第120話 旅に戻る
合同演習2日目が青陣営の勝利で終わったあとも、西部第2演習場にはすぐ解散するような空気はなく、各陣営の指揮官や評価官たちは記録を照合し、参加した兵士や冒険者たちも装備を片付けながら、昨日から今日にかけて起きたことを思い思いに話していた。
エイルも最初は青兵たちと一緒に第3輸送隊の荷車を返却していたのだが、途中で演習本部から呼び出しが入り、ガルムやジークと共に中央の大型天幕へ向かうことになった。
「怒られるようなことしましたっけ?」
「その発想が最初に出てくる時点で、何か心当たりあるんじゃねえのか」
ガルムに言われ、エイルはこの2日間を思い返してみたものの、演習規則に触れるような行動をした覚えはなかった。
《衝界》についても人間の身体内部へ直接通してはいないし、装備や地面を利用した干渉も事前に示された安全基準の範囲に収めている。《高密度強化》についてはそもそも自分の身体へ使っただけであり、遠距離から南西の青兵を支援した時も、敵そのものを直接吹き飛ばすのではなく地形へ最低限の干渉を行っただけだった。
「多分、怒られる話じゃないと思いますよ」
ジークが横から口を挟みながら、少しだけ同情するような目を向ける。
「むしろ逆じゃないか。評価記録を見た連中が、どう扱えばいいか困ってるんだと思う」
「A級として普通に扱えばいいんじゃないですか?」
「その台詞を昨日から何人が聞いて頭抱えたと思ってるんだ」
エイルにはよく分からなかったが、天幕へ入った瞬間、その意味は少しだけ理解できた。
◇
内部には軍側の評価官だけでなく、王国騎士団から来ているアルベルト、冒険者側のレオン、さらに合同演習の全体記録を担当していた中央ギルドの職員まで座っており、卓上にはかなりの枚数の記録票が積み重なっていた。
その大半が、自分に関するものらしい。
「座ってくれ。説教ではないから警戒しなくていい」
中央ギルドの職員に言われ、エイルは素直に空いている椅子へ腰を下ろした。
「まず確認しておくが、現在の冒険者等級はA級で間違いないな?」
「はい。ローデンで上げてもらってから変わってません」
「登録からA級までの期間も記録通り?」
「多分そうだと思います」
「本人が一番曖昧なのはどうなんだ」
レオンが横から笑い、職員も少しだけ困った顔になった。
「こちらで確認できているから問題はない。今日話したいのは昇格そのものではなく、この2日間の評価についてだ」
その言葉を聞いても、エイルの表情はあまり変わらなかった。
職員は卓上の記録票を何枚か広げる。
「1日目だけでも、S級冒険者レオン・ヴァルハルトとの交戦、第11席との接触、中央拠点での大規模戦闘、第7席ハルド・シェインによる長距離射撃への複数回迎撃、王国騎士団第3大隊副長アルベルト・クライゼンとの継続戦闘、第15席ローディン・カーツを含む東部攻撃隊への対応、それに南西方面への600メートルを超える遠隔支援が記録されている」
読み上げられていく内容を聞きながら、エイルは少しだけ首を傾げた。
「結構ありますね」
「今気づいたのか?」
アルベルトが思わず訊く。
「その時は順番にやってたので」
「順番になっていないものがかなり混じっている。私と戦っている最中にも、君は別方面へ干渉していただろう」
「それはそうですけど」
職員はさらに2日目の記録を出した。
「今日は昨日ほど戦場間を移動していないが、むしろ評価としてはこちらを重く見ている者もいる。自分で介入地点を選び、第1と第2輸送隊を意図的に任せ、第3輸送隊だけへ集中したことで、全体として青陣営の輸送効率を落とさなかった。個人戦闘力だけではなく、戦況判断や支援能力まで含めれば、現在のA級評価と実態が大きく離れているという意見が複数出ている」
「S級にするってことですか?」
