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13.瓦解

 透と皐月は白枝会本社へ戻った。


 旧通信管理局を改修した建物は、いつも通り静かに見えた。表向きは辺居のための支援団体である白枝会は、夜になれば夜になるほど灯りのひとつひとつが妙にあたたかく見える。だが透には、その暖かさへ自分がちゃんと戻って来られた実感が薄かった。


 玄関を抜け、廊下を進み、代表室の前へたどり着いたところで、先に人影があった。


「あれ、キミらも呼び出されたの?」


 足立明季が、いつもの軽い調子で振り返った。ピンクの外套をだらしなく羽織り、首元の透明な防護眼鏡を指でいじっている。場の空気に対して声色だけが妙に軽い。

 透は足を止めた。言いにくい。言いにくいが、隠してもどうにもならない。


「……辺居と町中の境目ぐらいで、顔を撮られた」


 足立の目がぱちりと瞬く。


「えっ、撮られたって、つまりは、こう、カメラでパシャリと?」


 透は返事の代わりに、苦い顔のまま頷いた。

 足立は次の瞬間、わざとらしく肩をすくめる。


「それマズいんじゃない?」


 改めて言葉にされると、胸の奥の不安が一気に形を持って押し寄せてくる。透の心拍が目に見えない速さで跳ね上がるのが、自分でも分かった。皐月が横から淡々と口を挟む。


「何はともあれ、代表に判断を仰ぐべきだろう」

「まあ、そりゃそうなんだけどさぁ」


 足立はそこで黙り込み、珍しく悩ましそうに眉を寄せた。軽薄な笑みも薄い。透はその顔を見て、余計に胃の奥が冷える。

 皐月がドアをノックする。

 少し間を置いて、代表の声が返ってきた。


『入れ』


 三人は代表室へ入った。


 部屋の中は、いつもと同じ煙草と紙の匂いがした。代表――シルバーピットは窓の外へ背を向けて立っている。外の暗がりでも見ているのか、こちらへ振り返る気配はしばらくなかった。


 透は持っていた保存容器を代表の机へ置いた。中には、壁外で回収した呪いに汚染された血肉が入っている。容器の底で黒い塊が揺れ、鈍い音がした。

 その音で、シルバーピットがようやく振り返る。


「お疲れさん」


 労う言葉はきちんと口にされた。だが、その表情にはほとんど変化がなかった。怒っているようにも、呆れているようにも見えない。ただ、いつも通りに近い無表情で、三人を順番に見た。


 その自然さに、透は胸の奥で少しだけ力が抜けるのを感じた。


 まだ大丈夫かもしれない。

 この人なら、また何とかしてくれるのではないか。

 そんな期待が、みっともないほど素直に浮かぶ。皐月が一歩前へ出て、状況を説明しようと口を開いた。


「民間人に撮影されたかもしれない、という話なん――」

「わかってる」


 シルバーピットが途中で言った。


「手は打った」


 短い一言だった。

 けれど、その一言だけで、透の胸には強い安堵が流れ込んだ。根拠なんてない。けれど、いままで何度もこの人は最悪の状況を、無茶苦茶なやり方でも捻じ伏せてきたのだ。


 やっぱり、頼りになる。


 透は知らず知らずのうちに、張り詰めていた肩の力を少しだけ抜いていた。


 ◆


「手は打った」

 その一言で、透の胸にはようやく息が戻ってきたはずだった。


 だが、その安堵が根を張るより早く、シルバーピットは机の上へ無造作に置かれていたリモコンを手に取り、まるで雑談の続きを始めるみたいな気軽さで、壁際のテレビへ向けてボタンを押した。


 小さな電子音のあと、黒かった画面が白く瞬く。


 部屋の空気が、そこから一変した。


 最初に飛び込んできたのは、辺居の通りで暴れる魔獣の姿だった。照明塔の薄い光の下、崩れた舗装、逃げ惑う人々、その中へ飛び込んでいく赤いジャケット――透自身の姿が、少し荒れた手持ち映像の中で、何度も繰り返されるように映し出されていた。


 透は息を止めた。


 魔獣の背へ大槌を叩き込む場面。子どもを庇って正面から一撃を受け止める場面。皐月の氷が怪物の脚を止め、透がさらに踏み込んでいく場面。そして、あの瞬間――触手にガスマスクを弾き飛ばされ、素顔を晒した自分の顔が、思った以上にはっきりと画面の中央へ抜かれていた。


 しかも、それだけでは終わらなかった。


 画面の端に、透の名前が文字となって浮かんでいる。


 『貴船透 植木高等学校在籍』


 それを目にした途端、透は心臓を鷲掴みにされたみたいに身を強張らせた。指先から血の気が引いていく。喉の奥が、冷たいものを飲み込んだみたいに狭くなる。


「……は」


 声が出ない。


 ニュース映像はさらに切り替わり、今度は静止画になった。皐月の顔写真。足立の顔写真。どちらも、どこで拾ったのか分からない無機質な画像で、名前だけが画面下へ整然と添えられている。次にシルバーピットの名が出たが、その扱いだけは明らかに違っていた。


