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第144話 ひとりの防衛線

 《脈喰い》の成体を倒した岩場から第3調査拠点へ戻る途中、エイルは西側の深層脈から届く脈動が、少しずつ間隔を狭めていることに気づいた。


 最初に捉えた時は、長い静寂を挟んで1度だけ、地面の奥から巨大な鼓動が返ってくる程度だった。ところが帰路へ入ってからは、脈動が起こるたびに周囲の魔力が西から東へ押され、足元を流れる深層脈まで僅かに膨らんでいる。


 生物が歩く振動とは違う。


 深い場所に溜まった膨大な圧力が、何かの動きに合わせて外側へ押し出されている。


 エイルは歩きながら何度か足元へ感覚を沈め、脈動の間隔と、地表へ伝わるまでの遅れを測った。


 次に強い波が来るまで、おそらく3分もない。


「少し急いだ方がいいです」


 隣を歩いていたイェルクが、すぐエイルへ顔を向けた。


「西の反応か?」


「はい。さっきより脈動が速くなっています。次は今までより大きいかもしれません」


「どの程度のものが来る?」


「まだ分かりません。ただ、地面が動く可能性があります」


 調査班が立っているのは、左右を低い岩壁に挟まれた細い尾根だった。現在の進行方向へ2キロほど進めば拠点の北門へ着くものの、その途中には地表へ深層脈が露出した広い斜面があり、岩盤の繋がりも安定していない。


 このまま進めば、脈動が届く時に斜面の中央へいることになる。


 エイルは《振動感知》で周囲の岩層を調べ、尾根の南側にある高い岩棚を指した。


「あそこへ上がりましょう。岩盤が深いところまで繋がっているので、周りが動いても崩れにくいです」


「拠点とは逆方向だな」


「1分も掛かりません。斜面で波を受けるより安全です」


 イェルクは迷わなかった。


「全員、岩棚へ移動する。走れ」


 調査班が進路を変える。


 エイルが先頭へ立ち、崩れにくい場所を選びながら斜面を駆け上がった。途中には高さ4メートルほどの段差があったが、長剣を振って張り出した岩の一部へ《遠衝斬《インパクト・スラッシュ》》を入れ、即席の足場を作る。


 リヴィアとイェルクはそこへ足を掛けて登り、護衛たちも続いた。


 最後の1人が岩棚へ上がった直後、エイルは西へ振り返った。


「来ます」


 地面の奥で、何かが脈打った。


 次の瞬間、深層脈へ流れていた赤い魔力が一斉に膨れ上がり、西から東へ目に見えない圧力が走った。


 岩棚の下に広がる斜面が、内側から持ち上がる。


 地表へ露出していた赤い鉱脈が何本も弾け、光を含んだ岩片が空へ噴き上がった。続いて岩盤同士の境界が横へずれ、先ほどまで調査班が歩いていた道へ、幅10メートルを超える亀裂が走る。


