、《脈鎧竜》の頭部へ当たった。
穂先は外殻へ浅く刺さっただけだったが、柄へ刻まれた術式が発動し、鋭い振動を内部へ送り込む。
脈鎧竜が目を開いた。
瞳はなく、赤い鉱物が眼窩の奥で燃えるように輝いている。
頭部を持ち上げると、左右の牙が岩盤を抉り、周囲へ大量の石を撒き散らした。
盾兵たちが隊列を作り、飛んできた岩片を受け止める。
リヴィアと斥候が左右へ走り、6本ある脚の関節へ矢を放った。矢尻の術式が青い光を残し、外殻が動くたび、装甲の薄い箇所を浮かび上がらせる。
エイルは脈鎧竜の右側へ回った。
前脚が地面から僅かに離れる。
その瞬間へ遠衝斬を入れた。
細く圧縮した衝撃の刃が関節の内側へ届き、外殻へ深い切れ目を作る。
しかし、切断には至らない。
傷へ入った力が背中の鉱物板へ流れ、十数枚の装甲を順番に揺らしながら散っていく。
脈鎧竜は痛みより先に、攻撃の方向を理解した。
後脚を軸に身体を回し、太い尾をエイルへ振るう。
尾の外側にも鉱物板が並び、地面へ触れた場所から岩盤を砕きながら迫った。
エイルは跳び越えようとせず、尾が触れる直前に《空衝歩》を地面へ斜めに放った。
返った反力によって身体を尾の進行方向へ移し、衝撃を受ける時間を短くする。
それでも完全には逃がせず、長剣を当てた腕へ重い負荷が入った。
エイルは尾へ押されながら足を着き、刀身へ《衝界》を通して力を地面へ流した。
足元の岩盤が深く沈む。
身体が止まる。
脈鎧竜の尾も、エイルを押し切れずに僅かに浮いた。
その下へ潜り込み、左肘へ《纏刃》を形成する。
魔力刃が尾の装甲の隙間へ入り、続く肘打ちが内部へ衝撃を押し込んだ。
鉱物板が1枚割れる。
だが、同じ瞬間に残る装甲が内側へ重なり、傷口を塞いだ。
「傷を埋めてます!」
リヴィアの声が飛ぶ。
「深層脈から取り込んだ魔力で、外殻を動かしてる!」
「接続位置が見えた!」
感応術師が地面へ杖を突き、腹部の下へ3つの赤い印を浮かべた。
脈鎧竜の身体と深層脈を繋いでいる器官は、前方に1本、中央に2本。
どれか1本を切るだけでは、残る接続から魔力を引き込まれる。
3本をほぼ同時に断つ必要がある。
「前は俺たちが開ける!」
イェルクが脈鎧竜の頭部へ走った。
盾兵2人が左右から牙を押さえ、残る1人が前脚へ槍を打ち込む。外殻へ弾かれながらも、同じ場所へ攻撃を重ね、頭部を僅かに持ち上げた。
リヴィアの矢が、青く光る前方の接続器官へ入る。
矢は地面へ消え、術式だけが深層脈の内部で広がった。
「前は固定した! 中央は同時に動く!」
エイルは腹部へ向かって踏み込んだ。
脈鎧竜が残る脚を地面へ強く押しつける。
深層脈へ溜まっていた圧力が一斉に解放され、竜の周囲から円形の衝撃が噴き上がった。
地面が内側から裂ける。
盾兵たちの身体が浮く。
イェルクも槍を手放し、岩場を転がった。
リヴィアが矢を放とうとした姿勢のまま吹き飛ばされる。
エイルは《危機感知》が示す方向へ身体を入れ、彼女へ届く衝撃の前へ立った。
長剣を地面へ突き刺す。
《衝界》を広げ、正面から来る力を左右へ分ける。
地面を通る衝撃は空気中の攻撃より遥かに重く、すべてを流し切ることはできない。長剣を握る両腕から肩へ圧力が突き抜け、足元の岩盤も大きく沈んだ。
それでもエイルの背後だけは、地面が割れなかった。
リヴィアは片膝をつきながら矢を番え直し、前に立つエイルを見上げた。
「助かった」
「次が来ます。皆さんを右の岩棚へ集めてください」
「あなたは?」
「今度は、脈ごと止めます」
◇
脈鎧竜が6本の脚をさらに深く地面へ差し込み、腹部の接続器官を広げた。
次に放たれる衝撃は、先ほどより大きい。
脈動の源から押し出された力を自分の身体へ取り込み、それを周囲へ一度に返すつもりだった。
隊員たちが右側の岩棚へ移動する。
エイルは全員が《警戒圏》の内側へ収まったことを確認し、脈鎧竜の正面へ1人で残った。
