第20話 守る者と奪う者
森へ入った瞬間、空気が変わった。湿った土の匂いと葉の擦れる音、夜露を含んだ風が肌にまとわりつく。悠真は歩幅をわずかに落とし、視線を前に固定したまま周囲の気配を拾う。
「……距離を詰めるな」
低く言うと、後方の間隔が自然と広がる。リゼルが小さく頷き、フェンは耳を伏せて気配を探っていた。
(来る)
その直後、矢が飛ぶ。悠真は身体を傾けてかわし、矢は背後の木に突き刺さった。同時に別方向からも気配が走る。二方向。だが姿は見えない。
「散るな!」
足元で魔術が弾け、土と光が視界を潰す。衝撃が足裏から伝わる。続けざまに上から影が落ちる。枝上からの奇襲。かわし、撃ち、切り抜けるが、終わらない。距離を詰めず、確実に削る攻撃。
(連携が早い……無駄がない)
悠真の視線が鋭くなる。
(数が少ないのに圧が強い……練度が違う)
さらに理解が進む。
(違う。ただの兵じゃない……“使われ方”が統一されてる)
動きに迷いがない。無理に仕掛けず、確実に削る。
(指揮が一本通ってる)
その瞬間、確信に変わる。
(……あの人だ)
前方の木々の隙間が不自然に開ける。悠真の足が止まり、同時に周囲の気配が薄くなる。静寂の中、その中央に一人の男が立っている。
「……松岡、隊長」
「久しぶりだな、榊原」
声も間も変わらない。だが、その奥が違う。悠真はじっと見つめる。
「……生きてたのか」
「どう見える?」
軽い調子。だが視線は逸らさない。周囲の気配は消えていない。完全に囲まれている。
「お前が指揮してるのか」
「察しがいいな。むしろ安心したよ、まだ鈍ってない」
悠真の中で何かが沈む。松岡が一歩前に出る。
「で、だ。まだ“守る側”にいるのか」
悠真は答えない。
松岡はふと、視線を横に流す。リゼルとフェンを一瞥する。
「……ずいぶんと、いい仲間を見つけたじゃないか」
口元がわずかに歪む。
「異世界で新しい相棒に、新しい仲間か?」
軽く笑う。
「で、どうだ? そいつらのために戦うのは楽しいか?」
一拍。
「昔の戦友は、もうどうでもよくなったか?」
その言葉が、静かに刺さる。
悠真の指が、わずかに動く。
だが何も言わない。
松岡は視線を戻す。
「……瓦礫の下から、手が出てた」
悠真の瞳がわずかに揺れる。
「助けを求めて、指だけ動いてた。引き上げたときには、もう冷えてた」
風が止まったように感じる。
「もう一歩早ければ、間に合ったかもしれない」
松岡の声は静かだった。
「子どもが泣いてたな。ずっと同じ声で、母親の名前を呼んでた。その母親は、俺たちが守るはずだった区域で死んだ」
一拍。
「……全部、遅かった」
言い切る。
「守ってるつもりだった。でも実際は違う。終わった後に現場に入って、死体を確認してるだけだ」
悠真の呼吸が浅くなる。
「何度繰り返した?」
問いではない。
「結果は同じだ。守れない。必ず取りこぼす」
わずかに目を細める。
「だから俺は、こっちに来た」
悠真の視線が鋭くなる。
「……どういう意味だ」
「そのままだ。俺は“呼ばれた”」
一拍。
「勇者としてな」
リゼルの表情が変わる。フェンの瞳も揺れる。
(勇者……複数……)
帝国の異常な強さ。練度。戦術。
(……そういうことか)
理解が落ちる。
「最初は笑ったよ。だが現実だった。力も与えられた。選択肢もな」
松岡は淡々と続ける。
「そして理解した。この世界も“守る側”じゃ何も変わらない」
一歩踏み出す。
「だから俺は選んだ。奪う側に回ると」
悠真の眉が寄る。
「……お前だけか」
「そう思うか?」
短く言う。
「甘いな」
一拍。
「俺だけなわけがないだろ」
森の空気が冷える。
「この世界に、呼ばれた仲間は他にもいる。帝国に選ばれた。」
視線を外さない。
「お前も、その一人になれ」
「こちらに来い。」
悠真の中で、理解と嫌悪が同時に湧き上がる。
「……あの戦いもそうだ」
松岡が続ける。
「お前も見ただろ。燃えてる中で、手を伸ばしてたやつ」
一瞬、光景がよぎる。
「届かなかった。全滅だ」
一拍。
「無駄死にだ」
――その瞬間。
悠真の中で、完全に何かが切れる。
拳が強く握られる。
「……やめろ」
低い声。
だが、震えている。
松岡は止まらない。
「違うか? 何も残らなかっただろ」
静かに刺す。
「だったら同じことを繰り返すな。奪う側に来い」
「ふざけるなッ!!」
爆発する。
悠真が一歩踏み出す。
「無駄じゃねえ!! 誰一人、無駄に死んでない!!」
息が荒い。
「勝手に決めんな!!」
歯を食いしばる。
「守れなかったのは事実だ……でもな!!」
顔を上げる。
「意味がなかったことにはならねえ!!」
視線をぶつける。
「お前がそれを言うな!!」
森が静まり返る。
拳が震えている。
怒りと悔しさが混ざる。
「……隊長。そんなこと言う奴じゃなかっただろ」
沈黙。
松岡はゆっくり息を吐く。
「……変わるさ。現実を見ればな」
悠真は即座に首を振る。
「違う。それは逃げだ」
言い切る。
「奪う側に回る理由にはならない」
完全な否定。
松岡はしばらく見つめ、小さく笑う。
「……そうか。なら仕方ない」
視線が変わる。
戦場の目。
「説得はここまでだ」
一拍。
「――ここで削る」
その瞬間、周囲の気配が一斉に動いた。森の闇が再び牙を剥く。戦闘が、再開される。




