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第11話 迷宮での戦い方

 最初の一体が、地面を蹴った。


 洞牙狼(ケイブウルフ)は棘狼ほど大きくない。その代わり、狭い洞窟を走り慣れているのか、石床の上でもほとんど足を滑らせなかった。


 一直線に来る。


 エイルは動きを見ながら、右足の後ろへ魔力を集めた。


 声には出さない。


 小さな衝撃だけを生み出す。


 トンッ、と足元で音が鳴り、身体が左へ滑った。


 洞牙狼の牙が空を切る。


「……っ」


 成功。


 だが、それを確認している暇はない。


 二体目がもう来ていた。


 エイルは剣を返し、その牙を斜めに受け流す。金属と牙が擦れ、甲高い音が洞窟に響いた。


 相手の頭が横へ流れる。


 首が空く。


 剣を振ろうとした瞬間、《危機感知》が背後から反応した。


 エイルは攻撃を捨てて前へ踏み込む。


 直後、三体目が背中のあった場所を通り抜けた。


「やっぱり、四体は多いな……」


 呟きながら振り返る。


 一体ずつなら、棘狼より弱い。


 けれど群れとなると別だ。


 しかもここは森ではない。


 木を挟むこともできなければ、大きく距離を取る場所も限られている。


 その代わり。


 エイルの視線が、右側にある太い青晶の柱へ向いた。


 使えるものがないわけでもない。


 四体が再び広がろうとする。


 エイルは先に結晶柱へ走った。


 一体が追う。


 もう一体は反対側へ回り込もうとしていた。


「そう来るよな」


 柱のすぐ横を抜ける。


 追ってきた洞牙狼が、その後ろから姿を見せた瞬間。


 エイルは左手を僅かに向けた。


 無言。


 横向きの《衝撃》。


 空気が弾け、洞牙狼の前半身がわずかに右へ押される。


 ほんの少しだった。


 だが高速で走っている最中なら、それで十分。


 爪の位置がずれ、洞牙狼は結晶柱へ肩から激突した。


 鈍い音。


「ギャンッ!」


 動きが止まる。


 エイルはすぐに間合いを詰め、首へ剣を振り下ろした。


 一体。


 完全に仕留めたかを確認する前に、柱の向こうへ回り込む。


 その瞬間、別の洞牙狼が反対側から飛び出した。


「っ」


 近い。


 剣を戻す暇がない。


 左手を向ける。


 声を出さずに魔力を押し出した。


 ドンッ!


