第110話 ひとりで何ヶ所
中央拠点から南西へ意識を伸ばした瞬間、エイルはすぐに「届く」と「正確に扱える」が別物だと理解した。
《振動感知》そのものは遠くまで届いている。逃げる青陣営2人の足音も、その後方を追う赤陣営5人の接地も、さらに少し遅れて動く重い反応も拾えていたが、中央拠点周辺のように誰がどちらの足へ重心を乗せているかまで細かく読むことはできない。
距離があるほど、地面を伝わる他の振動が混ざる。
中央では今も数十人が戦っているため、情報の濁りはさらに大きい。
ならば、遠くへ細かい操作をするのではなく、大きく単純なものだけを送る。
エイルはそう判断した。
「本当にやるのか?」
アルベルトが問いながら長剣を構え直す。
「できるところまでです」
「こちらを見ながら?」
「見ないと斬られるので」
「正しい」
答えと同時にアルベルトが来た。
エイルは南西へ感知を伸ばしたまま、正面の剣を受ける。
筋力なら自分が上。
敏捷も上。
それでもアルベルトの剣は、少し意識を別へ割いただけで急に厄介になった。
真正面から速さで押してこない。
強く受けない。
エイルが遠距離操作へ意識を使う一瞬だけ、剣先を置く位置が変わる。
「っ」
右肩。
エイルは間に剣を入れる。
アルベルトは接触前に引き、今度は脚へ。
それも避ける。
3撃目はない。
代わりに、エイルが反撃しようとした瞬間だけ再び突きが来た。
エイルは半歩下がる。
「……やっぱり、数字じゃ分からないな」
「何の話だ?」
「アルベルトさん、僕より敏捷低いのに、今は僕の方が遅れてます」
アルベルトがわずかに笑った。
「敏捷値が剣を振るわけではない」
また剣。
「足の置き方、間合い、相手が動く前にどこへ剣を置くか、それを数十年積んだ人間へ、身体能力だけで追いつけると思うな」
「思ってません」
「ならいい」
エイルは受けながら、その言葉をそのまま身体へ残した。
能力値は大きい。
だから、多少遅れても間に合わせられる。
多少崩れても力で戻せる。
しかし、それは「正しい」のではない。
アルベルトは、そもそも戻す必要のない位置へ剣を置く。
だから基礎敏捷で劣っていても、剣先では先に着く。
その差を見ながら。
同時に。
エイルは南西へ《衝界》を送った。
◇
中央拠点から離れた南西の林道では、青陣営の斥候2人が必死に走っていた。
1人は左肩に黄色判定を受け、もう1人も脚へ軽度の判定が入っている。
赤陣営の追撃は5人。
距離は少しずつ縮まっていた。
「このままじゃ追いつかれる!」
「北へ切る!」
「北は開けてる、弓で抜かれるぞ!」
進路を決めかねた、その時。
林道の後方から。
低い音がした。
ドン、と。
地面の奥。
追っていた赤兵5人の前方だけが横へずれた。
「うおっ!?」
先頭2人が足を止め、後続が詰まる。
青の斥候たちも振り返る。
「何だ?」
「地面……?」
次。
今度は自分たちの右前方から、小さな地鳴りが1度だけ響いた。
さらに少し先。
また右。
「……まさか」
片方が目を見開く。
「《地鳴り》?」
「中央にいるはずだろ!?」
「知らねえよ! でも右行けってことじゃないのか!」
確証はない。
それでも追いつかれるよりましだった。
2人は右へ走る。
そこには浅い林。
斜面。
さらに奥へ下れば小川がある。
重装では追いにくい地形。
そして。
また後方。
ドン。
赤兵の進路だけが一度揺れた。
追撃がさらに遅れる。
「……中央から、やってるのか?」
走りながら青兵が呟く。
「距離どんだけあると思ってんだ」
「じゃあ誰だよ!」
答えはなかった。
◇
中央では、その支援を送った本人がアルベルトに追い込まれていた。
エイルが遠くへ意識を伸ばした瞬間、アルベルトの剣が内側へ入る。
胸。
受ける。
その受け方を見て、アルベルトが力を抜く。
エイルの剣がわずかに外へ流れる。
その隙へ柄頭。
避ける。
次に長剣。
今度は間に合わない。
肩へ触れた。
黄色。
「有効打!」
監視役の声。
エイルが少し眉を寄せる。
「また取られた」
「遠くへ手を出す代金だ」
「高いですね」
「戦場で安売りはしない」
アルベルトが淡々と答える。
ここが重要だった。
エイルの能力値がアルベルトより高いからといって、戦闘中に意識を他へ割いて無傷でいられるわけではない。
