第48話 勇者の鎖
銃声が夜空を切り裂く。
その瞬間、悠真の視界を遮った二つの人影の前で、淡い翠色の光が広がった。
キィン――。
金属音にも似た甲高い音と共に、無数の弾丸が空中で弾かれる。
悠真は目を見開く。
目の前に立っていたのは、フェリナとレフィルだった。
レフィルは目を閉じたまま、片手を前へかざしている。
彼女の足元から広がる魔法陣が、淡い光を放っていた。
「間に合って……よかったです」か細い声だった。だが、その声には確かな意志が宿っている。
「レフィル!」ガルフが叫ぶ。
フェリナは剣を構えたまま、松岡たちを鋭く睨みつけた。
「王都への侵入を許したのは我々の失態だ、だが――」
その声には、王国最強の近衛騎士団長としての威厳が滲んでいる。
「これ以上、一歩たりとも進ませはしない」
その直後だった。
レフィルの身体が大きく揺らぐ。
「レフィル様!?」
フェリナが慌てて支える。
レフィルの額には大量の汗が滲み、呼吸も浅い。
守護樹へ絶えず魔力を送り込み、弱まり続ける結界を維持していた負荷は、既に限界へ達していた。
それでも彼女は、震える唇をゆっくりと開く。
「守護樹よ……」
目を閉じたまま、レフィルは松岡たちへ顔を向けた。
「王都を……守りなさい」
その言葉に応えるように、大地が激しく揺れた。
次の瞬間、王都の石畳を突き破り守護樹の根が次々と姿を現す。
うねる巨大な根は生き物のように蠢き、帝国兵たちへ襲いかかる。
黒い鎧の兵士たちが次々と薙ぎ倒されていく。
王都全体が、レフィルの意志に呼応するかのように脈動していた。
石畳を突き破った根が、蛇のようにうねりながら松岡へ襲いかかる。
松岡は咄嗟に後方へ飛び退いた。
根の先端が石畳を砕き、激しい土煙が舞い上がる。
「……っ!」先程まで浮かべていた余裕の笑みが消えていた。
「これが、エルフの王族か……」
松岡は小さく呟きながら、目を細める。
その視線の先では、レフィルがフェリナに支えられながらも、なお立ち続けていた。
「八雲! 突っ立てないで、手を貸せ!」
松岡は視線を悠真たちから外さないまま、隣に立つ青年へ声をかけた。
「あの根を止めろ!」
八雲は目の前で暴れ回る巨大な根を見つめる。
うねる根が帝国兵たちを薙ぎ倒し、人々は悲鳴を上げながら地下避難路へと逃げ込んでいた。
炎に包まれた街、泣き叫ぶ子ども。
必死に誰かを守ろうとする兵士たち。
その光景は、八雲に日本で見た災害報道を思い出させた。
「……嫌です」八雲は小さく呟く。
松岡が眉をひそめた。
「何故だ?」
「こんなの……間違ってる」
八雲は拳を強く握り締める。
「僕は勇者として召喚されたのであって、人殺しじゃない!」
松岡は小さく息を吐いた。
「……そうか」
感情の見えない声。そして、松岡は低く呟く。
「服従制御術式」
松岡のその言葉と共に、八雲の首に嵌められた黒いチョーカーが赤黒く発光した。
「っ!?」
八雲は両手で首を押さえる。
全身に焼けるような痛みが走り、自分の意識とは別に身体が動こうとする。
「がっ……ぁ……!」膝をつき、呼吸が乱れる。
そしてついには、身体が自分の意思とは関係なく動き始めていた。
「や、やめろ……!」必死に抵抗する。
だが、腕が勝手に前へ伸びる。
指先に淡い光が集まり始めた。
「嫌だ……僕は……!」
涙が頬を伝う。それでも、口が勝手に動いた。
「……思念具現」
八雲がそう呟くと、眩い光が溢れ出す。
次の瞬間、八雲の手の中に巨大な戦斧が出現した。
初めて手にしたはずの武器。
