8.鍛冶場と小人と『宝物』
白枝会本社を出た二人は、工業地帯へ向かった。
外郭の空気は冷えていて、電灯の白が路面に薄く張りついている。物流の車両が低い音を引きずり、遠くの煙突が灰色の息を吐く。透は、足立の少し先を歩く背中を追う。本社を出る前に足立から〝岩正さん〟という人について、簡単に聞いた。
――鍛冶場街のむさ苦しい小人だよ。気を付けて、どんな女の子にも手を出す獣だからさ。
そんな説明をされて、大人しく付いて来ると思っているのだろうか。普通に行きたくないのだが……。
足立は不満げに「うげっ」とか「めんどくさ」とか言いながらも、なんだかんだ歩き続けている。
やがて、鍛冶場街に入った。
そこは工業地帯の一角に食い込むように広がる、小さな店の密集地だった。看板は古く、煙突は低く、窓は煤けている。けれど、どの店からも金属の匂いと熱が漏れていた。打音が、電灯の白い空気に混じって、一定のリズムで鼓膜を叩く。
透は歩きながら周囲を見回す。
小柄な『小人』たちがいる。大声で客引きをして、見本の刃物を振ってみせる者。無言で店内に籠もり、真っ赤な金属を延々とこねている者。どちらも目つきが鋭く、手だけが忙しい。
しばらく、その合間を進んでいき、足立はある店の前で足を止めた。外からは見えにくい、奥に長い工房。入口の戸が半分開いている。
足立は躊躇なく入っていった。
「おっさーん。おっじゃまー」
返事の代わりに、金属塊が飛んできた。
透は目を見開く暇すらなかった。鈍い塊が、足立の右側頭部を正確に打ち抜いたように見えた。乾いた音がして、足立の身体が横へ倒れる。
「足立!」
透は叫び、駆け寄った。血――と思ったが、床に落ちたのは煤と、細い金属粉だけだった。足立は頭を押さえたまま、呻いている。
「いててて……やるねぇ」
奥から、渋い声が返ってきた。
「表から入ってくるなって言ってるだろ、明季」
重い足音。工房の奥から現れたのは、壮年の小人だった。
「岩正、さん?」
透が名を口にすると、小人は鼻を鳴らした。
「新顔か」
足立が起き上がる。頭を押さえて、平気そうに口を尖らせた。
「ひっどいなぁ。いきなり商品投げる職人が何を言うんだか」
「そいつはまだ只の石ころだ」
「屁理屈だろ、それ」
足立が、さっき投げられた金属塊を拾い上げて、むっとした顔で投げ返す。飛ぶ、というより“弾丸”だった。透は思わず身を引いた。
だが、岩正は拳でそれを叩き落とした。
金属同士がぶつかる音が、店の梁に木霊した。透の胸の奥にまで響く硬さだった。
岩正はそのまま金床の前に座り、落ちた塊を掌で押し潰し始めた。パン生地をこねるように、硬い金属の形を自在に変えていく。
岩正がちらりと透を見る。
「……お前、まだ学生だろ。こんな若い嬢ちゃんまで巻き込むとは、シルバもいよいよ落ち目だな」
透は返す言葉を探して口を開きかけたが、足立が先に言った。
「大丈夫。おっさんもグルだから」
「おっさんじゃねぇ。百になったばかりだ」
「百でそれは、普通におっさんだよ」
「うるせぇ」
岩正は鼻を鳴らし、金属をこねる手を止めず、棒状に変えていく。
岩正が顎で奥を示した。
「お目当ての品は裏にある」
足立と透が同時に首を傾げると、岩正は眉を顰めた。
「ああ? 代表に聞いてねぇのか?」
二人が揃って首肯すると、岩正は深い溜息をついた。
「まったく、変なところで雑なんだよな、あいつは」
岩正は立ち上がり、二人に付いて来いと手で促した。工房の裏へ回ると、そこは雑然としていた。金属塊、半端な刃、柄だけの武具、用途不明の部品が無造作に積まれている。その中心の机の下に、黒い布を被せられた木箱があった。