 衝撃はそこで終わらなかった。


 西側の森から大量の鳥が飛び立ち、木々の間を走る無数の足音が、深層脈を通して押し寄せてくる。


 エイルは岩棚の縁へ立ち、《警戒圏》と《魔力感知》を広げた。


 反応は1つの群れではない。


 北西から34体。


 西の斜面から21体。


 さらに地下から、重い反応が3体。


 どれもこちらを狙って進んでいるのではなく、脈動によって崩れた生息域から逃げ、東側の安定した岩盤へ集まっている。


 その先にあるのは、第3調査拠点だった。


「魔物の群れが来ます。地上だけで55体、地下に大型が3体です」


 護衛の1人が岩棚の下を見下ろした。


「55……?」


「ほとんどは別々の群れですが、この尾根の先で合流します。拠点まで直接進める場所が、ここしか残っていません」


 脈動によって左右の斜面が崩れ、深い亀裂が何本も走っている。


 東へ抜けられる安定した道は、エイルたちが立つ岩棚の下にある、幅30メートルほどの谷道だけだった。


 ここを抜ければ、魔物の群れは拠点の北門へ向かう。


 昨日の襲撃で外壁はまだ修復中であり、負傷者も多い。再び50体を超える魔物が押し寄せれば、防衛線を立て直す時間さえないだろう。


 イェルクが単眼鏡を西へ向けた。


 まだ姿は見えない。


 それでも遠くの森から土煙が上がり、太い木々が何本も倒れ始めていた。


「拠点へ信号を送る。ここで少しでも数を減らすぞ」


「それより、皆さんは先に戻ってください」


 エイルの言葉に、イェルクが振り返った。


「君を置いてか?」


「拠点へ着いたら、北門を閉じてください。地下の3体は僕が地上へ出す場所を変えます。地上の群れも、この谷道で止めます」


「地上だけで55体だ。大型も混じっている」


「数が問題になるのは、囲まれた時です」


 エイルは岩棚の下へ続く谷道を見た。


 左右は崩れた斜面と深い亀裂に塞がれ、魔物が通れる幅は30メートルほどしかない。飛行個体の反応もなく、地中の敵についても、岩盤の薄い場所を選ばせれば進路を限定できる。


「ここでは、前からしか来ません」


 大盾を持つ護衛が、思わず息を止めた。


 イェルクもすぐには返事をしなかったが、遠方から近づく振動の大きさを感じ取ったのか、短槍を強く握った。


「一緒に残った方が、止められる数は増える」


「皆さんが残ると、僕は背後まで気にしないといけません」


 それは力の差を誇る言葉ではなかった。


 ただ事実として、自分1人なら使える範囲攻撃も、崩せる地形も、仲間が近くにいれば制限される。


 リヴィアはエイルの横顔を見た。


 以前より少し伸びた暗灰色の髪が、西から吹く魔力を含んだ風に揺れている。青灰色の目は迫る群れの姿がまだ見えないうちから、地面と森の向こうにいるすべての位置を捉えていた。


