第101話 青陣営
合同演習初日の朝、《西部第2演習場》には夜明け前から兵士たちの声が響いていた。
前日に公開戦が行われた中央試合場とは違い、この日使われるのはその北側へ広がる広大な演習区域であり、低い丘陵、森林、浅い川、崩れた砦を模した石造施設、物資集積所、人工的に作られた細い峡谷まで含めれば、端から端まで歩くだけでもかなりの時間が掛かる。
赤、青、白の3陣営にはそれぞれ開始地点が割り振られ、区域内に設置された5ヶ所の拠点を奪い合う。
拠点を保持すれば時間ごとに得点。
敵陣営の物資を奪って自陣へ持ち帰れば得点。
指定された負傷者役を救出しても得点が入り、逆に自軍の指揮官を撃破されれば大きく失点する。
参加者全員には胸元へ小型の演習用魔道具が装着されており、致命傷に相当する攻撃を受けたと判定された場合、その場で失格となる仕組みだった。
ただし、安全装置があるから何をしてもいいわけではない。
前日にエイルが散々説明された通り、本来なら人体へ深刻な損傷を与える技能には個別の使用制限が設けられており、本人の制御能力まで含めて許可範囲が決められている。
青陣営の開始地点では、100人近い参加者が簡易砦の前へ集められていた。
軍人が半数以上。
残りは騎士と冒険者。
その中央に立つのは、第9席《断峰》ガルム・レイヴァンだった。
「細かい話を長くする気はない」
巨大な戦斧を背負った男が、前に並んだ参加者たちを見渡す。
「勝ちたい奴は勝手に敵を追うな。強い奴と戦いたい奴も同じだ。今日は決闘じゃない。拠点を取った方が勝つ」
エイルは少しだけ視線を逸らした。
隣にいるジークが気づく。
「今お前に言ってたぞ」
「全員に言ってたと思います」
「少なくとも半分はお前向けだ」
聞こえたらしく、ガルムがこちらを見る。
「第18席」
「はい」
「そこのA級が勝手に消えたら連れ戻せ」
「了解しました」
「僕、そんな信用ないですか?」
「西境で1人になった途端、地図の空白へ消えた奴だろ」
どこから聞いたのだろう。
エイルが黙ると、周囲の何人かが笑った。
ガルムはそのまま説明を続けた。
青陣営は最初から全拠点を狙わない。
開始位置に最も近い南西拠点を確保し、その後は中央と北西を狙う。
軍本隊は南西から中央へ進み、騎士を中心とする別働隊は北西へ。
冒険者と高機動戦力から選ばれた少人数は、敵陣営の動きを探りながら必要な戦場へ入る遊撃役となる。
「エイル・アーネット」
「はい」
「お前は遊撃だ」
予想していた。
「第18席と一緒ですか?」
「最初はな。ただし、お前の仕事は戦闘より索敵だと聞いてる」
「分かりました」
「どこまで見える?」
答えに困った。
真面目に説明すると長くなる。
「地形次第ですけど、数百メートルくらいならかなり詳しく分かります」
「かなり詳しく、ってのは?」
「人数、位置、移動方向、地面に接してる相手なら大体の動きも」
一瞬だけ静かになった。
ガルムの眉が僅かに動く。
「……それを先に言え」
「聞かれなかったので」
「第18席」
「はい」
「やっぱり目を離すな」
「了解しました」
「何でですか」
ジークが笑いを堪えていた。
◇
開始を告げる鐘が鳴ると、青陣営は3方向へ分かれた。
エイルとジークを含む遊撃隊は12人。
ジーク以外には軍の斥候が4人、軽装の剣士が2人、弓兵が2人、冒険者の魔術師が1人、そして軍所属の女性槍兵が2人いた。
全員が移動速度を重視した構成であり、重装備の人間はいない。
エイルは先頭には立たなかった。
その代わり《振動感知》を地面へ広げながら、《警戒圏》と《近域感知》を重ねる。
開始地点から離れて数分も経たないうちに、人間の反応が複数入ってきた。
「右前方、450メートルくらいに7人います。白陣営だと思います」
ジークが歩きながら聞く。
「こっちへ?」
「まだ。北へ移動してます」
「他は」
「左奥に15人くらい。かなり遠いですけど、赤っぽいです」
「色まで分かるのか?」
「色は分かりません。開始位置から考えただけです」
「びっくりした」
斥候の1人が苦笑する。
ただ、数分後にはその笑いも消えた。
「前方の7人、止まりました。2人だけ南へ」
「分かれた?」
「多分偵察です。こっちへ少し寄ってきます」
ジークが手を上げる。
全員が速度を落とした。