岩正が布を引き剥がし、木箱を引っ張り出す。
「シルバから注文された品だ。お前の分も使った特注品だ」
その言葉は足立に向けられたが、視線は透にも流れた。
「ってことは、“あれ”のこと? ねぇねぇ、見てもいい?」
足立が身を乗り出す。岩正はその手をぴしゃりと叩いた。
「触るな。開けるのは俺だ」
岩正は金槌を手に取り、釘を抜き始めた。その手つきの確かさに、透は妙に安心しそうになる。
そこで、透の端末が鳴った。代表からの着信。
透は反射で出た。
「……もしもし」
『岩正さんと会えたか』
開口一番、ぶっきらぼうな声。
「いま、木箱を開けようとしてる」
『中身はお前のだが。裏取引の商品を簡単に開けるなって言っておけ』
透が返事を考えるより先に、岩正が横から声を投げた。
「俺のこと、とやかく言う前に、テメェは自分のとこの従業員をちゃんと躾けておけ。また表から入って来たぞ」
通話の向こうで、ほんの一拍、間が空いた。
『……あとで説教だ』
足立が不満げに鼻を鳴らす。
「えぇ、三人で一緒の布団に入った中じゃないかぁ」
透は一瞬、意味が分からず固まった。布団? 三人? 一緒?
岩正が気まずそうに頬を掻いた。視線が泳ぐ。その仕草だけで、透の頭の中に“変な方向の想像”が芽を出し、慌てて握り潰した。
「……え、なにそれ」
透が思わず聞くと、岩正が低く呻いた。
「あれは、間違いだった」
電話の向こうで代表が何も言わず、ぶつっと切った。
沈黙。
岩正が咳払いをして、苦し紛れに言う。
「酒の席の間違いだ。全部、アダマス帝国の秘造酒とやらの所為だ」
「えぇ、結構ノリノリだったじゃないかぁ」
足立がさらに煽ろうとした瞬間、岩正の拳が足立の頭に落ちた。鈍い音。足立が「ぐえっ」と変な声を出して黙る。
「さっさと持って帰ってくれ」
岩正は釘を抜ききり、木箱の蓋を外した。そして中身を、透へ放り投げた。
「うわっ」
透は反射で受け取った。ずしりと重い。両手に沈み込む存在感。落としたら終わる、という怖さがある。
透が見下ろすと、そこには赤いインゴットがあった。マーブル模様のように色が混じり、鈍い艶を帯びている。見たことがない。けれど、目が離せない。
「なに、これ」
「俺ら小人だけが作れる特注品だ」
岩正はどかりと椅子に座り、腕を組んだ。
透は息を呑みながら、言葉を探す。
「……じゃあ、これが」
透の胸の奥に、昨日から続く“違和感”が、じわりと熱を持った。
――『無垢鋼』
言葉が脳裏に浮かぶ。所有者の心象を拾い、適した形へ変じる可能性の素材。
それはいずれ、特製の『宝物』となる。
その金属は小人の手でしか鍛造できない特殊な金属であり、それを鍛造できる小人も限られている。そして、購入するにも国への申請が必要で、相応の資金力や身分が求められる。一介の女子高生が持てる代物ではない。
岩正は透の手元を見て、ぶっきらぼうに言った。
「そいつがどんな形になるのかは、誰にもわからん。だが少なくとも、お前のためになる“何か”にはなる」
「あたしのためになる、何か」
透は自分の声が少しだけ震えたのを自覚した。怖い。期待もある。どちらも否定できない。
岩正が鼻を鳴らす。
「お前みてぇなガキを狩人にするなんて、あの馬鹿が何を考えてるんだか」
「いや、それは、あたしが」
透が訂正しかけたが、岩正はもう興味を失せたように木箱を片付け始めた。
そのとき、店の外から荒い声が飛んできた。
「店主はいるか!」
空気が変わった。
岩正の顔が一瞬で引き締まる。動きが速い。棚の一つに手を掛け、隠されていた継ぎ目を押す。棚が、壁のように動いた。