 今度は少し強い。


 洞牙狼の顔が横へ弾かれる。


 同時にエイルの左腕にも反動が返り、肩がわずかに後ろへ持っていかれた。


「まだ強くすると雑だな」


 弱い《衝撃》なら、かなり安定してきた。


 ただ、出力を上げると狙った方向からずれる。


 だから無理に倒そうとはしない。


 今の目的は、一瞬の隙を作ること。


 エイルは相手の懐へ踏み込み、剣を斜めに振り上げた。


 胸から首。


 深く入る。


 洞牙狼が暴れ、爪が腕を掠めた。


「くっ……!」


 浅い。


 離れる。


 残り三体。


 いや。


 今斬った個体は長く持たない。


 実質二体半。


 そう考えた直後、耳に複数の足音が重なった。


 前。


 右。


 もう一つ――。


「……?」


 エイルの眉が寄る。


 多い。


 目の前にいる洞牙狼とは違う。


 もっと遠い。


 通路の奥。


 カツ、カツ、と硬いものが石を叩く音。


 《気配感知》へ意識を広げる。


 迷宮の魔力に紛れて輪郭はぼやけているが、確かに何かが近づいている。


「戦闘音か」


 ミレイの言葉を思い出した。


 迷宮では、戦闘音で別の魔物が寄ってくることがある。


「長引かせられないな」


 少し焦りが生まれた。


 だが、焦って突っ込めば囲まれる。


 エイルは一度深く息を吐いた。


 目の前の二体。


 一体は右。


 一体は左。


 負傷した個体は後方。


 新しい気配は入口とは逆側から近づいている。


 つまり。


 退くなら今。


「……倒す必要はないか」


 青晶石はもう十分採った。


 初めての迷宮で、無理に四体すべてを仕留める理由もない。


 エイルは入口側の通路へ視線を向けた。


 洞牙狼もその動きを見て、じりじりと位置を変える。


 退路を塞ぐつもりらしい。


「そこまで賢いのか」


 なら、開ける。


 エイルは左側の一体へ走った。


 洞牙狼も構える。


 正面からぶつかる直前。


 エイルは足元へ無言の《衝撃》を放った。


 身体が一気に右へずれる。


 相手が首を振る。


 その横を抜ける――と見せて。


 もう一度。


 今度は逆方向。


「っ……!」


 連続。


 初めて試した。


 右足。


 左足。


 二度の小さな衝撃で、身体の進路を途中から折る。


 洞牙狼の反応が遅れた。


 エイルはその脇へ入り込み、剣の柄で頭を殴った。


 倒すほどではない。


 だが、道が開く。


「今だ」


 そのまま入口側へ走る。


 背後で洞牙狼の唸り声。


 追ってくる。


 当然だ。


 だが追わせればいい。


 狭い通路へ入れば、横から囲まれなくなる。


 エイルは十数歩進んだところで急停止した。


 後ろから二体。


 一列になっている。


「……やっぱり」


 これなら楽だ。


 一体目が飛び込む。


 エイルは壁際へ寄り、牙を避けた。


 すれ違いざま、脇腹へ剣。


 深い。


 そのまま抜く。


 後ろの一体が詰まっている。


 前の個体が邪魔で、すぐには飛び込めない。


 エイルは剣を握り直し、今度は自分から入った。


 突き。


 洞牙狼が避ける。


 壁が近い。


 逃げる方向は一つ。


 そこへ先回りするように、小さな《衝撃》を横から当てる。


 身体が壁側へ流れた。


「そこ」


 首へ刃。


 洞牙狼が崩れる。


 残る一体も、最初に斬った傷からかなり血を流していた。


 まだ立っているが、足元がふらついている。


 エイルは剣を構えた。


「来るなら」


 洞牙狼が唸る。


 だが。


 一歩後退した。


 さらに一歩。


「……逃げる?」


 次の瞬間、洞牙狼は身を翻して走り去った。


 エイルは追わなかった。


 むしろ助かる。


 遠くから近づいていた別の音が、もうかなり近い。


「僕も行こう」


 倒した魔物の素材が惜しい。


 魔石もある。


 けれど、解体している時間はない。


 鎧猪の時とは違う。


 今回は、置いていく理由がある。


 それでも少しだけ迷って。


「……一体だけ」


 一番近い死体へ駆け寄る。


 剣を入れる場所は《解体》が教えてくれる。


 腹部。


 魔石。


 短時間で切り出す。


「よし」


 袋へ放り込み、すぐ立つ。


 カツ、カツ、カツ。


 もう角を曲がれば見える距離。


 エイルは走った。


     ◇


 数分後。


 エイルは大きな岩陰に身を潜めていた。


 息を整えながら、さっき来た方向を見る。


 追ってくる気配はない。


 代わりに、遠くから硬いもの同士がぶつかる音が何度か聞こえてきた。


「岩甲蟲かな」


 数までは分からない。


 ただ、あの場に残っていた洞牙狼と戦っている可能性は高そうだった。


 エイルは少し考えた。


 野外なら。


 倒した相手の素材を回収して。


 その場で一息つくこともある。


 迷宮では、それが危険になる。


 戦えば音が響く。


 血の臭いも残る。


 逃げ道は限られている。


「同じ戦い方じゃ駄目なんだな」


 それが分かっただけでも、今日来た意味はあった。


 エイルは簡易地図を開く。


 現在位置。


 第一層中央の採取地点付近。


 予定より少し奥まで来ている。


 ここから第二層へ続く階段までは、それほど遠くない。


「……」


 行ってみたい。


 ものすごく。


 だが、今日は初回。


 採取依頼も十分。


 魔力も少し使っている。


 腕には浅い傷。


 何より。


 さっき、退く判断をしたばかりだ。


 ここでそのまま奥へ進んだら、何のために退いたのか分からない。


「今日は帰る」


 自分に言い聞かせる。


 ただ。


 地図を見ると、第二層への階段は帰路から少しだけ外れた場所にある。


 見るだけ。


 降りなければいい。


「……見るだけなら」


 一瞬。


 ミレイの顔が浮かんだ。


「……」


 エイルは地図を閉じた。


「帰ろう」


 今日は本当に帰る。


     ◇


 迷宮の入口へ戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 外の光が見えた瞬間、思っていた以上に肩の力が抜けた。