「森へ入る。接触は避けるぞ」
遊撃隊は街道状の開けた場所から外れ、右手の森林へ入った。
通常なら、相手の斥候がどこまで近づくか見極めながらこちらも偵察を出すところなのだろう。
しかしエイルがいることで、その手順がかなり変わる。
「2人、方向変えました。僕たちのいた道へ出ます」
「こっちには気づいてない?」
「多分」
「じゃあ行かせる」
白陣営の斥候2人は、誰もいなくなった道を確認してから南へ走っていった。
ジークが小さく息を吐く。
「これ、ずるくないか」
「演習なので使っていいって言われました」
「いや、敵側からしたら」
エイル自身も少しそう思う。
魔物相手なら不意打ちを防ぐための普通の感知として使っていたが、人間同士の部隊戦になると意味がかなり変わる。
相手がこちらを見つける前に、人数と方向が分かる。
しかも森や丘の向こうでも関係ない。
少人数の遊撃隊にとっては、戦闘力以上に厄介な能力なのかもしれない。
◇
最初の戦闘は、開始から20分ほど経ったところで起きた。
中央拠点の南側。
青陣営本隊へ合流するため進んでいた遊撃隊の前方に、赤陣営12人が現れた。
こちらとほぼ同数。
ただし構成が違う。
赤側の前列には、大盾を持った軍人が4人並んでいる。
その後ろに槍兵4人。
さらに弓兵2人と魔術師2人。
「綺麗な陣形だな」
ジークが足を止める。
相手側もこちらへ気づいた。
大盾4枚がすぐに横へ並ぶ。
盾の隙間から槍が伸びた。
先頭の男が声を上げる。
「《連盾陣》!」
4枚の大盾へ同時に魔力が流れた。
個々の盾へ別々に防御を作るのではなく、隣り合った盾同士の魔力が薄く繋がり、正面へ1枚の大きな壁を作る。
エイルは少し目を細めた。
「こういう技能もあるんだ」
「軍の集団技能だ」
ジークが槍を構える。
「個人技能より習得条件が面倒だが、同じ訓練を積んだ連中が揃うと強い」
赤側の槍兵も動いた。
盾の後ろから4本の長槍を斜めに突き出し、前列を崩さず射程だけを前へ伸ばす。
「《槍衾》!」
今度は槍兵側の集団技能。
正面から入れば、盾を越えた瞬間に複数の槍が待っている。
さらに後衛の魔術師が詠唱を始めた。
「正面から行くのは面倒ですね」
「普通はな」
ジークがこちらを見る。
「何かできる?」
エイルは盾陣を見る。
内部破壊は禁止。
盾から腕へ《衝界》を通すのも禁止。
なら、盾そのものだけを狙う。
「ちょっと試します」
「安全なやつにしろよ」
「昨日散々やりました」
エイルは剣を抜いた。
新しい刀身へ魔力を流す。
分岐は8本。
地面へ。
ただし相手の身体には入れない。
4人の盾持ちが踏んでいる地面の手前まで通し、それぞれの足元から外側へ向かって衝撃を広げる。
《衝界》。
低い振動が走った。
地面そのものを大きく揺らしたわけではない。
4人が立つ場所だけ、土が左右へ僅かにずれる。
「っ!」
盾列が揺れた。
《連盾陣》そのものは崩れない。
しかし、4人の足幅が同時にずれたことで、盾同士の高さが揃わなくなる。
「今!」
ジークの声。
遊撃隊の弓兵2人が即座に射る。
狙うのは人間ではない。
盾の隙間。
矢には演習用の鈍い先端が付いているものの、後衛の魔術師が詠唱を中断して身を伏せた。
その間にジークが前へ出る。
赤側の槍が4本。
ジークは1本を弾き、2本目を避け、3本目へ自分の槍を絡ませる。
4本目が脇腹へ入ろうとしたところで、青側の女性槍兵が横から受けた。
「右、押します!」
「合わせる!」
2人の槍が交差する。
片方が相手の槍を上へ弾き、もう片方が空いた盾の縁へ穂先を当てる。
殺傷力はない。
ただし盾持ちがその攻撃へ反応した瞬間、ジークが一歩踏み込んだ。
「《穿点》」
昨日見た技能。
穂先が大盾の中心から僅かに外れた場所へ入る。
盾は壊れない。
それでも支えの力だけが崩れ、1枚が後ろへ傾いた。
そこへ青側の剣士が入る。
エイルは少し離れた位置で、その連携を見ていた。
自分なら盾そのものを《衝界》で弾ける。
だが、ジークたちは違う。
1人で全部をやらない。
誰かが足場をずらす。
弓が後衛を伏せさせる。
槍が武器を上げる。
そこで別の1人が盾を崩す。
最後に剣士が入る。
西境で何度も集団戦は経験した。
それでも、こうして自分が敵の大半を引き受けずに見ると、味方の技能が繋がっていく過程がよく分かる。
