第12話 地図にない横穴
翌日の朝、冒険者ギルドの依頼掲示板には、昨日までなかった紙が一枚増えていた。
【E級推奨】
【青晶洞第一層・新規通路調査】
【依頼内容】
【第一層中央部にて新規通路の存在が報告された】
【内部の安全確認、および簡易地図の作成】
【無理な踏破は不要。危険を確認した場合は即時撤退すること】
【報酬 基本銀貨四枚。調査内容により加算】
「……早いな」
エイルは依頼票の前で立ち止まった。
昨日報告したばかりである。
ギルドの対応が早いのか、それとも迷宮に新しい通路ができること自体が、それだけ重要なのか。
どちらにせよ。
受けたい。
かなり。
依頼票へ手を伸ばそうとしたところで、
「来ると思ってました」
背後から声がした。
振り返ると、ミレイが受付からこちらを見ている。
「まだ取ってませんよ」
「取りますよね?」
「……はい」
「でしょうね」
エイルは依頼票を外し、そのまま受付へ持っていった。
「昨日見つけた本人ですし、場所も分かっています。調査自体をお願いすることに問題はありません」
「じゃあ受けられます?」
「受けられます。ただし、昨日説明した通りですよ」
「危なかったら戻る」
「それと、奥まで行くことを目的にしない」
「分かってます」
ミレイは一瞬黙り、少し疑うような目を向けてきた。
「……本当に?」
「昨日もちゃんと帰ってきたじゃないですか」
「第二層の階段を見に行こうとはしましたよね」
「行ってません」
「そこは評価しています」
昨日よりは信用が増したらしい。
ほんの少しだけ。
依頼の受注処理をしている間、エイルは机に広げられた簡易地図を見た。
昨日、自分が通路を見つけた場所には赤い印が追加されている。
「迷宮の新しい通路って、よくできるんですか?」
「青晶洞では年に何度か確認されます。ただ、全部が長く残るとは限りません。数日で閉じる場合もあれば、そのまま新しい区画になることもあります」
「数日で?」
「はい。迷宮は普通の洞窟とは違いますから」
昨日歩いた場所が、次に来た時にはないかもしれない。
その言葉だけで、エイルの興味はさらに強くなった。
「嬉しそうですね」
「……少し」
「危険も増えるんですよ」
「分かってます」
そこは本当に分かっている。
地図が通用しないということは、戻る道まで変わる可能性があるということだ。
面白い。
だからこそ、怖い。
その両方がある。
「あと一つ」
ミレイが依頼票を返しながら言った。
「今のエイルさんなら第一層の一般的な魔物には十分対応できると思いますが、新規区画には既存の生息階層と違う魔物が出ることがあります」
「第二層の魔物が上に来たり?」
「それもあります。ごく稀ですが、もっと下層の個体が迷い込むことも」
エイルは少し考え、頷いた。
「見たことがないものがいたら、戦う前に考えます」
「それでお願いします」
「多分」
「最後の一言、要ります?」
「念のためです」
「私の台詞なんですけどね……」
◇
二度目の青晶洞は、昨日より少しだけ身近に見えた。
入口で冒険者証を提示すると、受付の男がすぐにエイルへ気づいた。
「昨日の地図好きか」
「その呼び方なんですか?」
「名前聞いてなかったからな」
「エイルです」
「そうか、地図好きのエイル」
「変わってませんよ」
男が笑う。
「今日は例の横穴か?」
「はい」
「もう調査依頼になったんだな。気をつけろよ、新しくできた通路は地面が安定してないこともある」
「分かりました」
第一層へ入る。
冷たい空気と、壁面の青い光。
昨日初めて見た時ほどではないが、それでも目に入る景色はまだ新鮮だった。
昨日買った簡易地図には、自分でいくつか印を書き足してある。
採取地点。
洞牙狼と戦った広間。
地図にない横穴。
エイルは最短距離ではなく、比較的安全だった通路を選んで進んだ。
途中、岩甲蟲が一体現れた。
昨日なら一度止まり、剣を抜いて相手の動きを見ただろう。
今日は違った。
岩甲蟲が突進を始める前に横へ回り込み、左手を軽く向ける。
無言の《衝撃》。
弱い力を腹側から斜め上へ当てると、岩甲蟲の脚が二本浮いた。
そこへ足を入れ、身体を返すように蹴る。
ひっくり返った腹へ剣。
それだけだった。
「……昨日より楽だな」
魔物が弱くなったわけではない。
自分が慣れただけでもない。
昨日より《衝撃》の扱いが良くなっている。
ほんの小さな力で、狙った方向へ相手を崩せるようになってきた。
毎回大きく吹き飛ばす必要はない。
数センチ。
踏み出す脚をずらす。
重心を外へ押す。
刃が通る角度を作る。
そういう使い方の方が、魔力も少なく済む。
「こっちの方がいいかも」
鎧猪を倒した時の《衝撃》は、力任せに近かった。
今なら、もう少し違う使い方ができる気がする。
エイルは魔石だけを回収し、先へ進んだ。
◇
目的の横穴は、そのまま残っていた。