「勝てるの?」


「全部と正面から戦う必要はありません。通さなければいいので」


「戻ってくる?」


 エイルはようやく彼女へ視線を向けた。


「地図を返してもらってませんから」


 リヴィアは一瞬だけ目を見開き、すぐ地図筒を抱え直した。


「なら、必ず取りに来て」


「はい」


 イェルクはなおも迷っていたが、エイルの探知がなければ拠点へ到着する前に群れの規模さえ把握できなかったことを思い出したのだろう。


「10分待つ。それまでに戻らなければ、救援を連れてくる」


「北門の守りを優先してください。10分で終わらなければ、僕がそちらへ群れを近づけないよう西へ流します」


「……分かった」


 イェルクは護衛たちへ帰還を命じた。


 リヴィアも岩棚を下りる前に一度だけ振り返ったが、何も言わず、ほかの者たちと共に東へ走り始めた。


 エイルはその足音が谷道から離れたことを確かめ、1人で西へ向き直った。


 遠くの土煙の中から、最初の魔物が姿を現す。


 それに続くように森の木々が次々と倒れ、赤い魔力の霧を引き裂きながら、数十の巨体が谷道へ殺到してきた。


     ◇


 先頭を走っていたのは、全身を灰色の甲殻へ覆われた猪型の魔物だった。


 体長は4メートル前後。


 鼻先から伸びる2本の角には赤い結晶が絡みつき、走るたび周囲の魔力を集めて甲殻を厚くしている。


 数は12体。


 その後方には、結晶板を背負った四足獣や、長い前脚で岩場を跳ぶ猿型の魔物が続き、互いを押し退けながら谷道へ向かっていた。


 逃げているだけとはいえ、エイルが正面へ立てば、そのまま踏み潰そうとするだろう。


 エイルは谷道の中央へ降り、長剣を抜いた。


 先頭の甲殻猪が距離100メートルへ入る。


 その後ろへ残る11体も、ほぼ同じ直線へ並んでいた。


 長剣を斜めへ振る。


 幅ではなく貫通力へ寄せた《遠衝斬》が、最初の甲殻猪の右前脚へ入った。


 硬い装甲を完全には断てない。


 それでも走っている最中に片脚へ深い傷が入れば、重い身体を支えられなくなる。


 先頭の個体が前のめりに崩れ、後ろから来た2体がその背へ衝突した。


 群れの中央が詰まる。


 エイルは足元へ《衝界》を広げ、転倒した3体の真下にある岩盤へ力を通した。


 地面が割れる。


 深く落とす必要はない。


 前脚が取られる程度の亀裂が横へ走るだけで、後続の甲殻猪は速度を落とさざるを得ない。


 右側へ逃げようとした2体へ遠衝斬を続け、角の根元を切る。


 結晶に溜めていた魔力が制御を失い、頭部の横で弾けた。


 甲殻猪同士がぶつかり、谷道の半分を塞ぐ。


 それでも左側から4体が抜けた。


 エイルは正面へ走る。


 最初の角を長剣の腹へ滑らせ、力を外側へ流す。巨体の横へ入ると、左肩へ《纏刃(エッジ・コート)》を形成し、前脚の付け根へ体当たりを入れた。


 短い魔力刃が甲殻の隙間を裂き、《高密度強化》を通した打撃が脚を内側から押し上げる。


 4メートルの身体が横へ浮き、隣を走っていた個体へぶつかった。


 エイルは倒れる2体の背を駆け上がり、《空衝歩(エア・ステップ)》で群れの上へ出た。


 空中から戦場全体を見下ろす。


 谷道を埋める魔物。


 後方から押し寄せる別の群れ。


 さらに地中を進む3体の大型反応。


 すべての進路が、《近域感知》と広げた《警戒圏》の中へ線となって浮かんでいた。


 エイルは落下しながら長剣を横へ振った。


 幅を広げた遠衝斬が、後列の四足獣6体へ同じ高さの傷を刻む。


 切断には足りない。


 しかし着地と同時に地面へ《衝界》を通し、傷口へ重なる振動を一斉に返すと、外皮の裂け目から衝撃が内部へ入り、6体の脚がほぼ同時に崩れた。


 谷道の入口へ、魔物の身体が積み上がる。


 後方の群れは止まれず、倒れた仲間へ衝突した。


 エイルはその混乱へ踏み込んだ。


 右の長剣が、猿型魔物の前腕を断つ。


 左手の纏刃が、別の個体の喉を切る。


 背後から振られた尾を《危機感知》で拾い、振り向かないまま身体を沈めると、通過した尾へ右肘を叩き込んだ。