「左から来ます!」
斥候の声。
赤側の剣士2人が森側から回り込んでいた。
エイルにはかなり前から分かっている。
「僕が行きます」
返事を待たずに左へ走った。
「おい、内部はやるなよ!」
「分かってます!」
◇
赤側の剣士2人は、エイルが出てくることを予想していなかったらしい。
片方がすぐに長剣を構え、もう1人が短剣を逆手に持つ。
どちらも軍人。
動きは速い。
長剣使いが先に踏み込んだ。
《身体強化》。
そこへ新しい技能が重なる。
「《斬歩》!」
踏み込みと斬撃を同時に加速する技能らしく、最初の1歩から剣先までの動きがほとんど途切れない。
エイルは受けない。
半歩だけ外へ。
長剣が胸元を通る。
そのまま相手の手首を取ろうとして、やめた。
演習。
純粋な膂力で握れば、加減を間違えた時に危ない。
代わりに剣の腹へ自分の刀身を当てる。
《衝界》で力を横へ逃がす。
相手の剣が大きく外れた。
「なっ――」
空いた脇。
エイルは剣を使わず、肩を入れた。
身体強化なし。
純粋な体重移動と膂力だけ。
長剣使いの身体が横へ飛び、地面を転がる。
演習魔道具はまだ失格判定を出さない。
十分に手加減できた。
もう1人が背後へ回る。
短剣。
速い。
《近域感知》で位置は分かっているため、振り向く必要すらなかった。
エイルは左手を後ろへ伸ばし、短剣を持つ手首ではなく、相手の前腕へ手のひらを当てる。
押す。
それだけ。
軍人の腕が攻撃軌道から外れ、その勢いのまま身体が前へ流れた。
エイルは腰を落とし、相手の肩と脇へ腕を差し込む。
「え?」
持ち上げる。
成人男性1人。
装備込みなら100キロ近い。
今のエイルにとっては、重いと感じるほどではなかった。
そのまま投げるのは危ない。
だから向きを変え、地面へ押し倒す。
背中が土へ着く直前に力を抜く。
それでも短剣使いはしばらく状況を理解できていなかった。
「……何だ今の」
「すみません。痛かったですか?」
「そこじゃねえ」
後ろから声がした。
最初に吹き飛ばした長剣使いがもう立っている。
今度は慎重だった。
真正面から入らない。
剣を構えたまま、エイルの周囲を回る。
「A級って聞いてたが、魔術型じゃないのか?」
「剣士のつもりです」
「さっき剣使ってなかっただろ」
「使いましたよ。最初に」
「1回だけだ!」
少し怒っている。
エイルは剣を構え直した。
今度は《剣術》で戦う。
長剣使いが右から。
短剣使いが左。
2人が同時に入る。
連携がある。
片方へ集中させ、もう片方が死角を取る。
普通なら。
エイルには死角がない。
《近域感知》へ2人の位置が常に入る。
右の剣を流す。
左の短剣は身体を半歩ずらして避ける。
そこから右の相手へ剣先を返しながら、左足で短剣使いの進路だけを塞ぐ。
2人が一瞬重なる。
その瞬間、片腕の老人に言われた言葉を思い出した。
剣を持った相手ではなく、人間と戦う。
エイルは長剣使いの剣を大きく弾かなかった。
根元へ自分の刀身を当て、そのまま身体ごと内側へ入る。
腕が詰まる。
剣を振れない。
肩を押す。
相手の身体が短剣使いの前へずれる。
「っ!」
2人の動きが止まった。
エイルはその間を抜ける。
振り向いた時には、剣先が長剣使いの背中へ。
同時に左手が短剣使いの肩へ触れていた。
演習判定。
胸元の魔道具が2人分、赤く光る。
「両名、戦闘不能判定」
近くの監視員から声が飛んだ。
エイルは剣を下ろす。
「ありがとうございました」
2人はしばらく黙っていた。
そのうち短剣使いが呟く。
「……今、何の技能使った?」
「最後ですか?」
「ああ」
「《剣術》だけです」
「身体強化は?」
「使ってないです」
「嘘だろ」
本当だった。
◇
遊撃隊側の戦闘も終わっていた。
赤陣営12人のうち8人が戦闘不能判定。
残る4人は後退。
青側の脱落者は2人。
ジークがこちらへ歩いてくる。
「2人どうした」
「倒しました」
「見れば分かる。どうやって」
「片方ちょっと持ち上げました」
「持ち上げた?」
「投げてはいません」
「そういう問題か?」
後ろから戦闘不能になった短剣使いが声を上げる。
「そいつ、俺を荷物みたいに持ったぞ!」
「言い方悪くないですか?」
「事実だろ!」
ジークが顔を覆った。