だが、その握り方に迷いはない。
重心、間合い、振り抜き方。全てを最初から知っているかのようだった。
八雲の瞳から感情が消えていく。
身体だけが、松岡の命令に従って動いていた。
地面を蹴り、一瞬で守護樹の根へと距離を詰める。
そして、躊躇なく戦斧を振り下ろした。
轟音と共に、巨大な根が断ち切られる。
切断面から魔力の光が飛び散った。
「……!?」
ガルフが目を見開く。
レフィルの身体が小さく揺らいだ。
守護樹と繋がる感覚が、一部断ち切られたのだ。
八雲は戦斧を握ったまま、苦しそうに歯を食いしばる。
「逃げて……ください……」震える声でそう呟く。
八雲の身体が弾かれたように地面を蹴る。
狙いはただ一人、レフィルだった。
「レフィル様!」
フェリナが即座に前へ踏み出す。
金属音が響き、戦斧と剣が激突した。
「くっ……!」
両腕へ凄まじい衝撃が伝わる。
受け止めたフェリナの足元の石畳が砕け、靴が地面を滑った。
「なんという力……!」
勇者の膂力は、人間の域を遥かに超えていた。
「お兄様!」
レフィルの声に応えるように、ガルフが両手を突き出す。
「……風の精霊よ!」
周囲の空気が渦を巻く。
暴風が八雲へ襲い掛かり、その身体を吹き飛ばそうとする。
しかし――八雲は止まらない。
暴風を真正面から突き破り、一歩、また一歩と前へ進む。
「馬鹿な……!」ガルフが目を見開く。
「悠真!」
神崎が叫び、悠真を見る。
「ああ!」
悠真は黒い靄からライフルを具現化すると、間髪入れずに引き金を引く。
連続した銃声が響く。
狙いは八雲ではない、足元の石畳。
飛び散る破片が視界を遮り、八雲の進路を強引に逸らす。
それでも八雲は止まらない。自分の意思ではない。
身体だけが、レフィルを殺すために動き続けていた。
「フェン!」悠真の叫びに、フェンが地面を蹴る。
一瞬で八雲へ飛び掛かると、その右腕へ自身の鋭い牙を突き立てた。
「ぐああああぁぁっ!」八雲の悲鳴が響く。
しかし、その叫びは痛みによるものだけではなかった。
戦斧が大きくぶれ、その場へ膝をついた。
「離れて……!」
涙を流しながら八雲が叫ぶ。
「お願いだから……離れてくれ!」
フェンの耳が僅かに伏せられる。
苦しみ、悲しみ。
敵意ではない感情を感じ取ったフェンは、一瞬だけ牙を緩めた。
その瞬間だった。
八雲の首輪が再び赤黒く光る。
「ぐぁあああああ!!」
身体が跳ね上がる。
虚ろだった瞳から最後の感情まで消えていく。
「……思念具現」
眩い光が戦斧を包み込む。
その瞬間、戦斧は一本の長剣へと姿を変えていた。
八雲は迷いなく剣を握る。
その動きは、何十年も剣を振るってきた達人そのものだった。
「リゼル!」悠真が叫ぶ。
「任せてくれ!」
リゼルが一歩踏み込み、八雲の剣を迎え撃つ。
甲高い金属音が連続して響いた。
「くっ……!」
一合。
二合。
三合。
押されている。
「そんな……!」リゼルは目を見開く。
初めて剣を握ったはずの少年が、自分を圧倒している。
剣筋に迷いがない。
間合いも、体重移動も、全てが完成されていた。
「これが……勇者の力……!」
その背後ではエリシアが両手を組み、光の魔法陣を展開する。
「皆さん、下がってください!」
温かな光がフェリナやリゼルの傷を癒やし、消耗したレフィルへも僅かな魔力を送り込む。
「レフィル様……もう無理はなさらないでください!」
しかしレフィルは首を横に振った。
「まだ……です」
王都を守る結界。
それが消えた瞬間、この国は終わる。
その事を誰よりも理解していた。