数値差があれば多少の無理は通る。
しかし、技量差まで消えるわけではない。
エイルはむしろ、その方が面白かった。
どうすれば遠くを見ながら、この剣へも遅れないか。
単純に処理速度を上げるだけでは足りない。
アルベルトの攻撃を毎回見てから処理していては、必ず遅れる。
なら。
先に限定する。
エイルは構えを少し変えた。
剣先を中央。
肘を僅かに下げる。
どこへでも動かせる位置ではなく。
アルベルトが今の間合いから選びやすい3方向へ、最短で入れられる位置。
騎士の目が動いた。
「そうだ」
小さく言う。
斬撃。
右。
エイルは受ける。
今度は遅れない。
アルベルトがすぐ左へ変える。
それも間に合う。
3つ目。
突き。
エイルは剣を振り回さず、鍔元だけを僅かに動かして線を外す。
「全部に備えるのをやめたな」
「候補を減らしました」
「それでいい。人間の身体は、どこへでも同時に動けるわけではない」
能力値ではない。
速さそのものでもない。
相手の身体が今の姿勢から選べるものを削る。
そうすれば、処理する情報そのものが減る。
エイルはその状態を維持したまま、再び南西へ意識を伸ばした。
今度は。
アルベルトの剣への反応が遅れない。
◇
少し離れた場所で戦況を確認していた第11席が、その様子を見ていた。
「……待て」
隣にいた赤兵が振り返る。
「どうしました?」
「あいつ今、何してる?」
「白の副長と戦ってます」
「それは見れば分かる」
第11席は眉間を押さえた。
「第7席の射撃も何本か落として、青本隊へ地面越しに援護して、中央旗の周囲まで見てたよな?」
「はい」
「今、南西でも地鳴りが出た」
赤兵が一瞬黙る。
「南西?」
「うちの物資集積所の方だ」
「……別人では?」
「振動の癖が同じだ」
第11席は魔術師だ。
地面の振動を専門にしているわけではないが、何度も目の前で《震圧》と《衝界》を見せられているため、エイル特有の「広く揺らさず、必要な場所だけを選ぶ」地鳴りをすでに覚え始めていた。
「中央からですよ?」
「だから言ってる」
男の顔が引きつる。
「こいつ、|ひとりで何ヶ所戦ってる《・・・・・・・・・・》?」
◇
同じ疑問を持ったのは、赤陣営だけではなかった。
演習区域外。
各陣営の動きを記録する本部監視所には、大型の戦況盤が複数並んでいる。
参加者の演習魔道具。
拠点。
失格者。
広域魔術の使用。
安全基準を超える出力。
それらを監視する軍人と騎士、ギルド職員が詰めていた。
そのうち、地脈反応を記録していた軍技官が画面を何度も見直している。
「また中央起点です」
「南西まで?」
「はい。細いですが、発生源は同一。中央拠点東側から深部を通して、南西第4経路付近へ出ています」
「距離は」
「直線で600メートルを越えています」
隣の軍人が顔を上げる。
「誤検出じゃないのか?」
「3回とも同じです」
さらに別の記録盤。
「中央で近接戦闘判定、継続中」
「相手は?」
「クライゼン副長です」
「……王国騎士団の?」
「はい。加えて第7席シェインからの射撃迎撃記録が直近4分で11回。中央東側への地形介入6回、旗周辺3回、南西への長距離介入3回」
部屋が少し静かになった。
ギルド職員の1人が記録票を見直す。
「同一人物ですよね?」
「エイル・アーネット」
「A級の?」
「そうです」
誰かが乾いた笑いを漏らした。
「A級かどうかは今どうでもいい。役割で分けろ」
軍の評価官が言った。
指を折る。
「近接戦闘要員」
「広域索敵」
「遠距離妨害」
「味方支援」
「飛翔攻撃迎撃」
「戦況把握」
そこで止まり。
少し考える。
「……普通は何人置く?」
「最低でも4人。専門性を見るなら6人以上です」
「本人は?」
「1人です」
また沈黙。
評価官は戦況盤へ視線を戻した。
「しかも、クライゼン副長に押されている部分はある」
「はい」
「そこが逆にいい」
隣の騎士が見る。
「どういう意味です?」
「能力値で全部踏み潰してるんじゃない。剣ではまだ副長の技量に遅れる場面がある。それでも他の仕事を切らず、戦いながら修正してる」
評価官の声が少し低くなる。
「数値が高い怪物なら、記録上は珍しくても対策は立てやすい。あれは違う」
戦況盤。
中央。
南西。
東。
複数地点に同じ人物から伸びる介入記録。
「戦場に置いた時の仕事量がおかしい」