「お前、《衝界》禁止されても十分おかしいな」
「禁止じゃないですよ」
「内部破壊の話な」
確かに。
自分では《衝界》が大きな武器になったことで、その使用制限ばかり気にしていた。
しかし、筋力1526。
敏捷1734。
感知2216。
それらは何も禁止されていない。
しかも《剣術》55。
《身体強化》を使えばさらに上がる。
改めて考えると、対人演習で内部破壊を封じられたところで、戦う手段はいくらでもあった。
「ちょうどいいかもしれないな」
「何が?」
「《衝界》以外も使えるので」
「そういう感想になるのか……」
ジークは少し呆れていた。
◇
その後、遊撃隊は中央拠点へ向かった。
途中で青陣営本隊から伝令が入り、南西拠点確保の報告を受ける。
中央は現在、赤陣営と交戦中。
白陣営は北側2拠点を狙っているらしい。
エイルは移動しながら感知を広げた。
前方。
数十人。
複数の大きな魔力反応。
その中には午前中の公開戦で見た、第14席の双剣使いと第11席の魔術剣士らしい反応もある。
「中央、かなりいます」
「何人?」
「ざっくり40以上。青も同じくらい」
「他は?」
エイルは少し範囲を広げる。
そこで。
足が止まった。
ジークも気づく。
「どうした」
「……1人、こっちに来てます」
「1人?」
「かなり速い」
「味方?」
「赤側からです」
距離はまだ700メートル以上。
森を挟んでいる。
それでも反応が妙だった。
魔力量だけなら、巨大魔物ほどではない。
足音も普通の人間。
しかし《警戒圏》が、明確に強い危険を返している。
それも。
午前中にガルムを見た時より強い。
エイルの表情が少し変わった。
「多分、レオンさんです」
ジークの顔が引き締まる。
「赤のS級が、1人で遊撃潰しに来たってことか?」
「そうかもしれません」
「嬉しそうだな、お前」
「ちょっと」
「隠せ」
エイルは剣の柄へ手を置いた。
ただし、すぐには抜かない。
ここは演習。
目的はレオンを倒すことではない。
それでも。
S級。
固有技能《戦脈》。
今の自分がすでに届き始めているという、その領域の人間がこちらへ向かっている。
距離500メートル。
相手の速度が落ちた。
「止まった?」
「はい」
次の瞬間。
進路が変わる。
こちらを迂回するのではない。
真っ直ぐ。
エイルたちの位置へ。
「気づかれてるな」
ジークが槍を構える。
「僕たちを?」
「少なくとも誰かがいるのはな」
400メートル。
300。
《警戒圏》の反応が少しずつ強くなる。
その一方で、エイルは違和感を覚えていた。
相手から殺気はない。
演習だから当然とも言える。
それでも危険だけは大きい。
純粋に。
戦える人間として。
200メートル。
木々の間に人影が見えた。
普通の長剣を腰へ下げた男。
レオン・ヴァルハルト。
男はエイルたちの遊撃隊を見つけると、走る速度を落とし、そのまま数十メートル手前で立ち止まった。
「第18席もいるのか」
ジークが槍を前へ出す。
「悪いが通行止めだ」
「そうか」
レオンの視線がジークを越える。
その先。
エイルへ向いた。
「昨日のA級」
「エイルです」
「レオンだ」
「知ってます」
「だろうな」
男は少し笑った。
そして、エイルの腰にある新しい剣を見る。
「昨日と剣が違う」
「よく見てますね」
「武器は見る」
そこでレオンがゆっくり長剣を抜いた。
特別大きくない。
装飾も少ない。
見た目だけなら、エイルの新しい剣の方が遥かに特殊だった。
それなのに。
抜いた瞬間。
《警戒圏》の反応が一段上がった。
ジークが低く言う。
「エイル」
「はい」
「最初は俺が行く」
「何でです?」
「お前、初見で見たいんだろ」
昨日の話を覚えていたらしい。
「……いいんですか?」
「その代わり、ちゃんと見ろ」
ジークが前へ出る。
レオンは止めない。
第18席とS級。
槍と剣。
エイルは剣へ手を掛けたまま、2人を正面から見た。
今までなら、自分もすぐ飛び込んでいたかもしれない。
今回は違う。
まず見る。
S級冒険者が、どう戦うのか。
そして固有技能《戦脈》とは、実際に何をする能力なのか。
ジークが槍を構えた瞬間、レオンの目から僅かに笑みが消えた。
次の攻防が始まる前から、エイルの《警戒圏》には複数の危険が重なり始めていた。




