8 封魔会議 その2
――ドオオンッッ!!
突如として頭上の天井が崩落した。轟音と共に、巨大な石塊や無数の瓦礫が、王たちを圧殺せんと降り注ぐ。
その絶望的な瞬間、即座に反応したのはギニャックだった。
「おっと、危ねぇなッ!」
腰の古びた片手剣が鈍い光を放ちながら一瞬にして抜き放たれ、空中で交差する。素早い連撃が、頭上から迫る巨大な岩を瞬時に細かな石片へと切り裂いた。
同時に、周囲に控えていたSランク冒険者たちも、長年鍛え上げた超人的な反射神経で反応し、瓦礫を防ぐ。
その隙に、カイルとフィルが弾かれたようにディストゥール王の元へと駆け寄る。
フィルの呪唱により王達を包む球体の結界が生成。細かい瓦礫を防ぐ。
カイルは大盾を天に向け、さらに強度を高める。
「な、何事だッ!? 何が起きたというのだ!」
ラドゥス王が叫ぶ。
砂塵が激しく舞う円卓会議室。
天井にぽっかりと開いた大穴から外の空を見上げた。正午の眩しい日光が差し込む中、一つの影が滞空する。
漆黒の甲冑を纏い、背中から生やした巨大な蝙蝠の翼を羽ばたかせている。その姿は、明らかに普通の魔物ではない。
「クハハ! 騒々しいなぁ、人間ども」
どこか楽しげな声が室内に響き渡る。
「急な訪問を許してほしい。俺は吸血鬼族最高位"始祖の真血"様の第一眷属、魔王軍第二師団副団長"狂牙のバロール"だ」
バロールは崩落した天井から円卓の中央へと静かに舞い降りた。その足が床についた瞬間、圧倒的で冷酷な魔力が解放された。そのオーラだけで押しつぶされそうな感覚。
その場にいた凡百の衛兵たちが、その威圧感だけで膝をつく。
フィルが鋭い眼光でバロールを睨みつけ、即座に弓を引き絞った。その矢先は正確に魔族の心臓を捉えている。
だが、そのフィルの弓に、ギニャックがそっと手を置いて制した。
「待て待て、落ち着けフィルちゃん。あれには殺気がない。ただの伝令者だ。殺すのは話を聞いた後だ」
「……チッ」
フィルは不満げに舌打ちをしつつも、弓の引きをわずかに緩めた。
それを見たバロールは、獰猛な牙を覗かせてニヤリと嗤う。両手を上げ、戦う意志がないと周囲に示す。
「おっと、そう身構えるなよ。別に俺は今すぐここで貴様らと殺し合いをしに来たわけじゃない。ただ、魔王様からのささやかな"伝言"を届けに来ただけだ」
「貴様らも既に知っているのだろう? "光の勇者"と"死神"、その双方がこの世界に再び産み落とされたことをな」
バロールは一歩前へ踏み出し、両手を大げさに広げた。
「そして我らが総帥、偉大なる魔王様はこう宣言なされた!」
「"戦争の続きをしようじゃあないか"と。人類と魔物のすべてを賭けた全面戦争、"封魔決戦"をな!!」
「封魔決戦……だと……!?」
ディストゥール王が愕然とした声を漏らす。15年前のあの地獄を、今度は世界規模で再開するというのだ。
動揺する人類を嘲笑うように、バロールは淡々と、しかし確実な宣告を続けた。
「魔王様は、次の戦争ですべてを終わらせるつもりだ。開始は3年後。戦場は世界全域。楽しもうじゃないか、人類の醜い足掻きをな」
言うべきことだけを言い残すと、バロールの身体がにわかにブレ始めた。
バサバサバサッ、と激しい羽音を立てて、彼の肉体が数百の漆黒の蝙蝠へと分裂していく。それらは天井の大穴目がけて一斉に飛び立ち、日光が照らす中に溶けていった。
後には、静寂と冷え切った空気だけが会議室に舞い戻る。
ギニャックは重苦しい溜息を吐きながら、手元の銀のスキットルを軽く振った。中身はとうに空っぽで、乾いた金属音だけが寂しく響く。
人類の歴史を根底から揺るがす、最悪の宣告とともに、今年の封魔会議はこれ以上ないほど最悪な形で幕を閉じた。
───────
会議の終了後。
広大なディストゥール宮殿の長い廊下を、ギニャック、フィル、カイルの三人が重苦しい足取りで歩いていた。
その表情には、それぞれ新しい任務のあまりの過酷さに、絶望している。
無理もない。会議の直後、彼ら勇者たちは各国の王たちから直々に命令を下されたのだ。
その内容は主に三つ。
一、中立種族の人類側への勧誘。
二、魔王軍の戦力の削ぎ落とし。
三、そして、復活した"死神"の速やかな討伐。
誰もいない廊下を進む中、ギニャックががっくりと肩を落とし、耐えかねたように大声を上げた。
「いやさ、はっきり言って……」