◇
エイルは、自分が本部でそんな評価を受けているとは当然知らなかった。
目の前にはアルベルト。
少し離れればハルド。
中央旗へ白陣営が再び寄り始め、その外側では赤も機会を窺っている。
南西の2人も、まだ逃げ切っていない。
まず。
目の前。
アルベルトの長剣が低い。
そこから選べる攻撃。
上への斬り上げ。
手首。
踏み込みからの突き。
エイルは3つへ候補を限定する。
来た。
突き。
最短で外す。
そのまま自分の剣を相手の刀身へ滑らせる。
アルベルトが引く。
追わない。
引き方を見て、次。
右上段。
エイルは先に剣を置く。
金属音。
「いい」
アルベルトが言う。
「今のは速さで間に合わせていない」
「ちょっと楽になりました」
「その感覚を忘れるな」
そこへ。
ハルドの矢。
2本。
エイルはアルベルトの剣を流した姿勢から、1本目だけを落とす。
2本目は自分ではない。
後方。
青兵。
以前なら地面へ干渉する。
今回は。
「右、1歩!」
声だけ。
青兵が反応する。
矢が外れる。
エイルは少し目を開く。
「これでいいのか」
何でも自分の技能で処理する必要はない。
見えているなら。
伝えればいい。
その分だけ魔力も制御も空く。
空いた分を。
南西へ。
◇
逃げる青兵2人の前方には、小川があった。
幅は5メートルほど。
浅いが、足場は悪い。
後方から追う赤兵5人のうち、軽装3人ならそのまま渡れる。
残る2人は少し遅れる。
そして。
さらに後ろの大きな反応。
エイルはその足運びから、かなり強い人間だと判断していた。
席次持ちかは分からない。
だが。
近づかせない方がいい。
エイルは小川周辺の地面を探る。
柔らかい。
水分が多い。
ここなら少ない力でも大きく動く。
「……そこなら」
アルベルトの斬撃を剣で受ける。
押さない。
相手の軌道を外しながら、自分の左足から《衝界》を深く通す。
600メートル以上。
途中で精度が落ちる。
だから細かく分けない。
1本。
太く。
小川の岸。
青兵が渡った直後。
後ろ。
赤兵が踏み込む前。
地面を。
沈める。
ドン。
◇
南西。
青兵2人が小川を越えた。
その直後。
後ろの岸が大きく崩れた。
「うわっ!」
追っていた赤兵の先頭が止まる。
水際の泥が一気に沈み、浅かった川幅が倍近く広がった。
直接人間へ攻撃していない。
ただ。
道が消えた。
軽装の1人が跳ぼうとする。
その着地点。
もう一度。
ドン。
泥が沈む。
「待て! 迂回しろ!」
追撃が止まる。
青兵2人は走る。
そのうち片方が、荒い呼吸の合間に笑い出した。
「絶対あいつだ」
「中央からか?」
「他に誰がいる!」
「頭おかしいだろ!」
それは。
褒め言葉としての意味が強かった。
◇
「逃げられた」
エイルが小さく息を吐く。
完全に安全圏へ入ったわけではない。
しかし追撃距離は開いた。
今なら、あとは2人自身で戻れる可能性が高い。
そこで。
エイルは南西への意識を切った。
全部を最後まで見る必要はない。
必要なところまで。
後は任せる。
「終わったか?」
アルベルトが訊く。
「たぶん」
「なら」
騎士の踏み込みが変わった。
「こちらへ戻れ」
長剣。
速い。
先ほどまでより。
エイルは受ける。
重くはない。
だが剣先が消えない。
1撃目から2撃目。
2撃目から3撃目。
身体能力値なら自分が上。
それでも。
技量で押される。
今までなら力で距離を開けていた。
今回はしない。
剣で。
受ける。
流す。
戻さない。
アルベルトの剣が次に通る位置へ、自分の刃を先に置く。
1回。
成功。
次。
読まれる。
アルベルトが軌道を変える。
エイルも変える。
3回目。
間に合う。
4回目。
騎士がわざと剣を浅く当て、エイルの反応だけを見る。
乗らない。
「……今のは?」
「攻撃じゃないと思いました」
「なぜ」
「腰が動いてなかったので」
アルベルトの目が僅かに細くなる。
次。
今度は本物。
エイルが先に動く。
受けるのではなく。
根元。
差し込む。
アルベルトの長剣が僅かに浮く。
そこから押さない。
剣を滑らせる。
騎士の手元。
アルベルトが引く。
その引き先。
エイルは追う。
さらに回避。
右。
濃い。
しかし。
アルベルトは左を選んだ。
外された。
「っ」
「予測は便利だが、確定だと思うな」
