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7.礼装

 翌日。透は授業が終わるやいなや、寄り道もせずに外郭居留区へ向かった。


 端末の画面には、代表から届いた短い指示が残っている。

 ――本社まで来い。


 白枝会本社は、旧通信管理局を改修した建物で、外壁の傷みを隠すように白い布や札が貼られている。

 透が中へ入ると、暖かい空気に撫でられる。廊下の向こうでは誰かが小声で話し、遠くで金属を打つような音がした。


「――貴船」


 呼び止められて振り向くと、シルバーピット――代表が通路の影に立っていた。気だるげでありながら、身体の中心に鉄柱が通されているような立ち方で、こちらを見ても笑みひとつない。透が返事をする前に、代表は手元にあった包みを投げてきたので、なんとか受け取る。


「持ってけ」


 包みは、見た目よりずっと重かった。布の隙間から見えたのは、鈍い光を吸うような大槌の頭。


「……重っ」


「礼装の不備は死ぬ理由になる。主武装の調整は、他の何より優先だ」


 代表の声はぶっきらぼうで、叱っているわけでも諭しているわけでもない。ただ事実を事務的に述べる。


「この前は何事も無かったが、次も大丈夫とは限らねぇからな。工房で見てもらえ」

「工房?」

「奥にある。非合法の狩人が使う礼装をそこらの店で整備する訳にはいかねぇからな」


 代表はそれ以上何も言わず、踵を返して去っていく。背中が妙に大きく、そして遠い。

 透は大槌を抱え直し、代表に言われた通り、職員用の細い通路の奥へ歩を進めた。


 表の部屋は灯りが多い。人が多い。声がある。けれど奥へ行くほど、灯りの数は減り、換気扇の風を切る音が大きく聞こえるようになる。壁の塗装は剥げ、床はところどころ黒ずんでいた。


 曲がり角を二つ抜け、透は行き止まりのような場所へ着いた。壁際に、目立たない鉄扉がひとつ。取っ手には擦れた傷があり、上には何の表示もない。


 ここで、合ってるのか?


 透は一度だけ息を整え、扉をノックした。


 コン、コン。

 返事はない。


「……おーい」


 もう一度、強めにノックする。やはり返事がない。透は眉をひそめた。工房なら誰かいるはずだ。職員が言っていた金属音も、このあたりから聞こえていた気がするのに。


 透は取っ手に手をかけた。鍵が掛かっていない。わずかに、扉が遊んだ。


「……開いてんじゃん」


 嫌な予感がした。こういう予感は、だいたい当たる。

 透は慎重に扉を押した。

 その瞬間だった。


 扉の隙間から、熱い空気が噴き出した。白い光が一瞬だけ視界を塗り潰し、次に爆音が来る。


「――っ!?」

 透の身体が、扉ごと吹き飛ばされた。

 視界が回る。床と壁と天井がひっくり返り、背中に硬い衝撃が走った。肺の空気が押し出され、息が出来ない。大槌の重みが腕から抜けそうになり、透は反射でそれを抱え込んだ。


 ――な、に、これ。


 そう思ったときにはもう、透は廊下に転がっていた。扉の向こうからは、まだ熱と煙の匂いが漏れてくる。


 そして、遅れて――


 工房の奥から、腹の底を叩くような、楽しげな笑い声が響いた。


 ◆


 透は、床に頬を押しつけたまま、しばらく息の仕方を忘れていた。


 爆音の余韻が耳の奥で鳴り続け、視界の端が白く滲む。舌に鉄の味が広がっていく。額のどこかが割れているのだと、遅れて理解した。


 なんだっての――。


 悪態をつこうとして、声にならない。喉が熱い。呼吸をすると、鼻の奥まで薬品と焦げた金属の匂いが刺さる。

 けれど、数拍のうちに、痛みが薄れた。


 代わりに、笑い声がはっきりと届く。


「――あははははっ、やっば、最高!」


 扉の向こう。工房の中から、腹の底を揺らすような爆笑がこぼれている。透は顔を上げた。ぐらつく視界の中、開いた扉の隙間から、ピンクの外套がちらついた。首元には透明な防護眼鏡。銀灰の髪が、灯りを受けて薄く光る。


 笑っているのは、足立明季だった。


 そして、そのすぐそば――廊下側に近い位置で、淡灰のケープコートの人物が、透の頭の傍へしゃがみ込む。白い手袋の指が、床をこつ、こつと軽く打つ。


「不運だねぇ」


 覗き込んできた灰青の瞳は、心配しているようにも見えるのに、声音は淡々としていた。皐月は透の顔を一瞥すると、指先で血の跡――もう消えかけているそれを、面白そうに見た。