 青晶洞の中は明るい。


 それでも、空が見えるのとは全く違う。


「戻ったか」


 受付の男が声をかけてくる。


「はい」


「初迷宮は?」


 エイルは少し考えた。


「面白かったです」


「怖かったじゃなく?」


「怖かったですけど」


「それでも面白いか」


「はい」


 男が笑う。


「冒険者向きだな」


 エイルは返事をせず、背負い袋から簡易地図を取り出した。


「これ、書き込んでもいいですか?」


「買ったんだから好きにしろ」


「この辺に細い通路がありました」


「どこだ?」


 場所を指す。


 男の表情が少し変わる。


「ここか」


「はい。人一人なら通れそうなくらいです」


「昨日までは聞いてないな」


「新しくできたんですか?」


「迷宮ならありえる」


 男は詰所の中から別の地図を持ってきた。


 こちらは冒険者に売る簡易版より細かい。


 照らし合わせても。


 やはり載っていない。


「ギルドに報告しとけ。場合によっちゃ調査依頼が出る」


「分かりました」


 また一つ。


 行ってみたい場所が増えた。


     ◇


 ローデンへ戻ると、エイルはそのままギルドへ向かった。


 青晶石の納品。


 合計十二個。


 大きさや状態を査定され、報酬は銀貨四枚と銅貨数枚になった。


「初回にしては多いですね」


 ミレイが青晶石を確認しながら言う。


「採りやすい場所が空いてたので」


「魔物は?」


「洞牙狼が四体いました」


 ミレイの手が止まる。


「四体?」


「はい」


「一人で?」


「途中で一体逃げました」


「残り三体は?」


「倒しました」


「……」


 この沈黙にも慣れてきた。


「怪我は?」


「腕に少し」


「見せてください」


「浅いですよ」


「見せてください」


 声が少し強くなったので、エイルは素直に袖を捲った。


 爪が掠めただけ。


 もう血も止まっている。


 ミレイは確認すると、ようやく息を吐いた。


「本当に浅いですね」


「だから言ったじゃないですか」


「あなたの『少し』は信用していません」


「そろそろ信用してください」


「実績を積んでください」


「依頼実績なら積んでます」


「そういう意味じゃありません」


 エイルは少し不満だった。


「あ、それと」


 簡易地図を出す。


「第一層に、地図にない通路がありました」


「……エイルさん」


「はい?」


「初日に何個見つけてくるんですか」


「一個です」


「数の話ではありません」


 説明する。


 場所。


 幅。


 中には入っていないこと。


 そこまで聞くと、ミレイは少し意外そうな顔をした。


「入らなかったんですね」


「僕だってそのくらい考えます」


「成長しましたね」


「子供扱いされてません?」


「登録初日に鎧猪を倒した人と比べています」


「それ、いつまで言われるんですか」


「しばらくは」


 不本意だった。


 ただ、通路については正式に報告として受理された。


 後日調査が入るらしい。


     ◇


 その夜。


 エイルは宿の部屋で左手を前へ出していた。


 机の上には小さな木片。


 距離は二歩ほど。


「……小さく」


 声に出したのは技能名ではない。


 出力の確認。


 掌へ魔力を集める。


 無言で押す。


 トン。


 木片が机の上を滑った。


「もう一回」


 今度は少しだけ右へ。


 トッ。


 木片が斜めに動く。


「できる」


 迷宮へ入る前より、明らかに扱いやすい。


 小さい出力なら、声を出さなくてもかなり正確に使える。


 強くしようとするとまだ乱れる。


 剣の内部へ流すような使い方も、戦闘中なら発動名を口にした方が安定する気がした。


「そのうち、これも要らなくなるのかな」


 少し楽しみだった。


 エイルは状態板を開く。


【エイル・アーネット】


【Lv.11】


【生命 72】

【魔力 62】

【筋力 48】

【耐久 46】

【敏捷 69】

【器用 65】

【感知 86】


【技能】


《剣術 Lv.4》

《危機感知 Lv.7》

《野営 Lv.4》

《追跡 Lv.3》

《解体 Lv.4》

《採取 Lv.2》

《採掘 Lv.2》

《衝撃 Lv.4》

《魔力操作 Lv.3》

《気配感知 Lv.2》


【固有技能】


《越境 Lv.2》


「十一……」


 また二つ。


 エイルはしばらく数字を眺めた。


 感知は八十六。


 敏捷も六十九。


 器用は六十五。


 昨日資料室で見た、一般的なLv.8から10程度の能力値。


 主要能力で三十五から五十五前後。


 自分はもう、その範囲からかなり外れ始めている。


 レベルも。


 村を出た時は三。


 今は十一。


 まだ一週間も経っていない。


「……本当に速いな」


 もう疑問形にはならなかった。


 明らかに異常だ。


 それでも、不快ではない。


 むしろ。


 今日の迷宮で分かった。


 強くなれば、できることが増える。


 四体に囲まれても考えられる。


 無言で《衝撃》を使える。


 今までなら危険だった場所へ、少しずつ入れるようになる。


 その先には第二層がある。


 第三層。


 そして、まだ入る資格のない第四層以降。


「……」


 エイルは少し笑った。


 自分でも単純だと思う。


 状態板の数字そのものには、そこまで興味はない。


 けれど。


 その数字の先に新しい場所があると知れば、話は別だった。


「次は第二層だな」


 呟いてから、少し考える。


「いや」


 地図にない横穴もある。


「……どっちから行こう」


 迷う理由が、昨日より一つ増えていた。


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