エイルが訊くと、職員は少しだけ間を置いた。
「今すぐではない」
その答えに、エイルは特に残念そうな顔も見せなかった。
「そうですか」
「もう少し反応があると思ったんだが」
「A級で困ってないので」
今度は軍側の評価官まで笑いを堪えるような顔になった。
エイルにとって冒険者等級は、依頼を受けたり都市へ入ったりする際に便利な資格ではあるものの、そこへ人生の目的を置いたことはない。A級になった時ですら、自分が行ける場所や受けられる仕事が増えることの方が嬉しかったくらいで、S級という肩書そのものに強い興味はなかった。
「中央側としても、S級認定には本人との面談や複数記録の精査が必要になる。今回の内容は間違いなく重要な資料になるが、今日ここで等級を変えるような話ではない」
「じゃあ、今まで通りですね」
「少なくとも当面はな。ただ、お前の記録がこれから各支部へ回る可能性は高い」
「何でです?」
「何でって……」
中央ギルド職員が珍しく言葉に詰まり、代わりにレオンが答えた。
「A級だと思って普通のA級向けの仕事へ突っ込ませたら、現場の方が混乱するからじゃないか?」
「別に普通に依頼受けますよ」
「お前の『普通』を共有するために記録回すんだよ」
それなら少し分かる。
エイルは納得して頷いた。
◇
評価の話はそれほど長く続かなかった。
中央ギルド側から、今後もう少し詳しい能力確認や上位依頼への参加について相談する可能性があるとは伝えられたものの、演習終了後もここへ残らなければならない理由はなく、軍から正式に所属を求められるような話にもならなかった。
むしろ評価官たちの側も、2日間の様子を見たことで、エイルをどこかの部隊へ固定して使うことが本人の性格に合っていないと理解し始めているらしい。
「それで、これからどうするつもりだ?」
話が一区切りついたところでアルベルトが訊いた。
「旅に戻ろうと思ってます」
「もう行き先は決めたのか?」
「まだちゃんとは決めてませんけど、西か北西へ行こうかなと思ってます。こっちへ来る途中で地図を見たら、山沿いに空いてるところが結構あったので」
エイルがそう答えると、中央ギルド職員が少し考え込んだあと、卓上とは別の鞄から折り畳まれた地図を取り出した。
「北西なら、ここから3日ほど進んだ先に《レメル》という小さな街がある。その先で街道が2つへ分かれていて、北側は鉱山都市方面、西側は《ヴァルネ高原》の南縁を通る旧街道へ繋がっている」
地図が広げられる。
エイルの視線がすぐ西側へ向いた。
主要街道には村や宿場、河川、森の位置まで細かく記されているが、《ヴァルネ高原》と書かれた場所のさらに西側は急に情報が少なくなり、山地らしい線だけが曖昧に続いていた。
「ここ、何で何もないんですか?」
「何もないわけじゃない。測量が不十分なんだ」
エイルの目が少し変わったことに、アルベルトが気づく。
中央ギルド職員は、その反応を見ながら説明を続けた。
「高原の南側までは交易路があるが、西へ進むほど小さな谷と岩山が増え、街道として整備する利点が薄い。魔物もいるし、まとまった集落も少ないから、冒険者や商人が深く入る理由もあまりなかった。ただ、最近は薬草採取や希少鉱石を探す連中が少し入っているらしい」
「地図あります?」
「今見てるだろ」
「もっと西です」
「そこはまともなものがない」
エイルは地図の空白へ目を向けたまま、少し嬉しそうに笑った。
「じゃあ、そっち行きます」
「決めるの早くないか?」
レオンが呆れたように言う。
「行く理由ありますし」
「空白だから?」
「はい」
本人にとっては十分だった。
演習でどれほど高い評価を受けたとしても、全国の強者たちと戦える場所へ招かれたとしても、地図の先に何があるのか分からない場所を見つけた時に湧く感覚とは少し違う。
