27.決戦 覚醒
そこから、戦局ははっきりと反転した。
透は義手で大槌を握ったまま、まず一歩だけ踏み込む。その一歩で、義手の内部を走る赤い鋼骨へ、雷がぱちぱちと集まっていくのが分かった。掌の内側で熱が膨らみ、握った柄を伝って大槌そのものへ流れ込んでいく。真っ赤な頭部の縁を、白金に近い光が這った。
同時に、透は周囲に散らばる鉄片の存在を、肌ではなく骨で感じていた。
瓦礫に埋もれた鉄骨。水路から吐き出された古い配管片。折れた手すり。金属はそこにあるだけでなく、義手へ薄く呼応している。引かれる、というより、近くの鉄が“ある”ことそのものが、自分の身体の延長になったみたいだった。
足立が咆哮し、巨大な右腕を振り上げる。
透はその場に留まらなかった。十メートルも離れていない場所に突き出していた鉄骨へ、義手が勝手に身体を引く。目に見えない力で、透の身体が一瞬だけ加速した。踏み込んだのに、跳んだようでもあり、引き寄せられたようでもある移動だった。
足立の一撃が空を叩く。透はすでにその横へずれていた。
「――っ!」
その勢いのまま、透は大槌を足立の膝へ叩き込む。
雷が走った。
打撃の瞬間、大槌を通った雷が怪物の脚へ流れ込み、肉と骨を内側から焼く。焦げた匂いが一拍遅れて立ちのぼり、足立の巨体が目に見えて揺らいだ。呪いの再生が、その箇所だけは一瞬、鈍る。焼けた傷口の縁で、さっきまでぬめぬめと脈打っていた黒い筋が、嫌そうに縮んだ。
そも、透が正気を保ち、動けているのは、ひとえに雷によるところが大きい。
なんせ、この雷は〝呪いを焼き殺す〟力を宿していた。
その力は前代未聞であり、人類の希望と成り得る可能性を秘め、獣たちに絶望を教える力だった。
――正しく、雷神。
効いている。
透はその確信を、今度こそはっきり掴んだ。
足立は苦鳴を上げながらも、すぐに反撃してくる。巨大化した右腕の表面へ炎が這い、硬質な皮膜ごと赤熱する。次の瞬間、その腕がまるごと落ちてきた。重さと熱を兼ねた暴力だった。
透は真正面から受けない。義手が再び近くの鉄を捕まえ、身体の位置をずらす。左へ。次は斜め後ろへ。踏み込むより速く、引かれるように動く。そのたびに皐月の援護が入った。
銀の星が、ぎりぎりの魔術だけを行使する。
水を薄く張って透の滑りを補い、氷の足場を一瞬だけ作って着地を安定させ、飛び散った鉄片を透の進路上へ“置き直す”。両腕はもう限界寸前のはずなのに、それでも皐月は透が次に必要とするものだけを見極めて動かしていた。派手な火力はない。だが、その最小限がなければ、透はもう三手先へは届かない。
透はその援護を受けながら、足立の脚、腕、脇腹へ打撃を重ねていく。
一撃ごとに雷が走る。
怪物の皮膜は頑丈だ。巨人の血と、処女馬由来の変質と、呪いの再生とが重なって、ただ殴るだけでは砕けない。だが雷鋼の義手から流し込まれる雷は、その再生を局所的に焼き殺すことができる。完全に止めることはできなくても、繋ぎ目を焼き、傷を閉じる速度を遅らせ、呪いが肉を組み替える前に次の一撃を入れる時間を作れる。
足立は何度も咆哮した。人の声の名残を残したまま、獣じみた苦鳴を上げる。だが、それでも倒れない。倒れないまま、幸せになりたいのだとでも言うみたいに、なお透を掴もうと前へ出てくる。
肉塊も止まらない。
足立の身体からこぼれ落ちたそれらは、地面を這い、跳ね、透の脚へ噛みつこうとし、皐月の足元へ絡みつこうとする。透は大槌の柄でひとつを潰し、義手から走った火花で別のひとつを焼いた。雷鋼の腕は、近づいてきた呪いの残滓へも敏感に反応し、ぱち、と小さな火花を散らしてそれを退ける。
けれど、こちらも無限ではない。
透の呼吸はすでに荒く、胸元の裂傷は焼かれて侵食こそ止まっているものの、傷そのものが消えたわけではない。皐月の両腕は、もう袖口から先の肌が隠しきれないほど黒ずみ始めていた。銀の星を握る手が微かに震えているのを、透は戦いの最中にも見てしまう。
長くは持たない。
だから、次で決めるしかない。
透がそう腹を決めたのと同じ瞬間、皐月もまた限界の一線を越えたらしかった。
銀の星が、これまでよりも深く、低く鳴る。