 違法狩人組織。霊薬の不正使用。辺居における非合法武装集団の運営。帝和の秩序を脅かす危険分子。


 見出しの言葉は、どれもひどく露骨で、容赦がなかった。

 透は瞬きも忘れたまま画面を見つめ、それからようやく、ぎこちなく首をシルバーピットへ向ける。


「うそ……代表、いま、手を打ったって……」


 声は愕然とするより先に、細く掠れていた。


 シルバーピットは、まるでどうでもいい天気の話でもしているみたいに煙草へ火をつけた。紫煙がゆっくりと立ちのぼり、テレビの白い光の前で薄く揺れる。


「うちがやってきた“これまでの違法行為”についての資料を報道機関に送り付けた上で、電話で自首したのさ」


 煙を吐きながら、彼女は淡々と続ける。


「直に警察と対魔局がすっ飛んでくるだろうな」


 皐月も、足立も、数秒遅れてその意味を飲み込んだらしかった。二人とも画面を見つめたまま動かず、いつもなら軽口のひとつでも挟みそうな足立ですら、今回は口を開かなかった。

 透だけが、理解したくない現実に喉を焼かれていた。


「どうして!」


 気づけば叫んでいた。問い詰めるというより、腹の底からこぼれてしまった声だった。


「どうしてそんなことするの。なんで、そんな……」


 シルバーピットは答えない。煙草を指で挟み、ただ細い煙を吐くだけだった。その沈黙が、透にはいっそう恐ろしかった。

 先に声を出したのは足立だった。


「説明してよ、代表。どうして、こんな事をしたの」


 いつもの軽さはまだ残っていたが、その奥にあるものは透にも分かった。苛立ちだ。困惑より、もっと切実な何かが滲んでいる。


「いつもみたいに脅迫すればいいじゃん」


 その言い回しに、透は一瞬だけ顔を上げた。だがシルバーピットは否定も訂正もしない。ただ肩をわずかに竦めるだけだった。


「言い方が悪いな」


 灰色の視線が、テレビではなく窓の外へ向いたまま言う。


「交換条件みたいなもんだ。いつもは、相手にもそれなりに利があるよう手配してる」


 そこで、煙草の先が赤く灯る。


「だが、今回はちぃと話が違う。お前ら、撮影者を野放しにして、ここまで来ただろ」


 皐月が低い声で返した。


「……誘拐すべきだったと?」


 シルバーピットは鼻で笑うでもなく、ただ短く言った。


「言い方は悪いが、まあ、その通りだ。話し合いする場も設けず、交渉もあるか」


 透の中で、何かがかちりと音を立てた。


「あのとき、全員を連れてくるなんて無茶だった」


 自分でも驚くほど強い声が出た。


「それに、何で報道機関にあたしたちについて教える必要があるのさ」


 シルバーピットはそこでようやく透を見た。

 いや、見たというより、視線だけをこちらへ滑らせた。


「お前らだけじゃない。言っただろ、これまでの違法行為について、だって」


 そう言ってから、彼女はまた窓の外へ背を向けた。まるで話は終わったと言わんばかりの態度だった。

 透は半歩、前へ出る。


「だから、何で――」


 その言葉が最後まで出なかったのは、足立が動いたからだった。

 透は最初、ただ彼が前へ出たのだと思った。画面の光を背にして、足立の横顔がひどく静かだったから、余計に気づくのが遅れた。首にかけていた透明の防護眼鏡が揺れ、次の瞬間には、その手に礼装があった。


 炎を孕んだ細身の刃が、音もなく抜き放たれる。


「足立――」


 透が名前を呼んだ、その直後だった。

 足立は机を挟んだまま、一歩で間合いを詰めた。ためらいも、見せしめもなかった。ただ、よく知った動作の延長みたいな滑らかさで、刃がシルバーピットの背へ吸い込まれていく。


 ずぶり、と鈍い音がした。


 剣先は正確に心臓を捉えていた。

 透の思考が止まる。目の前で起きたことを、脳が事実として認めるまで、ひどく間があった。皐月も一瞬だけ動けず、ただ灰青の瞳を見開いていた。

 シルバーピットは前のめりになり、それでも倒れず、片手を机へついて身を支えた。口の端から血が落ちる。彼女は振り返ろうとして、喉の奥から無理やり声を絞り出した。


「なに、を……」


 足立は呆れた顔をしていた。怒鳴りも、泣きも、震えもない。むしろ、ずっと前から腹の底に溜めていたものを、ようやく外へ出した〝怪物〟の顔だった。


「そんな勝手は許されないよ、シルバ」


 そう言って、刃を引き抜く。


 血が一気に溢れた。机の上、床、シルバーピットの指先、全部が鮮やかな色で濡れていく。彼女は膝をつき、机へしがみつくようにして足立を見上げた。


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