強くなるのは楽しい。
強い人間と戦うのも面白い。
それでも、その力を使ってどこへ行くのかと訊かれれば、エイルの答えは最初からほとんど変わっていなかった。
知らない場所へ行きたい。
いつか地図の端よりも先へ進み、誰も自分に説明できない景色を見たい。
だから旅をしている。
◇
翌朝。
演習場を発つ準備は驚くほど簡単に終わった。
長く滞在するつもりで来たわけではないため、大きな荷物は増えておらず、食料と水、簡単な野営用品を補充し、長剣と装備の状態を確認すればほとんど終わりだった。
マルナに調整してもらった長衣型の軽装も、《高密度強化》を使った2日間を問題なく耐えており、脚部や腰周辺の循環繊維には多少の摩耗があるものの、すぐ修理が必要なほどではない。
エイルは宿舎前で荷物を背負い、剣を腰へ固定してから暗灰色の髪を手で軽く整えた。
そこへジークが長槍を担いで現れる。
「本当に今日出るのか」
「そのつもりです」
「昨日の夜に評価会議終わったばかりだぞ」
「終わったから出られますよね?」
「理屈はそうなんだけどな」
ジークはしばらくエイルを見たあと、諦めたように笑った。
「次会った時、何級になってるんだろうな」
「多分A級のままじゃないですか?」
「お前の場合、それが一番ありそうで困る」
少し遅れてガルムもやってきた。
「西へ行くって聞いたぞ」
「はい。高原の向こうがあまり地図に載ってないみたいなので」
「お前らしい理由だな。ただ、あっちは軍の巡回範囲も薄い。昨日みたいに誰かがすぐ援護へ来る場所じゃねえぞ」
「1人旅なら、最初から誰かが来ると思ってないです」
エイルが自然に答えると、ガルムは一度だけ鼻を鳴らした。
「そうだったな」
合同演習では、多くの味方がいた。
自分の地鳴りへ合わせて踏み込む兵士がいて、矢を知らせれば盾を上げる者がいて、ガルムやジークへ別の戦場を任せることもできた。
しかし、その形が楽しかったからといって、エイルが1人で歩けなくなったわけではない。
むしろ集団戦を経験した今だからこそ、再び1人になった時に自分がどう戦うのかも確かめてみたかった。
◇
演習場の門へ向かう途中では、名前を知らない兵士からも何度か声を掛けられた。
「《地鳴り》、もう行くのか!」
「だからそれ僕の名前じゃないですって」
「次どこの戦場行くんだ?」
「戦場に行くとは決めてませんよ。普通に旅です」
「お前の普通の旅、途中で大体何か起きそうなんだよな!」
周囲から笑いが起こる。
エイルは少し不満そうな顔をしたものの、自分でもこれまでの旅を思い返すと強く否定しづらかったため、それ以上は何も言わなかった。
門の近くにはアルベルトもいた。
「出発か」
「はい。昨日はいろいろありがとうございました」
「礼を言われるほど教えた覚えはないが、君が勝手に盗んだものも含めれば、かなり持っていかれた気はする」
「《剣術》かなり上がりました」
「知っている。最後は私の公開値を越えただろう」
エイルは少しだけ笑う。
「でも、まだアルベルトさんの方が上手いところありますよ」
「今のうちにそう思わせておけるなら、私ももう少し鍛えておく必要がありそうだ」
アルベルトは冗談めかして言ったものの、その目は本気だった。
技能Lvだけを追い抜いたからといって、すべての技量を追い越したわけではない。
しかし同時に、この16歳が数日のうちに《剣術》を異常な速度で伸ばした事実も消えない。
次に会った時、どれほど変わっているのか。
それはアルベルト自身にも想像できなかった。
「また剣を合わせよう」
「お願いします」
今度はエイルも素直に頷いた。
◇
最後に現れたのはレオンだった。
「もう出るって?」
「はい」
「中央から何か呼ばれる前に?」
「呼ばれる予定あるんですか?」