騎士の剣が肩へ。
エイルはギリギリで避ける。
「はい」
そこも。
学ぶ。
未来が見えているわけではない。
可能性。
相手は選び直す。
特に技量の高い人間ほど。
だから数値だけではない。
感知値が高くても。
予測できても。
相手の技術がその予測を裏切る。
そのやり取り自体が。
エイルには楽しかった。
【《剣術 Lv.72 → Lv.73》】
表示。
1つ。
それで十分だった。
今は数字より。
剣そのものが変わっている。
◇
ハルドが一度、戦闘から外れた。
白陣営の北側が押され始めたため、そちらへ射撃を回す。
それによってエイルとアルベルトの間に、短い純粋な1対1が生まれた。
騎士は剣を構えたまま。
エイルを見る。
「君」
「はい」
「この演習が始まってから、どれくらい戦った?」
「時間ですか?」
「人数でもいい」
エイルは少し考える。
レオン。
第11席。
アルベルト。
ハルド。
その間に兵士。
盾列。
弓。
魔術。
遠隔援護。
「分かりません」
「だろうな」
アルベルトが周囲を見る。
「私はずっと君の近くにいるから分かる」
「何がです?」
「君が休んでいない」
エイルが瞬いた。
言われてみれば。
レオンとの戦闘から戻り。
第11席。
中央支援。
ハルド。
アルベルト。
ほぼ途切れていない。
「大丈夫ですよ」
「体力の話ではない」
アルベルトは首を振る。
「君自身が、今の状況を普通だと思い始めていることだ」
エイルは黙る。
「周囲を見ろ」
言われた通り。
少しだけ。
見る。
青兵。
こちらを見ている。
赤兵も。
白側にも。
戦闘の合間に、何人もエイルへ視線を向けていた。
第11席は露骨に呆れた顔。
ハルドも遠くから何度かこちらを見ている。
ガルムですら、中央の指揮を取りながら時折エイルの位置を確認していた。
「君は今、私と戦っている」
アルベルトが言う。
「その前は第11席。その前はS級のレオン。第7席の矢を落としながら、中央の兵を助け、南西の別働隊まで援護した」
1つずつ言われる。
「普通は、それぞれに人員を置く」
エイルは少しだけ目を逸らした。
「僕、そんなにやってました?」
「自覚が薄いのが一番まずいな」
珍しく。
アルベルトがはっきり呆れていた。
◇
「第9席!」
青兵の1人がガルムへ叫ぶ。
「東側、押し返しました!」
「そのまま前へ出るな、旗周辺を固めろ!」
「了解!」
続いて別の兵。
「南西別働2名、生存確認! 帰投経路へ入ります!」
その報告を聞いた瞬間。
ガルムの視線がエイルへ向いた。
「お前か」
「少しだけ」
「少しで600メートル先の追撃止めるな」
「地面が柔らかかったので」
「そういう話をしてない」
ガルムまで同じ反応になってきた。
第11席が遠くから声を上げる。
「第9席、そいつ中央から南西まで殴ってましたよ!」
「殴ってないです」
「地面をな!」
「なら合ってるか」
「合ってません」
青側から笑いが起こる。
緊張の中。
ほんの少しだけ。
しかし。
その笑いの奥には別のものが混ざっていた。
驚き。
警戒。
そして。
理解。
この16歳のA級冒険者は。
単に強いのではない。
1人で強敵を倒せる。
それだけでもない。
戦場へ置いた時。
いる場所の数が、おかしい。
実際には1人。
なのに。
中央。
東。
南西。
上空の矢。
旗。
味方。
全部へ手が伸びる。
そこへようやく。
周囲も気づき始めていた。
◇
エイル自身は、その視線を長く気にしなかった。
目の前にはまだアルベルトがいる。
《剣術 Lv.78》。
自分より高い。
しかし重要なのは、その数字だけではない。
あの数値へ届けば同じ強さになるわけでもない。
アルベルトが何十年も積んだ間合い。
判断。
相手の癖を見る速さ。
力を使わない場所。
そして、予測されても別の選択を取れる経験。
そこを盗む。
数字は。
後からついてくる。
「続けます?」
エイルが訊く。
アルベルトは一瞬だけ目を細め。
それから長剣を構えた。
「今度は遠くへ逃げるなよ」
「必要なら見ます」
「そう言うと思った」
騎士が踏み込む。
エイルも前へ。
能力値ではなく。
剣と。
経験と。
判断で。
もう一度ぶつかる。
その頃、本部監視所では。
エイル・アーネットの記録票の余白が、すでに足りなくなり始めていた。