「また1人で受けるつもりか!」
イェルクが叫ぶ。
「受けません。下へ戻します」
エイルは長剣の柄を握り直した。
これまで《衝界》を使う時、力を通す経路は1本か、数本だった。
相手の身体へ真っ直ぐ通す。
攻撃を左右へ分ける。
地面へ広げ、複数の傷口へ立ち上げる。
だが脈鎧竜の外殻は、1方向から入った力を全身へ分散する。どれほど高威力の斬撃でも、1点から入れる限り、鉱物板の連なりへ逃がされてしまう。
ならば。
1点から入れなければいい。
エイルは長剣を逆手に持ち替え、足元の深層脈へ突き立てた。
《魔力圧縮》で作った高密度の魔力を、刀身から地面へ流す。
すぐに放たない。
脈鎧竜の周囲を通る深層脈へ沿わせ、細い経路へ分けていく。
右前方。
左前方。
側面。
後方。
地下深く。
最初は5本。
さらに枝分かれさせ、10本。
20本。
細く分けるほど1本ごとの威力は落ち、制御の負担は急激に増えた。頭の奥が熱を持ち、長剣を握る指へ細かな痺れが走る。
それでも《魔力感知》と《振動感知》を重ねれば、脈鎧竜の6本の脚、腹部の接続器官、背中へ並ぶ鉱物板が、すべて地面を介して1つへ繋がっていることが分かる。
外殻が力を逃がす先まで含めて、囲めばいい。
脈鎧竜の周囲へ送った衝撃経路を、円形へ繋ぐ。
地面の奥で、低い音が鳴った。
最初は、岩が擦れただけのように小さかった。
次第に音は広がり、岩丘全体が唸るような重い響きへ変わっていく。
足元の小石が浮いた。
地面へ散っていた血が細かく震え、脈鎧竜の周囲にある赤い鉱物の光が、一斉に明滅し始める。
岩棚へ退いた護衛の1人が、地面を見下ろした。
「何をしてる……?」
イェルクにも分からなかった。
ただ、エイルが剣を地面へ突き立ててから、戦場全体の振動が変わっている。
魔物が起こしていた揺れではない。
地面そのものが、エイルの魔力と呼吸へ合わせて鳴っていた。
脈鎧竜が異変へ気づいた。
6本の脚を引き抜き、この場から離れようとする。
エイルは右足へ圧縮した《高密度強化》を作った。
ふくらはぎから太腿。
腰。
背中。
肩。
両腕。
これまで剣へ集めていた全身の力を、今度は刀身から大地へ押し込む。
脈鎧竜が口を開き、深層脈から吸い上げた衝撃を放とうとした。
その直前。
エイルは20本へ分けていた経路を、脈鎧竜の真下で同時に折り返した。
外側から中心へ。
地表から地下へ。
そして最深部から、竜の内部へ。
散らしていたすべての力が、同じ瞬間に1点へ集まる。
エイルは長剣の柄を両手で押し下げた。
大地が、吠えた。
轟音と共に、脈鎧竜を囲む半径50メートルの岩盤が沈んだ。
次の瞬間、その中心だけが真上へ跳ね上がる。
40メートル近い巨体が、6本の脚を地面から引き剥がされ、空中へ持ち上がった。
背中の鉱物板が、外側から砕かれたのではなく、内側から順番に弾けていく。
前方。
側面。
後方。
力を逃がそうと動いたすべての装甲へ、別方向から同じ衝撃が入り、分散先そのものを塞いでいた。
腹部と深層脈を繋いでいた3本の器官が、同時に千切れる。
赤い魔力が噴き上がる。
それでも衝撃は止まらない。
20本の経路を通って集まった力が、脈鎧竜の腹部から背中へ突き抜け、全身の骨と内臓を一度に持ち上げた。
巨体が空中で弓なりに反る。
その向こうに立つエイルの暗灰色の髪と濃灰の長衣が、地面から噴き上がる風に大きく揺れた。
彼の周囲だけ、岩盤は割れていない。
大地を無差別に砕いたのではなく、敵を囲み、内部へ通り、上へ抜ける経路だけを選んでいる。
脈鎧竜の身体が落ちる。
着地より先に、エイルは地面から長剣を抜いた。
《空衝歩》を1度。
2度。
3度。
空中へ投げ出された巨体へ追いつく。
外殻を失った胸部へ剣先を向け、落下する勢いと《身体強化》を重ねて突き込んだ。
刃が心臓へ届く。