「よかった」
昨日あったものが今日消えていた、という可能性も少し考えていた。
人一人が通れるほどの幅。
高さはエイルの頭より少し上。
入口付近の岩肌は妙に滑らかで、自然に崩れてできた裂け目には見えない。
エイルはすぐには中へ入らず、入口の前にしゃがんだ。
地面。
痕跡。
「足跡は……ないか」
少なくとも人間が入った形跡はない。
小型の魔物らしい跡も見当たらなかった。
《気配感知》へ意識を向ける。
迷宮の中なので相変わらず曖昧だが、近くに大きな生き物はいないように感じる。
《危機感知》も静かだった。
「……行こう」
壁へ印を一つ残し、横穴へ入る。
中はすぐに暗くなった。
青晶洞の本道と違い、壁に青晶がほとんどない。
エイルは腰の小さな灯火具へ魔力を流した。
淡い白光が周囲を照らす。
通路は細い。
足元には小石。
場所によっては天井も低く、少し身体を屈める必要があった。
十歩進む。
振り返る。
入口は見える。
地図へ線を一本。
さらに進む。
曲がり角。
右。
そこでまた線。
「……楽しいな」
誰もいないので、つい口に出た。
まだ誰の地図にも載っていない。
少なくとも、ギルドの簡易地図には。
今、自分が歩いた分だけ、空白だった紙へ道が増えていく。
子供の頃に古い地図を眺めていた時とは違う。
これは自分で確かめている。
その事実が、思っていた以上に嬉しかった。
ただ、夢中になりすぎないよう定期的に足を止めた。
入口からの距離。
曲がった回数。
地面の傾斜。
戻る方向。
迷宮なら、今の通路がいつまで同じ形を保つかも分からない。
二つ目の曲がり角を抜けたところで、エイルは眉を寄せた。
「……下がってる?」
緩い下り坂。
目で見ても分かりづらい程度だが、確実に高度が落ちている。
第一層の横穴。
そのまま進めば、第二層と同じくらいの深さまで行く可能性もある。
壁へ触れた。
冷たい。
ただ。
「……?」
妙な感覚。
掌の奥が、僅かにざわついた。
エイルは手を離す。
もう一度触れる。
やはり。
何か。
壁の奥から来る。
「魔力……かな」
村でも魔力そのものについては教わった。
魔法を使うための力。
魔物や魔石にも含まれている。
ただ、エイル自身が外の魔力をはっきり感じ取れたことはほとんどない。
それが今。
薄い水の流れのようなものが、壁の奥を通っている気がした。
意識を集中する。
すると感覚は少し強くなった。
右。
奥。
そこだけ妙に濃い。
「……こっち?」
通路は真っ直ぐ続いている。
だが、魔力の感覚は壁の向こうへ向かっていた。
エイルは地図へ小さな印を付ける。
無理に壁を壊そうとはしない。
まずは通路の先。
さらに五分ほど進むと、横穴は急に広がった。
「……広い」
小さな部屋。
円形に近い。
直径は十メートルほど。
天井も高い。
そして。
その中央。
青い結晶が一本だけ、床から伸びていた。
昨日見た青晶とは違う。
色が濃い。
内部に光が流れているように見える。
エイルは入口で止まった。
近づかない。
まず周囲。
左右。
天井。
床。
《危機感知》。
反応なし。
《気配感知》も――。
「……いない?」
生き物の気配はない。
それでも慎重に一歩ずつ入る。
中央の結晶へ近づくにつれ、さっき感じていたものが強くなった。
魔力。
間違いない。
結晶から周囲へ流れている。
「これが……」
手を伸ばす。
触れる直前で止めた。
知らないもの。
触らない方がいい。
エイルは少し迷い、代わりに意識だけを向けた。
結晶。
魔力。
その流れ。
外へ。
壁。
床。
さらに遠く。
ぼんやりとした感覚が、少しずつ形を持つ。
その瞬間。
【《魔力感知》を獲得しました】
「……やっぱり」
視界に浮かんだ文字を見て、エイルは小さく息を吐いた。
《魔力感知 Lv.1》
意識を向け直す。
先ほどまで「何かある」としか分からなかったものが、少しだけ明確になった。
中央の結晶。
濃い。
壁の中。
細い流れ。
本道の方向にも、広く薄い魔力。
「これ、便利だな」
魔物の中にも魔力があるなら、いずれ《気配感知》と組み合わせられるかもしれない。
何より、迷宮そのものを見る方法が一つ増えた。
エイルは状態板を開きたくなったが、すぐにやめた。
まだ調査中だ。
宿へ戻ってからでいい。
中央の結晶を紙へ簡単に描き、位置と大きさを記録する。
採掘はしない。
依頼は調査。
正体も価値も分からないものを勝手に壊すべきではない。
記録を終えたところで。
エイルの表情が変わった。
「……?」
今覚えたばかりの《魔力感知》。
部屋の奥。
壁。
その向こう。
何かが動いた。
気配ではない。
魔力そのものが。
ゆっくりと。
こちらへ近づいてくる。
《気配感知》へ意識を向ける。
何も感じない。
「生き物じゃない?」
次の瞬間。
《危機感知》が強く反応した。
エイルは即座に横へ飛んだ。
ガンッ!