 肘先へ形成した魔力刃が硬い鱗へ切れ目を作り、その内側へ打撃が重なる。


 尾の骨が折れた。


 横から迫る甲殻獣の顎へ長剣を突き込み、実体の刃が止まったところから遠衝斬を刀身の延長へ保持する。


 見えない切っ先が頭部の奥へ届き、巨体が走る勢いを残したまま崩れ落ちた。


 1体ずつ倒しているようで、エイルは常に次の数体まで見ていた。


 どの個体を倒せば進路が塞がるか。


 どこへ身体を落とせば、後続の足を止められるか。


 どの地面を僅かに持ち上げれば、走る群れが互いへ衝突するか。


 剣を振るたび、谷道そのものがエイルの戦い方に合わせて形を変えていく。


     ◇


 地上の魔物が30体ほどまで減った時、地面の下を進んでいた大型反応が谷道の左右へ分かれた。


 1体は北側の岩壁。


 1体は南側。


 最後の1体だけが、エイルの真下へ向かっている。


 挟み込むつもりではない。


 地表へ出やすい薄い岩盤を選んだ結果、同じ場所へ集まっている。


 エイルは地上の魔物の首へ長剣を入れながら、足元の振動へ《衝界》を返した。


 北側へ進む個体の前へ、厚い岩盤があるような反響を作る。


 大型反応が進路を変えた。


 南側も同じように誘導する。


 2体が谷道の入口側へ回り込み、地上の群れの後方へ向かった。


 残る1体は反響へ惑わされず、真下から上がってくる。


 出現まで3秒。


 エイルは長剣を引き抜き、目の前の魔物の肩へ足を置いた。


 2秒。


 身体を上へ投げる。


 1秒。


 《空衝歩》で横へ移る。


 直後、先ほどまで立っていた地面が爆発し、巨大な頭部が谷道へ突き出した。


 全長20メートル近い蜥蜴型の魔物だった。


 頭部は楔のように尖り、口から背中へかけて厚い黒岩の装甲が続いている。前脚は土を掘るために幅広く、爪の1本だけでも人間の腕ほど太い。


 地上へ出た大型個体は空中のエイルへ気づき、頭部を振り上げた。


 エイルは避けず、相手の額へ着地した。


 黒岩の装甲が靴底の下で軋む。


 魔物が首を振るより先に、長剣を頭部装甲の境目へ突き込んだ。


 刃は数センチで止まる。


 エイルは両足から《高密度強化》を腰、背中、肩へ繋ぎ、柄を両手で押し込んだ。


 装甲の境目が開く。


 大型個体が地面へ潜り直そうと身体を沈めた。


 エイルは剣を抜かず、左足から《空衝歩》を頭部へ向けて放った。


 魔物の装甲から強い反力が返り、そのすべてが刀身へ乗る。


 剣がさらに深く入る。


 そこから《遠衝斬》を内側へ伸ばし、頭部の中枢へ向かって細い切断線を通した。


 大型個体の身体が硬直する。


 まだ止まらない。


 前脚を振り上げ、自分の頭上にいるエイルごと叩こうとする。


 エイルは柄から左手を離し、迫る爪へ手刀を向けた。


 接触の寸前に纏刃を形成する。


 短い魔力刃が爪の付け根へ入り、直後に掌底から《衝界》を通した。


 爪が外側へ弾かれる。


 エイルは再び柄を両手で握り、全身の力を解放した。


 刀身から伸びた見えない刃が頭部を貫き、大型個体の下顎から地面へ抜ける。


 20メートルの巨体が、半分ほど地上へ出た状態で動きを止めた。


 その背中を越え、残る地上の魔物が谷道へ入ろうとする。


 エイルは大型個体の頭部から跳んだ。


 空中で身体を回し、長剣を両手へ構える。


 幅を広げる。


 射程を伸ばす。


 外殻が崩れない限界まで《魔力圧縮》を重ねる。


 振り抜いた一撃から、これまでより大きな遠衝斬が扇状に広がった。


 谷道の幅を覆う透明な刃が、前列の魔物8体へ同時に届く。


 硬い外皮へ阻まれた個体もいた。


 それでも傷は同じ線上へ並んでいる。


 エイルは着地と同時に片膝をつき、左手を地面へ触れさせた。


 《衝界》を深層脈へ通す。


 8体の傷口を結ぶように、地面から衝撃を立ち上げる。


 外側から遠衝斬。


 内側から衝界。


 2つの力が重なった瞬間、前列の魔物たちが一斉に地面から浮いた。


 血と甲殻片を散らしながら後列へ叩きつけられ、谷道の入口が完全に塞がる。