そこから《遠衝斬》を刀身の内側へ保持し、深層脈の魔力を取り込んでいた中枢まで真っ直ぐ伸ばす。
巨大な身体が一度だけ痙攣した。
エイルは剣を引き抜き、落下する脈鎧竜の肩を蹴って離れる。
直後、40メートルの巨体が、円形へ沈んだ岩盤の中央へ叩きつけられた。
地面が震えた。
しかし、先ほどまで東へ押し返されていた深層脈の光は、竜の下を通り抜け、西から東ではなく、本来の方向へゆっくり流れ始めていた。
◇
戦場へ残った音が消えるまで、誰も動かなかった。
半径50メートルの岩盤は円形へ沈み、その中心へ脈鎧竜の巨体が横たわっている。周囲の岩壁や、隊員たちが退避していた岩棚には、ほとんど被害がない。
魔物だけが立っていた場所へ、地中から巨大な力を集め、内部を突き抜けさせた。
感応術師は杖を握ったまま、何度も深層脈とエイルを見比べていた。
「20以上の衝撃経路を、同時に……?」
「違う」
イェルクが低く答えた。
「分けただけじゃない。あいつは、全部を別方向から同じ場所へ戻した」
盾兵の1人が、まだ微かに震える地面へ手を触れた。
「地面が鳴ったんじゃない」
彼は、倒れた脈鎧竜の前へ着地したエイルを見た。
「あいつが、大地を鳴らしたんだ」
リヴィアは何も言わず、長剣を下げたエイルの背中を見つめていた。
以前、軍の兵士たちがエイルを《地鳴り》と呼んでいることを聞いた時、彼女は大げさな呼び名だと思っていた。
足元から衝撃を通し、敵の隊列を崩す。
地面を揺らし、大型魔物を倒す。
その戦い方から生まれた、少し荒々しい二つ名だと考えていた。
今は違う。
地面を震わせるからではない。
大地の奥へ自分の力を通し、逃げ場のない幾つもの経路から集め、巨大な敵さえ地面ごと持ち上げる。
あれを見た者が、ほかの言葉を選べるとは思えなかった。
エイルは脈鎧竜の死を確認したあと、長剣を地面へ立て、僅かに呼吸を乱した。
魔力消費は大きい。
全身の圧縮強化を地面へ放ち、20本以上の経路を維持した影響で、両腕から背中にかけて熱と痺れが残っている。右脚も深く踏み込んだ時の負荷によって、すぐに同じ技を繰り返せる状態ではなかった。
それでも、可能だった。
剣の一撃を強くするだけでは届かない相手へ。
地面と空間を使い、全方向から1つの大火力を作る。
【複数衝撃経路の同時形成を確認しました】
【圧縮強化・地形伝播・衝撃再収束の統合に成功しました】
【新規奥義を獲得しました】
【《地鳴り Lv.1》】
【Lv.128 → Lv.134】
【《剣術 Lv.90 → Lv.92》】
【《身体強化 Lv.56 → Lv.58》】
【《高密度強化 Lv.52 → Lv.55》】
【《魔力操作 Lv.91 → Lv.94》】
【《魔力圧縮 Lv.77 → Lv.81》】
【《振動感知 Lv.72 → Lv.74》】
【《衝界 Lv.57 → Lv.62》】
【地形媒体を利用した衝撃経路の分岐上限が上昇しました】
【複数経路からの再収束精度が上昇しました】
エイルは状態板を誰にも見せず、表示を閉じた。
レベルが6上がったことも、新しい奥義を得たことも、今この場で説明する必要はない。
技の性質と反動は、まず自分で確かめなければならなかった。
《地鳴り》は、どこでも使える技ではない。
力を通せる地面や岩盤が必要であり、経路を作るためには周囲の地形を正確に把握しなければならない。味方や建造物の近くで不用意に放てば、集める途中の衝撃によって被害を出す可能性もある。
さらに、今回のような最大出力では、短時間に連続使用できない。
それでも。
巨大な敵。
分厚い装甲。
通常の攻撃では届かない中枢。
そうした相手へ、エイルが持てるすべてを束ねて叩き込む、明確な切り札になり得る。
「エイル」
呼ばれて振り返ると、リヴィアが円形に沈んだ地面を慎重に渡ってきた。
「今の技、名前はあるの?」
エイルは一瞬だけ迷った。