「無理だろッ!? あんな無茶振り!」
ギニャックが天井を仰いで叫ぶと、隣を歩いていたフィルが間髪入れずに強く首を縦に振った。
「まったくです。勇者だからって、何でもかんでもこき使えばいいと思ったら大間違いですよ」
「そうそう! おじさん、もう32歳でね、最近は朝起きるだけで腰がピキッと痛むんだってば! 労働環境を改善してほしいよ、マジで」
「あのラドゥスとかいうブリージュの田舎王……偉そうに指示ばかり出して、本当に絶対許しません」
「おいおい、それ本人の前で言ったら一発で打首だからねフィルちゃん」
ギニャックは呆れ顔でボリボリと頭をかき、その場でピタリと立ち止まった。
「はぁ……まあ、ここでグチグチ言ってても時間は減る一方だし、まずは俺たちで効率よく役割分担を決めようじゃないか」
「まず一つ目の"中立種族の勧誘"。……これ、どういうことか二人とも分かってるか?」
「人間側にも魔物側にも属さず、独自の文化を守っている第三勢力……人狼や魚人のような種族のことですよね?」
「そう。魔王の宣戦布告はいずれ世界中で知れ渡るだろうね。彼ら中立種族も、いつまでも中立を貫くのは難しくなった。魔物よりも先に人類側の戦力として引き込むことができれば、3年後の戦況は大きく変わ
る」
そこでギニャックは、視線を隣にいるカイルへと向けた。
「これさ、俺たちみたいな純粋な人間が行くより……猫人であるカイル姉に頼むのが、一番話が通りやすいと思うんだよね。どうかな、カイル姉。行けそう?」
ギニャックが心配そうに尋ねるのも無理はなかった。カイルは伝説の勇者の一人に数えられるほど高い実力を誇るが、極度のあがり症であり,口下手なのだ。
初対面の相手と交渉するなど、彼女にとっては魔王軍幹部と戦うより恐ろしいことに違いなかった。
カイルはピクピクと耳を震わせ、しばしの沈黙の後、ぎゅっと自分の拳を握りしめた。そして、消え入りそうな声ながらも、しっかりと頷いた。
「……は、はい。やって……みます。お、お役に立ちたい、から……!」
「よし、交渉役はカイル姉で決まり! ありがとう、助かるよ!」
ギニャックはパッと表情を明るくし、パンと手を叩いた。
「そんじゃあ、おじさんは二つ目の魔王軍の戦力の削ぎ落としに行ってくるわ。ゲリラ戦なら慣れてるし、あちこちの砦をちょっかい出しつつ、適当に暴れてくるよ」
「……え、ちょっと待ってください」
フィルがぴたりと足を止め、ギニャックを睨みつけた。
「ということは、残った三つ目の"死神"の討伐それを、私一人でやれってことですか? 嫌ですよ。ギニャックさんが勇者の中で一番強いんだし、貴方が行くべきです」
「おじさんだってやだよ!それにフィルちゃんも知ってるでしょ?おじさんと死神の相性最悪すぎるんだって!」
「それに伝承によると、死神には属性攻撃が有効らしいよ?」
ギニャックはニヤリと悪戯っぽく笑い、フィルに視線を固定する。
「“炎の勇者”の異名を持つフィルちゃんこそ、まさに適材適所、ってやつだよ」
「...」
理路整然としま言い訳に、フィルは言葉を詰まらせた。
「……はぁ、全く。仕方ありませんね」
フィルは大きく溜息をつき、諦めたように肩の力を抜いた。しかし、その緋色の瞳の奥には、決して消えることのない強い闘志が静かに燃え上がっていた。
「大預言者のボルピッチ様の報告によれば、復活した死神は現在、ブリージュ方面へと向かっているそうですね」
「らしいね。ここから馬車使って1ヶ月くらいの距離かな?」
「分かりました。私が責任を持って、その死神とやらを塵も残さず灰にして片付けてきます」
フィルはそう言い捨てると、迷いのない、力強い足取りで廊下の先へと去っていった。
彼女の背中が見えなくなるのを見届けてから、ギニャックは「ふぅーっ」と深く息を吐き出し、だらしなく相好を崩した。
「よしよし……! 一番面倒臭くなくて楽そうな任務を選べたぞ! これこそが最年長、人生経験の強みってやつよ!」
ギニャックは意気揚々と腰の空のスキットルを叩く。
「さて、任務に向かう前に、まずは帰って美味い酒でも浴びるほど飲むとするかな」
「……」
後ろに取り残されたカイルは、そんなギニャックの本音とだらしない姿を、冷ややかな、しかしどこか呆れたような視線で、一言も漏らさずに見届けていた。