「多分な。少なくとも今回の記録見た連中は、直接話したがると思うぞ」
エイルは少し考えたあと、街道の先へ目を向けた。
「戻ってきた時でいいんじゃないですか?」
「お前、戻る日決めてないだろ」
「決めてませんね」
「だから捕まらないんだろうな」
レオンは呆れながらも、引き止めることはしなかった。
「まあいい。次に会った時は、昨日みたいに途中で逃げるなよ」
「演習じゃなかったら、ちゃんと最後までやります」
「覚えとく」
それだけ交わし、エイルは門を出た。
◇
西部第2演習場から西へ伸びる街道は、朝のうちは軍用馬車や商人の荷車がそれなりに行き交っていたが、昼を過ぎる頃には人影が減り、遠くまで続く草原と低い丘が目立つようになった。
1人。
自分の足音だけ。
数日前までとは比べものにならないほど静かな道だった。
ただし、その静けさをエイルは寂しいとは感じなかった。
誰かと一緒に戦うのも面白いし、食事の時に話す相手がいるのも悪くない。
それでも、道が2つへ分かれた時に何の相談もせず自分の興味だけで片方を選び、疲れた時に休み、気になる場所が見えれば予定を変えて寄り道できる自由は、やはり1人旅にしかないものだった。
エイルは歩きながら地図を広げる。
まずは《レメル》まで3日ほど。
そこから西へ進めば《ヴァルネ高原》。
さらに先は。
ほとんど空白。
紙の上へ描かれた道が途中で細くなり、最後には何も書かれていない場所を指でなぞった時、自然に足取りが軽くなった。
「ここから先、ちゃんと描けたら面白そうだな」
測量士ではないため、正式な地図を作れるわけではない。
それでも自分用に道や川、崖の位置を書き足すくらいならできる。
以前もそうしてきた。
そして、その小さな記録が増えるほど、自分が実際にそこまで歩いたという実感が残る。
エイルは地図を畳み、再び街道へ目を向けた。
◇
一方、その頃。
エイル本人が演習場から離れていくのとは逆方向へ、合同演習の記録はすでに複数の場所へ向けて発送され始めていた。
中央ギルド。
王国軍本部。
騎士団本部。
さらに、席次持ちを管理する戦技局。
そこへ送られる報告書には、A級冒険者エイル・アーネットという名前と共に、2日間の行動記録がかなり細かく記されている。
S級レオンとの継続交戦。
第7席、第9席、第11席、第12席、第14席、第15席、第18席との直接または間接的な関与。
王国騎士団でも屈指の剣士であるアルベルトとの連戦。
600メートルを超える遠隔戦場支援。
複数地点への同時感知。
そして、2日目にはそれらを無闇に使わず、自分が介入する戦場そのものを選び始めたこと。
報告書の最後には、評価官による短い一文が添えられていた。
『現行A級評価は、対象の実戦能力を示す指標として機能していない』
ただし。
その報告書を読む人間たちが本人へ連絡を取ろうとする頃には。
エイルはもう。
演習場にはいなかった。
◇
日が傾き始めた頃、エイルは街道脇に小さな石碑を見つけた。
古い道標らしく、東にはレグノア方面、西にはレメル方面を示す文字が刻まれている。
その下に。
比較的新しい傷。
刃物で付けたものではない。
大きな爪。
かなり深い。
エイルは道標へ近づき、表面を指でなぞった。
傷は1本だけではなく、裏側にも続いている。
地面を見る。
街道脇の草が広い範囲で倒れていた。
少なくとも。
普通の狼や小型魔物ではない。
エイルは少し先の街道へ目を向けた。
日はまだ残っている。
レメルまでは数日。
そして、この辺りの地図には。
特に危険な魔物が出るとは書かれていなかった。
エイルは爪痕の残る石碑から手を離し、腰の長剣を確かめるように軽く触れたあと、予定通り西へ向かって歩き始めた。
演習場を離れてから、まだ半日も経っていない。
それでも。
知らないものは。
もう道の先にあった。