 それを越えられず、残る群れが足を止めた。


 逃げ場を失った魔物たちの奥で、誘導した2体の大型反応が地上へ出る。


 前後を巨大な魔物に挟まれ、群れが混乱した。


 その中央へ。


 エイルが1人で歩いていく。


 長剣の刃からは血が落ち、濃灰色の長衣も何か所か裂けている。それでも歩調は乱れず、青灰色の目は、残るすべての魔物の位置と動きを捉えていた。


 逃げようと背を向けた個体へ遠衝斬を放つ。


 横から来る爪を剣で流し、空いた左肘へ纏刃を作る。


 頭上へ跳んだ魔物を《空衝歩》で追い、空中で首を断つ。


 大型個体の突進には正面から力をぶつけず、前脚の着地を《衝界》でずらし、崩れた肩へ圧縮した斬撃を通す。


 拠点へ続く谷道を、魔物は1体も越えられなかった。


     ◇


 第3調査拠点の測量塔から、谷道で起きている戦闘のすべてを見ることはできなかった。


 距離は2キロ近くあり、途中には低い岩丘もある。


 それでも赤い魔力の霧が何度も切り開かれ、地面から巨大な岩片が噴き上がり、そのたび群れの振動が急激に減っていくことは、拠点へ設置された感応杭にも伝わっていた。


 北門へ戻ったリヴィアは、外壁の上から単眼鏡を谷道へ向けていた。


 視界に入るのは、時折岩丘の上へ跳び上がる魔物と、そのさらに高い位置へ駆け上がる小さな人影だけだった。


 空中へ足場などないはずなのに、エイルは何度も方向を変え、魔物の背や岩片を踏み、地上へ落ちる前に別の敵へ剣を届かせている。


 遠方へ透明な斬撃が走る。


 数体の魔物が同時に崩れる。


 地面が低く鳴る。


 倒れ切らなかった個体まで、内側から力を失ったように沈んでいく。


 隣ではイェルクが、感応杭から返る記録を読み上げていた。


「残り、12……大型が2。いや、1体減った」


 セヴェルは北門の防衛準備を進めながら、信じ難いものを見るように谷道を見つめた。


「本当に1人で止めているのか」


「止めているだけではありません」


 リヴィアは単眼鏡を下ろさなかった。


「あそこへ入った魔物は、もう拠点へ向かっていない。全部、エイルだけを見ている」


 群れの進路を塞いだのではない。


 50体を超える魔物の意識を、たった1人が谷道の中へ引き留めている。


 その背後には誰もいない。


 守るべき者たちは、すでに拠点へ戻っている。


 それでもエイルは1歩も通さなかった。


 感応杭に残る反応が、さらに減る。


 8。


 5。


 最後の大型反応が大きく動いたあと、地面を揺らすほどの衝撃が1度だけ届いた。


 そして。


 谷道から返っていた魔物の反応が、すべて消えた。


     ◇


 エイルが北門へ戻ったのは、イェルクたちが到着してから12分後だった。


 長剣は鞘へ収められている。


 長衣には新しい裂け目と血痕が増えていたが、歩く速度は普段と変わらず、外壁の前へ集まっていた兵士たちへ気づくと、少し困ったように足を緩めた。


「北門は閉じなくても大丈夫です。近くに残っている反応はありません」


 誰もすぐには答えなかった。


 外壁へいた者たちは、エイルの後方へ魔物がいないことを確かめるように、何度も谷道の方角を見ている。


 イェルクが最初に近づいた。


「55体と、大型3体だったな」


「はい。途中で地中から出た個体が1体増えたので、正確には地上が56体でした」


「全部倒したのか?」


「逃げた小型が3体います。ただ、西へ戻ったので拠点には来ません」


 イェルクは目を閉じ、長く息を吐いた。


「君の冒険者証を見せてくれ」


 エイルは理由を尋ねず、首元から金属証を取り出した。


 イェルクは刻まれた文字を確認する。


『A』


 偽物ではない。


 傷や加工の跡もなく、正式な冒険者ギルドの証だった。


「A級というのは、俺の知る限り、非常に優秀な冒険者へ与えられる階級だ」


「そうですね」


「だが、A級斥候1人で、拠点の感応網より遠くを見通す者はいない。A級剣士1人で、56体と大型4体を、味方を逃がしたあと無傷の拠点へ1体も通さず処理する者もいない」


