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私たちの離婚幸福論  作者: 桔梗


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056 議題

ノアは、しばらくのあいだルシェルを見つめていた。


その視線は、彼女を慈しむように見つめていたものとはまるで違う。

冷たく、曇り、まるで遠くの景色を眺めるかのように感情がない。


やがて彼は、短く息を吐いた。


「……わかった。では、皇后の言うとおりにしようではないか」


その声は静かだったが、その場の空気を一瞬で支配した。


「明日、貴族会議を開き、正式に審議することとする。そして、議題は二つだ」


「貴族会議?なぜそのような……」


テオドールの言葉を遮り、ノアはゆっくりと言う。


「イザベルの侍女の件。そして――侍女を採用した、皇后の責任問題についてだ」


その言葉が落ちた瞬間、空気がさらに重くなる。


ルシェルは、ゆっくりと息を吸った。

そして、静かに頭を下げた。


「承知いたしました」


逃げない。

それが彼女の答えだった。


そこに、テオドールが割って入る。


「ユリアナは、側室付きの侍女です。皇后陛下が直接監督していたわけではありません。それを皇后陛下の責任問題として結びつけるのは、あまりに無理があるのではないでしょうか?」


ノアの目が、わずかに細くなる。


「採用に関与しているではないか」


「それは、陛下が皇后陛下に側室の侍女を探すよう、皇后陛下に仰ったからではありませんか!」


「もうよい。この件は、明日審議すると言ったはずだ。皆下がってくれ」


その冷たい答えに、テオドールは歯を食いしばった。


***


ーー宮殿の回廊にて。


「……ふざけている」


声は低く、怒りを押し殺している。


「責任問題だと?あいつ、本気でルシェルを――」


「お兄様」


ルシェルが静かに呼び止めた。

テオドールは言葉を飲み込む。


ルシェルはゆっくりと首を振った。


「怒っても仕方ありません。陛下は……もう、決めていらっしゃる」


その声には悲しみも怒りもなかった。

ただ、現実を受け入れた静けさだけがある。


「……想像以上に早いですね」


藍が訝しげに言う。


「何がだ」


テオドールが低く返す。


「事を進める速度です。普通なら、こういう話は水面下で整理してから貴族会議にかける。ですが、今回は違う」


藍は回廊の奥――皇帝の執務室がある方向を見つめながら言った。


「皇帝陛下は、あえて急いでいるように見えます」


「急いでいる?」


「ええ」


藍は頷く。


「結論を急がなければならない理由があるのでしょう」


その言葉に、ルシェルは目を伏せた。


(急ぐ理由……)


それはおそらく、イザベルの存在だ。


側室の懐妊。

皇帝の寵愛。

そして宮廷内に広がり始めた噂ーー。


あの宴の場で私を疑うノアを見た時、

きっと貴族たちには、皇后の立場が再び揺らいだように見えたはずだ。


「……つまり」


テオドールが言う。


「ルシェルを皇后の座から廃そうとしているとでも?」


「はい、恐らく」


藍は即答した。


ルシェルは、まるで心臓を掴まれたかのようにドキッとした。

そして、なぜかその言葉を、誰かから聞けることを待っていたような気さえしていた。


(私はなぜこんな気持ちになっているのかしら……)


ノアが記憶を失い、イザベルがこの宮殿に現れてからの約半年、

これまでの人生でこんなに辛かった事はないと言い切れるほどに辛い思いをした。


それでも、なぜ耐えられていたのかといえば、

時々現れては元気づけてくれるあの銀色の美しい蝶の存在と、それからーー。


ルシェルが思いを巡らせていると、藍は少し申し訳なさそうにしながら、話を続けた。


「とにかく……国民からの支持の熱い皇后陛下を、皇帝が自ら廃するとなれば、反発は大きいはず。

ですが、ユリアナの件が皇后陛下の支持のもとであったとして捌かれてしまうのであれば、話は別です。

国民はきっと、皇后陛下が嫉妬に狂って実行したとでも思うはずです。いくら皇后陛下をよく思っていても、結局は皆、手のひらを返すものです」


テオドールの表情が険しくなる。

藍は続ける。


「皇帝陛下は結論を先に決めています。明日の会議は、きっと形式を整えるためのものです。しかし、形式は時に力を持ちます」


そしてルシェルを見る。


「皇后陛下が“正式な審議”を求めたことは正しい。この場で決められていたら、今夜のうちにでも侍女の処分は決まっていたかもしれません」


ルシェルは小さく頷いた。


確かにそうだ。

もしあの場で反論せず、ただ受け入れていたら――。


明日、貴族会議が開かれる。

そこは有力な貴族たちが集まる正式な場。

そしてアストレア公爵――父も出席する。


「……お父様が来るのね」


ルシェルは小さく呟いた。


それは、家族としては心強い。

だが同時に、この問題が“国家の問題”になるという意味でもあった。


テオドールが言う。


「父上がいれば、そう簡単に事は進まないだろう。安心しろ」


「いいえ」


ルシェルは静かに否定した。


「きっと止められないわ」


テオドールが驚いたように彼女を見る。

ルシェルは遠くを見つめていた。


「陛下の目を見たでしょう」


あの目は――迷っていない。

あれは、何かを確信して実行している目だ。


「でもーー」


ルシェルは続ける。


「少なくとも、私の味方もいるはずよ」


遠く、帝都の空は静まり返っていた。

まるで何も起きていないかのように。

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