「さっさと帰れ。これ以上居座られると迷惑だ」
岩正は透の背中を押し、足立の襟も掴む。
「いつまで悶えてんだ。さっさとしろ」
「いたい、いたいってば……!」
透と足立は半ば投げ込まれるようにして、棚の奥――狭い抜け道へ入った。次の瞬間、棚は元に戻され、視界は暗くなる。外の音だけが薄く届く。
透はインゴットを抱えたまま、息を殺した。
足立はというと、さっきまで頭を押さえていたくせに、目だけが妙に輝いていた。嫌な予感がする。
「ねぇ、さっさと行った方が」
「待って待って。今の声色、絶対なんかやらかしてる」
足立は棚の裏に耳を当てる。盗み聞きする気満々だ。
「阿保。巻き込まれたらどうすんのさ!」
透が小声で責めても、足立は「いいから、いいから」と聞かない。透も仕方なく、耳を澄ませた。
棚の向こうの会話が、途切れ途切れに届く。
『――からの情報提供では、若い女二人が店内に入っていったらしいな』
透の肩がびくりと跳ねた。
どたどたと複数の足音が近づく。岩正の声が低く響く。
『なんかの間違いだろうよ。てきとうな嘘だ』
『いいや、あなた何か隠していますね』
透は背中に冷たい汗が浮くのを感じた。足立が小声で、わざとらしく口を尖らせる。
「女二人? しっけいな。僕は――」
「黙れ。今は」
透が即座に潰すと、足立は不満げに頬を膨らませた。
棚の向こうで、岩正が急に話題をすり替えるように言った。
『鍛冶場仕事ってのは、何かと煙たがれるもんだ。低賃金、汚れる仕事、むさ苦しい。文句言われても、俺らは必死に働いてんだ』
『だから見逃せと?』
『違う。アンタらが義務を果たそうとしてるのは分かってる。だから協力したい。けどなぁ……』
岩正の声が、少しだけ軽くなる。
『たまに遊ぶぐらい、大目に見てくれってだけよ』
次の瞬間、棚が僅かに動いた。
透は反射で身を引く。だが引きずり出されたのは透ではなく、足立だけだった。岩正が透の影を壁に押し付け、見えない位置へ隠しているのが分かった。
透は息を止め、棚の隙間から外を覗こうとしてやめた。見たら、余計に震える。
代わりに、声だけを拾う。
『お前は――!』
驚いた声。若い男――いや、硬い職の声。続けて咳払い。
足立が、妙に親しげに言った。
「わあ。対魔局の人じゃん。久しぶりだねぇ」
透の心臓が跳ねた。
――対魔局。
足立の背中が見えないのに、その軽さだけが伝わってきて、透は歯を噛んだ。こんな状況で、よくそんな声が出せる。
岩正が笑う。
『なんだ、お前さんらも世話になった口か。世間は狭いな』
対魔局の人物が、困ったような間を置いて言う。
『引退したと聞いたが……まだ表に出てくるのか』
「たまにね。昔の知り合いから、頼まれることもあるからさ」
足立の声は、いつも通り飄々としていた。透は拳を握り締める。頼まれる。知り合い。何の話をしているのか、透には分からない。分からないのに、背筋だけが冷える。
『もう一人いるはずだ。女子が二人と……まあ、片方は男だったが、確かにもう一人、女の子がいるはずだが?』
「弟子みたいなもんだけど、まだ顔見せはダメ。今度、ちゃんと連れてくるよ」
足立が平然と嘘を重ねる。透は目を見開いた。弟子? 連れてくる? ちょっとまって、いま男って言った?
対魔局の人物はしばらく黙り、やがて足音が遠ざかった。出ていったのだと分かる。
しばらくして棚が動き、足立が戻ってくる。
頭を押さえながらも、顔は平気そのものだった。
「行こっか」
透は足立を睨んだ。言いたいことは山ほどある。けれど今ここで揉めるのは、たぶん一番まずい。インゴットを抱え直し、抜け道の暗がりへ足を向けた。