背後で石が砕ける。
「っ!」
振り返る。
さっきまで何もなかった壁から、一本の腕が突き出していた。
岩。
人の腕ほどの太さ。
青い線が内部を走っている。
「……壁?」
腕が引っ込む。
石壁が膨らんだ。
いや。
壁の一部が、こちら側へ剥がれている。
頭。
胴。
二本の腕。
人型。
高さは二メートルを超える。
青晶の欠片を身体中に埋め込んだ、岩の巨人。
エイルは剣を抜いた。
知らない魔物。
少なくとも昨日読んだ第一層の資料には載っていない。
岩の巨人が一歩前へ出る。
石床が低く揺れた。
「……硬そうだな」
剣を見る。
相手を見る。
普通に斬っても通らない。
多分。
ならどうする。
岩の巨人が腕を持ち上げた。
エイルは無言で足元へ《衝撃》を放ち、横へ滑る。
直後、拳が床を叩いた。
轟音。
石片が飛ぶ。
エイルは腕で顔を庇いながら距離を取った。
「重い……」
鎧猪とは種類が違う。
あちらは速さと質量。
こちらは純粋に硬く、重い。
ただ。
今の一撃で一つ見えた。
巨人の腕が動いた瞬間。
肩。
青い光が強くなった。
《魔力感知》にも同じ場所が強く映った。
「そこが動かしてる?」
仮説。
まだ分からない。
なら、確かめる。
巨人がもう一度動く。
右腕。
青い線。
肩から肘へ。
魔力が流れる。
「……見える」
拳が来る前に。
エイルは既に動いていた。
今度は《危機感知》だけではない。
相手が攻撃するために魔力を動かした瞬間が、先に分かる。
避ける。
横へ。
拳が空を切る。
エイルは懐へ踏み込んだ。
剣を肩へ。
ガキンッ!
弾かれる。
「やっぱり硬い」
刃が通らない。
巨人の左腕が動く。
魔力。
分かる。
エイルは後ろへ。
拳が目の前を通り過ぎた。
その時。
肩の青晶。
さっき剣を当てたところ。
ほんの少し。
欠けている。
「壊せないわけじゃない」
ただ、剣だけでは何度も必要になる。
だったら。
エイルは剣を構え直した。
巨人が正面へ向く。
次の攻撃。
右。
魔力が集まる。
エイルは先に左へ踏み込み、拳を避ける。
肩。
同じ場所。
剣を叩きつける。
金属音。
刃が僅かに食い込んだ。
ここから。
強い出力。
無言でも。
できるか。
エイルは剣へ魔力を通した。
押し込む。
だが――。
「っ!」
衝撃が斜めへ逃げた。
剣先が滑る。
青晶の表面を削っただけ。
巨人の腕が返ってくる。
間に合わない。
「――《衝撃》!」
今度は声に出した。
発動の形を強く固定する。
足元。
真横へ。
ドンッ!
身体が弾かれた。
巨人の腕が服の端を掠め、そのまま壁を砕く。
エイルは地面へ着地し、すぐに体勢を整えた。
「……まだ駄目か」
弱いものなら無言で十分。
けれど。
剣の一点へ強い《衝撃》を正確に通す。
そこまでの制御は、まだ安定しない。
なら無理をしない。
できる方法を使う。
エイルは呼吸を整えた。
岩の巨人。
硬い身体。
青晶。
魔力の流れ。
肩。
肘。
脚。
動く場所に合わせて、青い光が強くなる。
そして。
「……胸」
中央。
薄い。
身体全体へ魔力を送っている場所。
胸の奥。
他より濃い。
岩に覆われている。
あれが核だろうか。
確証はない。
ただ。
壊すなら。
そこ。
巨人が歩き出す。
エイルは剣を握り直した。
逃げてもいい。
新規区画。
未知の魔物。
調査としては、もう十分な情報がある。
むしろ撤退が正しい可能性は高い。
「……」
エイルは一度、背後の通路を見る。
戻れる。
まだ。
そこで巨人が拳を持ち上げた。
胸から肩へ。
魔力が流れる。
その動きが。
さっきより。
はっきり見えた。
「……一回だけ」
エイルは小さく呟いた。
無理なら帰る。
試すのは一度。
巨人の拳が振り下ろされる。
エイルは前へ踏み込んだ。
逃げるのではなく。
拳の内側へ。
無言の《衝撃》を足元へ二度。
一度目で加速。
二度目で進路をずらす。
巨人の拳が脇を通り過ぎる。
胸。
目前。
剣を両手で握る。
突く。
岩の隙間。
僅かに刃が入った。
「――《衝撃》!」
声と同時に。
剣の先へ。
今度こそ真っ直ぐ。
衝撃を叩き込んだ。