「無傷ではありませんよ」


 エイルが裂けた袖を見せると、イェルクは初めて明確に眉を寄せた。


「そういう話をしていない」


 周囲の兵士たちから、小さな笑いが漏れた。


 緊張が少しだけ緩んだものの、セヴェルの表情は変わらない。


「エイル君。君がどの階級を望んでいるかは、今ここで問題にしない。ただ、拠点長としては、目の前で確認した事実をそのまま報告する必要がある」


「報告ですか?」


「現行のA級評価では、君の戦闘力、探知能力、集団防衛能力のいずれも説明できない。昨日の戦闘だけでも疑問だったが、今日の結果で確信した」


 セヴェルはエイルのA級証へ目を落とした。


「これは君が弱い時代の証ではない。優れた冒険者であることを示す、正式な証だ。それでも今の君へ付けた場合、評価として機能していない」


 リヴィアがエイルの前まで歩いてきた。


 彼女は怪我を確認するため右腕へ触れたあと、袖の裂け目から傷が浅いと分かると、小さく息を吐いた。


「前に会った時も、A級になったばかりとは思えなかった。でも今は、A級かどうかを考えること自体が変に感じる」


「階級が変わっても、僕がすることはあまり変わりませんよ」


「あなたはそうでしょうね」


 リヴィアは苦笑しながら、谷道の方角へ目を向けた。


「でも、周りは違うわ。A級が1人残ると言われた時と、今のあなたが残ると言われた時では、任せられる意味がまったく違う」


 エイルは返事をせず、外壁の向こうへ感覚を伸ばした。


 谷道に魔物の反応はない。


 しかし西から届く巨大な脈動は、先ほどの圧力波を起こしたあとも消えていなかった。


 むしろ1度大きく脈打ったことで、輪郭が少しだけ明確になっている。


 深さ。


 およその方向。


 周囲の深層脈が、何か巨大なものを避けるように曲げられている。


 今日の群れを押し出した圧力波も、偶然起きたものではない。


「まだ終わってません」


 エイルの声に、全員が表情を戻した。


「西の脈動は残っています。今日の波は、原因そのものが動いた結果だと思います」


「位置は絞れたか?」


 セヴェルに訊かれ、エイルは西を見た。


「昨日よりは。直線なら5キロから7キロくらいです。ただ、深い断層の向こうにあるので、今の場所から詳しい形までは分かりません」


 イェルクは、もう距離へ驚かなかった。


 代わりに地図を開き、エイルが見ている方角へ線を引く。


「次は、そこへ行く必要があるな」


「はい」


 エイルが頷いた時、視界へ新しい表示が現れた。


【大規模群体の単独阻止を確認しました】


【防衛対象への侵入を完全に阻止しました】


【広域探知・地形制御・複数戦闘技能の連続統合を確認しました】


【Lv.124 → Lv.128】


【《剣術 Lv.88 → Lv.90》】


【《身体強化 Lv.54 → Lv.56》】


【《高密度強化 Lv.50 → Lv.52》】


【《魔力圧縮 Lv.74 → Lv.77》】


【《衝界 Lv.54 → Lv.57》】


【《警戒圏 Lv.42 → Lv.44》】


【《遠衝斬《インパクト・スラッシュ》 Lv.7 → Lv.9》】


【《空衝歩(エア・ステップ) Lv.8 → Lv.10》】


【《纏刃(エッジ・コート) Lv.8 → Lv.10》】


【多数対象に対する戦闘経路選択速度が上昇しました】


【複数技能の同時運用負荷が軽減されました】


 エイルは表示を確認し、静かに閉じた。


 4レベルの上昇。


 技能も、単独戦闘で使用したものがまとめて伸びている。


 少し前まで、1つの新しい技術を安定させるためには何度も試行を重ねる必要があった。今は《遠衝斬》《空衝歩》《纏刃》を同時に切り替え、そこへ感知と地形制御を重ねても、戦闘の途中で動きが乱れない。


 《越境 Lv.7》がもたらす加速は、強敵を倒した時だけではなく、複数の技能を実戦で結びつけるたび、さらに強く働いている。


「また上がったの?」


 リヴィアが小声で訊いた。


「128になりました」


「拠点に来た時は117だったわよね」


「はい」


 近くにいたイェルクの顔が引きつった。


「3日も経っていないぞ」


「この辺りは強い魔物が多いので」


「その説明で納得できる者は、もうここにはいない」


 エイルは自分のA級証を受け取り、首元へ戻した。


 金属板に刻まれた《A》の文字は変わっていない。


 けれど、それを見ていた者たちの認識は、すでに昨日までとは違っていた。


 A級冒険者が拠点を救ったのではない。


 今のエイルを示す言葉がほかにないため、便宜上A級と呼ばれているだけだと、全員が理解し始めていた。


 そしてエイル自身は、周囲の視線が変わったことよりも、地図のさらに西から返る脈動へ意識を向けている。


 56体の魔物と4体の大型個体を押し出したもの。


 それが動いた時、次に何が起きるのか。


 調査拠点の者たちは、もうエイルを護衛の1人として数えてはいなかった。


 西へ向かう次の隊が生きて帰るために、絶対に欠かすことのできない戦力として、その背中を見ていた。


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