「……おい」


 透は顔をしかめ、上体を起こした。頭が重い。


「何なの、いまの!」


 工房の中から、足立が身を乗り出してくる。粉塵が漂って、背後の作業台が白く霞んでいる。本人はケロッとしていた。むしろ、目尻に涙まで浮かべている。


「いやぁ、見た? 扉ごと飛んだよ、キミ! 漫画みたい!」

「笑いごとじゃないでしょ! 下手したら死ぬよ!」


 透が睨むと、皐月が小さく肩をすくめた。そのまま、足立へ視線を向ける。


「足立。どうして腕を飛ばそうと考えたんだい?」

「だって、腕が飛んでったらカッコイイでしょ? 飛ぶ拳だよ、ロケットなパンチなんだよ!」


 足立は両手を広げ、無邪気に熱弁する。楽しそうに身振りが大きい。袖の長い外套がひらひら揺れる。

 皐月はため息をひとつ。


「わからないねぇ。わざわざ腕を飛ばさずとも、もっと簡単な魔術があるだろう」


「普通じゃつまらないだろ」


 即答だった。足立は唇を尖らせ、ふてくされたように笑う。


 透は、そのやり取りだけで胃がひっくり返りそうになる憤りを覚えた。

 足元に、何かが転がっている。


 透はそれを拾い上げた。金属の前腕。関節の付け根に、配線と刻印が覗いている。さっきの“飛ぶ拳”の残骸だと、見なくても分かった。


「これ、あんたのでしょ」


「それそれ。返して、返して」


 足立が手を伸ばしてくる。


「先に謝るべきじゃないかな!」


 透が言い放つと、足立は目を丸くしたあと、わざとらしく首を傾げた。


「爆発はしてないよ?」

「してたよ! あたし飛んだよ! そりゃもう盛大に!」

「爆発じゃなくて、圧力の――」


 言いかけた足立の後頭部を、皐月が軽く小突いた。手袋越しでも音がした。


「代表から、“爆発を伴う実験”は禁止と言われてるだろう」

「伴ってないってばぁ」


 足立は口を尖らせたまま、透の手元を見つめる。透は苛立ちをそのまま腕に乗せ、前腕を投げた。

 ひゅ、と短い風切り音。

 足立は難なく受け取り、嬉しそうに抱え込む。手慣れすぎていて腹が立つ。


「ありがと」と言葉尻にハートが付きそうな口調に、わざとらしい笑顔が添えられる。

「その“ありがと”の前に言うことあると思うけど」


 透が殺気を含めて言うと、足立は肩を揺らして笑い、何事もなかったように作業台へ戻った。


 透は息を吐き、持ってきた大槌を抱え直す。廊下に落とさないようにしていたそれを、工房の中へ運び入れ、作業台の上へどん、と置いた。金属が机を鳴らし、工房の空気が少し震える。


「代表から、工房で見てもらえって言われた」


 足立が眉を上げた。


「え、これ? この前、調整したばかりなのに? 無茶な使い方でもしたの?」

「してねぇよ。……代表が、メンテはこまめにしろって」


 透は言いながら、昨日の自分を思い出す。無茶をしてない、とは言い切れない気もする。けれど、道具の都合なんて考える余裕はなかった。


 足立は露骨に顔を歪めた。


「めんどくさぁ」


 皐月が、足立の横顔を見て、静かに言う。


「職務放棄で放り出されても知らないよ」

「それは嫌だけどさぁ。あんまり意味ないと思うんだよね。意味ないことはしたくないんだ。時間がもったいない」

「森人がよく言う。時間など有り余るほどあるだろうに」

「長い寿命があっても、皆と生きる時間の早さは同じなんだぜぇ」


 足立は大げさに肩を落とし、やれやれと手袋をはめ直した。作業台の上に工具を並べ、赤い金属頭部の表面を指でなぞる。刻まれたルーン文字の縁を、爪で確かめるように擦った。


 その動きが、さっきの騒がしさと噛み合わないほど丁寧だった。

 皐月は少しだけ目を細め、透へ視線を向ける。


「私は用事がある……足立が変な実験を始めたら、止めておいてくれ」

「言われなくても止めるよ」


 透が吐き捨てると、皐月は口元だけで笑った。笑ったまま、扉へ向かう。

 そして、皐月は去った。

 工房に残ったのは、透と足立だけになった。


 足立は大槌の柄を軽く叩き、内部の響きを聴くような仕草をしてから、ふと思い出したみたいに透へ振り返った。


「ねぇ。キミ、『礼装』って、どういうものか知ってる?」


 透は眉をひそめる。


「……武器とか。魔力使う道具とか。そういうやつだろ」

「間違い」


 即答。足立は指を一本立て、楽しそうに振った。


「正確には、君が持ってる携帯端末も礼装の一種だし、自動車だって礼装の一種だよ。もとは森人がルーン文字を刻印した特別な武具やアクセサリーを指してた。でも形も用途も増えすぎて、呼び方も増えていったんだ」


 透は思わず、自分の端末をポケットの上から押さえた。礼装、と言われると、急にそれが危険なものみたいに感じる。


「で、この大槌は?」


「僕の自信作さ」


 足立はさらっと言い、金属頭部の縁を指先で弾いた。


「名をタイタン★クラッシャー! 最初期の人類が初めて大移動したときの道から取った名前さ。カッコいいだろう!」


 ふざけてる……でも、ふざけてても、手は確かなのだろう。実際、手際が良く、迷いなんて知らないようだった。


「あんた、森人なの?」


 透が問うと、足立はぱっと笑って、胸を張った。


「そうだよ。君の十倍以上も生きてる。礼装開発の天才なんだよ、僕は」


 透は、床に転がっていたロケットパンチの前腕を思い出し、胸のあたりが嫌な形で冷えた。


 天才は変人が多いとか、なんとか。実際に相対すると、どうしても遠くに置いておきたくなるのは凡人の性か、あるいは個人の好き嫌いか。


 足立はどこからともなく、双眼鏡を取り出した。工具の隙間に置くでもなく、ひらりと指で回して見せる。


「ちなみにこれ。あらゆる障壁を超えて透視できる」


「それ、取り締まられるでしょ」


 透が怪訝な顔をすると、足立は肩をすくめ、甘ったるい声で笑う。


「まだ僕の凄さが分からないようだねぇ」


 その瞬間、透の端末が震えた。遅れて足立の端末も鳴る。画面に表示された送信者名は、同じ。


 ――代表。


 透は通知を開いた。短い命令文だけが載っている。


『岩正さんに会いにいけ』


 足立も同時に読んだらしく、露骨に顔を歪めた。


「うげっ……なんで僕が」


 透は端末の文字を見つめたまま、不穏な霧が視界を覆うように、不安が瞼を重くした。



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