状態板へ表示された名前は、彼にとって聞き慣れないものではなかった。
軍の演習場。
辺境の兵士たち。
地面を通る衝撃を見た者が、いつの間にか呼び始めた二つ名。
「《地鳴り》だそうです」
「だそうです、という言い方なの?」
「前から、そう呼ぶ人がいたので」
リヴィアは倒れた脈鎧竜と、半径50メートルに及ぶ陥没を見回した。
「今のを見たあとで、別の呼び方を考える方が難しいわね」
イェルクたちも近づいてきた。
誰もエイルのレベルを尋ねなかった。
どれほど数値を聞いても、目の前で起きたことを完全には説明できないと、すでに理解していたからだ。
「A級冒険者の奥義として、報告へ書くべきか?」
イェルクが半ば冗談のように言うと、感応術師は真顔で首を振った。
「やめてください。A級全体の報告が信用されなくなります」
エイルは困ったように眉を寄せた。
「証は本物ですよ」
「もう誰も証を疑っていない」
イェルクは脈鎧竜の死骸へ目を向けた。
「その証が、君を正しく示しているのかを疑っているんだ」
◇
脈鎧竜を排除したことで、東へ向かっていた深層脈の逆流は明らかに弱まった。
完全に正常へ戻ったわけではない。
西から届く脈動は今も残っており、一定の間隔で流れを押し返している。ただし、脈鎧竜という巨大な障害物がなくなったことで、圧力は周囲の支脈へ分散し、第3調査拠点へ直接向かう流れは大幅に減っていた。
感応術師が脈の状態を記録している間、リヴィアは脈鎧竜の身体が塞いでいた地面を調べた。
そこには、自然の岩盤とは異なる直線的な石材が埋まっている。
「エイル、ここを見て」
脈鎧竜の腹部があった場所へ集まり、土と割れた外殻を退けると、赤い鉱物を埋め込まれた古い石柱の先端が現れた。
形は、これまでエイルが辿ってきた標と同じだった。
深層脈の圧力と脈鎧竜の重量によって横倒しになり、大部分が地中へ埋まっている。
エイルは周囲の地面へ《振動感知》を通し、石柱を傷つけない位置へ長剣を入れた。岩を数回に分けて切り、《衝界》で外側へ押し広げると、古い文字が少しずつ姿を現す。
『第52標 深脈西部接続点』
『以西、圧力域』
『第53標、脈源外縁に置く』
その下には、さらに小さな文字が刻まれていた。
『脈圧が規定値を超えた場合、標路を閉鎖し、外縁観測所へ退避せよ』
『脈源の周期的収縮を確認』
『原因未特定』
70年以上前の測量者たちも、西から届く脈動を観測していた。
その時点ですでに原因を特定できず、第53標より先へ進む道は閉じられている。
イェルクが地図へ第52標の位置を書き込み、さらに西へ伸びる深層脈を見た。
「外縁観測所が残っていれば、過去の記録を読めるかもしれない」
「第53標までの距離は?」
リヴィアに訊かれ、エイルは石柱へ魔力を流した。
赤い鉱物から返った反響は西へ伸び、遠方の脈動と重なったところで大きく乱れる。
「直線で6キロくらいです。ただ、間に深い断層があります」
「今日中には着かないわね」
「脈動も弱まったので、一度ここで野営して、明日の朝に進んだ方がいいと思います」
イェルクも同意し、周囲の安全を確保してから、倒した脈鎧竜の外殻を利用した野営地を作ることになった。
エイルは第52標の隣へ座り、地図へ新しい線を書き加えた。
第51標から第3調査拠点。
逆流地点。
脈鎧竜の活動域。
そして第52標。
長く続いた一人旅の先で、今は同じ地図を覗き込む者たちがいる。
それでも地図の西側には、まだ広い空白が残っていた。
その空白の奥から、次の脈動が届く。
以前より弱く。
しかし、確かに。
大地のさらに深い場所で、何かが呼吸するように縮み、深層脈全体へ圧力を送り続けている。
エイルは長剣の柄へ手を置いた。
今度は、ただ揺れを読むだけではない。
あの巨大な鼓動へ辿り着いた時。
必要ならば、こちらから大地を鳴らせる。