皐月は片膝をつきながらも、最後の魔術を組み上げていた。周囲に散らばる鉄骨と、水路から吐き出された配管の切れ端と、濡れた地面の下に埋もれた鉄の残骸、そのすべてへ、これ以上ないほど精密にルーンを刻みつけている。普段なら両腕を焼くような無茶だ。だが、もうそんなことを選り分けている段階ではなかった。
足立が透へ向かって口を開く。
馬の頭部と人の顔が歪に繋がったまま、まだ何かを喋ろうとしたのかもしれない。だがその前に、皐月の魔術が通った。
地面から、一本の鉄骨が跳ね上がる。
ただ飛び出したのではない。皐月はそれを、水と氷で摩擦を殺しながら、足立の胸へまっすぐ滑り込ませたのだ。鉄骨は呪いで膨れた肉を裂き、胸部へ深く突き立った。怪物の身体が大きく仰け反る。
透はそれを見て、思わず笑った。
「流石だよ、ちくしょう!」
叫びながら、義手へさらに魔力を流し込む。雷鋼の腕が焼けるように熱い。黄金の半透明な表面の内側を、赤い鋼骨に沿って雷が走る。痛い。だが、その痛みごと前へ押し込む。
透は、突き立った鉄骨を目印に、一気に跳んだ。
磁力が近くの鉄へ食いつき、身体を引く。足場は無い。けれど、いまの義手ならそれで十分だった。足立が迎え撃とうと顔を上げる。半分馬となった顔が歪み、その人の側の眼だけが、まだ何かを諦めていない色で透を見ていた。幸福も自由も、自分の生存も、全部をまだ掴もうとしている顔だった。
透はその胸へ向けて、大槌を振りかぶる。
右腕の雷鋼は、もはや過剰な魔力生成で悲鳴を上げていた。黄金の義手の内側を走る赤い鋼骨へ、雷が過剰なほど集まっていく。熱いというより、骨の中で雷鳴が鳴っているみたいだった。
「どこが弱点か知らないけど――!」
透は叫ぶ。
「全部焼き潰せば関係ないでしょ!」
そのまま、渾身の一撃を叩き込んだ。
轟雷が走る。
大槌の頭部が足立の胸へめり込み、そこから放たれた雷が、胸部を貫き、鉄骨を伝い、内部の呪いごと焼き裂いていく。光が爆ぜた。夜の壁外に、一瞬だけ昼より白い閃光が咲く。足立の巨体がびくりと硬直し、馬の頭部と人の顔の境目まで、内側から焼けた光が走った。
胸に、大きな風穴が開く。
その穴の向こうで、黒く脈打っていた呪いの核らしきものが、雷に引き裂かれながら崩れていくのが、透にも見えた。
同時に、大槌の頭部が悲鳴を上げた。
今まで透を守り、足立を殴り、壁外まで共に来た真っ赤な礼装が、この一撃に耐えきれなかったのだ。金属とルーンの境目に白い亀裂が走り、次の瞬間、激しい音を立てて砕け散る。
頭部が割れ、破片が夜気へ飛び散る。
足立の身体が、ぐらりと傾く。
半分馬の顔が、最後に一度だけ透を見た。人の側の眼がそこにあった。そこに何が残っていたのか、透には分からない。悔しさか、納得か、空白か、あるいは最後まで自分だけを見ていたのかもしれない。
次の瞬間、巨体は崩れ落ちた。
地面が揺れる。瓦礫が跳ね、泥水が広がり、足立明季だったものは、そのまま動かなくなった。
透もまた、その反動と疲労で後方へ叩きつけられた。
背中から地面に落ち、肺の中の空気が全部抜ける。右腕の雷鋼はなお微かに明滅しており、周囲に残った呪いの残滓が近づくたび、それを焼くように火花を散らしている。黄金の義手の内側を走る赤い鋼骨は、まだ生きているみたいに熱かった。
透は、しばらく動けなかった。
視界の端に、砕けた大槌の残骸が転がっている。柄はまだ握っていたが、頭部は原形を留めていない。赤い破片が泥の上に散っている。
しばらくして、皐月がふらつきながら透のもとへ辿りついた。銀の星を杖のように使い、片足ずつ確かめるように歩いてくる。両腕はひどく傷んでいるはずなのに、それでも最後まで倒れないのが皐月らしかった。
二人は瓦礫を背にして座り込んだ。
すぐには言葉が出ない。呼吸を整えるだけで精一杯だった。壁の外の旧都市には、勝利を祝うものなんて何もない。遠くの照明塔の薄い光と、崩れた水路の音と、死んだ怪物の残す熱だけが、夜の中に残っていた。
やがて透は、夜空を見上げた。
雲の向こうに月も星も見えない、暗い帝都の外の空だ。けれど、さっきまでそこに立っていた怪物はいない。その事実だけが、遅れて身体に染みてくる。
「……疲れた」
透がようやくそうこぼすと、皐月はかすかに笑った。




